■―ヴェルムント―
誕生祭から2週間。
ゼリア国王ヴェルムントは、珍しく上機嫌だった。
執務室の窓から遠くに見える塔へ視線を向ける。
ミルバーグの王女をゼリアへ迎えてから、九か月あまりが過ぎていた。
当初は、不吉を呼ぶ姫という噂が本当なら、真っ先にセシリオへ災いが降りかかるだろうと考えていた。
あやつは昔から逆らってばかりで、実に口うるさい。
少しくらい痛い目を見れば、私の言うことを聞くようになるかと思っていた。
だからこそ、王女の管理をセシリオへ任せたのだ。
だが、これまでセシリオは何事もなく過ごしていた。
公務をこなし、国政にも携わり、体調を崩すことすらなかった。
――やはり、馬鹿げた噂だったか。
そう考えるようになったからこそ、誕生祭へ王女を出席させた。
広間へ立たせれば、人々も珍しがるだろう。
黒髪黒目の王女というだけでも余興にはなる。
あの陰気な娘には、それくらいが丁度よい。
誕生祭での様子を思い返し、ヴェルムントは鼻で笑った。
あの王女は実に分かりやすい。トルシア王弟のことを未練がましく見ておった。
その王弟は美しい女性を伴っており、それを見つめる王女の目は、ひどく恨みがましいものだった。
やはり王弟の方は王女などまるで眼中にないようだったな。
我が国を牽制するためだけに、婚姻まで利用するとは、中々に食えない男だ。
国益のためなら、自らすら駒にするとは——。
いっそ王女の怨念で、あの王弟へ災いの一つでも降りかかれば面白いものを。
このまま何も起きなければ、不吉を呼ぶ姫など所詮は噂に過ぎん。
あの娘は、ただ陰気なだけの王女ということだ。
そう結論づけた時だった。
執務室の扉が慌ただしく叩かれた。
「失礼いたします」
入室した側近は深く頭を下げた。
「国王陛下。セシリオ殿下ですが、肺炎を患われ、数日寝込まれております」
ヴェルムントは書類から顔を上げた。
「肺炎だと?」
「はい。高熱が続いており、容体はあまり芳しくありません」
わずかに表情を曇らせる。
「医師は何と言っている」
「今は安静にしていただくほかないと」
その報告を聞いたまま、ヴェルムントは黙り込んだ。
誕生祭へ王女を出して間もなく、セシリオが肺炎で床に臥せた。
偶然だと言い切れるのか。
一度は馬鹿げた噂だと考えたはずなのに、「不吉を呼ぶ姫」という言葉が、頭から離れなくなっていた。
ヴェルムントは立ち上がると、再び塔の方角へ目を向けた。
「あの娘は……やはり災いを呼ぶのかもしれんな」
低く呟き、口元を歪める。
「これ以上、我が国へ災いをもたらすようなら……」
しばらく塔を見つめた後、何でもないことのように言った。
「塔ごと焼き払えば済む話か」
―――――――――――――――
■―セシリオ―
肺炎を患ってから、二週間ほどが経っていた。
高熱は数日前には下がり、セシリオはようやく普段どおり歩けるほどまで回復していた。
ただ、まだ体力は戻りきっていない。
医師からも、もうしばらくは無理をせず安静にするよう言われていた。
だが、計画の決行は刻一刻と近づいている。
休んでいた間に滞った仕事を片づけ、協力者たちとも再び密に連絡を取らなければならない。
セシリオは深くため息をつくと、私室のソファへ腰を下ろした。
目の前には、執務室から運び込まれた書類が積み上げられている。
休んでいた間に届いた報告書や、決裁待ちの書類ばかりだった。
「思った以上に溜まっているな……」
そう呟き、一枚目へ手を伸ばす。
「もう仕事を始めるの?」
部屋へ入ってきたミランダが、呆れたように声をかける。
手には湯気の立つハーブティーが載った盆を持っていた。
「執務室へ行くつもりはない。ここで少し目を通すだけだよ」
「そう言って、気づけば何時間も仕事をするんでしょう?」
セシリオは苦笑した。
「二週間も休んでしまったからね。これ以上遅らせるわけにはいかない」
ミランダは盆をテーブルへ置き、セシリオの隣へ腰を下ろした。
「半日だけよ。私がここで見張っているから」
「ミランダ」
「医師にも言われたでしょう? 無理は禁物だって」
穏やかな口調だったが、その瞳は譲るつもりがないことを物語っていた。
「……分かった。心配をかけたな」
その一言に、ミランダは表情を和らげる。
「本当にそう思っているなら、あまり無理をしすぎないでね」
「そうだな」
セシリオは頷き、再び書類へ目を通し始めた。
しばらく仕事を進めた後、不意に窓の外へ視線を向け、小さく口を開く。
「……すまない。苦労をかけるかもしれない」
その言葉だけで、何を指しているのかミランダには分かった。
「あなたは、この国のために動いているのよ。謝るなんておかしいわ」
ミランダは優しく微笑む。
「何より、私はあなたの一番の味方よ」
その言葉に、セシリオはゆっくりと目を閉じた。
胸の奥に張りつめていたものが、少しだけ和らぐ。
ミランダも窓の外へ目を向けた。
「子どもたちには、平和な世界で生きてもらいたいもの」
セシリオはその言葉に深く頷く。
「そのためにも、この国を変えなければならない」



