エドワード国王は椅子にもたれ、息を吐いた。
「どうされたの?」
傍にいたナタリア王妃が、その様子を心配して声をかける。
「あぁ、アリス王女の処遇についてなんだ」
エドワードは穏やかな声で答えた。
「私は迷信など信じてはいないのだが……」
言葉を濁す。
ナタリアはそれ以上何も言わず、静かに待った。
エドワードの頭には、数日前の会議の様子が浮かんでいた。
――――――――――
ウィルが毒矢に倒れたと聞いたときは、心臓が止まるかと思った。
だが、その後すぐに命に別状はないと報告があり、弟の無事にようやく胸をなで下ろした。
あの会議が開かれたのは、回復に向かっていると報告を受けた後だった。
現状把握と、今後の対策を話し合う会議のはずだった。
しかし、会議の最後に、ミルバーグ王女――アリス・ミルバーグの滞在の可否が議題に上がった。
「やはり王女のあの噂が……」
一人の重臣が、恐る恐る口にした。
「王弟殿下が毒矢に倒れたのです。偶然とは思えません」
すると、別の重臣がすぐに反論する。
「迷信です。ゼリアの仕業なのは明らかでしょう」
「それに、王女が来てからゼリアの侵略行為は収まっている。明らかな抑えになっております」
さらに別の重臣が、おびえるように口を開いた。
「ですが、王女が来てから二か月も経たないうちに、王弟殿下に不吉が起きているではありませんか」
議論は綺麗に割れた。
王女を帰すべきだという者。
滞在を続けるべきだという者。
合理を重んじるトルシアの重臣たちでも、迷信を完全に笑い飛ばせる者ばかりではなかった。
議論は長く続いたが、結局結論は出ず、判断は先送りされた。
――――――――――
会議の内容を思い出し、エドワードは苦い顔をした。
――噂を利用している事実は変わらない。だが。
「王女の噂を信じるなど、馬鹿らしい話だと思うだろう?」
ナタリアが穏やかにうなずく。
「私もそう思うわ」
「珍しい瞳でしたけれど、本当に普通の女性でしたもの」
エドワードはうなずいた。
黒い瞳。この世界では見ない色だ。その上、黒髪も持ち合わせている。
「優しそうな顔立ちの方でしたわ」
ナタリアは静かに言う。
「どこか遠慮深くて。アリス様の今までの苦労を思うと、心が痛むわ」
エドワードは息を吐いた。
「そうだね……だが、私ひとりですべてを決められる話でもない」
国王とはいえ、重臣の意見も無視できない。
「あれだけ皆が騒げば、簡単に退けるわけにもいかなくてね。明日が二回目の会議なんだ」
一呼吸おいてから続けた。
「今、王女を帰国させれば、噂は真実とも受け止めかねない。これ以上いわれのない噂を背負わせたくはないのだが……」
エドワードは困ったようにため息をついた。
そのとき、扉が叩かれ、侍従が一通の書状を差し出す。
「失礼いたします。国境より書状です」
差出人を見て、エドワードは眉を上げた。
ウィルだった。
封を開き、目を通す。
内容は簡潔だった。
今回の襲撃はゼリアの暗殺部隊によるものと判断します。
罠に気づかなかった、私の不注意です。
エドワードは書状を机に置いた。
「……なんとか、なりそうだ」
ウィルからの明確な報告は、迷信を信じる者を抑え込める。
ナタリアが微笑む。
「よろしかったですね」
「あぁ」
エドワードはうなずいた。
ミルバーグ王女――アリス・ミルバーグ。
トルシアに残ることになるだろう。
________________
刺繍の手を止め、深いため息をついた。
ウィル様が暗殺者の毒に倒れ、生死をさまよったと聞いたのは一週間前のことだった。
今は危機を脱し、数日のうちに城へ戻ると伝えられている。
ゼリアとの関係も、ウィル様たちのこれまでの活躍のおかげで、今のところ平衡を保ったままだという。
それでも、胸の奥の重たいものは消えなかった。
今回のことは――きっと、この国の人々にこう思われている。
不吉を呼ぶ姫が婚約者になったから。
だから、あの方に直接的な不吉が襲ったのだと。
私ですら、自分が不吉を呼んでしまったのではないかと思えてくる。
……あんなお守り、渡すんじゃなかった。
そもそも、関わるべきではなかったのかもしれない。
あれ以来、私は塔の外に出られずにいた。
もちろん、あのベンチへ行けるはずもなかった。
「きっと、この国を出ないといけなくなる」
私はつぶやいた。
部屋の奥にいたリリスが、すぐに顔を上げる。
「リリス。もしものために、準備をしておいた方がいいかもしれないわ」
リリスは一瞬驚いたような顔をしたあと、はっきりと首を振った。
「いいえ、アリス様」
そして、少し怒ったような声で言う。
「悪いことが起きると、全部アリス様のせいにするなんて……そんなの間違っています」
私は思わず笑った。
「ありがとう。でも、いいのよ」
「今回は私も自分を疑いたくなったもの。あんなお守り、渡すべきじゃなかったのよ」
「アリス様!」
リリスの声が強くなる。
「そうやって、ご自分を卑下するのはおやめください」
「ウィル様は戦いの場にいる方です。そういうことが起きても不思議ではありません」
「それに――」
リリスは胸を張るように言った。
「命が助かったのは、きっとアリス様のお守りのおかげです」
あまりにも真剣な顔だったので、私は苦笑した。
「ありがとう」
「私は大丈夫よ。ウィル様はご無事だったのだし」
そう言いながらも、胸の奥の不安は消えないままだった。
もし、この国を出ることになったら。
私はミルバーグへ帰ることになるのだろう。
けれど――本当に帰れるのだろうか。
今回のことは、きっとあちらにも伝わっているはずだ。
お父様は、もちろん私を国へ戻す手はずを整えてくれるだろう。
けれど、あちらにも私を快く思わない人たちはいる。
もしかしたら――もう帰る場所など、ないのかもしれない。
ふと、リリスの顔を見る。
リリスまで巻き込むのは、避けなければいけないわね。
「……リリスだけでも、先に国へ帰すべきかしら」
小さく漏れた言葉は、ほとんど誰にも聞こえないほどだった。
窓の向こうには、どこまでも穏やかな空が広がっている。
それでも、私の居場所はもうどこにもないような気がした。
「どうされたの?」
傍にいたナタリア王妃が、その様子を心配して声をかける。
「あぁ、アリス王女の処遇についてなんだ」
エドワードは穏やかな声で答えた。
「私は迷信など信じてはいないのだが……」
言葉を濁す。
ナタリアはそれ以上何も言わず、静かに待った。
エドワードの頭には、数日前の会議の様子が浮かんでいた。
――――――――――
ウィルが毒矢に倒れたと聞いたときは、心臓が止まるかと思った。
だが、その後すぐに命に別状はないと報告があり、弟の無事にようやく胸をなで下ろした。
あの会議が開かれたのは、回復に向かっていると報告を受けた後だった。
現状把握と、今後の対策を話し合う会議のはずだった。
しかし、会議の最後に、ミルバーグ王女――アリス・ミルバーグの滞在の可否が議題に上がった。
「やはり王女のあの噂が……」
一人の重臣が、恐る恐る口にした。
「王弟殿下が毒矢に倒れたのです。偶然とは思えません」
すると、別の重臣がすぐに反論する。
「迷信です。ゼリアの仕業なのは明らかでしょう」
「それに、王女が来てからゼリアの侵略行為は収まっている。明らかな抑えになっております」
さらに別の重臣が、おびえるように口を開いた。
「ですが、王女が来てから二か月も経たないうちに、王弟殿下に不吉が起きているではありませんか」
議論は綺麗に割れた。
王女を帰すべきだという者。
滞在を続けるべきだという者。
合理を重んじるトルシアの重臣たちでも、迷信を完全に笑い飛ばせる者ばかりではなかった。
議論は長く続いたが、結局結論は出ず、判断は先送りされた。
――――――――――
会議の内容を思い出し、エドワードは苦い顔をした。
――噂を利用している事実は変わらない。だが。
「王女の噂を信じるなど、馬鹿らしい話だと思うだろう?」
ナタリアが穏やかにうなずく。
「私もそう思うわ」
「珍しい瞳でしたけれど、本当に普通の女性でしたもの」
エドワードはうなずいた。
黒い瞳。この世界では見ない色だ。その上、黒髪も持ち合わせている。
「優しそうな顔立ちの方でしたわ」
ナタリアは静かに言う。
「どこか遠慮深くて。アリス様の今までの苦労を思うと、心が痛むわ」
エドワードは息を吐いた。
「そうだね……だが、私ひとりですべてを決められる話でもない」
国王とはいえ、重臣の意見も無視できない。
「あれだけ皆が騒げば、簡単に退けるわけにもいかなくてね。明日が二回目の会議なんだ」
一呼吸おいてから続けた。
「今、王女を帰国させれば、噂は真実とも受け止めかねない。これ以上いわれのない噂を背負わせたくはないのだが……」
エドワードは困ったようにため息をついた。
そのとき、扉が叩かれ、侍従が一通の書状を差し出す。
「失礼いたします。国境より書状です」
差出人を見て、エドワードは眉を上げた。
ウィルだった。
封を開き、目を通す。
内容は簡潔だった。
今回の襲撃はゼリアの暗殺部隊によるものと判断します。
罠に気づかなかった、私の不注意です。
エドワードは書状を机に置いた。
「……なんとか、なりそうだ」
ウィルからの明確な報告は、迷信を信じる者を抑え込める。
ナタリアが微笑む。
「よろしかったですね」
「あぁ」
エドワードはうなずいた。
ミルバーグ王女――アリス・ミルバーグ。
トルシアに残ることになるだろう。
________________
刺繍の手を止め、深いため息をついた。
ウィル様が暗殺者の毒に倒れ、生死をさまよったと聞いたのは一週間前のことだった。
今は危機を脱し、数日のうちに城へ戻ると伝えられている。
ゼリアとの関係も、ウィル様たちのこれまでの活躍のおかげで、今のところ平衡を保ったままだという。
それでも、胸の奥の重たいものは消えなかった。
今回のことは――きっと、この国の人々にこう思われている。
不吉を呼ぶ姫が婚約者になったから。
だから、あの方に直接的な不吉が襲ったのだと。
私ですら、自分が不吉を呼んでしまったのではないかと思えてくる。
……あんなお守り、渡すんじゃなかった。
そもそも、関わるべきではなかったのかもしれない。
あれ以来、私は塔の外に出られずにいた。
もちろん、あのベンチへ行けるはずもなかった。
「きっと、この国を出ないといけなくなる」
私はつぶやいた。
部屋の奥にいたリリスが、すぐに顔を上げる。
「リリス。もしものために、準備をしておいた方がいいかもしれないわ」
リリスは一瞬驚いたような顔をしたあと、はっきりと首を振った。
「いいえ、アリス様」
そして、少し怒ったような声で言う。
「悪いことが起きると、全部アリス様のせいにするなんて……そんなの間違っています」
私は思わず笑った。
「ありがとう。でも、いいのよ」
「今回は私も自分を疑いたくなったもの。あんなお守り、渡すべきじゃなかったのよ」
「アリス様!」
リリスの声が強くなる。
「そうやって、ご自分を卑下するのはおやめください」
「ウィル様は戦いの場にいる方です。そういうことが起きても不思議ではありません」
「それに――」
リリスは胸を張るように言った。
「命が助かったのは、きっとアリス様のお守りのおかげです」
あまりにも真剣な顔だったので、私は苦笑した。
「ありがとう」
「私は大丈夫よ。ウィル様はご無事だったのだし」
そう言いながらも、胸の奥の不安は消えないままだった。
もし、この国を出ることになったら。
私はミルバーグへ帰ることになるのだろう。
けれど――本当に帰れるのだろうか。
今回のことは、きっとあちらにも伝わっているはずだ。
お父様は、もちろん私を国へ戻す手はずを整えてくれるだろう。
けれど、あちらにも私を快く思わない人たちはいる。
もしかしたら――もう帰る場所など、ないのかもしれない。
ふと、リリスの顔を見る。
リリスまで巻き込むのは、避けなければいけないわね。
「……リリスだけでも、先に国へ帰すべきかしら」
小さく漏れた言葉は、ほとんど誰にも聞こえないほどだった。
窓の向こうには、どこまでも穏やかな空が広がっている。
それでも、私の居場所はもうどこにもないような気がした。



