暴風が吹荒れ空が黒く、遠くで雷光が見える。
ときおりパッと明るくなる視界は暴雨にさらされて、目を開けていられない。
遮るものが何もない場所なせいか、全身が水につかったようにぐっしょりと濡れそぼった。
きょろりとなんとか目を開けて見まわすと、山の頂上だと気づく。
おそるおそる眼下を見ると、小さな屋根が並んでいるのが見えて、そこが凛の村だとわかった。
ならば祠はと探すけれど、木々に囲まれた場所だったので見えるわけがない。
無事だろうかと歯噛みしていると、緑木に手を離された。
周囲の景色にすっかり掴まれていたのを忘れていた。
先にここに来たであろう水華はと思えば、ふいに頭上に影が出来る。
雨雲だろうかと上を見て、息を呑む。
そこにいたのは龍だった。
商人に見せてもらった絵巻物に載っていたものだ。
長く太い胴にどんなものでも引き裂けそうな鍵爪のついている手。
口は裂けたように大きく、そのなかには恐ろしいほどの牙がずらりと並んでいた。
どう見ても異形の姿なのに、その体を覆う白銀の鱗は美しい。
すぐにその龍が水華だとわかった。
「綺麗……」
「そうだろ」
ぽつりと呟いた凛に、緑木も同意する。
その龍は体をくねらせると黒い雲へと天を仰いだ。
そしてびりびりと体が震えるくらいの咆哮が放たれる。
恐ろしいけれど、恐ろしくない。
水華だとわかるから、あの美しい龍から目が離せない。
本能的な恐怖など、すぐに霧散してしまった。
長い咆哮のあいだにどんどんと雨が弱まっていく。
風が止み雷光が消えて、そしてとうとう晴れ間がのぞいた。
嵐などなかったかのように、山から見る光景は清々しい。
「よかった」
「よかった、ねえ」
口のなかで小さく呟いた声が聞こえたらしい。
緑木が意味深く凛の言葉を繰り返した。
それは皮肉が混じっているようにも聞こえる。
どうしてそんな反応をされるのだろうと思ったときだ。
さきほどとは違う咆哮が響いた。
はっと空を見上げると、黄金色の龍が晴れた空から現れた。
「龍!?」
「美光だ」
「美光様? どうしてここに」
「そりゃ当然でしょ」
緑木の言葉に、ますます何故と瞳を揺らす。
そのあいだに美光が水華の首元へ噛みつこうとした。
それを避けるように体をひねり、水華が嚙みつき返そうとする。
その体を美光の爪が水華の体を切り裂いた。
「水華様!」
その光景に悲鳴を上げる。
さらにもう一度体を切り裂かれた水華が凜たちのほうへと飛んできた。
おそらくこちらに二人がいるとは気づいていないのだろう。
咄嗟という様子だった。
山上まで来たことで突風がおこる。
ハッと見上げたときだ。
追ってきた美光から真っ白い光が放たれ、そのまま水華へと落ちた。
まるで悲鳴のような轟音が水華の口から迸る。
そして力つきるように地鳴りを響かせて水華の巨体が倒れた。
「水華様!」
倒れた水華に真っ青になって、凛は近くへ行こうと山を下るべく走り出した。
その体をひょいと緑木に小脇に抱えられる。
「緑木様!?」
「暴れると落とすよ」
言うなり彼の足元から太い木の根がぼこりと生える。
驚く凛をよそにその根は緑木をのせて、みるみる太くなっていく。
そのまま山の中腹へと根が伸びていくので、緑木が水華のもとに行こうとしているのだと気づいた。
早く早くと気がはやる。
緑木が地面に下りた先には、倒れた水華がいた。
近くで見ると巨大で、爪も牙も恐怖をあおる。
駆け寄ろうとして足を止めてしまった凛に、緑木がちらりと目をやった。
「す、水華様……」
震える唇で名前を呼んだときだ。
『凛……』
いつもとは違う何重にも重なった声。
これは聞き覚えがある。
(どうして水華様から、この声が……?)
立て続けに起こったことに頭がまわらない。
息をうまく吸えず、正常な考えが出来ないでいた。
「どうして、こんな酷いこと」
美光が何故、水華を攻撃したのかがわからない。
水華に一歩近づこうとしたときだ。
再び水華の体に白い光が浴びせられた。
地鳴りと水華の苦痛にゆがむ声が聞こえる。
「やめてください! お願いです、やめてください!」
「制約を破ったのはそれだ」
頭上から降ってきた声の方を見ると、人間の姿になった美光が浮かんでいた。
「美光様……制約というのは……?」
「我々は生き物を見守るべき存在だ。干渉するには条件がいる。そして水華はそれを破って自然を歪め多くの人間に干渉した。これはその罰だ」
「も、申し訳ありません、私が!私がお願いしたのです!」
泣き叫ぶような声に、しかし美光はふんと鼻を鳴らしただけだった。
「言った筈だぞ小娘。水華の傍にいることで傲慢になるなと。神の力はお前の胸先三寸で使っていいものではない」
言われた言葉に頭を殴られた気分だった。
たしかに言われた。
言われたときは、そんなことを思うわけがないと思った。
けれど凛は確かに傲慢だった。
水華が優しいことを知ったうえで、無理やり願いを押し込んだ。
神様だからできるだろうと、ハッキリ水華へ懇願したのだ。
凛が願いを言ったときに、痛みをこらえるような顔をしたことを思い出す。
こうなることが水華はわかっていたのだ。
わかっていて、凛が水華を利用しようとしたことを受け入れた。
ぼろりと涙が溢れて凛は震えながら緑木を見る。
彼は見届けるのが義務だと言った。
「わ、わかって、たんですか?」
「わかってたよ。だから見届ける義務があるって言ったでしょ」
わかっているのなら、どうして止めてくれなかった。
そんな言葉が出かかったけれど、それこそ傲慢だと凛は唇を噛みしめた。
大きな力を使うのなら、それ相応の対価があるに決まっている。
見ないふりしたのは凛だ。
「使ったこの馬鹿も馬鹿だ。いまだ花嫁でもない者に」
突然の言葉に凛は目を丸くした。
花嫁なんて言葉がどうして出てくるのか。
「花嫁だったら大目に見たものを」
『私の、花嫁だ』
美光の言葉に、水華の声がかぶせられる。
凛はゆっくりと花嫁と呼ばれたことを脳内で咀嚼した。
そして涙が止まり、代わりに驚愕が瞳に浮かぶ。
「は、花嫁って、どういう」
困惑して三人を見ると、全員が驚いた顔で凛を見ていた。
そして美光が笑い出す。
「は、ははは!あれだけ待ち望んでいたのに、花嫁だと思われていなかったとはな!」
『ッ……凛、忘れたか?』
「わ、忘れたって……」
なんのことかわからない。
そもそも花嫁とは凛のことだろうか。
「じゃあ何だと思ってたの!?」
緑木の素っ頓狂な声に、凛はもう一度三人を見まわしてから、おずおずと口を開いた。
「わ、私は、生贄だと……水華様に食べられるのだと、思って……」
「嘘だろ」
緑木がそれ以外の声が出ないと言わんばかりに、呟いた。
それが存外、この場に大きく響く。
「ふ、くくく、随分な顛末だ。手酷くしすぎたな、しばらく眠れ」
「待ってください美光様!」
緑木の悲鳴のような声がしたと思えば、美光が水華の鱗に触れた。
途端に白銀色の光りが失われ、くすんでいく。
「ではな」
「まってください!美光様、水華様に何をされたんですか!? 美光様!」
凛が必死で叫ぶけれど、そんな声を無視して美光はぽうと体が光ると、そのまま消えてしまった。
今まで美光がいた場所を呆然と見ることしかできない。
「水華様、何が……」
『凛、お前はずっと私に食われると、殺されると思っていたのだな』
美光がいた場所を見ていた凛へ水華の声が投げかけられた。
ハッとして水華の顔を見ると、人の時と同じ紫電の瞳が凛を見て揺らいでいる。
「水華様、私は」
『随分と私はからまわっていたようだ』
自嘲する声だった。
そんな声は聞きたくない。
凜は水華の思いやりが嬉しかった。
最初は生贄にするための準備だと思っていたのに、いつからかそんなことは頭の片隅へと追いやっていた。
凛を気遣う気持ちも、触れる手も、全部大切なものだった。
(生贄じゃなくて、花嫁)
それが本当なら、泣きだすほどに幸せだろう。
でも、そんな資格は凛には無い。
優しい神様を、こんなにも傷つけたのだから。
「ごめんなさい、水華様。ごめんなさい……!」
あとからあとから涙が零れてくる。
凛の目は真っ赤になっていた。
『緑木、凛を人里に連れて行け。他は任せる』
「……わかった」
水華の言葉に凛は信じられないものを見るように水華を見た。
はっきり答えた緑木を気にする間もなく、水華がのっそりと倒れていた体を起こす。
「水華様、待ってください!」
凜が止める言葉も無視して、水華はそのまま山から空へと飛び上がる。
「水華様!」
凛が叫んでも、長い尾を引いて水華は飛んでいく。
そして空の青に溶け込むように消えてしまった。
かくりと足から力が抜けて凛は膝をついてしまう。
どうしたらいいのかわからないくらいに、頭のなかが真っ白だった。
凜は水華の傍にいられればよかったのに、傷つけた。
そして謝ることすらさせてもらえなかった。
両手に顔をうめて歯を食いしばり、嗚咽をこらえる。
じゃないとみっともなく泣き叫びそうだった。
「凛ちゃん、行こうか」
緑木の言葉に、のろのろと凛は顔を上げた。
酷い顔に、緑木が困ったように眉を下げる。
「まさか生贄なんて勘違いしてると思わなくってさ」
「花嫁って……」
「干渉するには条件があるって美光が言ってただろ?」
「はい」
「条件は、自分の花嫁にすること。鱗を飲ませたら花嫁になる。飲ませてないから不思議に思ってたんだけどね」
そんなことは、ひとことも言われなかった。
ふるふると小さく首をふると、緑木は仕方ないなというように苦笑した。
「あいつ言葉たらずだからなあ。誤解させちゃってごめんね」
「あ、謝らないで、ください。謝らなきゃいけないのは、私です。緑木様、水華様は大丈夫でしょうか」
「美光が力を奪ったからね。力をほとんど取られたんだ、深く眠ることになる」
「眠る……」
「さすがに力尽きることはないと思うけど、どれだけ眠るかはわからないかな」
「そんな」
ならば、凛はもう水華に会うことはないということだ。
胸がかきむしられるような、それでいて穴が空いたような感覚に襲われる。
どちらにしろ、大切な部分を損なったと自覚するほどに。
「ほら」
緑木に手をとられて立たされた。
ここに来るときと同じだ。
そのまま引っ張られる。
「待ってください緑木様」
「俺は水華に君を頼まれたからね」
緑木が手を振ると、木の蔓が絡まって大きく丸い円を描いた。
それをくぐるように緑木が手を引くと、凛もうながされるままにその輪をくぐった。
ときおりパッと明るくなる視界は暴雨にさらされて、目を開けていられない。
遮るものが何もない場所なせいか、全身が水につかったようにぐっしょりと濡れそぼった。
きょろりとなんとか目を開けて見まわすと、山の頂上だと気づく。
おそるおそる眼下を見ると、小さな屋根が並んでいるのが見えて、そこが凛の村だとわかった。
ならば祠はと探すけれど、木々に囲まれた場所だったので見えるわけがない。
無事だろうかと歯噛みしていると、緑木に手を離された。
周囲の景色にすっかり掴まれていたのを忘れていた。
先にここに来たであろう水華はと思えば、ふいに頭上に影が出来る。
雨雲だろうかと上を見て、息を呑む。
そこにいたのは龍だった。
商人に見せてもらった絵巻物に載っていたものだ。
長く太い胴にどんなものでも引き裂けそうな鍵爪のついている手。
口は裂けたように大きく、そのなかには恐ろしいほどの牙がずらりと並んでいた。
どう見ても異形の姿なのに、その体を覆う白銀の鱗は美しい。
すぐにその龍が水華だとわかった。
「綺麗……」
「そうだろ」
ぽつりと呟いた凛に、緑木も同意する。
その龍は体をくねらせると黒い雲へと天を仰いだ。
そしてびりびりと体が震えるくらいの咆哮が放たれる。
恐ろしいけれど、恐ろしくない。
水華だとわかるから、あの美しい龍から目が離せない。
本能的な恐怖など、すぐに霧散してしまった。
長い咆哮のあいだにどんどんと雨が弱まっていく。
風が止み雷光が消えて、そしてとうとう晴れ間がのぞいた。
嵐などなかったかのように、山から見る光景は清々しい。
「よかった」
「よかった、ねえ」
口のなかで小さく呟いた声が聞こえたらしい。
緑木が意味深く凛の言葉を繰り返した。
それは皮肉が混じっているようにも聞こえる。
どうしてそんな反応をされるのだろうと思ったときだ。
さきほどとは違う咆哮が響いた。
はっと空を見上げると、黄金色の龍が晴れた空から現れた。
「龍!?」
「美光だ」
「美光様? どうしてここに」
「そりゃ当然でしょ」
緑木の言葉に、ますます何故と瞳を揺らす。
そのあいだに美光が水華の首元へ噛みつこうとした。
それを避けるように体をひねり、水華が嚙みつき返そうとする。
その体を美光の爪が水華の体を切り裂いた。
「水華様!」
その光景に悲鳴を上げる。
さらにもう一度体を切り裂かれた水華が凜たちのほうへと飛んできた。
おそらくこちらに二人がいるとは気づいていないのだろう。
咄嗟という様子だった。
山上まで来たことで突風がおこる。
ハッと見上げたときだ。
追ってきた美光から真っ白い光が放たれ、そのまま水華へと落ちた。
まるで悲鳴のような轟音が水華の口から迸る。
そして力つきるように地鳴りを響かせて水華の巨体が倒れた。
「水華様!」
倒れた水華に真っ青になって、凛は近くへ行こうと山を下るべく走り出した。
その体をひょいと緑木に小脇に抱えられる。
「緑木様!?」
「暴れると落とすよ」
言うなり彼の足元から太い木の根がぼこりと生える。
驚く凛をよそにその根は緑木をのせて、みるみる太くなっていく。
そのまま山の中腹へと根が伸びていくので、緑木が水華のもとに行こうとしているのだと気づいた。
早く早くと気がはやる。
緑木が地面に下りた先には、倒れた水華がいた。
近くで見ると巨大で、爪も牙も恐怖をあおる。
駆け寄ろうとして足を止めてしまった凛に、緑木がちらりと目をやった。
「す、水華様……」
震える唇で名前を呼んだときだ。
『凛……』
いつもとは違う何重にも重なった声。
これは聞き覚えがある。
(どうして水華様から、この声が……?)
立て続けに起こったことに頭がまわらない。
息をうまく吸えず、正常な考えが出来ないでいた。
「どうして、こんな酷いこと」
美光が何故、水華を攻撃したのかがわからない。
水華に一歩近づこうとしたときだ。
再び水華の体に白い光が浴びせられた。
地鳴りと水華の苦痛にゆがむ声が聞こえる。
「やめてください! お願いです、やめてください!」
「制約を破ったのはそれだ」
頭上から降ってきた声の方を見ると、人間の姿になった美光が浮かんでいた。
「美光様……制約というのは……?」
「我々は生き物を見守るべき存在だ。干渉するには条件がいる。そして水華はそれを破って自然を歪め多くの人間に干渉した。これはその罰だ」
「も、申し訳ありません、私が!私がお願いしたのです!」
泣き叫ぶような声に、しかし美光はふんと鼻を鳴らしただけだった。
「言った筈だぞ小娘。水華の傍にいることで傲慢になるなと。神の力はお前の胸先三寸で使っていいものではない」
言われた言葉に頭を殴られた気分だった。
たしかに言われた。
言われたときは、そんなことを思うわけがないと思った。
けれど凛は確かに傲慢だった。
水華が優しいことを知ったうえで、無理やり願いを押し込んだ。
神様だからできるだろうと、ハッキリ水華へ懇願したのだ。
凛が願いを言ったときに、痛みをこらえるような顔をしたことを思い出す。
こうなることが水華はわかっていたのだ。
わかっていて、凛が水華を利用しようとしたことを受け入れた。
ぼろりと涙が溢れて凛は震えながら緑木を見る。
彼は見届けるのが義務だと言った。
「わ、わかって、たんですか?」
「わかってたよ。だから見届ける義務があるって言ったでしょ」
わかっているのなら、どうして止めてくれなかった。
そんな言葉が出かかったけれど、それこそ傲慢だと凛は唇を噛みしめた。
大きな力を使うのなら、それ相応の対価があるに決まっている。
見ないふりしたのは凛だ。
「使ったこの馬鹿も馬鹿だ。いまだ花嫁でもない者に」
突然の言葉に凛は目を丸くした。
花嫁なんて言葉がどうして出てくるのか。
「花嫁だったら大目に見たものを」
『私の、花嫁だ』
美光の言葉に、水華の声がかぶせられる。
凛はゆっくりと花嫁と呼ばれたことを脳内で咀嚼した。
そして涙が止まり、代わりに驚愕が瞳に浮かぶ。
「は、花嫁って、どういう」
困惑して三人を見ると、全員が驚いた顔で凛を見ていた。
そして美光が笑い出す。
「は、ははは!あれだけ待ち望んでいたのに、花嫁だと思われていなかったとはな!」
『ッ……凛、忘れたか?』
「わ、忘れたって……」
なんのことかわからない。
そもそも花嫁とは凛のことだろうか。
「じゃあ何だと思ってたの!?」
緑木の素っ頓狂な声に、凛はもう一度三人を見まわしてから、おずおずと口を開いた。
「わ、私は、生贄だと……水華様に食べられるのだと、思って……」
「嘘だろ」
緑木がそれ以外の声が出ないと言わんばかりに、呟いた。
それが存外、この場に大きく響く。
「ふ、くくく、随分な顛末だ。手酷くしすぎたな、しばらく眠れ」
「待ってください美光様!」
緑木の悲鳴のような声がしたと思えば、美光が水華の鱗に触れた。
途端に白銀色の光りが失われ、くすんでいく。
「ではな」
「まってください!美光様、水華様に何をされたんですか!? 美光様!」
凛が必死で叫ぶけれど、そんな声を無視して美光はぽうと体が光ると、そのまま消えてしまった。
今まで美光がいた場所を呆然と見ることしかできない。
「水華様、何が……」
『凛、お前はずっと私に食われると、殺されると思っていたのだな』
美光がいた場所を見ていた凛へ水華の声が投げかけられた。
ハッとして水華の顔を見ると、人の時と同じ紫電の瞳が凛を見て揺らいでいる。
「水華様、私は」
『随分と私はからまわっていたようだ』
自嘲する声だった。
そんな声は聞きたくない。
凜は水華の思いやりが嬉しかった。
最初は生贄にするための準備だと思っていたのに、いつからかそんなことは頭の片隅へと追いやっていた。
凛を気遣う気持ちも、触れる手も、全部大切なものだった。
(生贄じゃなくて、花嫁)
それが本当なら、泣きだすほどに幸せだろう。
でも、そんな資格は凛には無い。
優しい神様を、こんなにも傷つけたのだから。
「ごめんなさい、水華様。ごめんなさい……!」
あとからあとから涙が零れてくる。
凛の目は真っ赤になっていた。
『緑木、凛を人里に連れて行け。他は任せる』
「……わかった」
水華の言葉に凛は信じられないものを見るように水華を見た。
はっきり答えた緑木を気にする間もなく、水華がのっそりと倒れていた体を起こす。
「水華様、待ってください!」
凜が止める言葉も無視して、水華はそのまま山から空へと飛び上がる。
「水華様!」
凛が叫んでも、長い尾を引いて水華は飛んでいく。
そして空の青に溶け込むように消えてしまった。
かくりと足から力が抜けて凛は膝をついてしまう。
どうしたらいいのかわからないくらいに、頭のなかが真っ白だった。
凜は水華の傍にいられればよかったのに、傷つけた。
そして謝ることすらさせてもらえなかった。
両手に顔をうめて歯を食いしばり、嗚咽をこらえる。
じゃないとみっともなく泣き叫びそうだった。
「凛ちゃん、行こうか」
緑木の言葉に、のろのろと凛は顔を上げた。
酷い顔に、緑木が困ったように眉を下げる。
「まさか生贄なんて勘違いしてると思わなくってさ」
「花嫁って……」
「干渉するには条件があるって美光が言ってただろ?」
「はい」
「条件は、自分の花嫁にすること。鱗を飲ませたら花嫁になる。飲ませてないから不思議に思ってたんだけどね」
そんなことは、ひとことも言われなかった。
ふるふると小さく首をふると、緑木は仕方ないなというように苦笑した。
「あいつ言葉たらずだからなあ。誤解させちゃってごめんね」
「あ、謝らないで、ください。謝らなきゃいけないのは、私です。緑木様、水華様は大丈夫でしょうか」
「美光が力を奪ったからね。力をほとんど取られたんだ、深く眠ることになる」
「眠る……」
「さすがに力尽きることはないと思うけど、どれだけ眠るかはわからないかな」
「そんな」
ならば、凛はもう水華に会うことはないということだ。
胸がかきむしられるような、それでいて穴が空いたような感覚に襲われる。
どちらにしろ、大切な部分を損なったと自覚するほどに。
「ほら」
緑木に手をとられて立たされた。
ここに来るときと同じだ。
そのまま引っ張られる。
「待ってください緑木様」
「俺は水華に君を頼まれたからね」
緑木が手を振ると、木の蔓が絡まって大きく丸い円を描いた。
それをくぐるように緑木が手を引くと、凛もうながされるままにその輪をくぐった。
