「殿下、アリエル公爵令嬢。こちらへ」
案内役の声に促され、私たちはゆっくりと進み出す。
白い大理石の回廊に、二人分の靴音が重なる。
裾を揺らしながら歩くたび、胸元のサファイアが朝の光を受けて淡くきらめいた。
凛とした空気の中で、指先まで緊張している自分を意識する。
礼拝堂の重厚な扉が近づくにつれて、周囲の空気が一層張り詰めていく。
王と王妃、そして王族たちが揃い、やがて国中が祈りを共にするその場へ。
隣を歩くエドは、何も言わずに前を見据えていたが、揺るぎない横顔が不思議な安心をくれる。
整列した王族の列、その中でセシルの隣に見慣れぬ女性の姿があった。
白銀色の髪をきっちりと結い上げ、深い色のドレスを纏った気高い姿。
……あれが、后妃。
王妃が私に微笑みかけるより先に、后妃が一歩前へ進み出た。
「このたびは、ご挨拶が遅れてしまいましたね。体調を崩しておりましたの」
柔らかな声音に、一瞬ほっとする。けれどその瞳の奥の光は、私を値踏みするように鋭かった。
「后妃殿。こちらアリエル・C・ラバー公爵令嬢。……私の婚約者でいらっしゃる」
「お目にかかれて光栄です、后妃殿下」
「……ふふ。なかなか可愛らしい方ね」
后妃の唇に浮かんだ笑みは柔らかいはずなのに、どこか掴みどころがない。
その横顔を見た一瞬、エドの表情がかすかに険しくなった気がした。
「王妃様のサロンにいらしたと伺いましたわ。
機会がありましたら、ぜひわたくしのサロンにもいらしてね」
「ありがとうございます。ぜひ、お願いいたします」
……王様とも、王妃とも、そしてエドとも違う。
『気品』という言葉だけでは括れない、冷たい威圧感を纏った存在感。
これが后妃か。
后妃との挨拶を終えても胸の奥はざわついたままだった。
笑みを浮かべながらも、一瞬も気を抜かせない眼差し。
本当にこの人が、可愛らしいセシルの母親なのだろうか。
そして多分、この人がリリアナを……。
隣に立つエドの気配がわずかに強まる。
ほんの少しだけ私の前に出て歩き、まるで目に見えない盾のように庇ってくれている気がする。
その事実に安堵しながらも、手のひらにはじっとりと汗がにじんでいた。
やがて礼拝堂の大扉が重々しく開かれる。
荘厳な鐘の音が響き渡り、場にいたすべての人々が一斉に静まる。
燭台の炎に照らされた高い天井。
星を象ったステンドグラスからは、淡い朝の光が差し込み、色とりどりの影を床に落としていた。
祭壇の前に立つ聖職者が両手を広げ、低い声で祈りを紡ぎ始める。
「旧き年に感謝を、新しき年に祝福を」
一斉に頭が垂れ、静謐な空気が礼拝堂を満たした。
私も膝を折り、両手を胸に添える。
重なる祈りの声が天へと昇っていくようで、背筋がぞくりと震える。
……私も、今ここに立っている。
昨年の聖夜祭、失意のどん底に突き落とされたアリエルでは考えられなかった。
けれど今は、王太子の隣で、婚約者として。
その瞬間、隣から氷青色の瞳がちらりとこちらを見やった。
目が合っただけで、不思議と胸のざわつきが和らいでいく。
私はそっと息を吐き、祈りの言葉を胸の奥で繰り返した。
ゲストルームに戻ると、侍女たちが慌ただしく立ち働いた。
乱れた裾を丁寧に直され、湯気の立つ温かな茶を勧められる。
やがて全員が一礼して下がると、部屋には静寂が戻り、張り詰めていた肩の力がようやく抜けた。
「……はぁ。緊張で足が棒になった」
椅子に沈み込み、思わずぼやく。
「堂々としていて、誰よりも美しい。……自慢の婚約者で誇らしかったよ」
隣に腰を下ろしたエドの声は低く、それでいて穏やかに響く。
こいつ、どれだけ私に対して評価が甘いんだよ……。
頬が熱くなるのを隠すように、慌てて茶器を口に運ぶ。
「昨晩は何時に寝たの?」
軽い気持ちで尋ねたつもりだった。
ところが返ってきた答えに耳を疑う。
「……四時ごろかな」
「はぁ!?ってことは二時間くらいしか寝てないの!?体力お化けかよ……」
思わず声を荒げると、エドは平然と肩をすくめて微笑んだ。
「隣の部屋にリエルがいると思うと、眠れなくてね」
「……は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
何言ってんだコイツ……?
私はといえば以前はオペ明けで気絶するように眠っていたけれど、転生してからは『絶対に自分のベッドじゃないと寝れない』タイプだと思っていたのに、気づけば朝までぐっすりだったんだけど?
「睡眠と食事は大切だぞ……気をつけろよ」
ふと口から出た瞬間、自分でも苦笑してしまう。
三日三晩寝ずに不摂生で死んだ医者が言うんだ……説得力ありすぎだろ。と我ながら思う。
「……心配してくれてるのか?」
エドの真っすぐな問いに、一瞬言葉を失い、慌てて視線を逸らした。
「お前が倒れたら、誰が私を養うんだよ?」
「ふ……確かに。その通りだ。じゃあリエルのためにも、もっと気をつけることにしよう」
彼の肩が小さく揺れ、抑えきれない笑みが零れる。
「あ、結婚したらさ。なるべく食事は一緒に摂ろうよ」
よいことを思いついた!みたいなノリで口にしたけれど、冷静に考えるとまるで『毎日毎食、一緒に食事がしたい』と言っているようで……。
急に顔が熱くなる。
「それは、毎日の食事が楽しみだな」
「っ……うん……」
さらりと返された一言に、かえって胸が締めつけられる。
視線を逸らして口を尖らせていると、扉の外から控えめな声がかかった。
「殿下、そろそろ祝宴の準備が整いました」
すぐにエドが立ち上がり、私へ手を差し伸べられ。
「行こうか」
差し出された掌を取ると、強くも優しく握り返され、心臓の鼓動が一気に速くなる。
また人前か。胃が痛い。
重厚な扉の前に立つと、控えていた近衛がゆっくりと押し開けた。
外から流れ込んでくる音楽が、ふいに一段と高らかに響き渡る。
煌めく光とざわめきが溢れ出し、次の瞬間には会場全体の空気がすっと引き締まった。
大広間に注がれる無数の視線。幾百もの眼差しが、まるで波のように押し寄せてくる。
足がすくみそうになる。だが隣を歩くエドは、堂々とした微笑みでまっすぐ前を向いていた。
大きな掌に導かれ、一歩、また一歩と進む。
「大丈夫だよ」
小さく囁かれたその声。
なんだかんだで、やっぱりちゃんと王太子なんだよな。
こういう場では、本当に頼りになる。
エドの存在が確かに支えとなり、ぎこちなくも前へと足を踏み出した。
夜も更け、外はしんと静まり返っていた。
王宮を後にし、揺れる馬車の中で向かい合うのは、私とエド、ただ二人きり。
ランプの炎が小さく揺れ、窓の外には凍りつくような冬の闇が果てしなく広がっている。
けれどその冷たさとは裏腹に、馬車の中は不思議と温かかった。きっと彼の隣にいるせいだ。
案内役の声に促され、私たちはゆっくりと進み出す。
白い大理石の回廊に、二人分の靴音が重なる。
裾を揺らしながら歩くたび、胸元のサファイアが朝の光を受けて淡くきらめいた。
凛とした空気の中で、指先まで緊張している自分を意識する。
礼拝堂の重厚な扉が近づくにつれて、周囲の空気が一層張り詰めていく。
王と王妃、そして王族たちが揃い、やがて国中が祈りを共にするその場へ。
隣を歩くエドは、何も言わずに前を見据えていたが、揺るぎない横顔が不思議な安心をくれる。
整列した王族の列、その中でセシルの隣に見慣れぬ女性の姿があった。
白銀色の髪をきっちりと結い上げ、深い色のドレスを纏った気高い姿。
……あれが、后妃。
王妃が私に微笑みかけるより先に、后妃が一歩前へ進み出た。
「このたびは、ご挨拶が遅れてしまいましたね。体調を崩しておりましたの」
柔らかな声音に、一瞬ほっとする。けれどその瞳の奥の光は、私を値踏みするように鋭かった。
「后妃殿。こちらアリエル・C・ラバー公爵令嬢。……私の婚約者でいらっしゃる」
「お目にかかれて光栄です、后妃殿下」
「……ふふ。なかなか可愛らしい方ね」
后妃の唇に浮かんだ笑みは柔らかいはずなのに、どこか掴みどころがない。
その横顔を見た一瞬、エドの表情がかすかに険しくなった気がした。
「王妃様のサロンにいらしたと伺いましたわ。
機会がありましたら、ぜひわたくしのサロンにもいらしてね」
「ありがとうございます。ぜひ、お願いいたします」
……王様とも、王妃とも、そしてエドとも違う。
『気品』という言葉だけでは括れない、冷たい威圧感を纏った存在感。
これが后妃か。
后妃との挨拶を終えても胸の奥はざわついたままだった。
笑みを浮かべながらも、一瞬も気を抜かせない眼差し。
本当にこの人が、可愛らしいセシルの母親なのだろうか。
そして多分、この人がリリアナを……。
隣に立つエドの気配がわずかに強まる。
ほんの少しだけ私の前に出て歩き、まるで目に見えない盾のように庇ってくれている気がする。
その事実に安堵しながらも、手のひらにはじっとりと汗がにじんでいた。
やがて礼拝堂の大扉が重々しく開かれる。
荘厳な鐘の音が響き渡り、場にいたすべての人々が一斉に静まる。
燭台の炎に照らされた高い天井。
星を象ったステンドグラスからは、淡い朝の光が差し込み、色とりどりの影を床に落としていた。
祭壇の前に立つ聖職者が両手を広げ、低い声で祈りを紡ぎ始める。
「旧き年に感謝を、新しき年に祝福を」
一斉に頭が垂れ、静謐な空気が礼拝堂を満たした。
私も膝を折り、両手を胸に添える。
重なる祈りの声が天へと昇っていくようで、背筋がぞくりと震える。
……私も、今ここに立っている。
昨年の聖夜祭、失意のどん底に突き落とされたアリエルでは考えられなかった。
けれど今は、王太子の隣で、婚約者として。
その瞬間、隣から氷青色の瞳がちらりとこちらを見やった。
目が合っただけで、不思議と胸のざわつきが和らいでいく。
私はそっと息を吐き、祈りの言葉を胸の奥で繰り返した。
ゲストルームに戻ると、侍女たちが慌ただしく立ち働いた。
乱れた裾を丁寧に直され、湯気の立つ温かな茶を勧められる。
やがて全員が一礼して下がると、部屋には静寂が戻り、張り詰めていた肩の力がようやく抜けた。
「……はぁ。緊張で足が棒になった」
椅子に沈み込み、思わずぼやく。
「堂々としていて、誰よりも美しい。……自慢の婚約者で誇らしかったよ」
隣に腰を下ろしたエドの声は低く、それでいて穏やかに響く。
こいつ、どれだけ私に対して評価が甘いんだよ……。
頬が熱くなるのを隠すように、慌てて茶器を口に運ぶ。
「昨晩は何時に寝たの?」
軽い気持ちで尋ねたつもりだった。
ところが返ってきた答えに耳を疑う。
「……四時ごろかな」
「はぁ!?ってことは二時間くらいしか寝てないの!?体力お化けかよ……」
思わず声を荒げると、エドは平然と肩をすくめて微笑んだ。
「隣の部屋にリエルがいると思うと、眠れなくてね」
「……は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
何言ってんだコイツ……?
私はといえば以前はオペ明けで気絶するように眠っていたけれど、転生してからは『絶対に自分のベッドじゃないと寝れない』タイプだと思っていたのに、気づけば朝までぐっすりだったんだけど?
「睡眠と食事は大切だぞ……気をつけろよ」
ふと口から出た瞬間、自分でも苦笑してしまう。
三日三晩寝ずに不摂生で死んだ医者が言うんだ……説得力ありすぎだろ。と我ながら思う。
「……心配してくれてるのか?」
エドの真っすぐな問いに、一瞬言葉を失い、慌てて視線を逸らした。
「お前が倒れたら、誰が私を養うんだよ?」
「ふ……確かに。その通りだ。じゃあリエルのためにも、もっと気をつけることにしよう」
彼の肩が小さく揺れ、抑えきれない笑みが零れる。
「あ、結婚したらさ。なるべく食事は一緒に摂ろうよ」
よいことを思いついた!みたいなノリで口にしたけれど、冷静に考えるとまるで『毎日毎食、一緒に食事がしたい』と言っているようで……。
急に顔が熱くなる。
「それは、毎日の食事が楽しみだな」
「っ……うん……」
さらりと返された一言に、かえって胸が締めつけられる。
視線を逸らして口を尖らせていると、扉の外から控えめな声がかかった。
「殿下、そろそろ祝宴の準備が整いました」
すぐにエドが立ち上がり、私へ手を差し伸べられ。
「行こうか」
差し出された掌を取ると、強くも優しく握り返され、心臓の鼓動が一気に速くなる。
また人前か。胃が痛い。
重厚な扉の前に立つと、控えていた近衛がゆっくりと押し開けた。
外から流れ込んでくる音楽が、ふいに一段と高らかに響き渡る。
煌めく光とざわめきが溢れ出し、次の瞬間には会場全体の空気がすっと引き締まった。
大広間に注がれる無数の視線。幾百もの眼差しが、まるで波のように押し寄せてくる。
足がすくみそうになる。だが隣を歩くエドは、堂々とした微笑みでまっすぐ前を向いていた。
大きな掌に導かれ、一歩、また一歩と進む。
「大丈夫だよ」
小さく囁かれたその声。
なんだかんだで、やっぱりちゃんと王太子なんだよな。
こういう場では、本当に頼りになる。
エドの存在が確かに支えとなり、ぎこちなくも前へと足を踏み出した。
夜も更け、外はしんと静まり返っていた。
王宮を後にし、揺れる馬車の中で向かい合うのは、私とエド、ただ二人きり。
ランプの炎が小さく揺れ、窓の外には凍りつくような冬の闇が果てしなく広がっている。
けれどその冷たさとは裏腹に、馬車の中は不思議と温かかった。きっと彼の隣にいるせいだ。



