不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった ―王弟が望んだのは、ただ一人の婚約者―



一瞬、言葉が出てこなくて、ぎゅっと手を握り締める。

「お久しぶりです、ウィル殿下」

なんとかそれだけを口にして、慌てて頭を下げた。

顔を上げると、どうしても隣の女性へ意識が向いてしまう。

近くで見るとその華やかさはいっそう際立っていて、ウィル様と並ぶとまるで一枚の絵画のようだった。

――なんて美しいのかしら。

ふと、初めてトルシア王家の方々とお会いした日のことを思い出す。

そして今、似た光景を目の前にして、ようやく分かってしまった。

この方こそ、ウィル様の隣に相応しい人なのだと。

もし、私がウィル様と結婚していたら――。

黒髪に黒い瞳。冴えない顔立ち。

そんな自分がウィル様の隣に並ぶ姿は、どうしても想像できなかった。

何故、ウィル様は一時でもこんな私を選んでくださったのだろう。

今さらそんなことを考えてしまう。

胸の奥がズキンと痛んだ。

その時、不意に後方から声が聞こえた。

「ウィル殿下、久しいな。本日はよくお越しくださった」

振り返ると、ゼリア国王がこちらへ歩いてきていた。

「本日はおめでとうございます。お招きいただき、感謝いたします」

ウィル様が一礼する。

国王は頷くと、今度は私へ視線を向けた。

「久しいな、アリス王女。最初の謁見以来だったか」

「お久しぶりです。本日はおめでとうございます、国王陛下」

私は深く頭を下げる。

「そういえばアリス王女はトルシアにいたのであったな。確か、ウィル殿の婚約者であった時期もあったと記憶しているが」

国王はそう言ってウィル様へ視線を向けた。

「ええ」

ウィル様も短く返答する。

すると国王は、私が怖くて聞けないことをあっさりと口にした。

「ウィル殿、そちらの美しいご婦人は未来の奥方かな」

思わず息を呑む。

「いえ、同行している者です。この者は我が国の外務大臣の娘で、セリーヌと申します」

紹介された女性は優雅に一礼し、

「初めてお目にかかります、国王陛下」

と挨拶をする。

その姿は洗練されていて、思わず見惚れてしまうほどだった。

「ほう。では花嫁候補の一人ということかな」

国王が面白そうに言うと、ウィル様は少しだけ間を置いて、

「どうでしょうか」

とだけ答えた。

「ウィル殿であれば我が国の女性も喜ぶだろう。ぜひ花嫁候補にはゼリアの女性も考慮していただきたいものだ」

国王はセリーヌ様へと視線を向けた。

「ウィル殿さえ構わなければ、そちらのご婦人をダンスへ誘ってもよいかな」

「よろしければどうぞ」

ウィル様が頷くと、セリーヌ様はウィル様の腕から手を離し、国王へ深々と礼をする。

それから、差し出された手に自身の手を重ねた。

「せっかくだ、ウィル殿もアリス王女と一曲踊って差し上げたらどうかな」

国王は機嫌よく笑うと、セリーヌ様と共に踊りの輪の中へと歩いていった。

私はその姿を見送りながら、そこで初めて自分とウィル様だけがその場に残されたことに気づいた。

何か話さなければと思うのに、何を口にすればいいのか分からない。

それでもお話をしたくて、勇気を振り絞るようにウィル様の方へ向き直る。

その瞬間に視線が合った。

――見られていたのかしら。

そんな考えが頭をよぎる。

けれど、そんなはずはないとすぐに打ち消した。

それでも心臓の音は少しも静まってくれない。

「あの……お元気でしたか」

やっとの思いで口にできたのは社交辞令だけだった。

「ええ、まあ」

ウィル様は短く返答した後、少しだけ表情を和らげた。

「アリス王女。一曲、お相手していただけませんか」

私は驚いて思わずウィル様を見つめてしまう。

すぐに、先ほどの国王の言葉に行き当たる。

――あぁ、きっとゼリア国王様に勧められたからだわ……。

そう分かってはいても、鼓動が早くなるのを止められなかった。

「ええ、その……あまり上手くは踊れませんけれど。それでもよろしければ」

ウィル様が差し出した右手に、そっと自身の左手を重ねた。

その瞬間、ウィル様の動きがほんのわずかに止まる。

「……?」

けれど何も言わず、私の手を引いてダンスフロアへ歩き出す。

音楽に合わせて足を踏み出した。

ウィル様が自然にリードしてくださるおかげで、不思議と足がもつれることはなかった。

公の場で踊る機会などほとんどなく、ウィル様と踊るのはこれが初めてだった。

久しぶりに触れた温もりも、思っていたより近くにある整った顔立ちも、それだけで胸の高鳴りが抑えられない。

婚約者かもしれない女性を紹介されたばかりなのに――。

そんな自分がひどく惨めに思えてくる。

けれど、ウィル様にお会い出来たら、どうしても伝えたいことがあったから……。

私は深く息を吸った。

「あの……セリーヌ様はとてもお綺麗な方ですね」

「ええ、優秀な女性です」

ウィル様は当たり前のように答える。

その返答に胸の奥がチクンと痛んだ。

「ご結婚されるのですか?」

思い切って尋ねると、ウィル様はわずかに考えるような表情を浮かべた。

それから、まっすぐ私を見つめた。

「……心に決めた相手と結婚するつもりです」

その言葉に胸が締め付けられる。

それでも、ゼリア国王には言葉を濁したのにきちんと答えてくれた。

私のことを今でも信頼してくれているのなら、嬉しい。

一度視線を落としてから顔を上げた。

「……どうか、お幸せになってください」

精一杯の笑みを浮かべながらそう告げる。

ウィル様には何より幸せでいて欲しい、それだけは偽りようのない本心だった。

「あの……っ!?」

突然、私の体はウィル様の方へと引き寄せられた。

近すぎる距離に頬がみるみる赤く染まる。

私の顔を見つめたまま、ウィル様の唇がわずかに動く。

今にも何かを言葉にしようとして――。

けれど、すぐに腕の力が弱まった。

ウィル様は視線を床に落としてから、柔らかな笑みを浮かべた。

「ありがとうございます」

その笑顔を見た瞬間、胸がぎゅっと締め付けられる。

やっぱり、私には手の届かない月なのだわ――。

笑顔を見られた。もう一度、お会いできた。

もう十分よね。

――それだけで、きっと頑張っていけるもの。