転生した悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!〜二つの王冠の子〜

玄関前に待つ馬車に乗り込んだ瞬間、まるでドナドナされる仔牛の気分だった。
窓の外を眺めると、王宮へ向かう石畳の道。婚約式の記憶が蘇る。
あの日は大勢の人が道に並び、笑顔と拍手で祝福してくれた。
小さな子どもたちが両手いっぱいの花を抱えて差し出してくれて……本当に可愛らしかった。

でも、今の私には王宮なんてちっとも魅力的じゃない!
市場でお菓子を見たり、近くの本屋を冷やかしたり、その方がどれだけ心弾むことか!

そんな強がりを胸に抱えたまま、馬車は中庭に到着した。
扉が開いた瞬間、冷たい風が容赦なく吹き込んでくる。
肩のマントをぎゅっと寄せる間もなく、侍女に手を取られて馬車を降りる。

ああ、ついに着いてしまった。ここが王宮。
荘厳な建物を見上げると、その巨大さに眩暈がしそうになる。
……っていうか、結婚したらここに住むの?広すぎて落ち着かないんだけど!

「クローバー公爵令嬢、アリエル様にございます」

名を告げられると同時に、玄関前に整列していた王宮の侍従たちが一斉に頭を垂れる。
慣れない威圧感に思わず背筋がぴんと張る。
マントを外された途端、アイボリーのドレス姿が露わになり、もう完全に逃げ道を断たれた気分になった。

「こちらへどうぞ」

従者に導かれ、煌びやかな広間を横目に廊下を進んでいく。
けれど、向かうのは奥へ奥へと続く通路。
どこをどう歩いたのか、すでに方向感覚はぐちゃぐちゃで、これ絶対一人じゃ帰れない!と確信する。

たどり着いた先は、壮麗な大広間ではなく、王妃専用の私的なサロンだった。
暖炉には火がくべられ、ぱちぱちと心地よい音を立てている。外の寒さが嘘のように暖かい。
窓辺のカーテンは薄紫に揺れ、差し込む光を柔らかく映していた。
中央の丸テーブルには、すでに二人分のティーセットと小さな菓子皿が整っている。
壁には穏やかな風景画、棚には古びた本や可愛らしい小物。
宮殿の中とは思えないほど落ち着いた雰囲気で、まるで誰かの居間に招かれたような親しみすらあった。

それでも緊張は収まらない。はぁ、何で呼ばれたんだろう。逃げたい。
いや、むしろ帰りたい。……でも帰り道わかんない。

どれくらい待っただろう。やがて扉が静かに開き、王妃が優雅に現れる。
その瞬間、背筋がぎゅっと強張り、私は慌ててスカートの裾を摘み上げ、深々とカーテシーをした。
胸の奥がドクンと鳴り、頭を上げるまでの数秒が永遠のように長く感じられる。

「クローバー公爵家の娘、アリエル・C・ラバーでございます。このような機会を賜り、光栄に存じます」

少し震えた声は、きっと緊張のせい。


王妃は私の言葉に微笑み、やわらかく頷いた。

「よく来てくださいましたね、アリエル嬢。ようこそ、わたくしのサロンへ」

その声は想像よりずっと穏やかで、心を撫でるようだった。

「お待たせしてしまいましたわね。どうぞ、お掛けになって」

促され、恐る恐る正面の椅子に腰を下ろす。

「今日は二人きりで、ゆっくりお話ししたいの。……下がってちょうだい」

その一言で、侍女たちが一礼して退出していく。
ちょ、待って!なんで私も一緒に連れて行ってくれないの!?二人きりって、何を話せばいいの!?

思い返せば、王妃と顔を合わせたのは婚約式でティアラを戴いたときが最初で最後。
しかも緊張で記憶がほぼ飛んでる。
だから今、真正面に座る彼女を見て、改めて思った。
……綺麗すぎる。なるほど、この人からエドが生まれたんだ、と。妙に納得してしまう。

王妃は深い紺や金銀の豪奢な衣装ではなく、柔らかなペールブルーのドレスをまとっていた。
光を受けるたび、布地が淡く揺れ、春の花を思わせる穏やかな色彩を映す。
胸元には大粒の宝石ではなく、さりげない真珠のネックレス。
プラチナブロンドの髪は固く結い上げられず、低めのシニヨンに真珠の飾りを一つ添えるだけ。
その姿は、華やかさよりも上品な落ち着きを感じさせた。

「急に呼んでしまって、ごめんなさいね。エドが知ったら、きっと反対するでしょう?」

柔らかな声色に、叱責でも値踏みでもない温度が宿っている。
王妃の瞳は、まるで母が娘を見守るような温かさを帯びていた。

王妃は自らポットを手に取り、淡い笑みを浮かべながらティーカップへと注ぐ。
気品に満ちたその仕草なのに、不思議と緊張が和らぐ。

「今日は特別よ。わたくしが淹れるから、気を楽にしてね」

差し出されたカップからは、心をほどくような香りが立ちのぼる。
湯気に包まれながら、自然と肩の力が抜けていった。

「……わたくしね、ずっと娘が欲しかったの。だから、あなたが来てくれて本当に嬉しいわ」
「あっ、ありがとうございます」
「女の子を育てる楽しみを、ずっと夢見ていたのよ」

その微笑みは、胸の奥をじんわり温めるほどに優しかった。
年の頃は四十に届く前くらいだろうか。頑張ればまだ子を授かることもできるのかもしれない……でも、きっと事情があるのだろう。

「ふふ、思った通り。とても可愛らしいわ」

そう言って身を乗り出し、覗き込まれる。
え、ちょ、何これ。いきなり嫁姑バトル開幕!?
病院勤務時代、家族間トラブルを目にしたことはあるけれど、あれはなかなかに胃が痛くなるやつだったんだよな……。

「ふふふ……あの子がね、あのカタブツのエドが……ふふふ」
「えっ……あの?」
「ごめんなさい。ついおかしくて。気を悪くしないでね」

笑いを堪えきれないように肩を揺らす王妃。
その姿は思い描いていた『王妃像』とまるで違い、ただの『優しい母親』に見えた。

「ずっと心配していたの。婚約者を作らないエドをね」

アリエルがルシアンと婚約したのは四歳の頃。
なのにエドが婚約したのは、つい最近。今まで何の話もなかった方がよほど不思議だ。

「まさか、初恋の女の子を忘れられなかったなんて……ね?」
「初恋!?」

思わず声が裏返る。
そうか……だから、あんなにアリエルに執着してたのか。
アリエルの容姿はとびきりだとは思うけれど、これ以上の令嬢だってきっといただろうに。
まして接点なんて私が持つアリエルの記憶には一切無かった。
性格もよくわからず、初恋ってだけであんだけ執着するって……
やっぱあいつちょっとおかしいんじゃないか?

「あら、知らなかったの?エドに怒られちゃうかしら」

楽しげにケーキを口に運ぶ王妃は、その瞬間、年齢以上にずっと可憐に見えた。

そうか……二十九歳の私からしたら、この人と十歳くらいしか違わないのかも。
なんなら、私とアリエルとの差よりも少ない。
『義母』なんて身構えるより、もっと自然に距離を縮められるのかもしれない。

王妃に倣ってケーキを口に入れる。
公爵家の甘味も美味しいけれど、王妃が用意してくれたケーキは、まるで『あなたを歓迎するために選びました』と語りかけるようで、優しい甘さが心に沁みた。

……コン、コン、コン。
静かなサロンに、やけに早口なノックが響く。

「どうぞ」

扉が開くと同時に、聞き慣れた声が飛び込んできた。