ウィル様の誕生日。
あの日ダリアから聞いてから、その言葉が頭からずっと離れない。
――出来れば、何か、お祝いをしたい。
そう思ってはみたものの、すぐに困った。
生まれてから一度も街へ出たことはないし、出られるわけもない。
王宮に頼めばお祝いを用意してもらうこともできるのだろうが、それは違う気がした。
そもそも私は、形だけの婚約者だ。
そんな私が贈り物を用意するのは、かえって迷惑なのだと分かっている。
それでも――。
ここ数日の堂々巡りの考えに、アリスは深くため息をついた。
部屋の机の上には、手芸道具が置かれている。
糸の束。針。小さな布。
それらをぼんやり眺めているうちに、ふと思い出した。
守り紐。
ミルバーグでもトルシアでも、大切な人に贈る小さなお守りのようなものだ。
家族でも、友人でも、恋人でも。
無事を願って、手首に結ぶ紐を贈る。
アリスは机の上の糸を眺めた。
ふと、林のベンチで見上げた夜空が頭に浮かんだ。
ウィル様は、やっぱり月みたいな人だと思う。
綺麗で、遠くて、手を伸ばしても届かない。
金色の髪と、翡翠色の瞳を思い浮かべながら、糸を手に取る。
そして、金色の糸と、深い緑色の糸を机の上に並べた。
金の糸で小さな三日月の模様、緑の糸でそれを囲む。
少しだけ、凝った模様にする。
――どうせ、渡せるわけではないのに。
自分でそう思って、アリスは苦笑した。
それでも、手は止まらない。
糸を編みながら、昔のことを思い出した。
まだアリスが十四歳のころだった。
姉のクラリスが、フィヨルド国へ嫁ぐことが決まった。
結婚前日、クラリスは塔へ来てくれた。
忙しいはずなのに、わざわざ会いに来てくれたのだ。
そのとき、アリスは小さな守り紐を作っていた。
けれど、渡すことができず、手の中に守り紐を握りしめていた。
――もし、これのせいで。
私の作った守り紐のせいで、お姉さまに何か悪いことが起きたら。
そんな考えが頭をよぎって、どうしても差し出せなかった。
「アリス?」
クラリスが気づいた。
アリスの手を見て、それからそっと両手で包み込む。
「これ、私に?」
アリスは小さく首を振った。
「……でも、このせいでお姉さまに悪いことがあったら」
そう言いかけたアリスを見て、クラリスは少しだけ困ったように笑った。
「悲しいから、そんなこと言わないで」
そして、優しく言った。
「あなたが心をこめて編んでくれたんだもの」
「きっと守ってくれるわ」
その言葉を、アリスは今でも覚えている。
糸を編む手が、少しだけ止まった。
目の前には、まだ作りかけの守り紐がある。
お姉さまが幸せに暮らしていることは、手紙で知っている。
――でも。
もし、私の作った守り紐で、ウィル様に悪いことがあったら。
やっぱり、渡さない方がいいのかもしれない。
アリスは、しばらくその紐を見つめていた。
それでも、結局、糸をほどくことはできなかった。
守り紐は、いつの間にか完成していた。
小さな三日月の模様に、深い緑と金の糸。
アリスはそれをそっと手のひらに乗せる。
――きっと、渡せない。
しばらく眺めてから、アリスはそれを机の引き出しにしまった。
あの日ダリアから聞いてから、その言葉が頭からずっと離れない。
――出来れば、何か、お祝いをしたい。
そう思ってはみたものの、すぐに困った。
生まれてから一度も街へ出たことはないし、出られるわけもない。
王宮に頼めばお祝いを用意してもらうこともできるのだろうが、それは違う気がした。
そもそも私は、形だけの婚約者だ。
そんな私が贈り物を用意するのは、かえって迷惑なのだと分かっている。
それでも――。
ここ数日の堂々巡りの考えに、アリスは深くため息をついた。
部屋の机の上には、手芸道具が置かれている。
糸の束。針。小さな布。
それらをぼんやり眺めているうちに、ふと思い出した。
守り紐。
ミルバーグでもトルシアでも、大切な人に贈る小さなお守りのようなものだ。
家族でも、友人でも、恋人でも。
無事を願って、手首に結ぶ紐を贈る。
アリスは机の上の糸を眺めた。
ふと、林のベンチで見上げた夜空が頭に浮かんだ。
ウィル様は、やっぱり月みたいな人だと思う。
綺麗で、遠くて、手を伸ばしても届かない。
金色の髪と、翡翠色の瞳を思い浮かべながら、糸を手に取る。
そして、金色の糸と、深い緑色の糸を机の上に並べた。
金の糸で小さな三日月の模様、緑の糸でそれを囲む。
少しだけ、凝った模様にする。
――どうせ、渡せるわけではないのに。
自分でそう思って、アリスは苦笑した。
それでも、手は止まらない。
糸を編みながら、昔のことを思い出した。
まだアリスが十四歳のころだった。
姉のクラリスが、フィヨルド国へ嫁ぐことが決まった。
結婚前日、クラリスは塔へ来てくれた。
忙しいはずなのに、わざわざ会いに来てくれたのだ。
そのとき、アリスは小さな守り紐を作っていた。
けれど、渡すことができず、手の中に守り紐を握りしめていた。
――もし、これのせいで。
私の作った守り紐のせいで、お姉さまに何か悪いことが起きたら。
そんな考えが頭をよぎって、どうしても差し出せなかった。
「アリス?」
クラリスが気づいた。
アリスの手を見て、それからそっと両手で包み込む。
「これ、私に?」
アリスは小さく首を振った。
「……でも、このせいでお姉さまに悪いことがあったら」
そう言いかけたアリスを見て、クラリスは少しだけ困ったように笑った。
「悲しいから、そんなこと言わないで」
そして、優しく言った。
「あなたが心をこめて編んでくれたんだもの」
「きっと守ってくれるわ」
その言葉を、アリスは今でも覚えている。
糸を編む手が、少しだけ止まった。
目の前には、まだ作りかけの守り紐がある。
お姉さまが幸せに暮らしていることは、手紙で知っている。
――でも。
もし、私の作った守り紐で、ウィル様に悪いことがあったら。
やっぱり、渡さない方がいいのかもしれない。
アリスは、しばらくその紐を見つめていた。
それでも、結局、糸をほどくことはできなかった。
守り紐は、いつの間にか完成していた。
小さな三日月の模様に、深い緑と金の糸。
アリスはそれをそっと手のひらに乗せる。
――きっと、渡せない。
しばらく眺めてから、アリスはそれを机の引き出しにしまった。



