転生した悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!〜二つの王冠の子〜

結婚式の前日。クローバー公爵邸の応接間は、まるで戦場のような慌ただしさに包まれていた。
花嫁を送り出すための最終打ち合わせ。
王宮から派遣された役人と、公爵家の執事や侍女たちが几帳面に並び、机の上には式次第や座席表、贈答品の目録まで隙間なく積み上げられている。

「花嫁行列は予定通り、公爵邸を出立して王宮へと向かいます」
「馬車は四頭立てで、王都の大通りを練り歩く形に。沿道の警備も万全に手配しております」

きっちりとした声で読み上げられる段取りに、こくこくと頷くだけ。
正直、内容は半分くらい右から左に抜けている。
でも、ちゃんと聞かないと。これは私のためだけじゃなく、家族の名誉に関わることだから。

クローバー公爵夫妻に対して、私は深い愛情を持った娘ではない。
会ってから、まだたった八カ月。
日本で過労死した西村涼子は、両親に何一つ親孝行できなかった。
だからこそ今、この世界の『娘』として向き合うことが、せめてできる償いのように思えた。

「アリエル……」

ふいに母が私の名を呼ぶ。
振り返ると、柔らかな金の髪を結い上げた母の目が潤んでいた。

「一時はどうなることかと思ったけれど……無事にあなたを送り出す日が来るなんて」

普段は毅然としている人なのに、今日は声が震えている。
侍女たちの前で涙を見せることなど、ほとんどなかった母が。
娘を手放す日として心揺れているのだろう。

……ああ、この人は確かに、アリエルの母親なんだな。
じんわりと胸が熱くなり、思わず膝を進めて母の手を握った。

「大丈夫。だから心配しないで」

声に出してから気づく。
言葉に詰まる。あくまで私の親は日本にいるお父さんお母さんだと思ってる。
どうしてもこの父と母をなんて呼んでいいのかわからずに今日まで来てしまった……

「……お母様」

やっと絞り出したその一言に、母の目がさらに潤む。
次の瞬間、温かく抱きしめられた。
言葉にできない後悔が、少しずつ癒やされていく気がした。

父もまた、低く重々しい声で言った。

「お前がどんな選択をしても、クローバー家はお前の居場所だ」
「……ありがとうございます。お父様」

形式的な言葉に聞こえるかもしれない。
でも今の私には、十分すぎるほど温かく、心に響いた。

やがて机の上に、一枚の分厚い羊皮紙が置かれる。

「王宮にて、すでに殿下がご署名済みです」

目を落とすと、署名欄には『エドガー・ルクス・アストリア』の文字が輝いていた。
淡く光を放つ文字。これはおそらく、魔法によるものだろう。

震える指で紙面を追う。

一、契約当事者の明記
・新郎:エドガー・ルクス・アストリア(アストリア王国第一王子)
・新婦:アリエル・C・ラバー(ラバー公爵家令嬢)

二、婚姻の効力
・両者は神と国王のもと、婚姻の絆を結ぶ。
・この婚姻により、アリエルはアストリア王国の王太子妃となる。

三、持参財・領地に関する条項
・クローバー家から持参される財の記録。
・領地の帰属に関する取り決め。

四、相互の権利と義務
・王太子として妻を守護し、その権利を保障する旨。
・王太子妃として国を補佐する義務。

五、後継者に関する条項
・生まれる子はアストリア王家の正統な後継者とする。
・クローバー家との血縁を明記する。

羊皮紙に刻まれた言葉は、ただの契約文以上の重みを帯びていた。
これに署名した瞬間、私は本当に『王太子妃』になる。

胸の奥で静かに震える感覚を、深く息を吸って押さえ込んだ。

確か、日本でも資産家同士の結婚では契約書みたいなものが交わされるって聞いたことがある。
やっぱり金持ちは金持ちにしかわからない苦労があるんだな……。

ただ、私自身が持参する財なんて何があるんだろう?
エドからもらった宝飾関係くらいしか思いつかないんだけど。

「確認が済みましたら、こちらに血判を」
「えっ!?血判!?」

重っ!!激重っっ!!!実印じゃダメなの!?せめてサインとか拇印とかで……!

混乱している間に侍女が針を取り出し、私の指先を軽く刺す。
赤い滴が羊皮紙に落ちた瞬間、紙面全体がぱぁっと黄金色に輝き、クローバー家と王家の紋章が浮かび上がる。

「わぁ……綺麗☆」

あんまりにも私に馴染みがなくて、忘れかけてたけど、そういやここ魔法ある世界だったわ……。
キラキラと光の粒子が舞う契約書をうっとり眺めていたら、役人の淡々とした声が追い打ちをかける。

「……かかる婚姻契約において、離縁を望む場合、当事者は王国歳入三年分に相当する慰謝料を支払うものとする」

私の中の時間が止まった。

おうこくさいにゅう、さん……ねんぶん……?
えっ……それって……王国歳入三年分って、日本で例えるなら、国家予算三三十兆円!!?!??

草。いやいやいや、絶対無理!!
エドからもらったアクセサリー全部売り払っても一ミリも届かない!
離婚=即死刑宣告。速攻自己破産コースじゃん!!

なんでそんな大事なこと、最初に誰も教えてくれないの!?
ってかエド、あいつもよくこんなのにサインしたなぁ!!!

必死に口角を上げて『王太子妃スマイル』を維持しつつ、心の中では大荒れ。

……待て。逆に考えるんだ。
もしエドが浮気したら、私が慰謝料三三十兆円もらえるってことじゃない!?
三三十兆あれば一生遊んで暮らせるどころか、前世で過労死した無念も全力で成仏できる……!!

……でも、エドが浮気する未来なんて全然想像できないんだよな。
うん、ないな。三三十兆は夢のまた夢だわ。

婚礼を控え、公爵邸の広間には王宮から衣装係がやってきていた。
テーブルの上には純白のドレス、煌めくティアラ、耳飾りやネックレスが並び、まるで宝石店のショーケースのよう。

鏡の前に立たされ、侍女たちの手で一つ一つ身に着けていく。
雪のように白い布が肌を包み、金糸銀糸が光を反射するたび、部屋の空気がぴんと張りつめていく。

「花嫁様、とてもお似合いでございます」
「ティアラを少し下げますね……はい、完璧です」

鏡の中には、昨日までの自分とは違う誰かがいた。
煌びやかなティアラに、王家の紋章を模したネックレス。
装身具一つ一つが重く、責任ごと肩にのしかかるようで息苦しい。

……うわぁ。完全に花嫁仕様。
いやこれ、本当に明日、結婚式やるやつじゃん……?
まだ全然現実味がないんだけど……。

裾を広げられ、ティアラの角度を直され、最後に薄いベールを掛けられる。
純白に包まれた自分の姿を見つめながら、私は小さく息を吐いた。

友達の結婚式には何度か出たことがある。
バージンロードを歩く姿を見て、泣きながら『綺麗だな』って思ったっけ。
あの時のみんなも、こんなふうに心臓がドキドキしていたのかな。
なんか、私のは友達のとちょっと違う気がしなくも無いけど……
だって三三十兆賭けられてるからね。マジ命懸け。

そして……。
親に、この姿を見てもらいたかったな……と、ふと胸にこみあげる。

アリエルという美少女の姿だからこそ、そう思うのかもしれない。
でもきっと、どんな姿でも。
やっぱり私は『娘として』親に見てもらいたいって、願ってしまうんだ。