――理由が理由だし、部活辞めるって言いにくい。どうしよう。
誰かに反応してほしかったわけじゃない。そもそも俺のフォトスタのフォロワー数は11人。その11人とだって俺はめったに交流しない。俺好みの動画をアップしているクリエイターをフォローしたらフォロバしてくれただけの人達。つまり俺から一方的に覗きにいく関係。そんな人達が俺の日常の呟きを拾うことなんてまずない。
見る専用のアカウント。そこになんとなく投げ込んだ本音。
当然黙殺されるはずのそれに、反応があったのは、投稿した翌日だった。
――わかる。俺もくだらない理由で部活辞めようか考え中だけれど、誰にも言えない。
「え」
フォロワーでもフォローしている人でもなかった。まったくの通りすがりの誰か。アカウント名は「らっきょう仮面」。なんて名前だ、と思った。しかもアカウントに使われているアイコンはらっきょうじゃなくて、スターベイクスのフラッペだ。ストロベリーの。
変な人。知らない人だし、いつもなら無視する。でもそのときの俺はまあまあ落ちていた。
――リプありがとうです。反応もらえると思ってなかったので驚きましたけど、うれしかったです。
さらさらっとお礼コメントを入れる。数分後、ぽっと再び通知が灯った。
――フォトスタ、基本的に見るだけなんだけど、共感しちゃったもんで。言えないってしんどいよね。
素っ気ないけれど、さりげなく気遣ってくれる。らっきょう仮面、いい人じゃん。けれど、多分この人もともとが陽キャなんだろうな、と俺はらっきょう仮面のアイコンを眺めながら思った。
だってこのアイコン、ひとりで行ったときの写真じゃない。背景ぼやけてるけれど、向かいに座った誰かのシルエットがほんのり映りこんでるし。
偶然同じようなことで悩んでいるっぽいが、この人の悩みと俺の悩みは多分まったく違う。
大体、俺の悩みはまあまあ、キモい。
だかららっきょう仮面とのやり取りもこれで終わりだと思っていた。
――部長から次期部長としての心得ノート渡された。ヤバい、ますます辞めるって言えなくなってきた。でももう部活にいる意味もないんだけどな。
数日後、帰宅中の電車の中で俺はフォトスタに言葉を投げ込む。当然ながらリアクションなんて皆無。別に構わない。誰かに見てもらいたいっていうか、もはやここは俺の愚痴吐き場。銀河の彼方の石炭袋みたいなもの。
だから吐き捨てるだけ吐き捨てて閉じてしまっていた。変化に気付いたのは家に帰って自分の部屋に入ったときだった。
――わかりみすごい。俺も言えないでいる間に大会の出場、勝手に進められてる。きつい。
らっきょう仮面だった。
まさかまたリプをくれると思ってなくて本気で驚いた。と同時にちょっとだけ気になった。
この人はどんな理由で部活、辞めたいんだろう。
けれど、いきなり訊くのはやっぱりルール違反だよな。
――別に部活が嫌いってわけじゃないんですけどね。
独り言とも返信ともとれる曖昧な言葉を放り込む。しばらく見つめていると、いいねがひょいっと押された。それで終わりかと思っていた。なのに。
――そこもわかりみ。別に嫌いってわけじゃない。ただもう出るのが……恥ずかしい。
恥ずかしい?
なにかあったのだろうか。でもツッコんで訊くのも……。迷いながら、俺はそろそろと指を動かす。
――部活、運動部ですか?
これくらいなら訊いても問題ないだろう。そうっと送信ボタンを押すと、すぐに返信があった。
――運動部っていえばそう、かな。そっちは?
――サンルーム系の部活です。
――サンルーム系? って、なに?
――半分外出て、半分中、みたいな。
――なんそれ(笑) 意味わかんねー。
素直に、文化部です、と言えばよかったのに、俺はなんでこんな変な言い方をしちゃったんだろう。
自分でもよくわからないけれど多分、らっきょう仮面ともう少し話をしてみたかったからかもしれない。
だって、運動部で、多分、アイコンから見ても陽キャで爽やかっぽい。その爽やかくんの恥ずかしいってなんだ? と下世話な興味が湧いてしまったから。
我ながら性格が歪んでいると思う。
――でもサンルーム系? だとあんまり人間関係悩まなくてもいい感じ?
らっきょう仮面から問われて俺は少し考える。
――まあ。個人技なので。
――個人技? もしかしてあひるんも武道系の部活なの?
ぐいぐいくる。さすがアイコンが陽キャ。面倒だなあ変な答え方しなきゃよかった、とちらっと後悔したとき、再びリプがあった。
――ごめん。根掘り葉掘り訊きすぎた。部活の話、できる相手そんないなくて嬉しくてつい。
――いいよ。気にしてない。
条件反射みたいに、いいよ、を返しながらも少し……驚いていた。
SNSだって画面の向こうにいるのは人だ。だから「ありがとう」だって「ごめん」だってそこここにあるとは思う。思うけれど、表面的な付き合いも多い場所だと俺は思っている。だから言葉に込められる重みは限りなく軽いと感じてしまう。
けれど、らっきょう仮面から寄越された「ごめん」にはしっかりと重みがあるような気がした。ほんの数往復しか会話していないにも関わらずだ。
同じように部活で悩んでいるからだろうか。
そもそもらっきょう仮面なんて名前を名乗るようなやつにそんな悪いやついなさそう、なんて思っちゃったからだろうか。
自分でも自分がよくわからないが、以来、俺とらっきょう仮面は画面越しに会話をすることが増えた。
――進路とかアンドロメダより遠い。
――だよな。人生百年時代ってCMしてるくせに、こんな序盤で人生についてちゃんと考えて進路決めろとか言われても無理っしょ。今それどころじゃないっての。
――俺も。最近ちょっと、寝不足かも。
まあ、寝不足なのは進路のことで悩んでいるからばっかりじゃないけれど。
なんて溜め息をつきながらもぼちぼちと返信を繰り返す。
別になにを話しているわけでもない。ちょっとした愚痴がほとんど。話題の核心になんて一切触れない、それこそ卵の表面を撫でるだけみたいな会話だ。
でもこのなんとなーくの会話が最近、俺は気に入っている。
――今日、夕飯餃子だったー。今、空、見たら餃子型の月だった。
――餃子型の月! いいな。ってか俺の夕飯、聞いて驚け。月見うどんだった(笑)
――驚かないよ。けど、まさかの月見(笑)
――な。ちなみに俺、スマホのストラップも月見。
――月見ってなに? 月の形ってこと?
――違う違う。月見うどんの食品サンプル。兄ちゃんに作ってもらってさー。兄ちゃん、そういうの作るの得意なんよ。
一瞬先にはふっと忘れちゃいそうなそんな話題。
――テレビ、あんま最近見てなかったんだけど、この間、なんとなーくニュース見てたら、俺好みの声のアナウンサーの人がいて。あの声聞きながら寝たら、寝不足解消されそう。
――なに、寝不足相変わらず治んないの? 大丈夫?
――そー。なんかいろいろ考えちゃって。
いろいろの中身は書かない。らっきょう仮面も訊いてこない。こないけれど、俺達の会話の始まりが始まりだけに、彼にはわかっている気がした。
学校にも友達も少しはいる。でも自分が悩んでいる、ということをあえて言いはしない。悩みの内容が内容だから言えないのもあるけれど、言ったところで理解なんてされないと思うから。
らっきょう仮面にだって俺は全部を言えてはいない。けれど少なくとも俺同様こいつは人には理解されない理由で部活を辞めたいと思っている。その共通点が俺の中の防波堤を低くしていた。
「え」
だから、油断していた。俺はスマホを凝視したまま固まる。
画面には通知が一件あった。DM到着を知らせる通知が。
ポップアップ上に見えるアカウント名は、「らっきょう仮面」。
まさかDMを送ってくるなんて思わなかった。どうしようどうしよう、と迷っている俺の目に、アカウント名とともにDMの始めの一文が見えた。
――突然送ってごめん。でも眠れたらって……
眠れたら。
――なに、相変わらず寝不足治んないの? 大丈夫?
さっき、彼が最後にこちらに寄越した文言がふっと頭の中を過ぎる。
ただの文字。でも心配そうなその文字に背中を押されるようにして俺はポップアップをそうっとタップする。
まっさらなDM画面の中に彼からの言葉がぽつん、と浮いていた。
――突然送ってごめん。でも眠れたらって思って。これ、俺がよく聴くASMRなの。よかったら聴いてみて。あと、さっき、アナウンサーの声がいいって言ってたじゃん。あれって誰? 気になって俺が眠れない(笑)
言葉とともにURLが貼られている。よく知らない相手からのDMに乗っかったパスなんて絶対踏んじゃだめだ。でも……俺はタップする。
現われたのは、月光に照らされた草原の映像だった。
淡い銀色の光に照らされ、どこまでも広がる大地。その大地の上を風が渡っていく。波めいた動きで一方向へと流れていく草花。さあああっと耳を撫でるのは、風と草の戯れの音。
葉擦れの、音。
静謐な空間を満たす囁き声めいた音に、俺は思わず目を閉じる。
余分な音がなにもない。ただ単調に流れていく銀色の音に束の間、自分の身体さえ忘れた。
――ASMRとかあんま、俺、観なかったんだけど、いいね。
10分ほど放心してしまっていただろうか。慌てて返信すると、書き込み中の表示後、ぽ、と返信が灯った。
――うん。いろんなのあるけどさ、これが一番ほっとすんの。まあ、試合前とかはこれだと寝ちゃうから、集中力上がる系のやつ、聴くけど。
――どんなの?
――卵の殻、ずっと割ってるやつ。コン、カシュってのがくせになんの。
卵の殻って……。
――それ……集中できんの?
――できるよー。聞いてみなよ。
言葉の後に、またURLが送られてくる。本当に卵を割る映像と音をエンドレスに楽しむ動画だった。
確かに集中できる、かも? よくわからないけれど、ついつい聴いちゃうのは確かだ。
それにしても、この人はこの音を聴いて一体どんな試合に出るのだろう。
訊いていいだろうか。
――あ、の、これ聴いて、なんの試合、出るの?
返信は遅かった。その沈黙の長さで踏み込み過ぎたのだと悟った。焦って、ごめん言わなくていいよ、を入力欄に入力する。が、送信するより先に、ふっと言葉が落ちてきた。
その言葉を見て、俺は固まった。
――剣道。
どくん、と心臓が鳴る。小さく息を吸って吐く。
俺は別に剣道部じゃない。だから共通点に戦いたんじゃない。
剣道部なのは……彼。
俺が部活なんてもういいって思っちゃった理由になった、人。その人の立ち姿が脳裏を過ぎる。
――なあ。
俺の肩をとん、と叩くような気軽さで言葉が目の前に降ってくる。慌ててスマホを持ち直す俺の視界を、さらさらっと文字が流れていく。
――俺も教えてよ。さっきのアナウンサー、誰? 俺も聴いてみたい。
・・・そっち?
普通、そっちは何部? とか訊いてくるものじゃないか?
唖然としたけれど、肩の力が抜けた。ほっとしつつ俺は指を動かす。
――木杉清吾って人。知ってる?
――おお! 知ってる! 母さんがファンでよく見てる。けど、どんな声だっけ。
無邪気に問い返され、俺は素早く検索し、木杉清吾の動画のパスを彼に送る。
――あー、思い出した、こういう声だった。確かにこの人の声、よく眠れそう。
淡々とした返事。そこにはなんの陰もない。でもこんな声を出しながらも、この人、すごく悩んでいるんだよな、と思ったらなんだか黙っていられなくなった。
――俺は、写真部なんだ。
ふっと画面の向こうで彼が止まったのを感じた。俺は小さく一度深呼吸をする。
――その、そっちが教えてくれたから。俺も……。
――そっか。
文字にしたら三文字の、そっか。でも全然軽くない、そっか、の後、重い沈黙が流れた。迷いがじんわりと画面から滲んでくるようなそんな気配の後、あのさ、と文字がぽぽっと上がってくる。
――変な話、して、いい?
――うん。
打ち明け話をしようとするときの濃密な空気を感じる。小さく息を整える気配の後、彼の言葉が画面に流れ始めた。
――俺、剣道部辞めたいの、声のせいなんだ。
「声?」
思わず口で返事をしてしまう。慌てて、声? と文字に起こすと、そ、と一文字返ってきた後、ぽつぽつ、と言葉が画面に刻まれ始めた。
――剣道ってさ、打突、ええと、技? 出すとき、掛け声出さないといけないじゃん。あーと、体育で剣道、やったことある?
――うん、ある。わかるよ。
慌てて返事をすると、安心したような間があった後、彼は語り始めた。
――声のでかさもまあ、大事って教えられててさ、俺もそうしてたんだ。でも少し前にね、彼女が練習見に来たんだけど、稽古のときの俺の声、キモいって彼女に言われて。で……それが理由でフラれた。
「ええええ!」
なんだそれ。なんつう理由……。あり得ないだろ。なんだその女。
驚きすぎてまたも返事が遅れてしまった。俺は慌ててスマホを握り直す。
――そんなの、気にすることないよ。それは彼女が特殊っていうか。
――んー、どうなんだろう。なんていうか問題はさ、俺自身もそうかもって思っちゃったことなんだよね。俺、子どものころから剣道やってたけど、なんの疑問も持たずにやってきてたからさ。そもそも他の人からどう思われてるか、考えたことなくて。でも今回、彼女に言われたことで、他の人からしたら俺の声、キモいのかもって思っちゃってさ。こんなの他の人には訊けないし。それ以来、剣道やるの、なんか、怖くなっちゃって。
いつも通りの軽い口調。でもものすごく勇気を振り絞って伝えてくれているのがわかる。
わかるのに、俺はなんて言っていいのかわからない。迷う指の下で、ひゅい、と彼の言葉が表示される。
――ね、しょうもない理由で部活やめたがってるだろ。
苦笑に似た文字の羅列を見たとたん、かっとなった。
しょうもない?
しょうもないのか? それ。
彼のことはよく知らないけれど、ずっと剣道をやってきて、きっと高校入ってからも一生懸命部活もやってたんだと思う。それを、声がキモい、なんて言われて。しかも彼女に。
それって、全然しょうもない理由じゃなくないか?
っていうか、彼に比べれば俺の理由なんてそれこそしょうもないじゃないか。
――俺は推しに彼女ができたから写真部辞めようとしてる。
えい、と指に力を入れて送信ボタンをタップする。たっぷり一分間が空いてから返信があった。
――それ、どういう意味? 部内恋愛的な?
――違う。被写体として最高って思ってた人に彼女ができた。もともと部活してるとここっそり写真撮っちゃってたんだけど、彼女できたって知ってからその人見るのしんどくなっちゃって。そうなって気付いた。俺、その人しか撮りたくなくなっちゃってたみたいなんだよね。
ああ、なんて変態なことをつらつらと俺は書いているのだろう。これはさすがのらっきょう仮面も呆れるに違いない。だって、俺がやってたことって、盗撮だし。
でももう仕方ない。後戻りはできない。
――だから部活辞めたいんだ。ね、俺のほうがしょうもないだろ。
書いたと同時に、胸の奥がすんと痛んだ。
思いもよらない告白だったのか、スマホは完全に沈黙してしまった。返事を待つのも怖くて俺は、スマホを裏返し、ベッドに入る。
布団の中にもぐりこみながら思い出したのは……彼の顔。
俺が撮りたいと唯一思った人の顔だった。
誰かに反応してほしかったわけじゃない。そもそも俺のフォトスタのフォロワー数は11人。その11人とだって俺はめったに交流しない。俺好みの動画をアップしているクリエイターをフォローしたらフォロバしてくれただけの人達。つまり俺から一方的に覗きにいく関係。そんな人達が俺の日常の呟きを拾うことなんてまずない。
見る専用のアカウント。そこになんとなく投げ込んだ本音。
当然黙殺されるはずのそれに、反応があったのは、投稿した翌日だった。
――わかる。俺もくだらない理由で部活辞めようか考え中だけれど、誰にも言えない。
「え」
フォロワーでもフォローしている人でもなかった。まったくの通りすがりの誰か。アカウント名は「らっきょう仮面」。なんて名前だ、と思った。しかもアカウントに使われているアイコンはらっきょうじゃなくて、スターベイクスのフラッペだ。ストロベリーの。
変な人。知らない人だし、いつもなら無視する。でもそのときの俺はまあまあ落ちていた。
――リプありがとうです。反応もらえると思ってなかったので驚きましたけど、うれしかったです。
さらさらっとお礼コメントを入れる。数分後、ぽっと再び通知が灯った。
――フォトスタ、基本的に見るだけなんだけど、共感しちゃったもんで。言えないってしんどいよね。
素っ気ないけれど、さりげなく気遣ってくれる。らっきょう仮面、いい人じゃん。けれど、多分この人もともとが陽キャなんだろうな、と俺はらっきょう仮面のアイコンを眺めながら思った。
だってこのアイコン、ひとりで行ったときの写真じゃない。背景ぼやけてるけれど、向かいに座った誰かのシルエットがほんのり映りこんでるし。
偶然同じようなことで悩んでいるっぽいが、この人の悩みと俺の悩みは多分まったく違う。
大体、俺の悩みはまあまあ、キモい。
だかららっきょう仮面とのやり取りもこれで終わりだと思っていた。
――部長から次期部長としての心得ノート渡された。ヤバい、ますます辞めるって言えなくなってきた。でももう部活にいる意味もないんだけどな。
数日後、帰宅中の電車の中で俺はフォトスタに言葉を投げ込む。当然ながらリアクションなんて皆無。別に構わない。誰かに見てもらいたいっていうか、もはやここは俺の愚痴吐き場。銀河の彼方の石炭袋みたいなもの。
だから吐き捨てるだけ吐き捨てて閉じてしまっていた。変化に気付いたのは家に帰って自分の部屋に入ったときだった。
――わかりみすごい。俺も言えないでいる間に大会の出場、勝手に進められてる。きつい。
らっきょう仮面だった。
まさかまたリプをくれると思ってなくて本気で驚いた。と同時にちょっとだけ気になった。
この人はどんな理由で部活、辞めたいんだろう。
けれど、いきなり訊くのはやっぱりルール違反だよな。
――別に部活が嫌いってわけじゃないんですけどね。
独り言とも返信ともとれる曖昧な言葉を放り込む。しばらく見つめていると、いいねがひょいっと押された。それで終わりかと思っていた。なのに。
――そこもわかりみ。別に嫌いってわけじゃない。ただもう出るのが……恥ずかしい。
恥ずかしい?
なにかあったのだろうか。でもツッコんで訊くのも……。迷いながら、俺はそろそろと指を動かす。
――部活、運動部ですか?
これくらいなら訊いても問題ないだろう。そうっと送信ボタンを押すと、すぐに返信があった。
――運動部っていえばそう、かな。そっちは?
――サンルーム系の部活です。
――サンルーム系? って、なに?
――半分外出て、半分中、みたいな。
――なんそれ(笑) 意味わかんねー。
素直に、文化部です、と言えばよかったのに、俺はなんでこんな変な言い方をしちゃったんだろう。
自分でもよくわからないけれど多分、らっきょう仮面ともう少し話をしてみたかったからかもしれない。
だって、運動部で、多分、アイコンから見ても陽キャで爽やかっぽい。その爽やかくんの恥ずかしいってなんだ? と下世話な興味が湧いてしまったから。
我ながら性格が歪んでいると思う。
――でもサンルーム系? だとあんまり人間関係悩まなくてもいい感じ?
らっきょう仮面から問われて俺は少し考える。
――まあ。個人技なので。
――個人技? もしかしてあひるんも武道系の部活なの?
ぐいぐいくる。さすがアイコンが陽キャ。面倒だなあ変な答え方しなきゃよかった、とちらっと後悔したとき、再びリプがあった。
――ごめん。根掘り葉掘り訊きすぎた。部活の話、できる相手そんないなくて嬉しくてつい。
――いいよ。気にしてない。
条件反射みたいに、いいよ、を返しながらも少し……驚いていた。
SNSだって画面の向こうにいるのは人だ。だから「ありがとう」だって「ごめん」だってそこここにあるとは思う。思うけれど、表面的な付き合いも多い場所だと俺は思っている。だから言葉に込められる重みは限りなく軽いと感じてしまう。
けれど、らっきょう仮面から寄越された「ごめん」にはしっかりと重みがあるような気がした。ほんの数往復しか会話していないにも関わらずだ。
同じように部活で悩んでいるからだろうか。
そもそもらっきょう仮面なんて名前を名乗るようなやつにそんな悪いやついなさそう、なんて思っちゃったからだろうか。
自分でも自分がよくわからないが、以来、俺とらっきょう仮面は画面越しに会話をすることが増えた。
――進路とかアンドロメダより遠い。
――だよな。人生百年時代ってCMしてるくせに、こんな序盤で人生についてちゃんと考えて進路決めろとか言われても無理っしょ。今それどころじゃないっての。
――俺も。最近ちょっと、寝不足かも。
まあ、寝不足なのは進路のことで悩んでいるからばっかりじゃないけれど。
なんて溜め息をつきながらもぼちぼちと返信を繰り返す。
別になにを話しているわけでもない。ちょっとした愚痴がほとんど。話題の核心になんて一切触れない、それこそ卵の表面を撫でるだけみたいな会話だ。
でもこのなんとなーくの会話が最近、俺は気に入っている。
――今日、夕飯餃子だったー。今、空、見たら餃子型の月だった。
――餃子型の月! いいな。ってか俺の夕飯、聞いて驚け。月見うどんだった(笑)
――驚かないよ。けど、まさかの月見(笑)
――な。ちなみに俺、スマホのストラップも月見。
――月見ってなに? 月の形ってこと?
――違う違う。月見うどんの食品サンプル。兄ちゃんに作ってもらってさー。兄ちゃん、そういうの作るの得意なんよ。
一瞬先にはふっと忘れちゃいそうなそんな話題。
――テレビ、あんま最近見てなかったんだけど、この間、なんとなーくニュース見てたら、俺好みの声のアナウンサーの人がいて。あの声聞きながら寝たら、寝不足解消されそう。
――なに、寝不足相変わらず治んないの? 大丈夫?
――そー。なんかいろいろ考えちゃって。
いろいろの中身は書かない。らっきょう仮面も訊いてこない。こないけれど、俺達の会話の始まりが始まりだけに、彼にはわかっている気がした。
学校にも友達も少しはいる。でも自分が悩んでいる、ということをあえて言いはしない。悩みの内容が内容だから言えないのもあるけれど、言ったところで理解なんてされないと思うから。
らっきょう仮面にだって俺は全部を言えてはいない。けれど少なくとも俺同様こいつは人には理解されない理由で部活を辞めたいと思っている。その共通点が俺の中の防波堤を低くしていた。
「え」
だから、油断していた。俺はスマホを凝視したまま固まる。
画面には通知が一件あった。DM到着を知らせる通知が。
ポップアップ上に見えるアカウント名は、「らっきょう仮面」。
まさかDMを送ってくるなんて思わなかった。どうしようどうしよう、と迷っている俺の目に、アカウント名とともにDMの始めの一文が見えた。
――突然送ってごめん。でも眠れたらって……
眠れたら。
――なに、相変わらず寝不足治んないの? 大丈夫?
さっき、彼が最後にこちらに寄越した文言がふっと頭の中を過ぎる。
ただの文字。でも心配そうなその文字に背中を押されるようにして俺はポップアップをそうっとタップする。
まっさらなDM画面の中に彼からの言葉がぽつん、と浮いていた。
――突然送ってごめん。でも眠れたらって思って。これ、俺がよく聴くASMRなの。よかったら聴いてみて。あと、さっき、アナウンサーの声がいいって言ってたじゃん。あれって誰? 気になって俺が眠れない(笑)
言葉とともにURLが貼られている。よく知らない相手からのDMに乗っかったパスなんて絶対踏んじゃだめだ。でも……俺はタップする。
現われたのは、月光に照らされた草原の映像だった。
淡い銀色の光に照らされ、どこまでも広がる大地。その大地の上を風が渡っていく。波めいた動きで一方向へと流れていく草花。さあああっと耳を撫でるのは、風と草の戯れの音。
葉擦れの、音。
静謐な空間を満たす囁き声めいた音に、俺は思わず目を閉じる。
余分な音がなにもない。ただ単調に流れていく銀色の音に束の間、自分の身体さえ忘れた。
――ASMRとかあんま、俺、観なかったんだけど、いいね。
10分ほど放心してしまっていただろうか。慌てて返信すると、書き込み中の表示後、ぽ、と返信が灯った。
――うん。いろんなのあるけどさ、これが一番ほっとすんの。まあ、試合前とかはこれだと寝ちゃうから、集中力上がる系のやつ、聴くけど。
――どんなの?
――卵の殻、ずっと割ってるやつ。コン、カシュってのがくせになんの。
卵の殻って……。
――それ……集中できんの?
――できるよー。聞いてみなよ。
言葉の後に、またURLが送られてくる。本当に卵を割る映像と音をエンドレスに楽しむ動画だった。
確かに集中できる、かも? よくわからないけれど、ついつい聴いちゃうのは確かだ。
それにしても、この人はこの音を聴いて一体どんな試合に出るのだろう。
訊いていいだろうか。
――あ、の、これ聴いて、なんの試合、出るの?
返信は遅かった。その沈黙の長さで踏み込み過ぎたのだと悟った。焦って、ごめん言わなくていいよ、を入力欄に入力する。が、送信するより先に、ふっと言葉が落ちてきた。
その言葉を見て、俺は固まった。
――剣道。
どくん、と心臓が鳴る。小さく息を吸って吐く。
俺は別に剣道部じゃない。だから共通点に戦いたんじゃない。
剣道部なのは……彼。
俺が部活なんてもういいって思っちゃった理由になった、人。その人の立ち姿が脳裏を過ぎる。
――なあ。
俺の肩をとん、と叩くような気軽さで言葉が目の前に降ってくる。慌ててスマホを持ち直す俺の視界を、さらさらっと文字が流れていく。
――俺も教えてよ。さっきのアナウンサー、誰? 俺も聴いてみたい。
・・・そっち?
普通、そっちは何部? とか訊いてくるものじゃないか?
唖然としたけれど、肩の力が抜けた。ほっとしつつ俺は指を動かす。
――木杉清吾って人。知ってる?
――おお! 知ってる! 母さんがファンでよく見てる。けど、どんな声だっけ。
無邪気に問い返され、俺は素早く検索し、木杉清吾の動画のパスを彼に送る。
――あー、思い出した、こういう声だった。確かにこの人の声、よく眠れそう。
淡々とした返事。そこにはなんの陰もない。でもこんな声を出しながらも、この人、すごく悩んでいるんだよな、と思ったらなんだか黙っていられなくなった。
――俺は、写真部なんだ。
ふっと画面の向こうで彼が止まったのを感じた。俺は小さく一度深呼吸をする。
――その、そっちが教えてくれたから。俺も……。
――そっか。
文字にしたら三文字の、そっか。でも全然軽くない、そっか、の後、重い沈黙が流れた。迷いがじんわりと画面から滲んでくるようなそんな気配の後、あのさ、と文字がぽぽっと上がってくる。
――変な話、して、いい?
――うん。
打ち明け話をしようとするときの濃密な空気を感じる。小さく息を整える気配の後、彼の言葉が画面に流れ始めた。
――俺、剣道部辞めたいの、声のせいなんだ。
「声?」
思わず口で返事をしてしまう。慌てて、声? と文字に起こすと、そ、と一文字返ってきた後、ぽつぽつ、と言葉が画面に刻まれ始めた。
――剣道ってさ、打突、ええと、技? 出すとき、掛け声出さないといけないじゃん。あーと、体育で剣道、やったことある?
――うん、ある。わかるよ。
慌てて返事をすると、安心したような間があった後、彼は語り始めた。
――声のでかさもまあ、大事って教えられててさ、俺もそうしてたんだ。でも少し前にね、彼女が練習見に来たんだけど、稽古のときの俺の声、キモいって彼女に言われて。で……それが理由でフラれた。
「ええええ!」
なんだそれ。なんつう理由……。あり得ないだろ。なんだその女。
驚きすぎてまたも返事が遅れてしまった。俺は慌ててスマホを握り直す。
――そんなの、気にすることないよ。それは彼女が特殊っていうか。
――んー、どうなんだろう。なんていうか問題はさ、俺自身もそうかもって思っちゃったことなんだよね。俺、子どものころから剣道やってたけど、なんの疑問も持たずにやってきてたからさ。そもそも他の人からどう思われてるか、考えたことなくて。でも今回、彼女に言われたことで、他の人からしたら俺の声、キモいのかもって思っちゃってさ。こんなの他の人には訊けないし。それ以来、剣道やるの、なんか、怖くなっちゃって。
いつも通りの軽い口調。でもものすごく勇気を振り絞って伝えてくれているのがわかる。
わかるのに、俺はなんて言っていいのかわからない。迷う指の下で、ひゅい、と彼の言葉が表示される。
――ね、しょうもない理由で部活やめたがってるだろ。
苦笑に似た文字の羅列を見たとたん、かっとなった。
しょうもない?
しょうもないのか? それ。
彼のことはよく知らないけれど、ずっと剣道をやってきて、きっと高校入ってからも一生懸命部活もやってたんだと思う。それを、声がキモい、なんて言われて。しかも彼女に。
それって、全然しょうもない理由じゃなくないか?
っていうか、彼に比べれば俺の理由なんてそれこそしょうもないじゃないか。
――俺は推しに彼女ができたから写真部辞めようとしてる。
えい、と指に力を入れて送信ボタンをタップする。たっぷり一分間が空いてから返信があった。
――それ、どういう意味? 部内恋愛的な?
――違う。被写体として最高って思ってた人に彼女ができた。もともと部活してるとここっそり写真撮っちゃってたんだけど、彼女できたって知ってからその人見るのしんどくなっちゃって。そうなって気付いた。俺、その人しか撮りたくなくなっちゃってたみたいなんだよね。
ああ、なんて変態なことをつらつらと俺は書いているのだろう。これはさすがのらっきょう仮面も呆れるに違いない。だって、俺がやってたことって、盗撮だし。
でももう仕方ない。後戻りはできない。
――だから部活辞めたいんだ。ね、俺のほうがしょうもないだろ。
書いたと同時に、胸の奥がすんと痛んだ。
思いもよらない告白だったのか、スマホは完全に沈黙してしまった。返事を待つのも怖くて俺は、スマホを裏返し、ベッドに入る。
布団の中にもぐりこみながら思い出したのは……彼の顔。
俺が撮りたいと唯一思った人の顔だった。



