「カラオケとか久しぶり」
南くんがにこっと笑う。歩道橋で待ち合わせをしてカラオケボックスへ移動して、誘ったくせに不慣れな俺の代わりに受付を済ませてくれた直後だった。
「南、くんは、結構来てるんだと思ってた」
ドリンクバーがあるタイプのカラオケボックスだったけど、俺はドリンクバーってやつも実は苦手だ。もたもたしている俺の横で慣れた仕草でコーラをグラスに注ぎながら、んー、と南くんが唸る。
「まあ行かないわけじゃないけど、高校入ってからはあんま行ってなかったかな。部活忙しかったし」
彼女とは? とは、訊けなかった。
「中谷、ほい、グラス。飲みたいの押して」
物思いにふけっている間に視界に手が入り込んできた。はっとしてみると、うっすらと笑んだ南くんがグラスをホルダーにセットしてくれていた。
「あ、あの、ごめん」
「いいよ」
にこっとまた笑われて、どきっとする。胸の中でどこどこ鳴る音が、店内のいたるところから響いてくるメロディに紛れてくれと願いながら、俺はそろそろとボタンを押し、オレンジジュースをグラスへ注ぐ。
「歌う?」
指示されたボックスで隣り合って座りながらマイクをつい、と差し出される。そうされて俺は慌てて手を振った。
「あ! えと、どうぞお先に……」
「そっか」
南くんは困った顔でマイクを引っ込め、手元のタッチパネルをさらさらと指先で辿っている。が、いつまで経っても曲が予約される様子はない。その横顔を見ていて俺ははたと気付いた。
考えなしにカラオケなんて言っちゃったけど……声がキモいって言われて剣道部辞めたいって言ってる人に歌を歌わせようって酷なことしてないか? しかも自分から誘ったくせに歌わないで……そんなの。
「お、俺、歌う!」
「え」
驚いた顔がこちらに向けられる。しばらくそうしてから南くんが、ふっと笑った。
「いいよ。中谷、別に歌、好きじゃないだろ。ってかさ」
かたん、と音を立ててタッチパネルを置いて南くんはテーブルの上で片肘で頬杖を突く。
「俺も今日、歌うつもりなかった」
「あ、えと、そう、だよね。声のこと気にしてんのに歌とか……俺、無神経で」
「いや、無神経とかってことじゃなくて。まあ確かに、大声出すのはちょっと怖いっていうのがないわけじゃないけど」
そうだよな、と俺は肩を落とす。君の声が聴きたいなんて言われて、今の南くんが喜ぶわけないのに。本当に俺ってだめなやつだ。
申し訳なくて顔が見られない。俯いた俺の頬に南くんの視線が当たる。いたたまれなくなったとき、違うよ、とかすかな声がした。
「別に迷惑とか嫌とか、そんなふうには思ってない」
静かな声に引かれて俺はそろそろと顔を上げる。南くんは頬杖を突いたまま俺を眺めている。
「歌は確かにあれだけど……俺、中谷と話してみたかったから。あひるんじゃなくて中谷と」
「俺、と?」
「うん。だって俺の秘密知ってんの、中谷だけだし。ってか俺、謝りたかったんだよね。この間、中谷があひるんってわかったとき、態度悪かったなって。ちょっとその、動揺しちゃって。ごめん」
するりと頬杖を解き、南くんが頭を下げる。さらっと前髪が揺れて目元を隠す。その彼に向かって俺は勢いよく首を振ってみせた。
「い、いや! そんな全然! 俺のほうこそまともな回答できなくて」
「まともな回答」
くすっと笑って南くんが目を細める。
「やっぱり中谷があひるんなんだなあ。あひるんもそんな感じだもんな。低姿勢っていうか」
「あ、あの、ネガってばっかりだったよね。ごめん、あの」
「そういうんじゃなくて」
つっと南くんがこちらに身を乗り出す。間近く顔を覗き込まれ、俺は思わず口を噤む。その俺に向かって南くんは静かに言葉を継いだ。
「あひるんも中谷も、言葉のひとつひとつが丁寧ってそう言いたかったの」
丁寧。
驚いて固まる俺からすっと身を引き、南くんはコーラのグラスをストローでかき混ぜる。
「中谷の好きな人ってさ、どんな人?」
グラスの中、氷がからからと能天気な音を立てる。その音に紛れるように問われて俺は息を呑む。
俺の好きな人は……剣道部の一年。
クラスでも人気者で、イケメンで。大人びていて。隙なんてまるでなさそうなそんな人。
でも本当は。
――な、しょうもない理由で部活やめたがってるだろ。
「すごく、傷つきやすい、人」
ぽつん、と言うと、南くんがグラスをかき混ぜる手を止めた。すうっとこちらを見る彼を俺はそろそろと見る。
ああ、撮ってみたい。
人の虹彩なんてまじまじと見つめたことはない。でも……見交わした南くんの目を見て俺は思ってしまった。
この人の竹刀を握る姿が好きだった。でもこの目も、俺は好きみたい、だ、なんて。
どくどくと心臓が鳴る。呼吸をしたいけれど、仕方がわからない。数秒見つめ合ったところでふっと、南くんの視線が柔らかくなった。
「中谷に好かれたそいつ、いいな。弱いとこ見ても引かないでいてもらえるなんてなかなかないから」
引かないよ。
俺は絶対引かない。
君の声がどうとか、そんなの全然、関係ない。ってか君の声が俺はむしろ、好きだ。
すぐさま言いたくなった。でも言えなかった。だって、南くんと俺は誰にも言えない些細なことで部活を辞めたいって思っちゃっている、いわば同士だ。その同士からそんなこと言われたって絶対困る。
「だと、いいな」
だからそう言って笑った。南くんも笑ってくれた。それがうれしくて俺は瞼が熱くなるのに気付かないふりをし続けていた。
南くんがにこっと笑う。歩道橋で待ち合わせをしてカラオケボックスへ移動して、誘ったくせに不慣れな俺の代わりに受付を済ませてくれた直後だった。
「南、くんは、結構来てるんだと思ってた」
ドリンクバーがあるタイプのカラオケボックスだったけど、俺はドリンクバーってやつも実は苦手だ。もたもたしている俺の横で慣れた仕草でコーラをグラスに注ぎながら、んー、と南くんが唸る。
「まあ行かないわけじゃないけど、高校入ってからはあんま行ってなかったかな。部活忙しかったし」
彼女とは? とは、訊けなかった。
「中谷、ほい、グラス。飲みたいの押して」
物思いにふけっている間に視界に手が入り込んできた。はっとしてみると、うっすらと笑んだ南くんがグラスをホルダーにセットしてくれていた。
「あ、あの、ごめん」
「いいよ」
にこっとまた笑われて、どきっとする。胸の中でどこどこ鳴る音が、店内のいたるところから響いてくるメロディに紛れてくれと願いながら、俺はそろそろとボタンを押し、オレンジジュースをグラスへ注ぐ。
「歌う?」
指示されたボックスで隣り合って座りながらマイクをつい、と差し出される。そうされて俺は慌てて手を振った。
「あ! えと、どうぞお先に……」
「そっか」
南くんは困った顔でマイクを引っ込め、手元のタッチパネルをさらさらと指先で辿っている。が、いつまで経っても曲が予約される様子はない。その横顔を見ていて俺ははたと気付いた。
考えなしにカラオケなんて言っちゃったけど……声がキモいって言われて剣道部辞めたいって言ってる人に歌を歌わせようって酷なことしてないか? しかも自分から誘ったくせに歌わないで……そんなの。
「お、俺、歌う!」
「え」
驚いた顔がこちらに向けられる。しばらくそうしてから南くんが、ふっと笑った。
「いいよ。中谷、別に歌、好きじゃないだろ。ってかさ」
かたん、と音を立ててタッチパネルを置いて南くんはテーブルの上で片肘で頬杖を突く。
「俺も今日、歌うつもりなかった」
「あ、えと、そう、だよね。声のこと気にしてんのに歌とか……俺、無神経で」
「いや、無神経とかってことじゃなくて。まあ確かに、大声出すのはちょっと怖いっていうのがないわけじゃないけど」
そうだよな、と俺は肩を落とす。君の声が聴きたいなんて言われて、今の南くんが喜ぶわけないのに。本当に俺ってだめなやつだ。
申し訳なくて顔が見られない。俯いた俺の頬に南くんの視線が当たる。いたたまれなくなったとき、違うよ、とかすかな声がした。
「別に迷惑とか嫌とか、そんなふうには思ってない」
静かな声に引かれて俺はそろそろと顔を上げる。南くんは頬杖を突いたまま俺を眺めている。
「歌は確かにあれだけど……俺、中谷と話してみたかったから。あひるんじゃなくて中谷と」
「俺、と?」
「うん。だって俺の秘密知ってんの、中谷だけだし。ってか俺、謝りたかったんだよね。この間、中谷があひるんってわかったとき、態度悪かったなって。ちょっとその、動揺しちゃって。ごめん」
するりと頬杖を解き、南くんが頭を下げる。さらっと前髪が揺れて目元を隠す。その彼に向かって俺は勢いよく首を振ってみせた。
「い、いや! そんな全然! 俺のほうこそまともな回答できなくて」
「まともな回答」
くすっと笑って南くんが目を細める。
「やっぱり中谷があひるんなんだなあ。あひるんもそんな感じだもんな。低姿勢っていうか」
「あ、あの、ネガってばっかりだったよね。ごめん、あの」
「そういうんじゃなくて」
つっと南くんがこちらに身を乗り出す。間近く顔を覗き込まれ、俺は思わず口を噤む。その俺に向かって南くんは静かに言葉を継いだ。
「あひるんも中谷も、言葉のひとつひとつが丁寧ってそう言いたかったの」
丁寧。
驚いて固まる俺からすっと身を引き、南くんはコーラのグラスをストローでかき混ぜる。
「中谷の好きな人ってさ、どんな人?」
グラスの中、氷がからからと能天気な音を立てる。その音に紛れるように問われて俺は息を呑む。
俺の好きな人は……剣道部の一年。
クラスでも人気者で、イケメンで。大人びていて。隙なんてまるでなさそうなそんな人。
でも本当は。
――な、しょうもない理由で部活やめたがってるだろ。
「すごく、傷つきやすい、人」
ぽつん、と言うと、南くんがグラスをかき混ぜる手を止めた。すうっとこちらを見る彼を俺はそろそろと見る。
ああ、撮ってみたい。
人の虹彩なんてまじまじと見つめたことはない。でも……見交わした南くんの目を見て俺は思ってしまった。
この人の竹刀を握る姿が好きだった。でもこの目も、俺は好きみたい、だ、なんて。
どくどくと心臓が鳴る。呼吸をしたいけれど、仕方がわからない。数秒見つめ合ったところでふっと、南くんの視線が柔らかくなった。
「中谷に好かれたそいつ、いいな。弱いとこ見ても引かないでいてもらえるなんてなかなかないから」
引かないよ。
俺は絶対引かない。
君の声がどうとか、そんなの全然、関係ない。ってか君の声が俺はむしろ、好きだ。
すぐさま言いたくなった。でも言えなかった。だって、南くんと俺は誰にも言えない些細なことで部活を辞めたいって思っちゃっている、いわば同士だ。その同士からそんなこと言われたって絶対困る。
「だと、いいな」
だからそう言って笑った。南くんも笑ってくれた。それがうれしくて俺は瞼が熱くなるのに気付かないふりをし続けていた。



