不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった ―王弟が望んだのは、ただ一人の婚約者―

トルシアに来てから、1か月が過ぎていた。

その日の午後、王宮から知らせが届いた。

アリスは、国王と王妃、そしてウィルの3人だけの夕食に招待されたのだ。

ミルバーグからは、歓迎の式典などは必要ないと正式に伝えられていた。

不吉を呼ぶ姫という噂がある以上、大きな催しは避けたいというミルバーグ側の意向だった。

それでも、何もしないのは失礼だと考えてくれたのだろう。

アリスは鏡の前に立ち、ソワソワした様子でドレスの裾を整えていた。

深い緑色の質素なドレスだ。

派手な装飾はなく、アリスらしい雰囲気のものだった。

「アリス様、落ち着いてください」

後ろからリリスが声をかける。

「リリス、おかしなところはない?」

「どこもございません」

「本当に?」

アリスは鏡を見たまま続けた。

「ちゃんと失礼なく振る舞えるかしら。会話も食事も……」

「もちろんです」

リリスはきっぱりと言った。

「アリス様はいつも通りで大丈夫です」

それでもアリスはどこか落ち着かない。

理由は分かっている。

今日は――ウィル様がお迎えに来る。

「やっぱり、だめ。もうお断りしようかしら」

「もう遅いです」

リリスが言った。

アリスは迎えの時間より少し早く、塔の1階の応接室で待つことにした。

応接室でも、座ることなく歩き回ってしまう。

そのとき、扉の外で足音が止まる。

軽く扉がノックされた。

「アリス様」

護衛の騎士の声だった。

「ウィル殿下がお迎えにいらしております」

アリスの体がぴたりと固まる。

リリスがそっと背中を押した。

「アリス様」

アリスは小さく頷いた。

応接室の扉が開く。

そこには、いつも通りの表情のウィルが立っていた。

「お迎えにあがりました。ご準備はよろしいですか」

低く落ち着いた声だった。

アリスは声を上手く出せずに、小さく頷く。

塔の外には馬車が待っている。

ウィルは手を差し出した。

「……足元にお気をつけください」

アリスは一瞬戸惑ったあと、その手にそっと触れる。

軽く支えられながら、先に馬車へ乗せてもらった。

扉が閉まると、ウィルも向かいの席に腰を下ろした。

林の道を進む馬車の音だけが聞こえる。

けれど、不思議と息苦しい空気ではなかった。

ベンチで一緒にいるときと、どこか似ている。

言葉はなくても、居心地の悪さは感じない。

やがて馬車は王宮に到着した。

案内された部屋には、すでにエドワード国王とナタリア王妃がいた。

「ようこそ、アリス姫」

エドワードが声をかける。

「お招きいただきありがとうございます」

アリスは丁寧に膝を折った。

エドワードが席を示した。

「どうぞ、姫」

アリスは軽く礼をして席につく。

エドワードとナタリアが向かいに座り、ウィルはその隣の席についた。

アリスも椅子に腰を下ろす。

ちょうどその時、最初の料理が運ばれてきた。

エドワードがグラスを軽く持ち上げる。

「改めて、トルシアへようこそ」

「ありがとうございます」

アリスもグラスを持ち上げた。

ナタリアが微笑む。

「塔での生活はいかがですか?」

「とても穏やかに過ごさせていただいています」

アリスは少し言葉を選びながら続けた。

「護衛の騎士の方々も、とてもよくしてくださって……皆さま親切で、穏やかに過ごすことができています」

エドワードは頷いた。

「それは良かった。塔の警備の騎士は、すべて弟が人選していますから」

その言葉に、アリスはウィルの方を見る。

ウィルと一瞬だけ目が合って、アリスは思わず俯いてしまった。

王妃が続ける。

「林もきれいでしょう?」

「あの……はい。とても落ち着く場所です」

「塔も、環境も、ミルバーグにいた頃と変わらないように整えてくださって……本当に感謝しています」

「そう言っていただけるなら安心です」

王妃は嬉しそうに微笑んだ。

王がふとウィルを見る。

「ウィル、お前は最近もあの林へ行っているのか」

「ええ。静かですから」

「あそこは、昔から好きだったな」

「……ええ」

アリスはふと思った。

――ウィル様は、ベンチにいる時とほとんど様子が変わらない。

けれど、この三人の間にはどこか温かな空気が流れていた。

夕食はそのまま和やかな雰囲気のまま終わった。

帰りの馬車でも、二人はほとんど言葉を交わさなかった。

馬車が塔の前で止まる。

ウィルが先に降り、扉を開ける。

「どうぞ」

アリスはその手にそっと触れ、馬車から降りた。

ウィルはそのまま塔の扉までアリスを送る。

「本日はありがとうございました」

アリスが言うと、ウィルは軽く頷いた。

「では、ゆっくりお休みください」

ほんの一瞬だけ視線が合う。

それからウィルは一礼し、馬車へ戻っていった。

馬車は林の道へ進み、やがて夜の木々の中へ消えていく。

アリスはしばらくその場に立ったまま、その方向を見つめていた。

やがて小さく息をつき、塔の中へ戻った。