「しょーもなっ!」って言われそうな理由で部活をやめたい俺達の話。

「中谷、一緒帰ろ」
「俺、掃除当番だけど……」
「いいよ。下駄箱のとこで待ってる」
 爽やかに言って南くんは去っていく。その南くんに手を振り返し、俺は軽くなりそうな足を早めて教室へと戻る。
「中谷って南と仲良かったんだっけ?」
 俺と同じく地味メンのひとり、田中くんに問われて、俺は曖昧に笑う。
 仲がいいのかどうかはわからない。ただ、南くんはあれ以来、俺に教室でも屈託なく話しかけてくれるようになった。
 あひるんではなく俺に。
 それがうれしい。ただ、気にかかってもいる。
 南くんが剣道部に行かなくなったことが。
 もちろん部活なんてそれぞれの自由だ。だから別に俺がどうこう言うことじゃない。でも俺は……道場に立つ南くんを見たいと思ってしまっている。
 南くんが傷ついたことは確かで、それを些細な悩みだなんて絶対言いたくないけれど、あんな心無い一言に南くんの剣道の道が絶たれてしまうことはやっぱり嫌なのだ。
「ふう」
 溜め息を漏らしながら、掃除当番を済ませ、下駄箱へ向かう。靴を履き替えて見回すと、昇降口の扉にもたれかかる南くんがいた。
「南く」
 呼ぼうとして俺は口を噤む。南くんがひとりではなかったために。
 南くんの隣にいたのは、なぜか藤堂先輩だった。
「ああ、中谷」
 いち早く気付いた藤堂先輩が俺に手を振る。何事かと思って歩み寄った俺はそこで固まった。
 南くんの手には一冊の雑誌があった。表紙に見えるのは……IMAGEの文字。
「あの、なんで、南くんがそれ……」
 毎号、さまざまなフォトグラファーの紹介や撮影テクについて密度の高い記事を載せ、なおかつ、定期的なフォトコンテストも実施している、写真をやる人間なら皆、一度は手に取ると言われる雑誌。それをなぜ、南くんに……。
 そろそろと問う俺に向かって、藤堂先輩は邪気なく爆弾を落とした。
「え、だって、南くんって中谷がずっとモデルお願いしてた相手なんだろ?」
 目の前が、真っ暗になった。
 なんで、の声も出ない俺の様子になんて藤堂先輩は気付かない。ああそうだ、この人はそういう人だ。他人に興味がない。だから俺が誰を追いかけてシャッターを切り続けていたかも知らないはずだった。
 でも……考えてみれば、気付かれていないわけはなかったのか。だって、俺は南くんを撮影しては、部内にあるPCやタッチペンを使ってレタッチをしていたから。先輩は自分の作業に夢中だから俺のことになんて興味ないと思っていたけれど、同じ部室での作業だ。見えていて当たり前だったのに。
 俺はなんて馬鹿なんだろう。
「今、南くんにも話してたんだよ。コンテスト近々あるから、中谷の写真、応募したらいいんじゃないかって。で、南くん、モデルだし、そういうのどう思うか聞いてたんだけど……」
 藤堂先輩はまだなにか言っていたけれど、俺の耳にはもうなにも届いていなかった。
 立ちすくむ俺を南くんがすうっと見るのがやけにはっきりと目に映った。
「これ、ありがとうございます」
 手にしたままの雑誌がぱたり、と閉じられる。それをノールックで藤堂先輩に突き返した南くんが、こちらに向かって歩を踏み出す。
「あの、南く」
 言いかけた俺の声は、手首を掴まれたことで止まった。竹刀だこができた手で俺の手首を引っ掴んだ南くんはそのまま歩き出す。
 藤堂先輩がぽかんとしているのも無視して。
 下校時の校内は賑わっていたけれど、それすらもお構いなしにずんずんと歩いた南くんが足を止めたのは、旧校舎の前だった。
「写真部の部室、どこ?」
 ぶっきらぼうに問われ、俺は震えあがる。黙っている俺をじろっと南くんが睨み下ろしてきた。
「どこ?」
 彼は爽やかで人当りがいいが、時々こんな目をする。道場にいるときの目に近いかもしれない。
 誰も寄せつけない、厳しく尖った氷めいた眼差し。
 その眼差しに逆らえるわけがない。
「あっち」
 そっと指さすと、南くんは俺の手を引いたまま、階段を上り始めた。
「撮ったデータ、ある?」
 写真部が部室として使っているのは、旧校舎の生物準備室だ。その中へ俺を引っ張り込んだ南くんは、俺を振り返って冷たい声で言った。
「全部見せて」
「……うん」
 もともとこそこそ盗撮したものだ。こちらに拒否権があるわけがない。壁際にあるPCの電源を入れ、俺は震える手で自分のフォルダを開く。
 そこには南くんだけが溢れていた。
 南くんの手がマウスを操作し、くるくると画面をスクロールさせる。どれだけ画面が切り替わっても消えない自分の姿に、南くんが絶句しているのがわかった。
 やがて、果てしないと思っていたスクロール音が途絶えた。
 ゆっくりとマウスから手を離した南くんが、凝視していたモニターから顔を離し、曲げていた腰をそっと伸ばして姿勢を正す。
 そして、乾いた声で、言った。
「お前、キモいよ」
 南くんの黒い瞳が窓からの西日に照らされ、鈍く光る。その冷たい輝きを目にしたとたん、かっと頬が熱くなった。
 ああ、そうだ。キモい。キモすぎる。毎日毎日、南くんだけをファインダー越しに追いかけ続けていた。他に撮りたいものなんてなかった。南くんだけが、ほしかった。
 その南くんにキモいと嫌われた。ああもう、ほんと。
 終わりだ。
「うん、俺、キモいんだ」
 震える声で言って口角を上げると、南くんがすうっと目を眇めた。その彼を俺は必死で見つめる。
 だってもう、こんな近くで正面から見ることなんて、できなくなるんだから。
「言ったじゃん。しょうもない理由で部活やめたいって。わかっただろ。俺のほうがキモさでいったら上なんだよ」
 南くんの唇がわずかに開く。そこからなにかが零れ落ちる前に、俺は目を閉じ、叫んだ。
「声とか、そんなくだんない理由で部活やめたいとか言ってんなよ! ばーか!」
 言いざま、身を翻す。蹴破るようにして引き戸を開けて飛び出す。
 こんなに全力で走ったことなんて、体育の時間でもなかったかもしれない。それくらい必死に走った。走りながら袖口で何度も何度も目を拭った。
 拭っても拭っても消えてくれない涙は間違いなく、失恋の色をしていたと思う。