不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった ―王弟が望んだのは、ただ一人の婚約者―

■リリスの想い――リリス視点

ゼリアへ向かうための荷造りは、少しずつ進んでいた。

アリス様の荷物は多いわけではないからそんなに時間はかからないだろう。
私の荷物は昨日のうちにまとめてしまった。

衣類を畳みながら、時折アリス様へと視線を向けていた。

ウィル殿下のお屋敷から戻られてからのアリス様は、どこか落ち着いた空気をまとっていた。もちろん、不安げな様子は消えたわけではないけど。

ウィル殿下ときちんとお話しできたのだろう。

あの方なら、アリス様のことを諦めたりはしない、きっと取り返すために手を尽くす。

だから、それまでは私がアリス様をお守りしようと思っていた――それなのに。

「どういうことですか?」

思わず手を止める。

鏡台の小物を仕分けていたアリス様も手を止め、私の方を見て、同じ言葉を口にした。

「あなたを連れていくわけにはいかないわ」

一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

「……そんな」

喉が震える。

「私はアリス様にお仕えしている侍女なんですよ」

荷造りの手伝いに来ていたクララさんは、何も言わずにこちらを見つめていた。

アリス様は首を横へ振る。

「リリスには感謝しているの。今までずっと傍にいてくれて。私がここまで頑張ってこられたのも、あなたのおかげだと思っているわ」

胸の奥に苦さがひろがっていく。私はそんなことを聞きたいんじゃない。

「でしたら、私も連れて行ってください」

アリス様は首を縦には振らなかった。

「それは絶対にダメ」

柔らかな声なのに、その言葉だけは揺るがない。

「私はこれでもミルバーグの王女だもの。最低限の礼儀は払ってくれると思うの」

そして少しだけ視線を伏せる。

「でも、あなたは違うわ。もし何かあったら、耐えられないもの」

ゼリアが安全な場所だとは思っていないからこそ、少なからず私自身も不安があった。

それでも、声を上げずにはいられなかった。

「私のことなんて構いません、私にとっては、アリス様の方が大切なんです」

「ダメよ。あなた、来年結婚を控えているのよ。リリスには幸せに笑っていてほしいの」

——どうして、ご自分の幸せのことは考えてくださらないのだろう。

「アリス様をさしおいて、私だけ結婚するなんて……」

視界が滲む。

「出来るわけないじゃないですか……」

自然に涙があふれて、主人の前で感情的に泣くなんて侍女失格だと分かっている。

だけど、止めようとしても止まらなかった。

アリス様も辛そうな表情を浮かべていた。

「リリス……」

その時、今まで黙っていたクララさんが口を開く。

「あなたの気持ちは痛いほどに分かります」

淡々とした声だった。

「ですが、アリス様が決められたことですよ」

「……分かっています」

分かっている。

分かっているから苦しいのだ。

クララさんは小さく息をついた。

「顔を洗っていらっしゃい」

私は俯いたまま動けなかった。

クララさんの声が少しだけ柔らかくなる。

「主人を困らせてしまうようではいけませんよ」

その言葉に、ようやく顔を上げた。

アリス様は案の定、心配そうな顔でこちらを見ている。

「はい……アリス様、申し訳ありませんでした」

「いいのよ」

優し気な笑みを私に向けてくれた。

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■アリスの想い/ウィルの想い

「お迎えに来て下さって、ありがとうございます」

アリスは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「いや、荷物の方は」

「はい……準備ができました」

「そうか」

ウィルは一瞬だけ表情を曇らせてから、アリスへと手を差し出した。

アリスはその手をしっかりと握る。

「リリスも一緒に屋敷へ伺っても大丈夫ですか」

「あぁ、その方がいいだろう」

ウィルはクララとリリスへ視線を向けた。

「もうそろそろ、次の馬車が来る」

「えぇ。私たちは最終確認をしてから、そちらへ戻ります」

クララの言葉にウィルは頷き、アリスと共に馬車へ乗り込んだ。

席へ腰を下ろすと、自然とその手を握り直す。

「……疲れたか」

「少しだけ。でも、大丈夫です」

「屋敷まで、もたれていろ」

「……はい」

アリスはそっとウィルの肩へ身を寄せた。

しばらく、お互いの体温を感じながら沈黙が流れる。

それは確かに心地のよい時間だった。

だが同時に、ウィルの胸の奥は苦しさで埋め尽くされていた。

「あの……」

不意にアリスが体を起こす。

ウィルが視線を向けると、アリスは少しだけ言い淀む。

「こんなことをお願いするのは心苦しいのですけれど……」

「いや、なんでも言ってほしい」

その言葉に背中を押されるように、アリスは口を開いた。

「リリスのことです。私のことで結婚を取りやめるのではないか、心配で」

――本当に、アリスは人のことばかりだな。

歯がゆさを覚える。

だが、それが彼女らしさでもあった。

「わかった。彼女はミルバーグへ必ず返す。それから、クララにも気を配るように話しておく」

「ありがとうございます」

アリスは安堵の表情を浮かべて、またウィルの肩へ身を寄せた。

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屋敷に戻ると、二人は一緒に夕食をとった。

並んだ料理を見て、アリスは驚いたように目を瞬かせる。

「私の好きなものばかりです。」

「バラクがアリスのために手をかけたのだろう。」

「覚えていてくれたんですね。」

アリスは温かな料理を口に運ぶ。

一口、また一口と、気づけば自然に食事が進んでいた。

ゼリアへ行くことを選択肢として示されて以来、食事が美味しいと思えたのは久しぶりだった。

――ウィル様が傍にいて、屋敷の皆さまが優しくして下さるからかしら。

こんな時間が、これからは当たり前になるのだと、どこかで思っていたのに。

だからせめて、このひとときを覚えていたい。

食事を終える頃、食後のデザートが運ばれてきた。

「イチゴのタルト……。」

思わず零れた声に、ウィルは視線を向けた。

「好きなのか。」

「はい。リリスと一緒に焼いたことはあるんですけど、バラクさんのには到底及びません。」

少し照れくさそうに笑いながら、アリスはイチゴのタルトを一口頬張る。

甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がり、自然と頬が緩んだ。

ウィルはそんなアリスを、ただ見つめていた。

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就寝時。

ウィルは客間の前でため息をついた。

明日、アリスはゼリアへ旅立つ。

彼女は泣いたときでさえ、不安を言葉にしてはくれなかった。

だから今夜は一人にしたくなかった。

そう思ってから首を振った。

――違うな。傍にいたいのはオレの方だ。

ノックをしても、彼女からの返答はなく、音を立てないように客間へ入る。

客間の奥にある寝台では、アリスが目を閉じていた。

だが、その寝顔を見た瞬間、ウィルは苦笑した。

「寝たふりはあまり上手くないな」

その声に、アリスは目を開けて、恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。

「あの……本当に一人で大丈夫ですから」

「では、眠るまで傍にいさせてくれ」

その言葉にアリスの頬が赤く染まった。

「そんな風に言われたら、断れません」

ウィルは口元を緩める。

「眠るまで手を握っていてくれますか、本当は、その…」

子供のようなお願いに恥ずかしくなったのか言葉が途切れる。

でも右手だけはおずおずとウィルの方へ伸ばした。

「あぁ、分かっている」

ウィルは柔らかな笑みを浮かべて、伸ばされた右手をしっかりと握る。

ぽつりぽつりと会話を交わす間に、何度か小さく欠伸をする。

「もう、眠った方がいい」

アリスは頷き、少し、ウトウトしながらそれでも自分の想いを言葉にする。

「はい。…あの、私、ウィル様の婚約者になれて、今でも夢みたいで……すごく幸せでした」

フワッとした幸せそうな表情を浮かべた。

その言葉に、ウィルはアリスの手を強く握りなおす。

「オレにはアリスだけだ」

アリスは目を瞬かせる。

「いつまでも待っている」

ウィルは真っ直ぐアリスを見つめる。

「だから、アリスも待っていてくれないか」

アリスは一瞬だけ苦しそうな表情を浮かべる。

けれど、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

「……はい」

握られた手の温もりを感じながら、アリスは眠気に負けて目を閉じる。

やがて寝息が聞こえ始めた。

ウィルは奥歯を噛み締める。

「……すまない」

希望を言葉にすることすら、彼女にしてやれない。