不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった ―王弟が望んだのは、ただ一人の婚約者―



「アリス王女、そろそろ戻りましょうか」

ダンスが終わった直後、セシリオがアリスへと声をかけた。

「……はい」

アリスは一瞬だけ間を開けてから返事をする。

「どうか、お元気で」

ウィルへ向かって頭を下げた。

「ええ、アリス王女も」

短い言葉を交わした後、アリスはセシリオと共に大広間を後にした。

ウィルは遠ざかっていくその背中を見つめる。

やがて姿が見えなくなったところで、先ほどまでアリスに触れていた自身の手へ視線を落とした。

あの手は驚くほど冷たく、ひどく緊張していたことは明らかだった。

それでも、抱き寄せた時の温もりは、まだ残って離れない。

あのまま連れ帰りたい――と、何度も思った。

けれど、そんなことが許されるはずもなく、焦りと苛立ちばかりが募る。

一年前。

あの時、婚姻式をあと三か月早められていれば。

今頃、アリスは妻として屋敷で帰りを待っていたはずだ。

何より、傍にいられたはずだった。

少なくとも、こんな公の場所で一人、見せ物のように視線にさらされることもなかった。

お幸せに、と彼女は言った。

笑みまで浮かべて。

やはり、同行者など連れてくるべきではなかった――。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢


「アリス王女がウィル殿下にとって重要な存在だと悟られるのは避けるべきです。ですので、誕生祭の際には同伴者を連れて来られることをお勧めいたします」

三か月前の会議の場で、セシリオからそう提案された。

「今の父は、不吉を呼ぶ姫という噂を半ば信じています。距離を置かれている今の状況が、アリス王女にとっては安全です」

レオンハルトは苦い表情を浮かべたが、了承した。

「妹には気の毒ですが、何より安全を優先すべきでしょう」

ウィルは渋い顔のまま黙り込む。

その様子に、セシリオがわずかに苦笑した。

「私はお二人なら問題ないと思いましたが」

ウィルはセシリオを見つめ、ため息をついた。

「……検討いたします」

後日、その報告を受けたエドワード国王が、公爵家の令嬢で外交官でもあるセリーヌの同行を決めたのだった。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢


確かに、アリスの身の安全を守るためには必要なことだった。

――そんなことは、分かっている。だが……。

彼女を傷つけたことには変わらない。

あんな顔をさせたかったわけではない。

――どんな手段を選ぶことになっても、アリスを取り戻す。

それだけは譲るつもりがなかった。

その時、不意に腕へ柔らかな感触が絡みつく。

「ウィル殿下、お待たせいたしました」

振り返ると、セリーヌがにこやかな笑みを浮かべていた。

ウィルは一瞬、自身の腕を見て眉をひそめる。

その表情にセリーヌは苦笑した。

「もう少し笑みを浮かべられませんか。私、花嫁候補なんですが、一応」

周囲には聞こえないように、顔を寄せて囁く。

「楽しくもないのに笑えない」

「まあ、いいですけど」

セリーヌは肩を竦めた。

「それより」

声をさらに落とす。

「確かに、アリス王女と踊っても良いとは言いました」

「……」

「ですが、距離が近すぎます」

ウィルはわずかに眉を動かした。

「あれは恋人の距離です」

セリーヌはため息をつく。

「私が国王の気を引けたので良かったものの、見ていて冷や冷やしました」

「お前も今、十分に近いと思うが」

セリーヌはわざと更に身を寄せ、見惚れるような笑みを浮かべた。

「もちろん、恋人のように見えていないと困りますから」

セリーヌは周囲へ視線を巡らせた。

――このくらい見せれば、親密な恋人同士に見えているでしょうね。

そして、ウィルへと視線を戻す。

――ウィル殿下とは幼い頃からの付き合いだけれど、ここまで冷静でない姿は初めてね。

「私が同行している理由をお忘れですか?」

「覚えている」

「本当ですか」

セリーヌが思わず目を細める。

「陛下は、殿下が冷静さを失わないか心配しておられました」

「……」

「私は、そのようなことなどないと思っていたのですが」

そこで一度言葉を切る。

「同行して、正解でした」

ウィルは気まずそうに視線を逸らした。

「我慢したつもりだ」

ぼそりと呟く。

「あれで、ですか」

セリーヌは呆れたように肩を竦めた後、ふと意味ありげな笑みを浮かべる。

「殿下が宝物のように大切になさっているとお聞きしていたので、よほど魅力的な方を想像していたのですが」

「……」

「お父様の言う通り、本当に普通で、可愛らしい雰囲気のお方ですね」

セリーヌはくすりと笑った。

「私に見向きもしないわけがよく分かりました」

その言葉に、ウィルは呆れたように息を吐く。

「その言葉、何人目だ?」

「あら、失礼ですね。こう見えて、恋人一筋ですから私も」

気を悪くした様子もなく、セリーヌはフフと笑った。

やがてセリーヌは、アリスが去っていった方向へと視線を向けた。

先ほどの姿を思い出したのか、一瞬不快そうに眉を寄せる。

「それにしても、あんなドレス着せるなんて悪趣味ね……」

一呼吸置くと、表情を和らげた。

「あの方の笑顔を私も早く見てみたくなりました」

「あぁ」

無意識に手首へ触れると、指先に守り紐の感触が伝わった。