ぼんやりと小屋の中で凛は小さな窓から外を見ていた。
今年で十六歳。
生贄となる年だ。
その瞳には諦めが滲んでいる。
あまり日に当たらない肌は真っ白だ。
監視されたわずかな時間しか外で歩けないためだった。
おかげで以前のように山を駆けられるほどの体力はない。
昔の簡易のものとは比べ物にならない牢のなかで、日がな一日座っているだけだ。
「いいよなあ、働きもせずにのんびりできて」
小屋の入り口で見張りをしている二人の男のうち片方が、凜に聞かせるように大きな声を上げた。
「たしかに悠々自適だよな。あんな辛気臭い顔してないで感謝しろって」
「まあでも今年までだろ、面倒見るの」
「そうそう、一月後に滝に連れて行くってさ。早くしてくれないかな、あばずれの子供の見張りしてると、たぶらかされてないかって不審がられるのが嫌なんだよ」
「こっちだって選ぶ権利あるよな」
「そうそう」
軽い雑談の声に、ぴくりと身じろぎする。
勝手なことばかり言っている。
くうとお腹が鳴った。
どうせ死ぬのだからと最低限の食事しか貰えていない。
やさしい声のくれた池の魚を思い出す。
こんな場所より屋根もない池のほとりで過ごしたかった。
「……神様」
ぽつりと零す。
十歳の頃に生贄だと閉じ込められて以来、村の外へと出してもらえず捕まったままだ。
一度も祠へ行けていない。
神託なんて本当にあったのかと、何度も確認した。
けれど昔から厄除けや災害を沈めるための生贄を捧げる習慣はある。
以前村に来た商人には各地に神様がいるのだと訊いたことがあった。
神託なんかも少ないけれどあった記録はあるのだと教えられたことを、捕まってから思い出したのだ。
そんなどうでもいいことを、この数年つらつらと考えている。
草履も取り上げられた足先をぼんやりと見ていたときだ。
「ほら! 食事よ」
楓の声だ。
今日の食事当番は彼女だったらしい。
欠けた茶碗をひとつ手にして小屋へと入ってきた。
のろのろと顔を上げると、ふんと鼻を鳴らされた。
「さっさと食べなさい」
「ッ!」
牢の隙間から、ずいとよこされた茶碗のなかには芋の根がひとつと白湯。
そして虫が浮いていた。
さすがに凛も虫を食べようと手を出したことはないので、顔色が悪くなる。
十歳の頃と変わらず一日一度の食事は、こうやっていつも嫌がらせを受けていた。
「残すんじゃないわよ」
さっさと死ねばいいのにと言いながら、楓は小屋を出て行ってしまう。
楓の足音が聞こえなくなってから、凛は茶碗を見下ろした。
足の大量にある虫が浮いている食事など、口にしたくない。
けれど食べなければ飢餓に苦しむのは自分だ。
それに死ぬわけにはいかない。
生贄として村を出るときが、祠に行く最後のチャンスだ。
凜はその最後のチャンスに賭けていた。
そのためにも死ぬわけにはいかないのだ。
おそるおそる芋の根を茶碗から引っぱり出して、口元に持っていく。
虫と一緒に入れられていたものだと拒否したくなり、けれど意を決して芋の根に小さく齧りついた。
固い感触を何とか齧って飲み込む。
ごくんと飲み込んだことで、じわりと目に涙が滲んだ。
凛の人生はこんなのばかりだ。
辛くて、苦しくて、惨め。
違ったのは祠にいられた幼い頃の一ヶ月のみ。
それをまざまざと思い返して、嗚咽が漏れそうになったのをなんとか堪えた。
「泣かない、泣かない」
捕まったばかりの頃に、凜は一人のときに泣くのを許した。
泣けと言ってくれた声に縋ってだ。
けれど、一度泣いているところを見られて泣くなと怒鳴られてからは、泣くのを我慢することに決めた。
泣いているところは声にしか知られたくなかった。
それ以来、毎日泣きそうになるたびに、この言葉を繰り返していた。
もうすぐ夏が終わる。
この時期はとても感傷的になってしまう。
凛が祠に行けなくなった季節だ。
「明日になったらお前を滝へ連れて行く」
珍しく牢に村長がやってきたと思えば、端的に言い放った。
呆然と目を丸くする凛を、見下ろしてくる。
「あ、明日……」
「そうだ。覚悟をしておけ」
「あ、あの、少しだけ、ほんの、少しでいいんです!山に、池のほとりにある祠へ、行かせてください!」
格子に取りすがって頭を下げる。
ここで叶わなければ、二度と祠には行けない。
(せめて、お別れだけでも)
花嫁になることは、とうに諦めた。
神託があったのなら、言うとおりにしないと村に何があるかわからないと言われたからだ。
もし村に災厄があったとき、すぐそこにある祠にどんな影響があるかわからない。
最悪、祠が壊れる可能性だってあるのだ。
そんなことになるくらいなら、凛は生贄になったってかまわない。
ただ、最後に一声だけでも耳に残したかった。
そんな思いで頭を下げるけれど、現実は無情だった。
「そうやって逃げるつもりだろう。絶対にここから出るなよ」
冷たい言葉を吐いて村長が小屋を出て行く。
待ってと格子のあいだから腕を伸ばしても、振り返ってはもらえなかった。
夜が深くなるにつれて凛は小屋の入り口を気にしたけれど、見張りがずっといる。
外に出たいと言ったから警戒しているのだろう。
牢の鍵をなんとかできないかと、ぶら下がっている錠をいじってみたけれど何の意味もなかった。
それでも眠る気になんかなるわけもなく、格子のすぐ前でぺたりと座り込んでいると誰かが小屋に入ってきた。
誰だろうと目を向けたところで凛はぎくりと身を強張らせる。
そこには孫一がいた。
いつもいつも見張りを変わってやるよとほかの男たちに声をかけて、小屋に居座っている。
見張りは小屋に入る必要はないのにだ。
そしてずっと罵る言葉を投げかけてくる。
ただでさえ人と話すのが苦手だった凛は、軟禁されて話す機会が減ったあげく孫一や楓に委縮して、以前よりさらに滑らかに話せなくなった。
そのせいで話せばますます相手を苛立たせてしまい、怖くなっての悪循環だ。
だから凛は会話することを諦めて、いつも投げかけられる言葉に俯くしかない。
「聞いたぞ、明日滝へ行くそうじゃないか」
格子の前まで歩いて来た孫一に、凜は床を見つめた。
「顔上げろよ!」
「!」
怒鳴られて体がびくりと跳ねた。
その勢いのまま顔を上げれば、孫一が鼻を鳴らす。
「俺の前で俯くな。顔が見えなくなる」
「は、はい」
顔が見えないから何なのか。
でも言うとおりにしないと怒鳴られるので、凛は恐々と頷いた。
孫一がそれに満足そうに頷いて、手のなかでチャリと何かの音を鳴らした。
何だろうと思っていると、孫一が錠へと近づき、カチンと何かが外れる音。
「来い、凛」
牢に入ってきた孫一に、凛は目を丸くした。
孫一の持っていたものは、格子についていた錠の鍵だったらしい。
とまどっているあいだに「来い」と腕を強く引っ張られた。
無理やり立ちあがらされ、そのまま牢の外へと引きずり出される。
そのまま小屋の外にも連れ出された。
外には見張りが二人、うたた寝をしている。
どうしてと思っていると「いいから行くぞ」とさらに孫一に手を引っ張られた。
「ま、まっ、て」
どんどん走る孫一に着いて行けなくて苦しい。
それに凛は裸足だ。
足の裏も痛くて、呼吸も乱れて、うまく走ることもできなかった。
けれど村の外へ向かっていることに気づいて、ハッと我に返る。
(祠に行ける)
声が聞けるかはわからないけれど、最後のお別れは言える。
そう思ったら足に力を入れて走り出した。
ちらりと肩越しに振り返った孫一が何故か満足そうだ。
村の外に出たところで凛は山の方へ走ろうとした。
その腕を強い力で引っ張られる。
「おい! 何してる、こっちだ」
孫一が行こうとしている方向は、大きな町がある道だ。
「逃げるぞ」
その言葉に凛は首を振る。
逃げるつもりはない。
ただ別れの挨拶がしたいだけなのだ。
「わ、わたし、祠に、行かなくちゃ」
「祠? あの山の奥のか。そんなところに行ってどうする!」
「お、お別れを、言いたいの」
手を取り戻そうとするけれど、枯れ枝のような腕を掴む手はびくともしない。
「お別れって何だよ、意味がわからない。大人しく生贄になる気か!?」
その言葉に反論出来ずに口ごもると、孫一が舌を打った。
「村に何かあるのが怖いのか? 散々嫌なめにあってきた場所なんて、どうでもいいだろ」
「そ、そんなこと、思って、ない」
孫一の言葉にふるりと一度体が震えた。
村に何かあってほしいなんて考えたことはない。
凜は臆病な自覚がある。
もし自分のせいで何かあれば、それこそ人死にでも出たらと思うと怖くて仕方がない。
だから生贄になることはいいのだ。
ただし、それは祠にお別れを言えればという条件つきだけれど。
「お、お願い、行かせて」
「そんなこと許せるかよ、来い!」
孫一が大声を上げて凜の腕を掴む力を強くしたときだ。
「いたぞ、あそこだ!」
村のなかから男達が走り出てきた。
「孫一! お前何してるんだ」
「それは……」
「凛! お前も逃げ出すなんてふてぇ野郎だ」
あっというまに追いついた男たちに、孫一と凛は引き離された。
そのまま孫一は騒ぎながらも村のなかへと連れて行かれてしまう。
「凛」
呼ばれた声に凛は肩をびくつかせた。
おそるおそる見れば、そこには表情を落とした村長がいる。
「あ、あの……」
「お前は村人がどうなってもいいのか」
「ちが……」
「今まで育ててきてやったのに、この恩知らずが!」
怒鳴られると凜は恐怖でぎゅっと目をつぶった。
けれど、祠に行けるのは今しかないと、震える唇をなんとか開く。
「お、お願い、します。山に、行かせてください!すぐに戻ります、絶対、戻るから!」
「信じられるか!おい、連れて行け」
「お願い、お願いします」
何度頼んでも、結局凜は引きずられるようにもとの牢へと戻された。
今年で十六歳。
生贄となる年だ。
その瞳には諦めが滲んでいる。
あまり日に当たらない肌は真っ白だ。
監視されたわずかな時間しか外で歩けないためだった。
おかげで以前のように山を駆けられるほどの体力はない。
昔の簡易のものとは比べ物にならない牢のなかで、日がな一日座っているだけだ。
「いいよなあ、働きもせずにのんびりできて」
小屋の入り口で見張りをしている二人の男のうち片方が、凜に聞かせるように大きな声を上げた。
「たしかに悠々自適だよな。あんな辛気臭い顔してないで感謝しろって」
「まあでも今年までだろ、面倒見るの」
「そうそう、一月後に滝に連れて行くってさ。早くしてくれないかな、あばずれの子供の見張りしてると、たぶらかされてないかって不審がられるのが嫌なんだよ」
「こっちだって選ぶ権利あるよな」
「そうそう」
軽い雑談の声に、ぴくりと身じろぎする。
勝手なことばかり言っている。
くうとお腹が鳴った。
どうせ死ぬのだからと最低限の食事しか貰えていない。
やさしい声のくれた池の魚を思い出す。
こんな場所より屋根もない池のほとりで過ごしたかった。
「……神様」
ぽつりと零す。
十歳の頃に生贄だと閉じ込められて以来、村の外へと出してもらえず捕まったままだ。
一度も祠へ行けていない。
神託なんて本当にあったのかと、何度も確認した。
けれど昔から厄除けや災害を沈めるための生贄を捧げる習慣はある。
以前村に来た商人には各地に神様がいるのだと訊いたことがあった。
神託なんかも少ないけれどあった記録はあるのだと教えられたことを、捕まってから思い出したのだ。
そんなどうでもいいことを、この数年つらつらと考えている。
草履も取り上げられた足先をぼんやりと見ていたときだ。
「ほら! 食事よ」
楓の声だ。
今日の食事当番は彼女だったらしい。
欠けた茶碗をひとつ手にして小屋へと入ってきた。
のろのろと顔を上げると、ふんと鼻を鳴らされた。
「さっさと食べなさい」
「ッ!」
牢の隙間から、ずいとよこされた茶碗のなかには芋の根がひとつと白湯。
そして虫が浮いていた。
さすがに凛も虫を食べようと手を出したことはないので、顔色が悪くなる。
十歳の頃と変わらず一日一度の食事は、こうやっていつも嫌がらせを受けていた。
「残すんじゃないわよ」
さっさと死ねばいいのにと言いながら、楓は小屋を出て行ってしまう。
楓の足音が聞こえなくなってから、凛は茶碗を見下ろした。
足の大量にある虫が浮いている食事など、口にしたくない。
けれど食べなければ飢餓に苦しむのは自分だ。
それに死ぬわけにはいかない。
生贄として村を出るときが、祠に行く最後のチャンスだ。
凜はその最後のチャンスに賭けていた。
そのためにも死ぬわけにはいかないのだ。
おそるおそる芋の根を茶碗から引っぱり出して、口元に持っていく。
虫と一緒に入れられていたものだと拒否したくなり、けれど意を決して芋の根に小さく齧りついた。
固い感触を何とか齧って飲み込む。
ごくんと飲み込んだことで、じわりと目に涙が滲んだ。
凛の人生はこんなのばかりだ。
辛くて、苦しくて、惨め。
違ったのは祠にいられた幼い頃の一ヶ月のみ。
それをまざまざと思い返して、嗚咽が漏れそうになったのをなんとか堪えた。
「泣かない、泣かない」
捕まったばかりの頃に、凜は一人のときに泣くのを許した。
泣けと言ってくれた声に縋ってだ。
けれど、一度泣いているところを見られて泣くなと怒鳴られてからは、泣くのを我慢することに決めた。
泣いているところは声にしか知られたくなかった。
それ以来、毎日泣きそうになるたびに、この言葉を繰り返していた。
もうすぐ夏が終わる。
この時期はとても感傷的になってしまう。
凛が祠に行けなくなった季節だ。
「明日になったらお前を滝へ連れて行く」
珍しく牢に村長がやってきたと思えば、端的に言い放った。
呆然と目を丸くする凛を、見下ろしてくる。
「あ、明日……」
「そうだ。覚悟をしておけ」
「あ、あの、少しだけ、ほんの、少しでいいんです!山に、池のほとりにある祠へ、行かせてください!」
格子に取りすがって頭を下げる。
ここで叶わなければ、二度と祠には行けない。
(せめて、お別れだけでも)
花嫁になることは、とうに諦めた。
神託があったのなら、言うとおりにしないと村に何があるかわからないと言われたからだ。
もし村に災厄があったとき、すぐそこにある祠にどんな影響があるかわからない。
最悪、祠が壊れる可能性だってあるのだ。
そんなことになるくらいなら、凛は生贄になったってかまわない。
ただ、最後に一声だけでも耳に残したかった。
そんな思いで頭を下げるけれど、現実は無情だった。
「そうやって逃げるつもりだろう。絶対にここから出るなよ」
冷たい言葉を吐いて村長が小屋を出て行く。
待ってと格子のあいだから腕を伸ばしても、振り返ってはもらえなかった。
夜が深くなるにつれて凛は小屋の入り口を気にしたけれど、見張りがずっといる。
外に出たいと言ったから警戒しているのだろう。
牢の鍵をなんとかできないかと、ぶら下がっている錠をいじってみたけれど何の意味もなかった。
それでも眠る気になんかなるわけもなく、格子のすぐ前でぺたりと座り込んでいると誰かが小屋に入ってきた。
誰だろうと目を向けたところで凛はぎくりと身を強張らせる。
そこには孫一がいた。
いつもいつも見張りを変わってやるよとほかの男たちに声をかけて、小屋に居座っている。
見張りは小屋に入る必要はないのにだ。
そしてずっと罵る言葉を投げかけてくる。
ただでさえ人と話すのが苦手だった凛は、軟禁されて話す機会が減ったあげく孫一や楓に委縮して、以前よりさらに滑らかに話せなくなった。
そのせいで話せばますます相手を苛立たせてしまい、怖くなっての悪循環だ。
だから凛は会話することを諦めて、いつも投げかけられる言葉に俯くしかない。
「聞いたぞ、明日滝へ行くそうじゃないか」
格子の前まで歩いて来た孫一に、凜は床を見つめた。
「顔上げろよ!」
「!」
怒鳴られて体がびくりと跳ねた。
その勢いのまま顔を上げれば、孫一が鼻を鳴らす。
「俺の前で俯くな。顔が見えなくなる」
「は、はい」
顔が見えないから何なのか。
でも言うとおりにしないと怒鳴られるので、凛は恐々と頷いた。
孫一がそれに満足そうに頷いて、手のなかでチャリと何かの音を鳴らした。
何だろうと思っていると、孫一が錠へと近づき、カチンと何かが外れる音。
「来い、凛」
牢に入ってきた孫一に、凛は目を丸くした。
孫一の持っていたものは、格子についていた錠の鍵だったらしい。
とまどっているあいだに「来い」と腕を強く引っ張られた。
無理やり立ちあがらされ、そのまま牢の外へと引きずり出される。
そのまま小屋の外にも連れ出された。
外には見張りが二人、うたた寝をしている。
どうしてと思っていると「いいから行くぞ」とさらに孫一に手を引っ張られた。
「ま、まっ、て」
どんどん走る孫一に着いて行けなくて苦しい。
それに凛は裸足だ。
足の裏も痛くて、呼吸も乱れて、うまく走ることもできなかった。
けれど村の外へ向かっていることに気づいて、ハッと我に返る。
(祠に行ける)
声が聞けるかはわからないけれど、最後のお別れは言える。
そう思ったら足に力を入れて走り出した。
ちらりと肩越しに振り返った孫一が何故か満足そうだ。
村の外に出たところで凛は山の方へ走ろうとした。
その腕を強い力で引っ張られる。
「おい! 何してる、こっちだ」
孫一が行こうとしている方向は、大きな町がある道だ。
「逃げるぞ」
その言葉に凛は首を振る。
逃げるつもりはない。
ただ別れの挨拶がしたいだけなのだ。
「わ、わたし、祠に、行かなくちゃ」
「祠? あの山の奥のか。そんなところに行ってどうする!」
「お、お別れを、言いたいの」
手を取り戻そうとするけれど、枯れ枝のような腕を掴む手はびくともしない。
「お別れって何だよ、意味がわからない。大人しく生贄になる気か!?」
その言葉に反論出来ずに口ごもると、孫一が舌を打った。
「村に何かあるのが怖いのか? 散々嫌なめにあってきた場所なんて、どうでもいいだろ」
「そ、そんなこと、思って、ない」
孫一の言葉にふるりと一度体が震えた。
村に何かあってほしいなんて考えたことはない。
凜は臆病な自覚がある。
もし自分のせいで何かあれば、それこそ人死にでも出たらと思うと怖くて仕方がない。
だから生贄になることはいいのだ。
ただし、それは祠にお別れを言えればという条件つきだけれど。
「お、お願い、行かせて」
「そんなこと許せるかよ、来い!」
孫一が大声を上げて凜の腕を掴む力を強くしたときだ。
「いたぞ、あそこだ!」
村のなかから男達が走り出てきた。
「孫一! お前何してるんだ」
「それは……」
「凛! お前も逃げ出すなんてふてぇ野郎だ」
あっというまに追いついた男たちに、孫一と凛は引き離された。
そのまま孫一は騒ぎながらも村のなかへと連れて行かれてしまう。
「凛」
呼ばれた声に凛は肩をびくつかせた。
おそるおそる見れば、そこには表情を落とした村長がいる。
「あ、あの……」
「お前は村人がどうなってもいいのか」
「ちが……」
「今まで育ててきてやったのに、この恩知らずが!」
怒鳴られると凜は恐怖でぎゅっと目をつぶった。
けれど、祠に行けるのは今しかないと、震える唇をなんとか開く。
「お、お願い、します。山に、行かせてください!すぐに戻ります、絶対、戻るから!」
「信じられるか!おい、連れて行け」
「お願い、お願いします」
何度頼んでも、結局凜は引きずられるようにもとの牢へと戻された。
