「アリス・ミルバーグ王女を国賓としてゼリアへ迎え入れる件、了承しました」
トルシア国王エドワードの低い声が室内へ落ちる。
それに対し、ゼリア国第二王子であるセシリオ・ゼリアは頭を下げた。
「感謝いたします。責任を持って丁重にお迎えいたします」
形式的な挨拶だった。
だが、視線を上げた瞬間、空気が僅かに張る。
隣に立つトルシア王弟――ウィルが、射抜くような視線をこちらへ向けていた。
婚約の意図には、我が国への牽制も含まれていたのだろう。
だが、この視線を見る限り、それだけでは終わらなかったということか。
やがてウィルは、抑え込むような低い声で口を開く。
「……王女は、私の正式な婚約者です」
その一言だけで、場の空気がさらに重くなる。
「ですから、出来うる限り早い帰還を望みます」
「承知しております」
セシリオは短く答えた。
この国へ来た理由は、もちろん、父であるゼリア国王からアリス・ミルバーグの件を半ば強引に一任されたためだ。
だが、セシリオは命を受けた瞬間、国王がすでに正常な判断を失いつつあることを確信した。
父は、あの馬鹿げた噂に未だに振り回されている。
重臣の中にも信じている者はいる。兵や民衆に至っては、多くがその噂に惑わされているのも事実だった。
だが、国王が不確かなものに左右されるなど、本来あってはならないことだった。
彼女はミルバーグの王女であり、同時にトルシア王弟の婚約者でもある。
それを国賓という名目で自国へ迎え入れる行為は、外交ではなく、ほとんど掠奪に近かった。
確かに父は昔から野心家だった。
領土拡大のため、他国への侵略を繰り返してきた。
だが、すでに大国となってなお侵略をやめようとしない父を、セシリオは理解できなかった。
しかも最近は、その方針にすら一貫性がなくなっている。
戦費は増え続け、国民は疲弊し、重税に苦しんでいる。
それでも父は、国民へ目を向けようとはしない。
だからこそ、数年前から、セシリオは信頼できる重臣や貴族たちへ密かに声をかけ始めていた。
――このままでは、国が壊れる。どうか、力を貸してほしい。
父を失脚させるなど、本来なら避けたかった。
だが、これ以上国を荒廃させるわけにはいかない。
予定より1日早くミルバーグへ来た理由は、表向きには王女に対する丁寧な引き継ぎのためだった。
だが、本当の目的は別にある。
この計画への協力を、彼らへ求めるためだ。
だが、協力してくれる保証はない。
だからこそ、慎重に言葉を選ばなければならなかった。
セシリオは場がひと段落したところで切り出した。
「正式な引き継ぎ前に、大切な王女を預かる立場として、王族だけでお話をさせていただけませんか」
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セシリオが退室した後もしばらく、執務室には重い沈黙が残っていた。
ウィルは腕を組んだまま、視線を落としている。
先ほどまで聞かされていた話は、2人の予想を遥かに上回るものだった。
やがて、エドワードがゆっくりと息を吐く。
「……どう思う」
ウィルはしばらく考え込むように沈黙してから口を開く。
「成功するかはともかく、信用するに足る人物だという印象を受けました」
その返答に迷いは少ない。
エドワードも頷く。
「私もそう思う。率直に話していると感じた」
そして、小さく息を吐いた。
「正直、驚いた。あのヴェルムント国王の息子が、あれほど友好的な人物だとは」
ヴェルムント国王は、若い頃から他国への侵略を繰り返してきた王だ。
強引かつ苛烈な侵略によって、多くの国を飲み込んできた。
もっとも、ここしばらくは同盟国と連携し、その侵略を食い止めてきたのだが。
だからこそ、その息子であるセシリオもまた、同じ思想を持つ人物だと思いこんでいた。
「父親を失脚させると言った時、一瞬だが苦悩も浮かんでいた」
エドワードは窓の外へ視線を向ける。
「並大抵の覚悟ではないのだろう。それだけ、国を憂いているということだ」
ウィルは目を伏せた。
アリスをゼリアへ送り出さなければならない現実は変わらない。
だが、もしセシリオの計画が成功すれば、ゼリアは大きく変わる。
そうなれば――アリスを、確実に取り返せる。
「すぐの返答は難しいな。他国の政変に関わる以上、国としての承認が必要となる」
当然の判断だった。
2人だけで決められる話ではない。
それでも、エドワードは小さく目を細める。
「だが、恐らく反対は少ないだろうな」
「……えぇ」
ゼリアが変われば、トルシアが今後戦火に脅かされることもなくなる。
大きなリスクは伴う。だが、それ以上の成果が期待できることも確かだった。



