不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった ―王弟が望んだのは、ただ一人の婚約者―



護衛騎士が足早に戻ってきて、ウィルの前で立ち止まった。

「団長」

「周辺を確認しましたが、襲撃者の姿はありません。すでにこの場を離れていると思われます」

ウィルは林の奥へ一度だけ視線を向けた。

それ以上追わせることはしなかった。

「わかった」

短く答えると、すぐに次の指示を出す。

「一名はこのまま塔の入口で警護を続けてくれ」

「はっ」

「もう一名は、陛下に王女への襲撃があったことを報告しろ」

「副団長には警備強化を通達」

「それと」

ウィルは続けた。

「王女を塔から私の屋敷へ移動させる許可を求めろ」

一瞬だけ、ウィルの視線が応接室へ向く。

「許可が下り次第、馬車の手配を」

「了解しました」

騎士が敬礼する。

ウィルは自分の馬を示した。

「そこの馬を使え。急げ」

「はっ」

騎士はすぐに馬へ駆け寄り、鞍に飛び乗る。

次の瞬間、馬は地面を蹴り上げ、林の中の道を一気に駆け抜けていった。

蹄の音が、あっという間に遠ざかっていく。

――――――――――

そのやり取りは近くで行われているはずなのに、私の耳にはほとんど入ってこない。

言葉は聞こえているのに、意味が頭に入ってこなかった。

矢が放たれた瞬間、傍にリリスがいて、体が勝手に動いた。

すぐ近くを通り過ぎた矢。

もし、ほんの少しでも遅れていたら。

そう思った途端、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

その光景だけが、何度も頭の中で繰り返されていた。

応接室の扉が開く音がする。

ウィル様が戻ってきたのだと気づくより先に、リリスが私を振り返った。

「私を庇うなんて、一体アリス様は何をお考えなんですか?」

あまりの剣幕に、私は言葉を失う。

「リリス?」

「アリス様は、私がお仕えする姫様なんですよ。私がアリス様を庇って命を落とすならともかく、その逆などあってはならないことです」

言いたいことはわかってる。

だけど……。

「でも」

「でも、も、なにもありません。姫様はあまりにも――」

リリスの声は震えていた。

怒っているのに、どこか泣きそうな声だった。

そこまで言ったところで、リリスの体がふらりと揺れる。

「リリス!」

私が手を伸ばすより早く、ウィル様がその体を支えた。

「……気を張りすぎたのでしょう」

そう言って、ウィル様は気を失ったリリスを抱き上げると、応接室のソファーへ静かに横たえた。

リリスの長い栗色の髪が、ソファーの背にさらりと落ちる。

胸はゆっくり上下していて、呼吸は落ち着いているようだった。

私はソファーのそばに立ったまま、何度もその様子を確かめてしまう。

「大丈夫です。気を失っているだけのようです」

ウィル様が落ち着いた声で言った。

「そうですか……ありがとうございました」

ほっと息をつき、私は頭を下げる。

そのときだった。

「アリス様」

私は顔を上げる。

リリスの様子を気にしながら、ウィル様の言葉に耳を傾ける。

「申し訳ありませんが、私の屋敷へ移っていただくことになると思います」

思いがけない言葉に、私は驚いた。

「ここを出ていいのですか? 私は大丈夫です」

気にかけてくださっているのかしらと思い、あわてて言葉を返す。

「私の屋敷の方が警備体制を整えやすいので、許可を求めているところです」

ウィル様は淡々と続ける。

「もちろん、塔の安全が確保できるまでとなりますが」

――そうよね、ウィル様が私なんかを気にかけるはずがないのに。

自分の勘違いに気づいて、少し恥ずかしくなる。

「……わかりました。ご迷惑をおかけいたします」

私は頭を下げた。

そのとき、自分の指先がわずかに震えていることに気づく。

慌てて両手を重ねて隠した。

――それでも、震えは止まらなかった。