臆病な少女は生贄として溺愛される

 それ以来、凛は毎日祠に行っている。
 神様と呼びかけるといつもぶっきらぼうな声が返ってくるのが嬉しくて、あれやこれやと話しかけた。
 声はあまり喋らないけれど、たまにある相槌に聞いてくれているのがわかり、ますます嬉しくなった。
 声はときおり魚を持ち帰らせてくれたりもする。
 おかげで空腹で眩暈をおこすなんてことは無くなっていた。
 そんな楽しい生活も、もう一ヶ月だ。
 夏ももう終わる。
 声には秋になったら来るなと言われているけれど、凜は行くのをやめる気はなかった。
 お供えものはいらないと言われたけれど、花ならばと思いつき凛は祠に行く前に森で小さな白い花を何本か摘んだ。
 本当は紐でまとめるか花冠にしたかったけれど、まとめる紐がないし花冠なんて作り方をしらない。
 残念だし、数本の花だけではみずぼらしい。
 でも、できるだけ綺麗な花を摘んだつもりだ。
 それに。

(神様なら、きっと受け取ってくれる)

 凛だけのやさしい神様なら、何ともいえない声音で『受け取っておく』と言ってくれる気がした。
 とびきりやさしい神様だから。
 いつもの池のほとりに来ると、凛は顔を明るくさせて祠へと駆けた。

「神様!」
『来るなと言っただろうが』

 少し不機嫌そうな言い方。
 けれど知っている。
 秋になったら冷たい風が吹きだした。
 神様が凛の体を気にしてくれていることを。
 人間は儚いのだろうと口にした、その一言でわかった。

「わ、わたし、丈夫だから平気」
『お前』
「今日は……お供え……も、もって来たんです」

 声の呻きをさえぎって、凛はにこにこと祠の前に座った。

『お供え? そんなものはいらぬと……』
「お花、つんで、きました」

 手に持っていた白い花を見せるように掲げると、少しの沈黙がその場に落ちた。
 そして。

『受け取っておく』

 予想したままの言葉を言ってもらえた。
 ふふ、と思わず笑ってしまう。

『何がおかしい』
「う、受け取ってくれて、ありがとう、ございます」

 また沈黙。
 どうやらこの声はきまり悪くなると黙ってしまうらしい。
 それもおかしくて、凛は楽しそうに花を祠に供えた。
 すると花が溶けるように消えてしまった。

「わあ」

 ぱちぱちと今の光景に凛は目をまばたかせる。
 なんとも不思議な光景だった。

「消えちゃった」

 ぽかんと呟いたあとで、ハッと気づく。
 食べ物は受け取ってもらえないけれど、花なら受け取ってもらえる。
 これなら毎日でも! 勢いこむけれど。

『受け取るのは一度だけだ』

 先回りするように言われてしまって、凛はしょんぼりとうなだれた。
 眉を下げてちらりと祠を意気消沈したまま見つめる。
 すると、長いため息が聞こえた。
 何重にも重なった声なのに、それはわかりやすかった。

『丁重に扱おう』

 そんなことを言ってもらえるとは思わなかった。
 凛はしょぼんとしていた顔を反転させて笑顔で「はい!」と頷いた。
 そして今日も話をしてねぐらに帰る。
 夕食を受け取りに行ったらいつものように「下賤な子」と言われたし、楓と顔を合わせればあっちへ行けと侮蔑な目で見られる。
 それでも気にせず凛はねぐらに帰った。
 明日になればまた会える。
 凛だけの神様に。
 翌日にまた村の手伝いをしたあとでこっそりと村を出ようとしたときだ。

「凛!」

 後ろからの鋭い声に、凛はびくりと肩を跳ねさせた。
 おそるおそる振り向くと、そこには孫一がいる。
 祠に行くようになって村にいる時間が減った。
 この一ヶ月、こっそりと村を出入りしていたので顔を合わせることもない。
 最初の頃は隠れるのが下手くそで孫一につかまっていたけれど、ここ一週間は隠れるのが上手くなったおかげで顔を合わせてなかった。
 孫一は不機嫌な顔で小柄な凛を見下ろしている。
 その目がいつもよりきつい眼差しな気がして、凜は一歩後ずさった。

「お前ここ数日どこに行ってた」
「……え、と」
「どこに行ってたかって訊いてんだよ!」

 突然の大声にびくりと体が強張る。
 目を忙しなくさまよわせながら、凛は口ごもった。
 祠のことは言いたくない。
 あそこは誰にも知られたくなかった。
 あそこは凛と、凜の神様だけの場所だ。

「て、手伝いは、ちゃんと、してる」
「そんなの関係ない」

 どうしてそんなに執拗に訊かれるのかが、わからない。
 尖った声は、凜に向けられる祠の声と全然違う。
 あきらかに人の声じゃないのに、孫一なんかとは比べものにならないくらい優しい。
 最近はその優しさに浸って孫一から怒鳴られていなかった。
 久しぶりの怒声は、以前よりも恐ろしく凛には感じた。
 それでも言いたくなくて俯くと、孫一が凜の目の前まで歩いてくる。
 そして肩をつかまれたとき。

「孫一!またあんた凛に話しかけてるの!?」

 キンと響くような耳に痛い声が割りこんできた。
 楓だ。
 その眉はキリキリとつり上がっている。

「話しかけてるってなんだよ。俺はただ、こいつが気に入らないだけだ」
「だから話しかけてるじゃない」

 楓が不満そうな顔をしてキャンキャンとわめく。
 それに孫一が目を眇めた。
 嫌そうに唇が歪む。

「もしかして好きなんじゃないの?」
「はぁ!? そんなのあるわけないだろ! こんなあばずれ」

 楓のいかにも面白くないという顔と声に、孫一が焦った声で言い返す。
 凜はそんな二人の様子よりも、あばずれと言われた方が鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
 いつもあばずれの子とは言われるけれど、その言葉は嫌だった。

(お母さんと私は違うって、神様が言ってくれた)

 凛は何もしていない。
 母親は多数の男と関係を持ったかもしれないけれど、凛はそんなこと一度もしていないのだ。
 男と話すのだって孫一が声をかけてきたときくらいだ。
 絶対にあばずれなんかじゃない。

「ち、ちがう」
「何だよ」
「わたし、あばずれじゃ、ない。やめて」

 びくびくしながら言い返すと、孫一がぐっと眉を寄せた。
 そして口を開こうとしたけれど。

「生意気ね! 好きじゃないなら態度で示しなさいよ孫一」

 楓の仔犬の鳴き声のように甲高い声が響く。
 それに肩を跳ねさせると、孫一はごくりとひとつ息を飲んで凛を突き飛ばした。
 地面にどしゃりと倒れた凛は突然のことに驚いて孫一を見上げる。
 何故か孫一はどこか不満気な目をしていた。
 しかし楓をちらりと見やり、突然足を振り上げる。
 まさかと思って慌てて頭を庇うようにかかえると、孫一の足が降ってきた。
 そしてガツリと凛を蹴り上げる。

「やめ、やめて」
「あばずれだろ! お前なんか、お前なんか……!」

 二、三度蹴りつけると、ようやく孫一の暴力は終わった。
 楓が満足そうに笑みを浮かべている。
 それを見て舌打ちをすると、孫一は肩で息をしながら歩き去って行く。

「本当、孫一に色目使って。あばずれじゃなきゃ何なのよ」

 吐き捨てるような言葉を言って楓は「待ってよ孫一」跳ねた声で孫一を追いかけていった。
 ようやくいなくなったとほっと息を吐くけれど、鼻の奥がツンと痛くなってくる。
 じわじわと瞳に水分が溜まるのを、地面の土を指で集めるように握りしめて凛は下を向いた。

「泣かない、なかな、い」

 いつもはその言葉でなんとかなるのに、今日は暴力を振るわれたからだろうか。
 泣きたくないのに、ぽつりと涙がこぼれて地面に染みを作った。
 泣いているところなんか村の人間には絶対に見られたくない。
 いつものようにそっと村を抜け出すと、凜は森に入るなり駆け出した。
 祠へと近づくたびに涙があとからあとから溢れて、頬を伝っていく。
 ひっひっとしゃくりあげて息が苦しい。
 それでも止まることなく池のほとりまで駆け込むと、転げるように祠の前に手をついた。
 そのまま座り込んで、ぼろぼろと泣き続ける。

『どうした』
「かみ、かみさま……! わたし、わたし」
『落ち着け』

 落ち着けと言われても熱い息を吐いて、止まらない。
 凜はぎゅうと手を握りしめた。

「な、泣かない、泣かない」

 いつもの言葉を繰り返すけれど全然、効果がない。

『違う、呼吸をちゃんとしろと言っている。それから泣け』

 声の言葉に、ぐすんと凛は鼻をすすった。

『言っただろう。泣きたければ泣けと』

 ぶっきらぼうな雰囲気なのに、凜に返ってくる言葉は優しい。
 凜に、唯一の優しさをくれる声だ。

「かみさま、かみさま……!わ、わたし、傍にいけませんか? 神様の傍に、行きたい……!」

 村が無くなればいいなんて思っていない。
 孫一たちを憎んだりする気持ちは無い。
 ただ、凛をすくい上げてくれる声の傍にいられたら、どんなに幸せだろうと思った。
 けれど、神様の傍に行きたいなんて、おこがましいだろう。
 凛でもそれはわかっている。
 ようやく涙が落ち着いて、凛は頭が正常になってきた。

「ちが、ごめんなさい、かみさま、わたし」
『……もう少し待て』
「……え?」

 突然の思ってもみなかった言葉に、凛は目を丸くした。
 古ぼけた祠を呆けた顔でじっと見る。

『お前は子供だ。そうだな、お前なら花嫁にしてもいい』
「はなよめ」
『嫌なら拒否しろ』
「なる!」

 思ってもみない言葉に、凜は声をさえぎるように大きな声で返事をした。

「な、なる!わたし、かみさまのお嫁さんに、なりたい!」
『そうか』

 ドキドキする胸は興奮からだった。
 胸を押さえると、心臓が暴れまわっている。
 こんなふうに全身で嬉しさを感じるのは、はじめてだった。

「い、いまは、駄目ですか?」
『まだ駄目だ』

 返ってきた言葉にしょんぼりする。
凛は今すぐにでも傍に行きたいのに。

『まあ、そうだな。伝えてはおく』

 どういうことだろうと首を傾げると『もう戻れ』と言われた。
 秋になってから夕暮れが早いのだ。
 さすがに暗くなってから山道を歩くのは危険だと凛でもわかっている。
 声に言われて池の水で顔を洗うと、凛は茂みの方へ向かった。
 チラチラと振り返っていると『早くいけ』と言われる。

「か、神様、約束、ですからね」
『ああ』

 つっかえながらも確認すると、肯定の返事が返ってきたことに凜は口元を綻ばせた。
 見えているかはわからないけれど、手を振って山のなかへと入っていく。
 村が見えてきて軽やかだった足が鈍るけれど、凜はもう大丈夫だと思った。
 少し待てば、花嫁として祠の声に連れて行ってもらえる。
 あやかしの類だって、騙されていたっていい。
 いつになるのかハッキリとは言わなかったけれど、待ち遠しいと思いながら村に入ると何故か騒然としていた。

「凛がいたぞ!」
「捕まえろ!」
「村長のところに連れて行け!」

 何故か大人たちが凛を荒々しく捕まえてきた。

「や、どうして」

 恐怖で縮こまってしゃがみそうになるのを、無理やり腕を引かれて村長の家へと追い立てられた。
 そして村長の前へと突き出される。
 びくびくしながら見上げた村長の顔は、眉間に皺をよせていた。

「凛、お前には村のために生贄になってもらう」
「え……」
「この村からずっ先の場所に龍神がいるという滝がある。そこにお前を連れてこいという信託が村にあった」
「いけ、にえ……」

 呆然と凛は村長の言葉を繰り返した。
 その顔は真っ青になっている。

「お前が十六になったらだ。それまでわしらが監視する。もう自由にはさせん」
「ま、まって、わたし、外に、祠に」

 首を何度も振りながらおぼつかない主張をするけれど、村長の話は終わったとばかりに「連れて行け」とまた腕を取られた。
 空き家になっていた小さい小屋に引きずりこまれると、そこには即席の牢がある。

「入れ」
「ま、まって、いや、はなして!」

 抵抗しても大人と子供の差だ。
 凛の主張は受け入れられず、牢のなかへ押し込められた。
 即席とはいえ小さな凛には壊せそうにない。

「まって、お願い、出して、外に、行かせて!」

 悲鳴のような声を上げても大人たちは凛を置いて小屋を出て行ってしまった。
 その後ろ姿に、力が抜けたようにへたり込む。

「生贄……監視って……」

 凜が逃げれば村に災いがあるとでも言われたのか。
 口ぶりでは十六になるまではここで生かされるらしいけれど、そんなのはちっとも嬉しくない。
 さっき、祠の声に花嫁にしてやると言ってもらえたばかりだ。
 なのにこんなのはあんまりだ。
 きっと、村から出してもらえない。
 祠にも行かせてもらえないのは目に見えている。

「祠にいけなかったら、お嫁さんに、してもらえないかな……」

 木の格子を力なく掴んで凜は俯いた。
 黒い痛んだ髪がぱさりと顔にかかる。
 祠の声を頭のなかで反芻すると、嗚咽がもれた。

「なかな、い、なかな……」

 いつもの言葉を言いかけるけれど、言葉は止まった。

『泣けばいい』

 凜の神様の言葉を思い出し、我慢せずに涙を流す。
 声は泣けと言ってくれた。
 声の前だけでは泣いたけれど、一人のときも泣くのを許そうと思った。
 優しい声が泣けと言ってくれたから。

「か、神様、お願いします、迎えに、きて」

 どうか、と思う。
 祠に行かなければ連れて行ってもらえないかもしれないけれど、いちるの望みを託した。
 どうか凛を見つけてほしいと。