不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった ―王弟が望んだのは、ただ一人の婚約者―

トルシアへ戻ってきてから、一か月ほどが過ぎた。

夕方近く、屋敷の玄関前に一台の馬車が止まった。

知らせを受けたアリスは、クララとともに玄関へ向かっていた。

扉が開き、馬車から一人の女性が降りてくる。

見慣れた栗色の髪。

その姿を目にした瞬間、アリスは思わず足を止めた。

「……リリス」

呼びかけると、こちらを向いたリリスの表情がくしゃりと崩れた。

「アリス様……!」

駆け寄ってきたリリスは、アリスの前で立ち止まったものの、次の言葉が続かなかった。

涙が溢れ、そのまま頬を伝っていく。

「リリス……」

アリスはすぐにその手を取った。

「とても心配させてしまったのね。ごめんなさい……」

「どうして、アリス様が謝るんです……何も悪くないのに」

リリスは涙を拭おうともせず、首を横に振る。

「本当に……本当に、ご無事で……」

アリスはそんなリリスを抱きしめる。

しばらく二人はそのままでいた。

やがてリリスが恥ずかしそうに身体を離し、目元を手で拭う。

「申し訳ありません。着いた途端に泣いてしまって……」

「いいの」

アリスは微笑んだ。

「また会えて、本当に嬉しいもの」

その一言に、またリリスの目が潤む。

「もう……あまり泣くと、目が腫れてしまうわ」

アリスはハンカチでリリスの涙をそっと拭った。

その様子を見守っていたクララが、頃合いを見て声をかけた。

「リリス、お久しぶりですね」

「クララさん、お久しぶりです。アリス様の婚姻式まで、しばらくお世話になります」

「えぇ。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

その時、屋敷の前に荷車が止まった。

ミルバーグに残っていたアリスの私物と、リリスの荷物を積んだ荷車だった。

「荷物、運びますね」

「いえ、荷物の運び込みは男性の使用人に頼みます。長旅でお疲れでしょうから、明日の昼まではゆっくりお休みなさい。アリス様のお荷物は、その頃に女性の使用人たちで荷解きをする予定ですから」

「そうした方がいいわ」

アリスも頷く。

「分かりました。では、そうさせていただきます」

「お部屋は以前使っていたところを用意しています。貴方の荷物はそちらへ運ばせます。それと、夕食は十八時からにいたします」

「ありがとうございます」

リリスは頭を下げた。

―――――――――――

十八時半を過ぎてもウィルはまだ帰宅しておらず、アリスは先に夕食をとることにした。

この時間までに戻らなければ、待たずに食事を済ませてほしいと、ウィルから言われている。

リリスはクララに勧められ、今日は自室で食事をとっていた。

食事を終えたアリスが食堂を出た頃、玄関の扉が開く音が聞こえた。

「旦那様がお帰りです」

使用人の声に、アリスはすぐに顔を上げた。

ちょうど階段から降りてきたリリスと目が合う。

「ウィル様がお帰りになったみたい」

「私もご挨拶に伺います」

二人で玄関へ向かうと、外套を脱いだばかりのウィルが立っていた。

「お帰りなさいませ、ウィル様」

「あぁ。ただいま」

アリスへ向けた表情がわずかに和らぐ。

その隣で、リリスが一歩前へ出て深く頭を下げた。

「ウィル殿下。ご無沙汰しております」

「あぁ。久しぶりだな」

「本日より婚姻式まで、再びアリス様にお仕えさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしく頼む」

ウィルはリリスを見てから続けた。

「アリスも心強いだろう。来てもらって助かる」

「とんでもございません」

リリスが頭を下げる。

ウィルはアリスへと視線を向けた。

「食事は?」

「はい。先ほどいただきました」

「そうか」

いつもなら、十九時半頃までにウィルが戻ってくれば、アリスは彼の夕食に付き合うことが多かった。

けれど今日は、つい隣にいるリリスへと視線を向けてしまう。

「積もる話もあるだろう」

「え?」

「オレのことは気にしなくていい」

「でも……」

「一人で食べられる」

苦笑して返され、アリスはやっと頷いた。

「……では、お言葉に甘えてもいいですか?」

「あぁ」

「ありがとうございます」

アリスはリリスへと視線を向ける。

「寝る準備ができたら、私のお部屋で話しましょう」

「はい」

二人が仲良く並んで廊下を歩く姿に、ウィルは口元を緩めた。

―――――――――――

寝支度を終えたあと、客間では二人の話し声が続いていた。

「それで、エリオットさんとの新婚生活はどう?」

「アリス様、私のことより先に、ご自分のことを話してください」

「私?」

「そうです。ゼリアでのこと、聞かせてください」

「でも……あちらでもずっと塔にいただけだから、あまり話すことはないのよ」

「それでも、です」

久しぶりに聞くリリスの少し強い口調に、アリスは思わず笑ってしまう。

「分かったわ」

それから、話はあちらこちらへ飛んだ。

ゼリアで過ごした日々、誕生祭の日のこと、火に包まれた塔。

そして、助けに来てくれたウィル。

アリスの話を聞きながら、リリスは様々な表情を浮かべていた。

もちろん、リリスにも話したいことは山ほどあった。

エリオットとの結婚生活、ミルバーグでの暮らし、そして自身の結婚式の日のこと。

「エリオットさん、優しくしてくださるのでしょう?」

「とても」

リリスは照れたように笑う。

「それならよかったわ」

心から安心したように微笑むアリスを見て、リリスも笑みを返した。

「ねぇ、今度はリリスの話を聞かせてほしいの」

「はい」

―――――――――――

その頃、入浴を終えたウィルは、いつものようにアリスのいる客間へ向かっていた。

扉の前で足を止め、ノックをしようと手を上げる。

その時、中から笑い声が聞こえてきた。

「リリスったら……それは、エリオットさんがかわいそうだわ」

すぐに、リリスの声も聞こえる。

「だって、アリス様。エリオットがはっきり言わないんですもの」

ウィルは手を止めた。

――楽しそうだ。

わずかに口元を緩めると、ノックをすることなく手を下ろした。

そのまま踵を返し、自室へ向かった。

―――――――――――

話の途中で、アリスがふと時計へ目を向けた。

「どうかなさいました?」

「なんでもないの……」

いつもなら、この時間になるとウィルが顔を見に来てくれることが多い。

――今日は、来てくださらないのかしら?

少し寂しくなる。

――もしかして、リリスがいるから遠慮してくださったのかもしれない。

アリスは迷ったすえに、立ち上がった。

「リリス、ごめんなさい。少しだけ待っていてくれる?」

「はい」

見送るリリスを残し、アリスは部屋を出た。

廊下を歩き、ウィルの私室の前で立ち止まる。

夜に訪ねるなんて初めてのことで、緊張しながら扉を叩いた。

「はい」

「……アリスです」

すぐに扉が開く。

「どうした?」

ウィルは驚いた表情を浮かべていた。

「あの……」

アリスは視線を落とす。

「いつも、このくらいの時間に来てくださるので」

――寂しくて顔を見に来るなんて、子供みたいだわ。

「それで、その……ご挨拶にきました」

顔を上げたものの、今更ながら恥ずかしくなってくる。

一瞬の間のあと、ウィルの表情が柔らかくなった。

身を屈め、アリスの額へ軽く口づける。

アリスは頬を染め、嬉しそうに口元を緩めた。

「おやすみ、アリス」

「おやすみなさい、ウィル様」