……そして、それはある日突然始まった。
昨日まで普通に食べられていた果物を口に入れた瞬間、トイレへ駆け込む。
「ヴぇぇぇぇぇえええっっっ!!!!」
何も食べてなくても、匂いだけで胃がひっくり返る。
湯船に浮かんだ花の香りで浴室にぶちまけ、歯を磨いただけで洗面台を汚し、とうとう侍女に妊娠を伝えざるを得なくなった。
噂には聞いていたけど……本当にここまで吐くのか!?ってくらい吐く。
もう胃の中が空っぽなのに、それでも吐けるんだから恐ろしい。
吐き悪阻で心身ともにボロボロ。
部屋の外に出れば、香水や料理の匂いで即ノックアウト。
結局一日中、自室から出られない。
「うぅ……ワンワン、ごめぇん……」
「大丈夫。俺が散歩に連れて行くから」
そう言ってワンワンを連れ出すエドの背中を見送る。
……ごめんなさい。
研修医の頃、妊婦さんに『いつか悪阻は終わりますから』なんて、気休めみたいに言っていた。
今ならわかる。もっと寄り添ってあげるべきだった。
けれど不思議なことに……数ある匂いの中で、エドの匂いだけは平気だった。
むしろ彼の匂いに包まれていると、不思議と落ち着いて、深く眠れる気さえした。
「無理に食べなくていい。少しずつでいいから」
「うぅ……マックのポテトが食べたい……」
「まっく?」
吐き過ぎてかすれた喉で、必死に説明する。
「五ミリ角くらいにジャガイモを細長く切って、油で揚げて……塩をたっぷり振って……」
「すぐに厨房へ依頼しよう」
「うぇっ……」
説明を終えると同時に、またトイレへ駆け込む羽目になる。
涙目で戻ってくると、鼻をくすぐる香ばしい油の匂い。懐かしい記憶が一気に蘇る。
「フライドポテト……!!!」
テーブルに積まれた揚げたてに飛びつく。
「っ熱っ!……でも、美味しいーー!!」
油のじゅわっとした感じと絶妙な塩味。これだよこれ!
信じられないけど、不思議と吐き気もしない。
「食べられるものが見つかって良かった。いつでも作れるよう厨房に伝えておく」
「うぅ……ありがたい……!エド!みんなにボーナスあげて!!」
感動に涙目になりながら叫ぶと、エドがふっと笑った。
グレープフルーツを欲する妊婦が多いと噂に聞いていたけど、私は断然ジャガイモ派らしい。
「……ポテチも食べたい……」
「ぽてち?」
「ジャガイモを薄くスライスして、油で揚げて、塩を振るの!」
「それは……先ほどの料理と同じに聞こえるけど?」
「ち・が・う!全然違う!!パリパリのやつが食べたいの!!!」
「脱水になりそう……スポドリ……」
「……すぽどり?」
「塩と、はちみつと、レモンを水に混ぜて……」
「氷が食べたい……」
「……齧るのか?」
「うん……多分、鉄欠乏性貧血を起こしてる……」
ベッド脇のグラスを手渡されると、そっとグラスに蓋をするようにエドの大きな手が乗せられる。
「見ていてごらん」
掌の紋が淡く光り、空気がひやりと震えた。
……コロン、コロン。
一口大の氷が透明な音を立てて、次々とグラスの中に落ちていった。
「氷!?魔法で出したの!?食べられる!?」
「もちろん」
一個手に取ると、確かにひんやりとした氷……
恐る恐る齧る。カリッ、バリッ。冷たい感触が喉を抜けると、吐き気がすっと遠のき、胸の奥が軽くなる。
「えー!?何この掌ー!!便利過ぎる!!」
思わずグラスを置き、エドの掌を両手で包む。氷は冷たいのに、その手は魔法の余韻か、いつもより温かい。
「ふっ。王太子を便利なんて呼ぶのは、この国でリエルくらいだろうな」
「ご、ごめん……だって氷が嬉しすぎて……」
「構わないよ。俺は代わってやれないから……せめて役に立ててよかった」
真顔で言い切るその姿に、胸がじんと熱くなる。
エドは氷の入ったグラスを手にし、私の隣に腰を下ろすと、氷を一つ手にし、口元に運ばれ口に含む。
氷の歯ごたえを噛み締めていると、満足そうに指を舐めるエドの姿を見て、思わず顔を背けてしまう。
「氷が欲しくなったら、いつでも言って構わないから」
それからというもの、エドはできる限り執務を私の部屋でこなすようになった。
ぐったり横たわる私の髪を撫で、背をさすり、氷がほしいとねだればすぐに掌から、魔法で出してくれる。
なんなんだよ……なんでそんなスパダリ感凄いんだよ……
甲斐甲斐しく世話をしてくれる彼を見ていると……あぁ、本当にこの人と結婚して良かった。
そんな柄にもないことまで考えてしまうのは、きっと全部マタニティブルーのせいに違いない。
昨日まで普通に食べられていた果物を口に入れた瞬間、トイレへ駆け込む。
「ヴぇぇぇぇぇえええっっっ!!!!」
何も食べてなくても、匂いだけで胃がひっくり返る。
湯船に浮かんだ花の香りで浴室にぶちまけ、歯を磨いただけで洗面台を汚し、とうとう侍女に妊娠を伝えざるを得なくなった。
噂には聞いていたけど……本当にここまで吐くのか!?ってくらい吐く。
もう胃の中が空っぽなのに、それでも吐けるんだから恐ろしい。
吐き悪阻で心身ともにボロボロ。
部屋の外に出れば、香水や料理の匂いで即ノックアウト。
結局一日中、自室から出られない。
「うぅ……ワンワン、ごめぇん……」
「大丈夫。俺が散歩に連れて行くから」
そう言ってワンワンを連れ出すエドの背中を見送る。
……ごめんなさい。
研修医の頃、妊婦さんに『いつか悪阻は終わりますから』なんて、気休めみたいに言っていた。
今ならわかる。もっと寄り添ってあげるべきだった。
けれど不思議なことに……数ある匂いの中で、エドの匂いだけは平気だった。
むしろ彼の匂いに包まれていると、不思議と落ち着いて、深く眠れる気さえした。
「無理に食べなくていい。少しずつでいいから」
「うぅ……マックのポテトが食べたい……」
「まっく?」
吐き過ぎてかすれた喉で、必死に説明する。
「五ミリ角くらいにジャガイモを細長く切って、油で揚げて……塩をたっぷり振って……」
「すぐに厨房へ依頼しよう」
「うぇっ……」
説明を終えると同時に、またトイレへ駆け込む羽目になる。
涙目で戻ってくると、鼻をくすぐる香ばしい油の匂い。懐かしい記憶が一気に蘇る。
「フライドポテト……!!!」
テーブルに積まれた揚げたてに飛びつく。
「っ熱っ!……でも、美味しいーー!!」
油のじゅわっとした感じと絶妙な塩味。これだよこれ!
信じられないけど、不思議と吐き気もしない。
「食べられるものが見つかって良かった。いつでも作れるよう厨房に伝えておく」
「うぅ……ありがたい……!エド!みんなにボーナスあげて!!」
感動に涙目になりながら叫ぶと、エドがふっと笑った。
グレープフルーツを欲する妊婦が多いと噂に聞いていたけど、私は断然ジャガイモ派らしい。
「……ポテチも食べたい……」
「ぽてち?」
「ジャガイモを薄くスライスして、油で揚げて、塩を振るの!」
「それは……先ほどの料理と同じに聞こえるけど?」
「ち・が・う!全然違う!!パリパリのやつが食べたいの!!!」
「脱水になりそう……スポドリ……」
「……すぽどり?」
「塩と、はちみつと、レモンを水に混ぜて……」
「氷が食べたい……」
「……齧るのか?」
「うん……多分、鉄欠乏性貧血を起こしてる……」
ベッド脇のグラスを手渡されると、そっとグラスに蓋をするようにエドの大きな手が乗せられる。
「見ていてごらん」
掌の紋が淡く光り、空気がひやりと震えた。
……コロン、コロン。
一口大の氷が透明な音を立てて、次々とグラスの中に落ちていった。
「氷!?魔法で出したの!?食べられる!?」
「もちろん」
一個手に取ると、確かにひんやりとした氷……
恐る恐る齧る。カリッ、バリッ。冷たい感触が喉を抜けると、吐き気がすっと遠のき、胸の奥が軽くなる。
「えー!?何この掌ー!!便利過ぎる!!」
思わずグラスを置き、エドの掌を両手で包む。氷は冷たいのに、その手は魔法の余韻か、いつもより温かい。
「ふっ。王太子を便利なんて呼ぶのは、この国でリエルくらいだろうな」
「ご、ごめん……だって氷が嬉しすぎて……」
「構わないよ。俺は代わってやれないから……せめて役に立ててよかった」
真顔で言い切るその姿に、胸がじんと熱くなる。
エドは氷の入ったグラスを手にし、私の隣に腰を下ろすと、氷を一つ手にし、口元に運ばれ口に含む。
氷の歯ごたえを噛み締めていると、満足そうに指を舐めるエドの姿を見て、思わず顔を背けてしまう。
「氷が欲しくなったら、いつでも言って構わないから」
それからというもの、エドはできる限り執務を私の部屋でこなすようになった。
ぐったり横たわる私の髪を撫で、背をさすり、氷がほしいとねだればすぐに掌から、魔法で出してくれる。
なんなんだよ……なんでそんなスパダリ感凄いんだよ……
甲斐甲斐しく世話をしてくれる彼を見ていると……あぁ、本当にこの人と結婚して良かった。
そんな柄にもないことまで考えてしまうのは、きっと全部マタニティブルーのせいに違いない。



