【シナリオ】一途な殺し屋の偽装結婚



●人気のない草地、夜
周囲の草は燃えていて、足元には鬼面が落ちていた。
対峙する青年の素顔を見てしまった天音は、炎を背にして驚きの表情で名前を呼ぶ。

天音「…煌葉(こうよう)?」
煌葉「ああ。久しぶりだな、天音(あまね)…」

闇に溶け込むような黒の着物を纏う煌葉は、赤い瞳を天音に向け冷たい表情でその名を呼んだ。


●数時間前、商店街の八百屋前、昼間
異国の文化が入り乱れ、人も建物も華やかな帝都。その郊外では多くの庶民が生活していた。
商店街の八百屋で働く天音は、今日も元気よく店先で客を呼び込む。

天音「いらっしゃいませ〜!今日は小松菜がお安いですよ〜!」

常連客のふくよかな女性が、天音を見つけて微笑みながらやってくる。

女性客「天音ちゃん、今日も元気に働くわね」
天音「おはようございます!奥様、今朝届いた新鮮な小松菜です。今晩の一品にいかがですか?」
女性客「あらまぁ。本当に商売上手なんだから〜」

天音は赤子のように小松菜を抱っこして迫ると、女性客も微笑みながら財布を取り出した。
そこへ年老いた男性店主が朗らかな表情で店の奥から姿を現す。

店主「天音ちゃんが看板娘として働きはじめてから、売り上げも伸びるし力仕事もこなしてくれて本当に助かっているよ」
天音「私のほうこそ働かせていただき感謝しています」

言いながらぺこりと頭を下げる。
小松菜の代金を店主に渡した女性客が、ふと心配そうに尋ねる。

女性客「それはそうと天音ちゃん。お母さんの具合はどう?」

天音が一瞬息を詰まらせるが、すぐに口角を上げて明るく振る舞う。

天音「今朝は少し起き上がることができました。少しずつ回復しています」
女性客「そう、よかったわ〜。早く元気になってほしいわね」
天音「はい!」

天音から小松菜を受け取った女性客が安堵の表情をする。同じく店主もほっと胸を撫で下ろしていた。
周囲の人たちが心配してくれるのは本当にありがたい。感謝の一方で、これ以上「可哀想」という視線を浴びたくなかった天音は、心に鈍痛を覚えながらも気丈に振る舞う。


●住宅地の路地、日暮れ
古びた長屋が左右に立ち並び、生活が困窮している独り身や家族が多く住んでいる地区。
天音は急ぎ足で自宅に向かっていた。
店主から厚意でいただいた大根と里芋を風呂敷に包んで持ち、日払いの給金で一尾のアジを買った。

天音(これで、二週間ぶりにお母さんと蒼太(そうた)をお腹いっぱいにできる)

病弱な母と育ち盛りな十歳の弟に、栄養のあるものを食べてほしいと考えていた。
ふと顔を上げた天音が立ち止まる。その目に入ったのは、空一面を赤く染める美しい夕日だった。
幼い頃によく遊んだ彼の面影を思い出し、天音は悲しげに微笑んだ。

天音「…今も、どこかで元気に生きているんだよね?」
天音モノ『鮮やかで美しい赤色を見ると、十年行方知れずとなっている幼なじみを思い出す』
『私がまだ小学校に通っていた八歳の頃。柔らかな黒髪を跳ねさせて走る後ろ姿。振り返ったときの赤い瞳と左目の小さな涙ぼくろが印象的な男の子だった』

思い出に浸っていたその時、弟の蒼太(そうた)が慌てた様子で走ってきた。

蒼太「姉ちゃん!お母さんが!」
天音「っ⁉︎」

蒼太の青ざめた顔を見て、天音も血相を変え駆け出した。


●天音の自宅
隣接する長屋はどれも修繕が必要なほど劣化が進んでいる。その一つが天音の自宅だった。
蒼太と共に自宅に帰った天音は、土間で草履を脱ぎ捨て奥の寝室に向かう。
隅に敷かれた布団から起き上がっていた母の静佳(しずか)が、苦しそうに咳き込んでいる。

天音「お母さん!」
静佳「ゴホ、ゴホ……!」
天音「ゆっくり呼吸して。大丈夫だよ、大丈夫…」

静佳は額に冷や汗を滲ませ、震える両手で胸を押さえている。天音が母の背中を優しく撫でながら声をかけた。
徐々に平常を取り戻していく静佳が、天音の支えを借りながら横になる。
安堵のため息を吐いて襖の方に目を向けると、蒼太が不安げ様子を見ていた。

天音「知らせにきてくれてありがとう。もう大丈夫だよ」
蒼太「…うん」

姉の優しい表情と症状が落ち着いた母の姿を見て、蒼太がようやく胸を撫で下ろす。
突然、母が涙を流しはじめた。

静佳「っ…夢で、敦彦(あつひこ)さんに会えたの」
天音「お父さんに?」
静佳「でも、どんどん遠くにいってしまって……。天音、蒼太。こんな弱いお母さんでごめんね」

痩せほそった手で涙を拭う静佳は、八年前に亡くなった父の夢を見て発作を起こした。天音は母の体に優しく布団を掛けて慰める。

天音「そんなこと言わないで。私たちにはお母さんが必要なんだから」
蒼太「そうだよ、お母さん」

頼もしい我が子たちに申し訳なさと感謝が募って、母は再び涙を流す。


●台所、夜
天音は休む間もなく魚を捌きはじめ、遅くなった夕食準備をする。

天音モノ『八年前、団子屋を営んでいた父が突然病に倒れ帰らぬ人になる。現実を受け入れられなかった母は心と体が病んでいった』
『相続を諦めた店舗と持ち家はすぐに手放したけれど、経営難で膨らんだ借金は全額返済できなくて…』
『私が働かないと家族が生きていけない。小学校を退学し、母の看病を蒼太にお願いして私は朝晩働きにでる』
『でも、今の困窮した生活からはなかなか抜け出せずいた』

魚の生臭さが漂う中、天音は強く願う。

天音モノ『早く借金を全額返済して、家族みんなで穏やかに過ごせる日々を取り戻したい』

その一方で、一ヶ月前にやってきた金貸しの黒沼の言葉が脳裏によぎる。

黒沼『手っ取り早いのは君が身を売ること。借金はチャラ、家族に釣りも渡せる』
天音(私が、身を売れば……)

天音は手を止めて居間に目を向ける。十歳の蒼太が健気に卓袱台を拭いていた。

天音(家族の安泰が約束されるなら迷っている暇なんてない。なのに、怖くて覚悟が決まらない)

不安な気持ちが溢れてきた天音が、首を振って気を引き締める。手元に視線を戻し、捌き終えたアジの血を洗い流した。
あとは焼くだけとなったその時、ドンドンと玄関の引き戸を叩く音が土間に響き渡る。

天音「っ⁉︎」

はっとして台所隣の玄関に顔を向ける。同じく居間にいた蒼太も、肩をびくつかせて不安げに姉の顔色を窺った。

天音「大丈夫だよ」
蒼太「う、うん」


●玄関
手を洗った天音が引き戸前に立つ。

天音「どちら様ですか」
黒沼「夜分にすいませんね〜。黒沼(くろぬま)商会です〜」

天音と蒼太に緊張が走る。しかし迎え入れないわけにはいかない相手に、天音は渋い顔をしてガラッと引き戸を開けた。

黒沼「松垣(まつがき)さ〜ん、こんばんは〜」

高級なカンカン帽と派手なジャケットを羽織り、鼻の下に八の字の髭を生やした中年男の黒沼が立っていた。
天音と同じくらいの背丈の彼だが、その背後に大柄で強面な護衛二人を従えているせいで威圧感を覚える。

天音モノ『黒沼商会とは、帝都の中心部で質屋を営んでいる。裏では金貸しと取り立ても行なう悪徳商人で、父はこの黒沼から金を借りていた』
天音「…あの、今月分の支払い期日は一週間後のはずですが」

天音が尋ねると、黒沼は怪しい笑みを浮かべて答える。

黒沼「それが事情が変わってしまってね〜」

黒沼が天音の全身を舐めるように視線を動かす。
嫌悪感を抱いて引き戸に身を隠そうとした時、突然手首を掴まれて引き寄せられた。

天音「なんですか…っ⁉︎」
黒沼「確か年齢は十八だったな。顔も磨けば悪くないし、すぐに客をとれそうだ」

天音は強引に外へと連れ出される。心配する蒼太が、怯えながらも裸足で玄関までやってきた。

黒沼「世話になっている女郎屋が急な人員不足に見舞われて、今夜から働ける娘を探しているんだ」
天音「⁉︎」

すべて理解してしまい、天音の血の気が引いていく。

黒沼「どうせ何年かかっても借金返済できないんだから。天音ちゃん、諦めて女郎になれ」

天音は何も言い返すことができず、悔しさから歯を食いしばる。すると玄関で会話を聞いていた蒼太が、意を決して黒沼に立ち向かった。

蒼太「姉ちゃんを連れていくなー!」
天音「蒼太!」

しかし蒼太の行動を読んでいた護衛の一人が、その体を軽々と持ち上げて肩に乗せた。

蒼太「うわああ!」

護衛の彼らは黒沼の言いなり。天音は黒沼に対して頭を下げて懇願する。

天音「お、弟を離してください。お願いします…!」
黒沼「それは天音ちゃんが我々と一緒に女郎屋に向かうということで、いいのかな?」

試すように問われ、天音は惨めな気持ちになる。それをぐっと堪えて毅然な態度で問い返す。

天音「…私が女郎になったら、家族に渡されるお金はどれくらいですか」

その言葉を聞いた黒沼はニヤリとして、もう一人の護衛に目配せする。
護衛は無言で腰元のポケットから一つの小袋を取り出し、それを黒沼に手渡した。微かに銭が擦れ合う音が聞こえる。

黒沼「庶民の生活で十年暮らせる金だ」
天音「っ……!」
黒沼「これがあれば、天音ちゃんがいなくても病弱な母親と非力な弟が暮らしていけるぞ〜」

実物をちらつかせられ、天音の心が大きく揺らいだ。優先すべき条件は揃ってしまった。

天音「……わかりました。一緒に行きます」

黒沼は口角を上げ、天音の手のひらにそっと小袋を置いた。ずしりとした金の重みを感じながら心が虚しくなる。そんな天音に追い打ちをかけるよう耳元で汚い声が囁く。

黒沼「君は本当に家族思いだねぇ。お母さんも弟も幸せ者だ」
天音「っ……」

憤りを通り越して、殺してしまいたい感情が湧き出る。
しかし今暴れてしまっては家族の身にも危険が及ぶため、天音は必死に怒りを鎮めた。
黒沼は蒼太を肩に抱える護衛に合図を出す。雑に降ろされた蒼太は、真っ先に天音へ駆け寄った。

蒼太「嫌だよ姉ちゃん!今すぐそのお金返して!おれも働くからぁ!」
天音「…蒼太、よく聞きなさい」

小さな弟の肩に手を置いて、天音は不安を煽らないように説得する。

天音「このお金でお母さんの薬を買って。蒼太は学校に通いなさい」
蒼太「え……?」
天音「たくさん勉強して賢くなって、たくさんお金をもらえる仕事に就くの。その時までに姉ちゃんも帰れるよう頑張るから、ね?」

にこりと笑う天音を見て、蒼太の心が不思議と落ち着きを取り戻していく。

蒼太「…わかった。おれ、頑張るよ。だから姉ちゃん、絶対帰ってきてね」
天音「うん。それまでお母さんのこと頼んだよ」

蒼太に小袋を手渡し、その背中を家の中へと押し込んだ。振り返る蒼太に満面の笑みで応えた天音が最後の言葉をかける。

天音「捌いた魚、焦がさず焼いてね」

引き戸を強めに閉め、深く息を吐いた天音が黒沼に歩み寄る。

天音「持ち出す荷物はありません。このまま連れていってください」
黒沼「ずいぶん肝が据わってるな。家に戻れるわけがないのに」
天音(…わかってる。そうでも言わないと蒼太を説得できなかっただけ)

女郎になれば、二度と家には帰れない。
自分を犠牲にしてでも家族を守りたかった天音は、黒沼と護衛に囲われるように歩き出した。


●住宅地の路地裏
その一部始終を物陰から見ていた謎の人物が、連行される天音を見つめていた。