不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった ―王弟が望んだのは、ただ一人の婚約者―



「アリス」

懐かしい声だった。

誰かに名前を呼ばれているような気がして、その声に誘われるようにアリスは重たいまぶたをゆっくりと開く。

滲んだ視界の向こうに見えた金色の光は、あまりにも綺麗で、ぼんやりと見つめた。

――天使様……?

体はどこか気だるく、頭の中もうまく働かない。

またゆっくりと目を閉じてしまう。

――そうだわ。確か、火に包まれて……。

――きっと、死んでしまったのね。

どこか安心するような温もりへ、ただ身を委ねた。

「アリス」

低く優しい声が耳へ響く。

一番聞きたいと願っていたその声に、おそるおそる目を開けた。

「……ウィル……さま?」

驚きのあまり、目を見開いたまま固まる。

「ああ」

ウィルの瞳が優しく細められ、左手が頬へ触れる。

あまりにも近い距離に美しい顔があって、思わず息をのんだ。

そして、すぐに膝の上へ抱きかかえられていることに気づく。

心臓が激しく鳴り始める。

――あれ……? 火事で……塔にいて……。

――それなのに、ウィル様がすぐ傍にいて、その腕の中で――。

頭の中が混乱しすぎて、沢山話したいことがあるのに何も言葉が出てこない。

アリスは視線を彷徨わせ、パクパクと口を開きかけては閉じた。

ウィルはその様子にフッと表情を和らげる。

だが、すぐに確認するようにアリスの顔を見つめた。

「息苦しくはないか?」

「あ……はい……大丈夫です」

反射的に言葉が出る。

「そうか」

ウィルは安堵したように息をつき、アリスの髪を優しく撫でる。

「あの……どうして――?」

疑問がそのまま言葉になる。その言葉に、ウィルは一瞬目を細めた。

「迎えにいくと言っただろう」

――あぁ。

その一言だけで、今のアリスには十分すぎるぐらいだった。

火に包まれた時の恐怖が蘇る。

あの時は、もうダメなのだと、すべてを諦めた。

――だからこそ、最後に一目でも会いたいと願った。

――本当に迎えに来てくれた。

アリスの目から涙が次から次へとポロポロと溢れ出す。

「怖い思いをさせた」

ウィルの表情が苦しげに歪む。

アリスは何度も首を横に振る。

「で……も……た、助けて……くれて……」

言葉が最後まで続かない。

ウィルは何も言わず、アリスをギュッと強く抱きしめた。

その腕の中の温もりが、どうしようもなく安心できて――しばらく涙が止まることはなかった。


―――――――


涙が収まる頃、アリスは恥ずかしそうにウィルの顔を見上げる。

「……すみません。たくさん泣いてしまって」

「もう、我慢しなくていい」

ウィルはアリスの頬に残った涙の跡を指先でそっと拭う。

「はい」

頬を撫でる指先がくすぐったくて、アリスは少しだけ目を細めた。

そして、ふと、膝の上に抱えられている状況を思い出し、無性に恥ずかしくなってくる。

――これ以上は心臓がもたない……。頬が熱い。

「あ、あの……ウィル様。もう……降ろしてください」

「ダメだ」

あまりにもきっぱりとした声だった。

「煙で気を失っていたんだ。もうしばらく、このままで」

「でも……」

そこまで言いかけて、思い出したくなかった現実がアリスの胸をよぎる。

――セリーヌ様……。

銀色の髪に碧い瞳を持つ、美しい女性。

――あの方がいるのに私がいつまでもウィル様の優しさに甘えていいわけがない。

――ウィル様は約束を守ってくださっただけだもの。

胸が苦しくなる。

――それでも、ちゃんと祝福したい。それくらいしか、頂いた恩を返すことはできないもの。

もう泣かないように鈴蘭のネックレスを握りしめる。

「あの……セリーヌ様とのこと、おめでとうございます」

アリスは精いっぱいの笑顔を作った。

「……だからあんな茶番、嫌だと言ったんだ」

ウィルは低い声で呟き、深いため息を落とす。

――私、何かおかしなことを言ったのかしら。もしかしたら、上手く笑えてなかったのかもしれない。

「あの? ウィルさ……!!」

次の瞬間、言葉を遮るように、ウィルの唇が重なった。

アリスは驚いて目を閉じる。

心臓が耳元でうるさいくらい鳴っている。

――どうして……?

やがて唇が離れていくと、アリスはそうっと目を開ける。

すぐ目の前には、アリスを見つめる翡翠色の瞳。

突然の口づけに、どうしていいのか分からず、視線を合わせられない。

ウィルはそんなアリスの唇を名残惜しそうに指で撫でる。

「アリスがいるのに、なぜ、セリーヌと結婚するんだ。何より、彼女には恋人がいる」

少し困ったように、ウィルが口を開く。

「……結婚されるって。あの時……」

言い終える前に、ウィルは熱を帯びたアリスの頬を軽く引っ張る。

「セリーヌと結婚するとは言っていない」

それから深く息を吐き、目を伏せる。

「やはり誤解させたな。あの場ではあれ以上のことが言えなかった」

ウィルはわずかに眉を寄せる。

「……悪かった」

――じゃあ……。

「オレにはアリスだけだ」

胸の奥がじんわりと温かく満たされていく。

――夢を見ているのかしら。それでも……。

「あの……ウィル様のお傍にいてもいいんでしょうか?」

「当たり前だ」

迷いのない声だった。

「――もう、どこにもやるつもりはない」

アリスはどこか夢心地のまま、潤んだ瞳でウィルを見つめた。

その様子にウィルは口元を緩める。

「トルシアへ帰ったら、出来るだけ早く婚姻式を挙げたい」

「……嫌か?」

アリスはブンブンと頭を振る。

「……もう、離れたくないです」

そっとウィルの服を握り、すがりつくようにその胸へ顔を埋めた。