臆病な少女は生贄として溺愛される

「明日は客が来る」

 水華が突然告げた。
 ここに誰かが来るのははじめてだ。

「緑木(みどりぎ)様ですか?」
「ああ」

 壺の言葉に水華が首肯した。
 壺と峰は知っているらしい。

「も、もしかして、水華様とは、別の神様、ですか?」
「そうだ。土や緑を司っている」

 それは頑健そうだし穏やかそうだ。
 何となくの想像だけれど。

「水華様と同じ龍神様ですよ」

 ならば粗相をしないようにしなければ。
 まだ会ってもいないのに凜はおもわず背筋を伸ばした。

(私もご挨拶するのかしら……まさかね、ただの生贄だもの)

 緊張感を体に巡らせながらも、自分の考えで力をなんとか抜いていると。

「凜の準備をしてやれ」

 とんでもないことを水華に言われてしまった。

「あ、あの、私も、ですか?」
「お前が目当てだからな」

 こともなげに言われた。
 卒倒しそうだ。
 何故わざわざ神様が凛を見に来るのだ。
 動揺で挙動不審になるけれど、食事は残したくないと、どうにかぎこちなくも食事を終えた。
 何故自分が目当てなのだと水華に訊きたくても、理由がわかったらそれはそれで怖い。
 ぐるぐる頭がこんがらがっているあいだに壺に促されて入浴を終えて布団に横になっていた。
 もちろん蝶の行灯がほのかに部屋を明るくしている。

(もしかして、品定めなのかしら。神様ってことは、その方も生贄を求めたこともあるかもしれないし、水華様の満足のいく生贄か確認に来るのだわきっと)

 ならばちゃんとしておかないと、生贄になんてなる価値無しと言われてしまう。
 そうなると、村と祠がどうなるかわからない。
 だから凛はちゃんとお役目は果たしたいのだ。
 ただ、ここに来てから日々疑問がつのっていく。

(水華様は本当に生贄なんて求める方なのかしら)

 水華は優しい。
 表情も声音も変わらないけれど、凜がどれだけ口ごもっても怒らないし怒鳴らない。
 知らないことや出来ないことがあっても馬鹿にしないし、無理なくやれと言ってくれる。
 峰と壺の話だってそうだ。
 わざわざ狸をと言っていたから、もしかしたら普通は違うのかもしれない。
 それでも水華は泣いてる二匹を救い上げたのだ。

(どうしても必要なことなのかもしれないわね)

 凛だって死ぬのは怖い。
 でも人生で唯一優しくしてくれた、あの祠のためなら命を投げ出せる。
 怖くても泣きそうでも、そう思って覚悟した。

「私を食べるのが水華様でよかった」

 どうせなら、よくしてくれた水華の糧になりたい。
 とりあえず明日は恥ずかしくないようにするのだと気合いを入れた。
 翌日は水華がくれたかんざしで壺が可愛らしく髪を結ってくれた。
 着物は淡い青と濃い青の濃淡になっており、白い蝶が描かれている。
 ほんのりとお化粧もされたのだけれど落ち着かなくてそわそわしていた。
 水華に連れられて行ったのは、はじめて来る場所だった。
 大きな湖のように一面が水だった。
 水中からは太い柱が伸びており、水上にある広い板張りを支えている。
 手すりがその板張りをぐるりと取り囲み、真ん中に畳の敷かれた場所があった。
 まるでこの世のものとは思えない部屋だ。
 ぽかんと水面に目をやると、水連が咲いていて可愛らしい。
 柱の伸びた先にある天井を見ると、青く光る丸いガラスが何個も吊られていて華やかだった。

「水華様、緑木様が到着いたしました」

 凛が部屋に見惚れていると、壺の声が呼びかけた。

「やっほー水華」

 届いたのは何だか陽気な口調だった。
 ゆったりと歩いて来たのは二十歳前後の男。
 鉄色の短髪に、前髪も眉上で表情がわかりやすい。
 黄色の目は愛想よく笑っていた。
 少年らしさを思わせる明るい雰囲気だ。
 彼が緑木だろう。
 ひらひらと水華に振る右手の中指から手首に向かって緑の刺青が入っている。
 つる草のようなものが複雑に描いてあった。
 まるで水華の顔にある刺青のようだ。
 凛たちの前に来たところで、もう一人いることに気づいた。
緑木の影に、被衣を被った女性が控えている。
すっぽりと顔まで隠しているので、どんな人物なのかはまったくわからない。
ただ淡い緑とピンクの花が可愛らしい着物を着ていることだけはわかった。
 挨拶をどうしたらと思っていると、水華はスタスタと畳敷きの方へ行ってしまった。
 後を追うと、特に気にした風もなく二人もついて来る。
 座布団の上に水華があぐらをかくと、緑木も同様に腰を下ろした。

「座れ」

 どうしたらと思っていると、声をかけられたので慌てて座る。
 緑木も座布団をぽんぽんと叩くと、女がそっと腰を下ろした。
 すると壺と峰がどんどん膳や酒を持ってくる。
 すぐに四人の前には華やかな食事が準備された。

「君の名前は?」

 こてりと緑木が首を傾げて凛を見た。
 それにどくりと心臓が鳴る。
 知らない人間の前ではうまく話せない。
 膝に乗せた手を凛はぎゅっと握りしめた。

「名を訊くのなら名乗れ」

 水華の目が細められて、寒々しい眼差しが緑木へと向けられた。
 凛を前にしたときとはちあらかに違う、硬質な雰囲気。
 何か粗相をしたのだろうかと不安になって水華を見ると、目が合いほんの少しだけ眦が緩んだ。
 その顔は凛に向けられるいつもの顔だ。

「ごめんごめん、僕は緑木。土とか緑、植物だね、そんなのを司ってるよ」
「り、凛と、申し、ます」

 ぺこりと頭を下げる。
 結局うまく喋れなくて凛は頬がじわじわと羞恥で赤くなるのを感じた。
 凜の反応に「ふうん?」と緑木がじっと見つめてくる。
 値踏みされているのかと勝手に考えてしまう。

「見るな」

 ぐいと後頭部に手がまわされたかと思うと、そのままふわりと瑞々しい香りがする。
 そこでようやく水華の胸元に頭を抱き込まれたのだと気づいた。
 今度は別の意味で顔が赤くなっていく。
 体も固まってしまったのに心臓が早鐘で打たれるようだった。

「あ、あの、すい、水華様」

 声が裏返ってしまう。
 離してほしくてどもりながらも訴えるけれど手が緩まない。

「おーい気持ちはわかるけど離してやれよ、硬直してるぞ」

 緑木の言葉にようやく後頭部にまわっていた手から力が抜けた。
 それにほっとして慌てて居ずまいを正す。

「純情だねぇ」
「黙れ」

 ちらりと凛を一瞥したあとに緑木へ辛辣な言葉を返す。
 それに肩をすくめたあとで緑木は隣にいる女へと手をひらめかせた。

「この子は廸子(ゆずこ)」

 ちらりと紹介された女に視線を向けるけれど、顔は一切見えない。
 唯一見えている手は力が入っているように見えた。

「極度の人見知りでさ。せっかくだからって連れて来たんだけど緊張しちゃって。気にしないでやって」
「は、はい」

 頷けば、廸子はぺこりと頭を下げたので凛も頭を下げる。

「じゃ、お祝いに乾杯」

 緑木が盃をかかげると、水華も苦々しい顔で盃をかかげた。
 それを口につけて喉仏が動くのが視界に入ると、何とも男らしさを感じて凛はじっと視線を注いでしまった。

「お前はそこにある甘酒にしておけよ」

 酒を見ているのだと思われたらしい。
 水華が凜の前にある湯呑に注がれた白い飲み物を目で示す。
 喉仏を見つめていたことが恥ずかしくて、バレないように何度も頷いておいた。
 廸子を見ると、こちらも緑木に甘酒を渡されている。
 おそるおそる口をつけると柔らかい口当たりで飲みやすい。
 粒感があるのがお茶と違って、なんだか不思議だった。

「しっかしようやくだね、僕は嬉しいよ、僕の言ってることをやっと理解してもらえる。ねえ? 廸子」
「お前に影響を受けたわけではない」
「まったまたぁ」

 けらけらと緑木が笑う。
 廸子が控えめに頷いたことで凛は頭に考えが浮かんだ。
 緑木の影響で水華は手元に凛を置いたらしい。
 ならば口ぶりからして妻かと思った廸子は、違うのかもしれない。
 けれどようやくとはどういう意味だろう。

(もしかして、私と同じ生贄?)

 緑木が生贄をすすめたから、水華も生贄を要求したのかと思うと苦い気持ちになった。
 水華がそんなそぶりを見せないので忘れそうになるけれど、凛は生贄だ。
 緑木がきっかけとはいえ、決めたのは水華だ。

(でも、私でよかったのかしら)

 凜をよこせと言ったのは水華だけれど、ここまで至れり尽くせりで申し訳なくなる。
 生贄として不十分だから、手をかけるのだろうか。
 緑木も値踏みするような目をしていた。
 そっと緑木を見ると、視線が合いにこりと微笑まれる。
 おもわず顔を俯かせると「おい」と咎めるように水華の声がとんだ。
 何故か守られているような錯覚を覚えて、凛はこっそりと水華を盗み見る。
 凛といるときの方が何だか雰囲気が柔らかい気がして、それがおもはゆい。
 そのあとはずっとチビチビと下を向いたまま甘酒を飲んでいた。
 しばらく二人は酒を飲んでいたけれど、あまり長居してもと緑木は廸子を連れて帰ってしまった。
見送りはいいと言われたけれど、そんなわけにはと玄関に行けば扉を開けた向こうは森だった。
凛が来たときは水の中だったのに。
驚いて、不本意そうに一緒に見送っている水華を見れば、そんな作りだの一言で終わってしまった。
答えになっていない。
 頭に疑問を浮かべながらも扉を閉める。

「お前も疲れただろう。もう休め」
「は、はい」

 たしかに慣れていないことで疲れている。

「お風呂の準備はしてあるので、すぐに入れますよ」
「あ、ありがとう、ござい、ます」

 足もとで一緒に見送りしていた二匹がにこにこと見上げてきて、壺が入浴をすすめてくることに甘えることにした。
 水華はもう廊下の奥へと消えてしまっている。

「さあさ、どうぞ」

 うながすようにぽんぽんと足を押されて、凛は頷いて風呂へと向かった。
 ずっと緊張していたせいか、お湯につかると体がたゆむ。

「緑木様は水華様と仲がいいお友達のようだったけれど、どうして二人とも生贄を傍においていたのかしら」

 廸子が生贄かは確信がないけれど、水華が凛という生贄をそばにおいたことは緑木の助言があったような口ぶりだった。

「……どんな生贄を食べるか見せ合ったのかしら」

 村にいた頃、何度も村人が食べ物を見せつけにきた。
 あれに似たことかなと思うけれど、水華がそんなことをするだろうかという疑問も残る。

「あんなに優しい方ははじめてだもの」

 村人と同じことをするとは思えない。
 凛は水華があんまりにも丁寧に扱ってくれるから、水華のためならと覚悟も決められる。
 ただ、あの優しい神様は祠の声を思い出させるせいか、できれば少しでも傍にいれたらと思うのだ。