ぐいと目元をこすって、無理やり顔を上げたときだ。
「おじゃましまぁす」
突然の声に、凛はびくりと肩を跳ねさせた。
おそるおそる声の方を見ると、緑木だった。
深緑の着物に、耳には淡い桃色の房飾りが揺れておりよく似合っている。
のんびりとした口調で手をひらひらとしながら歩いて来る緑木に、あわてて凛は居住まいを正した。
そして深々と頭を下げる。
「お久しぶりでございます、緑木様」
「かしこまんなくていいよ」
緑木はのんびりした口調で腰を下ろしあぐらをかいた。
どうしようと思う。
水華は今出かけている。
凛一人で神様のもてなしなど荷が重すぎる。
せめて壺たちがいてくれたらと、内心助けを求めてしまっていた。
「水華様はただいま留守にされていらっしゃいます」
「知ってるから気にしないでよ。狸ちゃんたちにもかまわなくていいって言ってあるから」
助けが求められないことが早々に判明してしまった。
ならば何故ここにと途方にくれていると、緑木はにんまりと口端を上げた。
「君に会いにきたんだよ」
「わ、私、ですか?」
「そうそう」
やっぱり緊張でうまく話せないけれど、緑木は気にした様子もなかったのでほっと胸を撫でおろした。
「待ってたからさ」
「ま、待ってた、ですか?」
「そ、あいつ愛想ないから友達も俺くらいだし。あの性格だから他人に配慮とかしなくてさ~孤立とまではいかないけど、遠巻きにされてるんだよね。顔もあれだし」
「お、お顔は、とても美しい、と思います」
凜が素直な感想を言うと「だよねぇ」と緑木も同意した。
「周りが顔でよってくるから、ますます他人との交流嫌がって悪循環だよ。いい奴なんだけどね」
「水華様は、お優しい、方です」
「そう思う?」
「はい」
素直に頷けば、緑木の目がしんなりとたわまった。
その目はとても嬉しそうで、緑木の水華への親愛が見て取れる。
「だから、やっと選んでくれて安心」
「あ、安心、ですか?」
「そうそう。あいつのことよろしくね。力も分けたみたいだし」
「ち、力?」
何のことだろうと不思議そうにすると、緑木はけらけらと笑った。
「君かなり器が大きいね」
緑木が感心したように、凛をまじまじと見る。
水華も言っていたことだ。
神様には何かわかるのだろうか。
「う、器って、なんです、か」
「あれ、聞いてない?」
「は、はい」
説明不足じゃんと緑木があきれたように盛大なため息をついた。
「俺達は力を分けあたえることが出来るんだよ」
「そんな、ことが」
「で、君はその力を受け入れる器がとても大きい。今は器の半分くらいの量が分けられてるかな。それでもかなりの量があるね」
「い、入れると、何かあるので、しょうか?」
「力が貯蓄されるようなもんかな。今君には水華の力がたくさん入ってるから、万がいち水華の力が弱くなっても君の力を戻せば復活できるって感じ。他にも色々あるけど」
何だか凄そうなものを入れられたのだと凛は震えあがった。
その力とは何かしなくていいのだろうか。
「そ、それって」
「さて、用事も済んだし帰ろうかな。あ、これお土産」
言うだけ言うと、緑木はさっさと立ちあがった。
そしてついでとばかりに葉をくるんで作ったらしい小さな包みを渡される。
「あ、あの」
「じゃあねぇ」
ひらりと来た時と同じように緑木は軽い足取りで廊下の先へと帰って行ってしまった。
途方にくれた顔で包みを見下ろしたあと、緑木の言葉を思い出す。
やっと選んだ。
水華はもしかしたら生贄を求めたのは、はじめてなのかもしれないと思う。
「生贄を食べなきゃ衰弱したりとか、しないわよね?」
その考えが怖くなり、凛は包みを持つ両手に力が入った。
今のところ水華が弱っている様子は見られないし、緑木も生贄らしき女を食べていなかった。
それに凛は水華にまだ早いと言われたばかりだ。
猶予はあるはずだと自分に言い聞かせる。
悶々としながら緑木の手土産を壺に渡すと、そこには黒々とした色のお菓子が入っていた。
かりんとうだ。
はじめて見るものだと不思議に思っていると、壺がお茶と一緒に器に盛ってくれたので、濡れ縁で食べることにした。
水華はよくここにいるけれど、凛もここは好きだ。
水の底にいるのだと不思議な気持ちになり、白い花畑が広がっている。
その花は凛が祠に供えたものと同じだから愛着がどうしてもあって、そのことを思い出すと心が慰められた。
「何をしている」
後ろから聞こえた硬質な、けれど聞きなれた声に凛は慌てて振り返った。
予想通りに、そこには水華が立っている。
凛は居住まいを正して丁寧に頭を下げた。
「お、お帰り、なさいませ」
「ああ……それは?」
それとは? と不思議そうに凛は顔を上げた。
水華の目はかりんとうの入った器に注がれている。
「見覚えがないが」
「あ、あの、緑木様が、いらっしゃって、お土産だと」
「緑木が? 来たのか」
「は、はい」
頷くと、水華の表情があきらかに不機嫌になった。
眉間に皺を寄せて、口もへの字だ。
もしかしたらお土産を貰ったあげく、食べているからかとやっと思い至った。
峰がお茶まで用意してお食べくださいと言ったので、おそるおそる食べていたのだ。
よく考えたらここの主人である水華が食べるべきものだった。
「も、申し訳ありません!」
「何がだ?」
凛はがばりと頭を下げた。
床に額をつける勢いだ。
「か、勝手にいただいて、しまって」
「いい、顔を上げろ」
言われておそるおそる顔を上げれば、水華はいつもの無表情に戻っている。
けれどかりんとうへの視線は苦々しい。
「どうせ緑木がお前にと言ったのだろう?」
「は、はい……」
消え入りそうになる声で返事をした凜に、おもむろに水華が手を伸ばした。
殴られるのかと恐怖で肩が跳ねそうになるのを何とか抑えると、さらりと頭をひと撫でされた。
凛の目が大きく見開かれる。
「ならばそれは、お前のものだ。好きに食べろ」
柔らかな手つきで凜の頭を撫でた手が離れていく。
その感触が消えるのが、名残惜しいと思ってしまった。
水華の方は何も気にしていない様子でさっさと歩き出してしまい、廊下の先へと消えてしまった。
凛はと言えば、じわじわと顔が熱くなっていくのが止められない。
「あ、頭、なでられた……」
真っ赤な顔で呆然としてから、凜は触れられた頭へとおそるおそる手をやった。
そこには撫ぜられた感触がハッキリと残っている。
「どうして……」
何故撫でられたのか、さっぱりわからない。
しかも、外見と相まっていつも硬質な雰囲気なのに、触れる手は優しく柔らかだった。
「殴られなかったわ」
いつも凜が他人から触れられるときは、暴力を振るわれたときだ。
そのことを考えると、不思議でたまらない。
「やっぱり水華様は、うんと優しい方だわ」
顔を赤らめながら、凜は頭から手を離した。
そして緑木の言葉を思い出す。
力を貯蓄できる。
それが本当なら凛は水華の力を蓄える、道具のようなものなのだろう。
きっと口づけをされたときに喉を滑り落ちた熱いものがそれなのではないかと思う。
そこまで考えて、凜は再び赤くなった。
熱い頬に手を当てる。
考えないようにしていたのに。
叫び出したいのを我慢しながらも、頬から手を離してぎゅっと握る。
「食べるのとは少し違うかもしれないけど、お役には立ててるのね」
もしかしたら力を貯蓄する必要がなくなったら食べるのかもしれない。
なら、食べられるのはもう少し先だろう。
「まだ、水華様といられるのね」
自然と出てきた言葉に、凛は自分の言葉ながら動揺した。
おもわず口を押える。
「何言ってるの私!」
口の中で悲鳴が出る。
身の程知らずにも程がある。
ふるふると体を震わせて、今度は顔から血の気が引いた。
あの美しい神様のそばにいたいなんて、生贄には過ぎた願いだ。
でも本音でもある。
動揺と羞恥と自分のずうずうしさへの嫌悪に、凜はじわりと涙が滲んだ。
それが零れ落ちてしまわないように上を向いて、膝の着物を皺になるまでぎゅっと握る。
「泣かない、泣かない」
凜のおまじない。
口にするのは久しぶりだ。
それだけ幸せだったのだ。
凛が水華のそばにいられるのは、利用価値があるから。
それならほんの少しだけ、水華のそばにいることを許してほしい。
「こんな気持ち、神様のそばにいた時みたいだわ」
ずっと凛に優しくしてくれた存在。
花嫁にしてくると言ったことを、忘れたことなんてない。
でも、そこに水華の存在が浸食している。
ふるりと頭を振ってその考えを打ち消すと、壺が呼びに来るまでぼんやりと凛はかりんとうにも手をつけずに座っていた。
「おじゃましまぁす」
突然の声に、凛はびくりと肩を跳ねさせた。
おそるおそる声の方を見ると、緑木だった。
深緑の着物に、耳には淡い桃色の房飾りが揺れておりよく似合っている。
のんびりとした口調で手をひらひらとしながら歩いて来る緑木に、あわてて凛は居住まいを正した。
そして深々と頭を下げる。
「お久しぶりでございます、緑木様」
「かしこまんなくていいよ」
緑木はのんびりした口調で腰を下ろしあぐらをかいた。
どうしようと思う。
水華は今出かけている。
凛一人で神様のもてなしなど荷が重すぎる。
せめて壺たちがいてくれたらと、内心助けを求めてしまっていた。
「水華様はただいま留守にされていらっしゃいます」
「知ってるから気にしないでよ。狸ちゃんたちにもかまわなくていいって言ってあるから」
助けが求められないことが早々に判明してしまった。
ならば何故ここにと途方にくれていると、緑木はにんまりと口端を上げた。
「君に会いにきたんだよ」
「わ、私、ですか?」
「そうそう」
やっぱり緊張でうまく話せないけれど、緑木は気にした様子もなかったのでほっと胸を撫でおろした。
「待ってたからさ」
「ま、待ってた、ですか?」
「そ、あいつ愛想ないから友達も俺くらいだし。あの性格だから他人に配慮とかしなくてさ~孤立とまではいかないけど、遠巻きにされてるんだよね。顔もあれだし」
「お、お顔は、とても美しい、と思います」
凜が素直な感想を言うと「だよねぇ」と緑木も同意した。
「周りが顔でよってくるから、ますます他人との交流嫌がって悪循環だよ。いい奴なんだけどね」
「水華様は、お優しい、方です」
「そう思う?」
「はい」
素直に頷けば、緑木の目がしんなりとたわまった。
その目はとても嬉しそうで、緑木の水華への親愛が見て取れる。
「だから、やっと選んでくれて安心」
「あ、安心、ですか?」
「そうそう。あいつのことよろしくね。力も分けたみたいだし」
「ち、力?」
何のことだろうと不思議そうにすると、緑木はけらけらと笑った。
「君かなり器が大きいね」
緑木が感心したように、凛をまじまじと見る。
水華も言っていたことだ。
神様には何かわかるのだろうか。
「う、器って、なんです、か」
「あれ、聞いてない?」
「は、はい」
説明不足じゃんと緑木があきれたように盛大なため息をついた。
「俺達は力を分けあたえることが出来るんだよ」
「そんな、ことが」
「で、君はその力を受け入れる器がとても大きい。今は器の半分くらいの量が分けられてるかな。それでもかなりの量があるね」
「い、入れると、何かあるので、しょうか?」
「力が貯蓄されるようなもんかな。今君には水華の力がたくさん入ってるから、万がいち水華の力が弱くなっても君の力を戻せば復活できるって感じ。他にも色々あるけど」
何だか凄そうなものを入れられたのだと凛は震えあがった。
その力とは何かしなくていいのだろうか。
「そ、それって」
「さて、用事も済んだし帰ろうかな。あ、これお土産」
言うだけ言うと、緑木はさっさと立ちあがった。
そしてついでとばかりに葉をくるんで作ったらしい小さな包みを渡される。
「あ、あの」
「じゃあねぇ」
ひらりと来た時と同じように緑木は軽い足取りで廊下の先へと帰って行ってしまった。
途方にくれた顔で包みを見下ろしたあと、緑木の言葉を思い出す。
やっと選んだ。
水華はもしかしたら生贄を求めたのは、はじめてなのかもしれないと思う。
「生贄を食べなきゃ衰弱したりとか、しないわよね?」
その考えが怖くなり、凛は包みを持つ両手に力が入った。
今のところ水華が弱っている様子は見られないし、緑木も生贄らしき女を食べていなかった。
それに凛は水華にまだ早いと言われたばかりだ。
猶予はあるはずだと自分に言い聞かせる。
悶々としながら緑木の手土産を壺に渡すと、そこには黒々とした色のお菓子が入っていた。
かりんとうだ。
はじめて見るものだと不思議に思っていると、壺がお茶と一緒に器に盛ってくれたので、濡れ縁で食べることにした。
水華はよくここにいるけれど、凛もここは好きだ。
水の底にいるのだと不思議な気持ちになり、白い花畑が広がっている。
その花は凛が祠に供えたものと同じだから愛着がどうしてもあって、そのことを思い出すと心が慰められた。
「何をしている」
後ろから聞こえた硬質な、けれど聞きなれた声に凛は慌てて振り返った。
予想通りに、そこには水華が立っている。
凛は居住まいを正して丁寧に頭を下げた。
「お、お帰り、なさいませ」
「ああ……それは?」
それとは? と不思議そうに凛は顔を上げた。
水華の目はかりんとうの入った器に注がれている。
「見覚えがないが」
「あ、あの、緑木様が、いらっしゃって、お土産だと」
「緑木が? 来たのか」
「は、はい」
頷くと、水華の表情があきらかに不機嫌になった。
眉間に皺を寄せて、口もへの字だ。
もしかしたらお土産を貰ったあげく、食べているからかとやっと思い至った。
峰がお茶まで用意してお食べくださいと言ったので、おそるおそる食べていたのだ。
よく考えたらここの主人である水華が食べるべきものだった。
「も、申し訳ありません!」
「何がだ?」
凛はがばりと頭を下げた。
床に額をつける勢いだ。
「か、勝手にいただいて、しまって」
「いい、顔を上げろ」
言われておそるおそる顔を上げれば、水華はいつもの無表情に戻っている。
けれどかりんとうへの視線は苦々しい。
「どうせ緑木がお前にと言ったのだろう?」
「は、はい……」
消え入りそうになる声で返事をした凜に、おもむろに水華が手を伸ばした。
殴られるのかと恐怖で肩が跳ねそうになるのを何とか抑えると、さらりと頭をひと撫でされた。
凛の目が大きく見開かれる。
「ならばそれは、お前のものだ。好きに食べろ」
柔らかな手つきで凜の頭を撫でた手が離れていく。
その感触が消えるのが、名残惜しいと思ってしまった。
水華の方は何も気にしていない様子でさっさと歩き出してしまい、廊下の先へと消えてしまった。
凛はと言えば、じわじわと顔が熱くなっていくのが止められない。
「あ、頭、なでられた……」
真っ赤な顔で呆然としてから、凜は触れられた頭へとおそるおそる手をやった。
そこには撫ぜられた感触がハッキリと残っている。
「どうして……」
何故撫でられたのか、さっぱりわからない。
しかも、外見と相まっていつも硬質な雰囲気なのに、触れる手は優しく柔らかだった。
「殴られなかったわ」
いつも凜が他人から触れられるときは、暴力を振るわれたときだ。
そのことを考えると、不思議でたまらない。
「やっぱり水華様は、うんと優しい方だわ」
顔を赤らめながら、凜は頭から手を離した。
そして緑木の言葉を思い出す。
力を貯蓄できる。
それが本当なら凛は水華の力を蓄える、道具のようなものなのだろう。
きっと口づけをされたときに喉を滑り落ちた熱いものがそれなのではないかと思う。
そこまで考えて、凜は再び赤くなった。
熱い頬に手を当てる。
考えないようにしていたのに。
叫び出したいのを我慢しながらも、頬から手を離してぎゅっと握る。
「食べるのとは少し違うかもしれないけど、お役には立ててるのね」
もしかしたら力を貯蓄する必要がなくなったら食べるのかもしれない。
なら、食べられるのはもう少し先だろう。
「まだ、水華様といられるのね」
自然と出てきた言葉に、凛は自分の言葉ながら動揺した。
おもわず口を押える。
「何言ってるの私!」
口の中で悲鳴が出る。
身の程知らずにも程がある。
ふるふると体を震わせて、今度は顔から血の気が引いた。
あの美しい神様のそばにいたいなんて、生贄には過ぎた願いだ。
でも本音でもある。
動揺と羞恥と自分のずうずうしさへの嫌悪に、凜はじわりと涙が滲んだ。
それが零れ落ちてしまわないように上を向いて、膝の着物を皺になるまでぎゅっと握る。
「泣かない、泣かない」
凜のおまじない。
口にするのは久しぶりだ。
それだけ幸せだったのだ。
凛が水華のそばにいられるのは、利用価値があるから。
それならほんの少しだけ、水華のそばにいることを許してほしい。
「こんな気持ち、神様のそばにいた時みたいだわ」
ずっと凛に優しくしてくれた存在。
花嫁にしてくると言ったことを、忘れたことなんてない。
でも、そこに水華の存在が浸食している。
ふるりと頭を振ってその考えを打ち消すと、壺が呼びに来るまでぼんやりと凛はかりんとうにも手をつけずに座っていた。
