「しょーもなっ!」って言われそうな理由で部活を辞めたい俺達の話。

 彼を意識するようになったのは、高校一年の五月だった。
 うちの高校はどこかのクラブに絶対所属しなきゃいけなくて、仕方なく入った写真部で俺は早くも所在なさを味わっていた。
 そもそも俺は部活動なんてしたいと思っていなかった。だから入学式直後に行われたクラブ紹介でも、やたらテンションが高く、やる気に満ちている部ばかりなのを見て、げっそりしていたのだ。その意味で写真部は、他の部のように部員全員でステージいっぱいを使ってパフォーマンスするとか、急に歌いだすとか、それ系のウザさが一切なく、
「写真部です。初心者でも歓迎です」と部長らしい、もっさりした男子が一言言って壇を降りていく様子が最高で、俺にとって理想的な部に思えた。
 この部なら、しれっと帰宅部になっても許されそうだから。
 けれど、その、やる気なさそう、が俺を拘束する足かせにあるとは思いもしなかった。
「中谷くんが入ってくれてよかった。君がいてくれないとうちの部、今年で消滅しちゃうとこだったから」
 写真部の部長であり、たったひとりの部員でもある藤堂宝(とうどうたから)先輩はうっすらと笑ってそう言った。こんな言い方をされたら、帰宅部に鞍替えするなんてしにくい。写真になんてまったく興味もないのに。
 ただ、辞めにくさは確かにあったけれど、写真部にはルールなんて一切なかった。部長の藤堂先輩からして自由そのものだった。フィルムカメラこそカメラ! というくらいに、デジタルへの抵抗感がある先輩は、フィルムカメラを使って撮影をしていたけれど、俺に自分の美学を強要することなんてもちろんなかったし、「好きなもの撮ればいいよ」と言いながら、自分は空の写真ばかり撮影していた。
「せっかく写真部にいるんだから、そこらへんのカメラ使って撮ってみたら?」
と、かつての先輩が残していった旧型のカメラが貸し与えられ、ほぼ放し飼いの状態で活動は行われた。
 写真部の顧問からの寄付と、かつての写真部の先輩が残していったというカメラは全部で三台あり、うち一台は藤堂先輩が使っているようなフィルムカメラだった。残り二台は、うちにもありそうなコンパクトデジカメが一台、一眼レフカメラが一台。迷ったものの、まあせっかくだし、と俺は一眼レフカメラを借りて校内を歩き回っていた。
 しかしいきなり撮影と言っても、なにを撮っていいんだかわからない。そもそも俺は、スマホで写真を撮るなんてのもまあしないタイプなのだ。旧型で重みもあるカメラを手にぶらぶら校内を歩くばっかりで、こんなの写真部じゃなくて散歩部じゃね? と馬鹿馬鹿しささえ感じていた。
 そんなときだった。
「やぁぁぁぁぁ!」
 俺の耳をきん、と声がつんざいた。あまりにも突然で、手にしたカメラを落っことしそうになった。見回した俺の目に映ったのは、剣道場の窓だった。
 換気のために大きく開け放たれた窓の向こう、すっと黒い軌跡が滑った。向かい合ったふたりが掛け声とともに竹刀を振り上げ、振り下ろす。パシィッと高い音を立てて、竹刀と竹刀が交わる。どん、と床が踏み鳴らされ、立ち位置がくるりくるりと入れ替わる。と。
 ひとりの剣士が竹刀を大きく振りかぶった。そのまま大股で一歩、歩が踏み出される。このまま面へ竹刀が入る……と思った瞬間、
「どぅーーー!!!」
 すぱん、と竹刀が相手剣士の胴を抜き払った。
 そのあまりにも鋭くて、軽やかな動きに思わず息を呑んでしまった。
 それくらい……鮮やかな一閃だった。
 剣道なんて体育でちょっとかじったくらいだ。ルールもうろ覚えでしかない。ようするに、好きでもなんでもない。でもそのとき思ってしまったのだ。
 撮ってみたい、と。
 ただ、俺はまだカメラの使い方も満足にわからないど素人だ。そんなぴよぴよが「撮らせてください」なんて言っていいものだろうか? 迷いながらも俺は剣道場を時々覗くようになった。
 そして知った。
 俺が、撮りたい、と思った相手が、同じクラスの南涼太だったことを。
 南くんは典型的な陽キャで、俺とは真逆の人間だった。いつも友達に囲まれていて、女子からの注目も高い。さらさらの前髪をセンターで分けていて、ちょっと長めのそれをさらっと掻き上げてこちらを見る。涼やかな切れ長の目は妙に色気があって、まっすぐ見られるとちょっとどきっとする。大人びていて、穏やかな受け答えを普段からする、優しいクラスメート。
 陰キャの俺に対しても南くんは友達みたいに接してくれる。陽キャのくせに感じのいい人、と全国の陽キャが聞いたら怒りそうなことを、俺は彼に対して思っていた。
 その南くんが見せた、獰猛にも思えるあの動き。
 あまりにも大きすぎるギャップに魅せられ、気が付いたら彼を目で追うようになっていた。
 というより、ファインダー越しに見つめるようになっていた。
 写真のなんたるかもちゃんと習ったことのない俺は、当然ながら技術なんて全然ないし、俺が使っているカメラはオートフォーカスも十分じゃない。だからピントはぶれぶれだし、そもそも手ブレもひどい。満足に人に見せられるようなものでもないわけだけれど、それでも南くんが竹刀をすうっと構え、振り下ろす、あの一瞬の静謐さを切り取るために俺は必死だった。
 撮影した写真をPC上でレタッチするのも楽しかった。ここはもっと背景の光飛ばしたほうが、彼の動きがよりくっきり浮かび上がるかな、とか、逆に足元はシャドウを足してみようとか。トーンカーブは青濃いめで黄色少な目とか。
 カメラも今は先輩のおさがりだけれど、いつか自分のものを買いたい、と思うようになり、バイトについても検討し始めていた。
 ただ、必死過ぎて気配を消すことを忘れていた俺はある日、ミスを犯した。ついに剣道部の部長に見つかってしまったのだ。
「お前、なに撮ってんの。ストーカーとかそういうやつ?」
「ちが、違います!」
 慌てて首を振ったけれど、説得力はなかった。だって……こんなの立派にストーカーだ。
 肩を落とす俺を剣道部の部長が睨み下ろしてくる。ガタイもよくて声も通る。この人の気合を耳にすると、こちらに向かって放たれたものではないにもかかわらず、びくっとしてしまうけれど、その気合と同じ鋭さで声は俺に放たれる。
「毎日来てない? ってか、なに撮ってたの。データ見せて」
「あ……えっと」
 ああ、見られたら、南くんばかりを撮影していたのがばれてしまう。もう無理、と思ったとき、あのう、と背後から声がした。
 見て、卒倒しそうになった。
 そこに立っていたのが、道着を着た南くんだったから。
 ああ、終わった、そう思って肩を落としたとき、南くんが軽く小首を傾げてこちらを見た。涼しげな眼差しを俺にしばらく注いでから、俺の向かいに仁王立ちになった部長へと視線を移す。
「先輩、ストーカーじゃないと思いますよ、こいつ」
「は? え、なに、南、知り合い?」
「はい。同じクラスなんで。ってか、中谷、写真部だよな。違ったっけ?」
「あ、えと、うん。そう」
 なんでだ? なんで俺が写真部だって知ってるんだ?
 おろおろする俺を南くんはやっぱり軽く首を傾げるようにして見て、言った。
「練習だったんだろ? 写真。違うの?」
「……ん、そ、そう」
 間違っては、いない。被写体は君だけれども。
 後輩の乱入に調子を崩されたのだろうか。剣道部の部長である彼は、露骨に面倒臭そうな顔で俺と南くんを見比べると、ごりごりと短髪を掻いた。
「……んだよ、そうなのかよ。けどな、許可なく撮るのはいただけない。今度から一言かけてから撮れよ。あと、あんまちょろちょろすんなよ。邪魔になるから」
 それで終わりだった。その後は俺のことなんて一切見ず、南、アップ始めるぞ早く来い、と不機嫌そうに吐き捨てて部長は道場へと入っていく。それに、はーい、と明るい声で南くんが答える。
 ああ、よかった、と俺は胸を撫で下ろす。が。
「あー、やだやだ、ボスゴリラ。マジウザい」
「え」
 聞こえてきたのは、軽やかな暴言だった。思わず顔を上げると、しまった、というように南くんが苦笑いしていた。
「ごめん、聞かなかったことにして。ってか、大丈夫? うちの部長、後輩は水浸しの雑巾だと思ってる節あるから。ぐいぐい絞られてびびったよね」
「い、いや、俺が勝手に撮ってたのが悪かったから……あ、あの、なんで俺が写真部って……」
「校内、カメラ持ってよく歩いてたから? 写真部なのかなって思っただけ」
 さすが陽キャだ。周りをよく見てる。俺とは違う。俺は同じクラスでも南くんが剣道部であることしか知らない。
 なんて俺が考えている間にも南くんはにこやかに話しかけてくる。
「剣道の写真って撮るの面白いの? いつも熱心に撮ってるよな」
 剣道がっていうか、君が剣道をしているところが撮りたいんです。
 ……とは、言えない。
「え、あ、ああ、と、うん。一瞬で勝負、決まったり、するし、面白いよ」
 なんとかそれらしいことが言えた。俺が冷や汗をかいているなんてつゆとも知らず、そっかあ、と南くんはにこにこしている。
 この人、本当にいい人で、疑うことを知らないんだろうな。
 そう思ったら邪な気持ちで写真を撮っている自分がとてつもなく汚いものにも思えてきた。
 南くんとこの会話をしたことがきっかけで、俺はオープンな形で剣道部の練習を撮影させてもらえるようになった。だが、以前ほど嬉々としてシャッターを押せなくなってもいた。
 だって、俺は……南くんに嘘をついたから。
 俺は剣道の練習風景を撮るのが好きなわけじゃない。剣道をしている彼を撮るのが好きなんだ。
 この違いは大きい。
 そんな俺の気持ちなんて南くんは当然気付かない。気付かずに、凛々しく、道場で竹刀を閃かせ、風みたいに駆け抜けていく。
「ああ、中谷」
 しかも南くんは練習始めや終わりに俺の姿を見かけると、屈託なく手を振ってさえくれる。
 友達みたいに気さくに。そうされればされるほど、胸が疼いて仕方なくて。シャッターを押す指も重くなって。
 だから南くんが竹刀を振る姿を、ファインダー越しにひたすら見つめるばかりになった。
 彼を小さな四角い窓の向こうに見つめるようになってしばらく経ったころだった。
「南、加茂さんに告白されたってほんとかよ」
 雑多な声が入り混じる教室の中で、頓狂な声が響き、一瞬にして教室中の空気を凍らせた。
「うそ! え、え、え! 2組の加茂若菜(かもわかな)?!」
「あの子だよね?! フォトスタのフォロワー、15万人越えしてる……」
「でも、メイク、古くない? あんなこってこてのギャルメイク、どうかと思う」
「あー、わかる。軽そうだし、なんで南くん、あの子と……」
「あのさ」
 声が乱れ飛ぶ中、がたん、と硬い音が響いた。見ると、教室の中ほどで南くんが立ち上がっていた。
「若菜のこと、悪く言わないでくれる? 俺、付き合ってるから。若菜と」
 今度こそ完全に教室内の室温が絶対零度まで下がった。極寒の大地と化した教室を、南くんは出ていく。颯爽と背筋を伸ばして。
 ……道場で、打ち込み稽古をしているときみたいに。
 その凛とした姿を見た瞬間、きゅううっと胸の中に氷の塊を押し込まれたような、そんな気がした。
 南くん、彼女ができた。相手はフォロワー数が十万クラスの人気者のインフルエンサー。
 ただ、それだけのこと。剣道をやっている南くんを撮りたいだけの俺からしたら、写真とは無関係なプロフィールのひとつ。
 なのに、このことを知って以来、俺はカメラを持つ気がしなくなってしまった。
 剣道場にももう、行くことはなかった。