不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった ―王弟が望んだのは、ただ一人の婚約者―


アリス様は、最近、林の奥にあるベンチがお気に入りだ。

塔の周りは基本的に人通りがない。昼間でも外へ出ることはできるけれど、アリス様が林へ行くのはだいたい決まっている。早朝か、夜だ。

林の空気や夜の静けさが落ち着くからと、話していたこともある。

けれど、この間のことだった。

「昨日ね、ウィル・トルシア様に偶然お会いしたの」

夕食の支度をしていたとき、アリス様が何気ない様子でそう言った。

話によると、林のベンチでうっかり眠ってしまい、ウィル殿下に起こされたらしい。

「目が覚めたら、抱き上げられていて……。ご迷惑をおかけしてしまったわ」

そう言って反省しているようなのに、顔はほんのり赤く、口元は少し緩んでいた。

それから三日ほど経ったある日、散歩から戻ってきたアリス様は、嬉しそうな顔で言った。

「三日ぶりにウィル様がいらっしゃったの」

その言葉に、思わず手を止めた。

アリス様は少しだけ言い訳するように続ける。

「別に会いに行っているわけじゃないの。ただ、お気に入りの場所が一緒なだけで」

そして、ほんの少し不安そうな顔になる。

「ご一緒するのは迷惑かしら? やっぱり」

数日して、私ははっきりと気づいた。

それからだ。

アリス様は、ほとんど毎日のように夜の林へ出かけるようになった。

もちろん、毎回ウィル殿下に会えるわけではない。

けれど、アリス様が帰ってきたときの様子で、会えたかどうかはすぐに分かる。

表情が柔らかく、どこか嬉しそうな雰囲気を漂わせている。

長くお仕えしている私には、それがすぐに分かるのだ。

――ああ、と私は思う。

アリス様が叶うはずのない想いを抱え始めていることに気づいてしまった。

ため息をつき、初めてアリス様にお会いした頃のことを思い出していた。

まだ私が六歳の頃だった。

叔母のアマンダが、ミルバーグの塔でアリス様付きのメイドをしていたのが縁だった。

アリス様には「不吉を呼ぶ姫」という噂がつきまとい、遊び相手がいらっしゃらなかった。

だから、遊び相手になるようにと、叔母が私を塔へ連れて行こうとしたのだけれど。

「なんで、私がそんな姫様の所に行かなきゃいけないの?」

不満そうに頬を膨らませた。

「まぁ、そんなこと言わないで。アリス様はとてもお優しい方なの」

叔母は困ったように笑う。

「でも、黒い瞳を持ってるんでしょ。怖いことが起きたら嫌だもん」

その言葉に、母が私をたしなめた。

「リリス。いつも言っているでしょう。まだアリス様にお会いしてもいないのに、噂だけで怖いなんて」

母は優しく続ける。

「自分の目で見て、感じたものこそ本当なのよ」

私は少し黙り込んでから、頷いた。

「……分かった。一緒に行く」

叔母は安心したように微笑んだ。

数日後、私は叔母に連れられて塔へ向かった。

最初にお会いしたときのことは、今でもよく覚えている。

黒い髪と、見たことのない黒い瞳。

視線が合った瞬間、怖いと思ってしまった。

けれど――

「はじめまして、リリスさん。アマンダからお話は聞いていたの。会えて嬉しいわ」

アリス様はそう言って微笑まれた。

けれど私は言葉を返せず、その場で固まってしまう。

そんな私を見て、アリス様は少しだけ困ったように笑った。

「黒い瞳は見慣れないわよね。アマンダ、だから言ったでしょう。連れてきたら可哀そうよ」

しょんぼりしたような声だった。

そして、申し訳なさそうに、それでいて少し寂しそうに私を見る。

その顔を見た瞬間、子どもながらに自分が恥ずかしくなった。

お母さんの言う通りだったのだ。

私はアリス様の顔をもう一度ちゃんと見る。

優しい顔立ち、どこか自信なさげな表情。

全然怖くなんてなかった。

慌てて口を開く。

「あの、アリス様。手芸がお上手だって聞きました。教えてもらえませんか」

そう言うと、アリス様はぱっと顔を上げた。

そして、本当に嬉しそうに笑った。

姫様は昔からそうだった。

ご自分が傷つくことよりも、相手を困らせてしまったことばかりを気にしていた。

まるで、自分が受け入れられないことを当たり前だと思っているみたいに。

そんな方が、今、誰かを想い始めている。

私はそれを、嬉しいと思うべきなのか、それとも――。

それ以上、考えるのはやめた。

ただ一つだけ分かっていることがある。

アリス様は、きっとこの想いを口にはされない。

姫様は、そういうお方だから。

でも、本当にそれでよいのだろうかと、最近はつい考えてしまう。