臆病な少女は生贄として溺愛される

「座らないのか?」

 座っていいのだろうか。
 むしろ凛が訊きたい。
 じっと見上げてくる水華の目にそわそわと心が騒ぐ。
 求められていることを行動するために、おそるおそる凛は腰を下ろした。
 いつまでたっても水華には緊張する。
 それが恐怖などのたぐいではないことを凛は自覚しているけれど、何故だか水華の前にいるとぎこちない気持ちになってしまうのだ。
 一緒にいることは嬉しくて、胸の奥がぽかぽかする。
 箸に手を伸ばした水華にドキドキと凛の胸は早鐘を打ちだした。
 美しい指が箸を手に取り、くたくたになったナスをつまむ。
 その形は峰のお手本とは大違いの不格好なものだった。
 急にそれを水華の目にさらすのが恥ずかしくなってしまう。

「あ、あの、やっぱりこれ……」

 引っ込めようとしたら、水華が不思議そうに首をかしげた。

「私に作ったものなのだろう?」
「でも、切るの、下手くそで」
「懸命に作ったのなら、それでかまわぬ」

 止めるまもなく水華は箸を口に運んでしまった。
 ああ、と諦観の声が頭に浮かぶ。
 咀嚼するのをおもわずじっと見ていると、水華がごくりと喉を鳴らした。
 それをつい凝視して、どうだっただろうかと訊きたくなってしまう。
 けれどまずかったらと思うと、訊くのも怖い。

「うまいな」

 ぽつりと零された感想に、バッと凜は水華の顔を見やった。

「ほ、本当ですか⁉」
「嘘を言ってどうする。お前は食べていないのか?」
「あ、味見なら、峯さんがしました」
「そうか」

 もしかして自分でもした方がよかったのではと、ここにきて凛はようやく思い当たった。
 凛では正解がわからなかったから峰にまかせたけれど、神様に作るものに対して不敬だったかと、今さら別の意味で不安になってくる。
 そんなことをぐるぐる頭のなかでまわしていると、ふたたび水華がナスをつまんだ。

「ほら、口をあけろ」

 箸を口元に差し出されて、カピリと凛は固まった。
 これは何だろう。
 はじめてされたことだ。
 口元のナスを見て、水華の顔を見る。
 綺麗な顔はいつもどおりの無表情でじっと見つめてくる。

(これは、幼い子供にやるのでは……)

 動揺で瞳を揺らしていると。

「どうした?」

 不思議そうに問いかけられた。
 まるで凛の反応のほうがおかしいみたいだ。

「す、水菓様、私は、幼子では、ありません」
「当たり前だ」

 何を言っているという顔をされた。
 ならばどうして、こんなことをされているのだろうと途方にくれてしまう。
 これはどうしたらと思うけれど、いつまでたっても箸は引っ込められない。
 凜が動くしかないらしい。
 覚悟を決めると、凛はおずおずと口を開いた。
 すると、小さな口のなかへナスが入れられる。
 その瞬間、顔に火がついたように熱くなった。
 恥ずかしい、物凄く恥ずかしい。
 これは幼子扱いだからだろうかと思うけれど、水華はそんな扱いはしていないと言う。

(水華様だから、恥ずかしいのかしら)

 もむもむと咀嚼しながら目線が膝にいってしまう。
 水華の顔が見られない。

「どうだ?」
「お、おいしい、です」
「いい出来だ」

 喜んでもらえたらしい。
 想定外の出来事で恥ずかしい思いはしたけれど、わずかでも金平糖のお礼にはなったようだ。
 凛にも出来ることがあった。
 ふふ、と小さく笑ってしまう。

「ま、また作ったら、食べて、くださいますか?」
「無理はしなくていいが、したければしろ」
「っ、はい!」

 凛はおもわず凛らしくない大声で返事をしていた。
 その日以来、凛の料理への挑戦が始まった。
 といっても峰の仕事を取ってはいけないので、漬物を切ったり料理を器に盛ったりする作業からだ。
 それをわざわざ二匹が水華に言うものだから、凛はたいしたことはしていないのにと小さくなってしまう。
 けれどそのたびに、水華は言葉少なくとも褒めてくれるのだ。
 それどころか、食事を凛と一緒にとってくれるようになった。
 いつもお茶だけで、つまみを最小限だったのに。
 誰かと食卓を囲むのはおもはゆい。
 けれど向き合ってくれる水華の気遣いが嬉しかった。
 その日も昼食を一緒にとっていると。

「す、水華様―!」

 峰が慌てて部屋に転がり込んできた。
 凛は驚きに目を丸くしたけれど、水華は片眉を上げただけだ。

「どうした」
「美光(みこう)様がいらっしゃいました!」

 そのひとことで水華の顔が嫌そうにしかめられた。

「すでに水の間におられます。その、凜様に会いたいと……」

 ますます水華の眉根に皺が寄った。
 凛としては、何故という言葉しか浮かばない。
 何故会いたいなどと。

(緑木様と同じ理由かしら)

 つまり生贄の確認。
しかし彼らは何故こんなにも、凛に興味深々なのか。
 壺達が『様』と言うくらいだから、美光という人物も神様なのだろう。
 ただ水華の様子を見るかぎり、緑木と違って親しい関係ではないらしい。
 不機嫌そうに鼻に皺をよせると、凛へちらりと目を向けた。

「お前目当てらしい。行くぞ」
「は、はい」

 立ち上がった水華のあとを追うように、凛も立ち上がる。
 ついていく水華の背中は、どことなく不機嫌だ。
 怖い相手なのか、不仲な相手なのか。
 そんな水華を見れば、凛も緊張してきてしまう。
 我知らず、追いかける速度がゆるんでしまうと水華が振り返った。

「どうした」
「い、いえ、なんでもありません」

 少し怖いだとか緊張するだとかは言いにくい。
 ごまかすように首を振ると、さらりと頬を撫でられた。
 その感触に息が詰まる。
 はくりと声を出せずに小さく口を動かした。

「性格はたいして良くはないが、緑木と同じだ」
「龍神様、ですか?」
「そうだ」

 それだけ言うと、また歩き出してしまう。
 客を知れたことよりも、頬を撫ぜられたことの方が凛には大問題だった。
 背中までカッと熱くなった気がする。
 水華から見えないのをいいことに、触れられた場所に自分の手のひらを当ててしまっていた。
 着いたのは緑木と談笑した場所だった。
 水の中から伸びている支柱に支えられた広い板張りと、その真ん中にある畳敷きの空間。
 一面の水が広がり、水連が咲いている。
 たしかにここは水の間だ。
 中央まで歩いていくと、畳の敷かれた場所には一人の男がゆったりとあぐらをかいていた。
 三十歳ほどに見える。
 淡く長い金髪をゆるやかに背中へながしていて、雅な雰囲気だ。
 けれど緑色に光る目は切れ長で、どことなく怖さを感じる。
 顔立ちは浮世離れした怜悧なものだった。
 同じように浮世離れしていても、水華とは違う。
 触れてはいけないと思わせるほど美しい水華とは違い、こちらは近づくことに恐怖を覚えそうな空気を孕んでいる。
 凜は水華の後ろを歩いて来たけれど、近づくにつれて恐怖心をかきたてられた。
 水華や緑木とは、あきらかに一線を画している。

「何しに来た」
「おや、ご挨拶だな」

 水華の言葉に、男はゆるりと笑った。
 その顔は慈愛に満ちているものだ。

「お前が連れてきたというから、会いたくてな」
「どいつもこいつも」
「おや、緑木が来たかい」
「先日な」
「あの子は喜んだだろう?」
「……」

 水菓は憮然とした顔で黙り込んだ。
 何故、水華が凛を連れてきたらみんな会いに来るのか。
 それにどうして緑木が喜ぶのかもわからない。
 わからないことだらけで混乱していると、男の目が凛へと向けられた。
 その眼差しに、ぞくりとした悪寒が背中を駆け抜ける。
 目が、一瞬だけだが笑っていなかった。
 まるで矢でも射られたかのような鋭さが一瞬だけ、凛を貫いた。

「美光だ」
「り、凛と、申します」

 怖い、と思う。
 けれど水華に恥をかかせるわけにはいかない。
 深々と頭を下げてから顔を上げると、美光は友好的な笑みを浮かべている。
 何故あんな目をされたのかわからないけれど、蛇に睨まれたカエルのように凛はその場で固まってしまっていた。

「美光は調停役の龍神だ。緑木や私より格が上になる」
「大げさだな、悪いことをしたときに叱るだけだよ」

 ふふ、と笑う美光に水華が嫌そうな顔をする。
 緑木同様に気心が知れているらしい。
 少し珍しい水華の様子に、ほんのりと可愛らしさを感じてしまった。

「鱗は渡していないようだな」
「当たり前だ」

 鱗とは何だろうと、出てきた単語に内心首をかしげる。
 魚にあるもののことだろうか。
 けれど何故、水華に鱗のことなんて訊くのか不思議でしょうがない。

「さっさと渡してしまえばいいものを」
「うるさい」

 煩わしそうにする水華の言いぶりに、あまり口出しされたくないのかと思ってしまう。
 二人のやりとりを見ていると、美光がちらりと凛を見た。
 おもわず呼吸が浅くなる。

「ふうん……力を分けたか」
「器がでかかったからな。何かあったときのためだ」

 二人の会話に出てきた器の話題に、凛はぴゃっと肩が跳ねそうになった。
 器がでかい。
 そう言って力とやらを注がれたのだ。
 水華に口づけをされて。
 動揺で変な声が出そうになるのを、なんとかこらえた。
 生贄の使い道の話をしている神様の邪魔は、してはいけない。
 氷華が自分のために、凛へ力を貯蓄しているのだから。
 変な空気を漂わせるのはもってのほかだ。
 なんとか羞恥を耐えていると、美光がにこりと微笑を浮かべた。

「娘」
「は、はい」
「お前は善良な人間だな」

 突然の言葉に凛はまばたきを繰り返した。
 善良なんて言われたことはないし、凛は善良なつもりはない。
 大人しく生贄になったのは、村のためではなく祠のため。
 滅びればいいとは思っていないけれど、思い入れはない。
 村の人間たちにも恨みはないけれど、それだけだ。

(善良なんかじゃ、ないわ)

 どうしてそんなことを言われるのだろうと、とまどってしまう。
 水華がいぶかしげに美光を見やったときだ。

「きゃああ!」

 突然体が強い力で後ろへと引っ張られた。
 何が起こったのだと訳が分からず悲鳴を上げた瞬間、ドボンとしぶきを上げて水へと引きずりこまれる。
 なにが起こったかわからないけれど息苦しい。
 手足をばたつかせたら白い気泡が大量に出来たことで水の中だと気がついた。
 凜は泳いだことなんかない。
 水の中に入るのは滝に落ちて以来だ。
 あのときの落ちていく感覚を思い出して、恐怖に悲鳴を上げそうになる。
 そのせいで口を開いてしまい、水が入ってきてさらに恐怖が煽られる。
 バタバタとあがいていると、突然光る球体に包まれた。
 途端に息苦しさがなくなり、何度もせき込む。
 眉をよせて苦しさにあえいでいると、球体はゆっくりと水面へと向かいざぱりと水上へ出た。
 球体が浮かぶと、ぐいとはじめて見る焦りに顔を歪める水華に腕を引っ張られた。
 水華にそのまま抱き留められると、球体がすぐに溶けるように消えていく。

「何のつもりだ」

 背筋に冷や汗が浮かびそうになる声に、凛は水で濡れたこととは別に体が強張る。
 震えそうになるのを何とかこらえながら水華を見上げると、氷のように見る者すべてを凍てつかせる眼差しで美光を睨みつけていた。
 ぐっと凜の体にまわした体に力が入る。

「小娘」
「ッ」

 水華の言葉には答えずに、美光はひたりと凛を見据えた。
 たった今水に沈めたのがこの男だと気づいて、体の体温が奪われただけでなく顔が真っ青になる。
 うっすらと浮かべられた笑みが、美光の得体の知れなさをまざまざと感じさせた。

「水華のそばにいることで傲慢になるなよ」
「余計なお世話だ」

 美光の言葉の意味がわからない。
 凜が傲慢になるなんて、ありえない。
 生贄の立場でそんな感情を持つわけがないのに。
 美光の言っている意味がわからなくて、混乱してしまう。

「それを言いに来たのか」
「そうだな。私はお前たち四人がかわいいから、心配になってしまうんだ」
「さっさと帰れ」
「そうしよう」

 ギリと奥歯を噛む水華に、美光は何も気にせずに「ではな」と優雅な足取りで水の間を出て行ってしまった。
 それを姿が見えなくなるまで睨み据えていた水華が、途端に凛を抱いていた腕を離す。
 冷えた体を抱きしめていた腕が、体温が低いはずなのに熱く感じていたのを離れてから気づいた。
 そのせいで、水華の腕のなかにいることに安心していたのだと自覚する。