「しょーもなっ!」って言われそうな理由で部活をやめたい俺達の話。

 失恋で部活をやめるなんてくだらないと思っていた。でも失恋で学校を三日休んだ今となったらもうどうでもいい気がした。
 この勢いでやめちゃえばいい、写真部なんて。そもそも最初からカメラなんて持ちたくなんてなかったんだから。
 にもかかわらず持ってしまってのめり込んでしまったのは全部。
「南くんのせいだ」
 君の立ち姿があまりにも綺麗だったから。普段とはまるで違う、鋭く、現実をも全部薙ぎ払うみたいな鮮烈な体さばきを見せてくれたから。
 目で追わずにいられなくなってしまったんだ。
 いや、それだけじゃなくて……。
 もやもやしていた俺の枕元でぶるっとスマホが身震いする。
 平たいそれをのろのろと取り上げて、俺は息を呑む。
 通知が一件。送り主として表示されていたのは……見慣れたらっきょう仮面のアイコンだった。
 開くのが怖い。でも指は吸い寄せられるように通知を撫でる。ぱっと切り替わった画面に浮かび上がったのはたったの一文。
 ――若宮二丁目の歩道橋に来て。
 こっちの都合とか、大丈夫? みたいな気遣いもない、強引で素っ気ない言葉だった。
「なんこれ……」
 正直むかついた。無視しようと思った。実際、スマホを放り投げかけた。けれど、そこで思い止まる。
 だって……俺がこっそり南くんを撮影していたのは事実だ。そのことを俺はまだ南くんに一度も謝っていない。
 ――わかった。
 だから短くそれだけ返して、慌てて身支度をした。髪には盛大に寝ぐせがついていたし、顔だってむくんでいたけれど、この際どうでもいい。
 さっさと謝って即効帰る。それだけを考えて指定された場所へ向かうと、歩道橋のちょうど真ん中あたりに人影が見えた。
 うちの高校の制服は夜に紛れちゃいそうな濃紺だ。そんな制服姿で、街灯の光もうっすらとしか届かない歩道橋の上にいると、影そのものみたいに見えてしまう。
「待たせて、ごめん」
 階段を上り、少し離れた場所から声をかけると、欄干に手を置いて車道を眺めていた南くんがゆらっとこちらを見た。だが俺の顔を見てもなにも言わない。その南くんの顔を、歩道橋下を通り過ぎる車のヘッドライトがちらちらと照らしている。
 不安定な光にさらされながらこちらを見る南くんは、どことなく苦しそうな顔にも見えた。この顔をさせているのは俺なのかもしれないと思ったら、胸の奥がきりっと軋んだ。
「あの、ほんとに、キモいこと、して」
「キモいって思ってるのに、なんでしたの?」
 声が鋭くこちらに投げられる。う、と口ごもる俺へ、南くんがゆっくりと体を向けた。
「中谷が俺を撮ろうって思ったの、なんで?」
 なんで。
 そう言われた瞬間、ふっと過ぎったのは……南くんの立ち合いを初めて見たあのときのことだった。
 あのとき、俺の足を引き留めたのは……彼の。
「声」
 ふっと南くんが瞬きをする。そうされて目を逸らしたくなった。だって、声に触れられることを南くんは絶対嫌がる。
 けれど、それをぎりぎりでこらえ、俺は声を絞り出す。
「声に惹かれて、剣道場、覗いた」
「……キモかったって話?」
「違うよ!」
 ああ、やっぱりそう受け取るんだ、この人は。でも、違うんだ。全然そんなことない。なんでわかんないんだ。
「南くんの声はキモくなんてないんだってば! キモいって言われるのは俺みたいなやつのことなんだよ! 南くんは声も姿もかっこいい! だから剣道やめちゃ……」
 言い募る俺に向かって、南くんが突然、大股で近づいてくる。手が伸びてきて、肩が掴まれ、ぎょっとする。
 なに、と言おうとした声を置いてきぼりに体が引き寄せられる。一瞬の浮遊感の後、俺を受け止めたのは、温かくて柔らかい感触で、それがなにか、刹那の間呆然としてから気付いた。
 滑らかな肌。車のライトに照らされて艶やかに光る長い睫毛。それが俺の目の前にある。その理由は……南くんが俺の唇に唇を押し当てている、から。
 事態は呑み込めても、彼がなぜそんなことをしているのかが全然わからない。
 だって南くんには彼女がいたんだから。今はもういないけれど、だからって俺にいきなりこんなことする理由がない。
 じゃあなんで?
 ……フラれて、やけになっている、から?
「やめろ、よ!」
 思い切り胸を押し返すと、南くんがよろめいた。ほんのり濡れて見える唇に目が引き寄せられてしまう。あの唇が俺に……と考えたら、まっすぐ見てなんていられなくて、俺は慌てて顔を背け、自分で自分の唇を手の甲で押さえた。
「な、なんで、南くんがこんな……」
「どっちがキモいか対決してた」
 ……は?
 恥ずかしさを忘れて顔を上げると、南くんはくっと一度眉を顰めてから、早口で付け足した。
「結果、突き飛ばされた俺のほうがキモいってことで俺の勝ち」
 わけがわからない。混乱したまま立ち尽くす俺を、南くんはまっすぐに見つめてくる。
「ってことで、明日絶対、部活、見に来い」
「え……」
 ……ってことでって、なにが?
 唖然としている間に、南くんは身を翻し、歩道橋を駆け下りていってしまう。こちらを振り向くこともなく、どんどん遠ざかっていく彼を俺は歩道橋の上から見送る。
 キス、された。しかも部活を見に来いとも言われた。
 あれは……どういう意味なのか。
 少し錆びた歩道橋の手すりを握り締め、俺は肩を上下させる。
 そろそろとなぞった唇は指先より熱くて、その熱が俺を余計に戸惑わせた。