「おい、お前……」
その声は、どこかで聞いたことがある。それも一番の思い出として、今も忘れずに記憶の中に生き続けている。けれど、今回の声は、その記憶の声色ともトーンとも違っていて、重い何かが乗っているようだった。
===
今は静かな放課後、調理室前の廊下。
僕は毎日、所属している調理部が終わると、密かに空き教室でお菓子を食べる。
調理部と言っても、ほとんどが幽霊部員ばかりで、来ていたとしてもすぐに帰る人が多い。
今日も僕以外の何人かは、
「どこで遊ぶ?」
「カラオケでよくね?」
と次の予定を立てている。
効率の良さは尊敬するが、気が抜けすぎじゃないのかと心配になってしまう。
彼らはそそくさと去っていく。
別に、僕が嫌われているとか、無視されているとか、仲間外れにされているとか、そういうことではない。どうしても料理になると、周りが見えなくなるほど没頭してしまうのだ。
以前にも誘われていたみたいだが、肩を叩かれなければ気が付かなかった。
……でも、最近は誘われることも減ったな。
さきほど作ったクッキーを、自分が食べる用の失敗したものと、友達にプレゼントしようと包んだクッキーの二つに分けて梱包した。
「はやく、食べたいな」
本当ならいつものように味見していたが、今回は味見をせずに作ってしまって、今はどんな味なのかがすごく頭から離れない。
この前も味見をしたのはいいが、本来は甘いはずなのにしょっぱかった。
「……あの時は塩とこしょう、間違えちゃったんだよな」
窓から微かにオレンジ色が差し込み、夜を暗示する光が僕の身体に当たって、縁を赤く染める。
「もう一日も終わるのか……」
日の終わりの余韻に浸りながらも、気づけば行きつけにしている空き教室の前まで来ていた。
扉に手を伸ばした瞬間、一つの影が空き教室の扉窓から覗き込む僕の目に入る。
「……あぁ、寝てるのかな。反対側で食べるか」
微かな音を立てながら扉を開け閉めしても、彼は起きることはなかった。横目で見た彼の近くには、大胆に開かれたノートらしきものがあり、文字が連なっている。
うっすらと見えた一文には、「孤独しか知らない俺を、認めてくれるだろうか」と書かれているのが見て取れた。
僕の好奇心と興味は、そのノートに集中していた。
気が付けば、僕の手はノートを一枚一枚捲っていた。
──このままでは、俺の心はどうにかなりそうだ。夢をいつか抱いても、前を向けないかもしれない。君は俺を受け入れてくれ……。
「おい、お前……」
夢中になっていた視線は、その一言を機に、横にいた長身のイケメンへと向いてしまった。
彼は続けて────。
「そのノート……俺のだから返せ」
「え、あ、ごめんなさい! つい気になってしまって……。でもこの言葉、気持ちがすごくこもってて、僕は好きだな」
本音の隠れた文字の数々には、思いがたくさん詰まっていて、それが音に合わせて空中を飛び交う。
僕にはそんな気がした。
「あ、あぁ。ありがとう……。じゃなくて返して」
謝って返すなり、乱暴ではないが、すぐさまノートを回収して、頬を赤くしてそっぽを向いている。
「……もしかして朝霧くん?」
「そうだけど、君は?」
「ぼ、僕は小日向、小日向柊だよ」
「俺とお前、どっかで会ったことあったっけ」
朝霧くん、警戒心強いな。そりゃあそうだよね。
僕が朝霧くんを知ったのは、去年、一年生の頃の学園祭で、朝霧くんが軽音部のボーカルとして舞台に出て歌っていたからだ。
その時の声、表情、ファンサ、全てに虜になっていった。
そこからはちょくちょく、軽音部の楽屋から少量流れる練習の音を聞いて、彼の声で満たしていた。
完全にストーカーみたいだと友達に言われたが、僕はそれでもその声に救われて、学校が楽しいと感じ始めたところなんだ。
だから、ほぼ推しのように朝霧くんを見てる。
「去年の学園祭で歌を聞いて、好きになりました!」
「……あぁ、そうか。ありがとう」
僕の勢いに負けたのか、背もたれについている朝霧くんは、さきほどより少し壁に触れる背の面積が増えたように思えてしまった。
「てか、朝霧くん! 前々から思ってたけど、ちゃんと食べてる? 見かけるたびに心配になる!」
「うるさい……。別に心配されなくてもいい」
「ダメだよ! あ、これ食べて!」
咄嗟に差し出したのは、明日友達にプレゼントしようとしていたクッキー入りの袋だった。
「いらないよ。俺、甘いの苦手だし」
「大丈夫! 今回のは甘さ控えめだから! でも、もし無理だと思ったら僕に返していいから」
そう話していると、放課後に一回だけ鳴る夕方を示すチャイムが、空き教室にも廊下にも、学校全体にこだましていく。
「……やべ、もう電車に間に合わなくなる。じゃあ僕はもう帰るから! 朝霧くんも気を付けて帰るんだよ! 遅く帰ったら変な人に捕まっちゃうかもだから、気を付けてね! じゃあね!」
「お前は俺のオカンか!」
そんなツッコミが、扉を閉める音と一緒に耳に飛び込んできて、内心すごく微笑ましく思えた。しかも、無意識に口角が上がっていたみたいで、顔に意識を向けた時に気が付いた。
「でも嬉しいな……。推しの朝霧くんと話せて幸せ!」
支度をする手は動きながらも、口も思考もそれ以上に動き回っている。
これからはないであろう幸せを、今だけ噛みしめる。
その声は、どこかで聞いたことがある。それも一番の思い出として、今も忘れずに記憶の中に生き続けている。けれど、今回の声は、その記憶の声色ともトーンとも違っていて、重い何かが乗っているようだった。
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今は静かな放課後、調理室前の廊下。
僕は毎日、所属している調理部が終わると、密かに空き教室でお菓子を食べる。
調理部と言っても、ほとんどが幽霊部員ばかりで、来ていたとしてもすぐに帰る人が多い。
今日も僕以外の何人かは、
「どこで遊ぶ?」
「カラオケでよくね?」
と次の予定を立てている。
効率の良さは尊敬するが、気が抜けすぎじゃないのかと心配になってしまう。
彼らはそそくさと去っていく。
別に、僕が嫌われているとか、無視されているとか、仲間外れにされているとか、そういうことではない。どうしても料理になると、周りが見えなくなるほど没頭してしまうのだ。
以前にも誘われていたみたいだが、肩を叩かれなければ気が付かなかった。
……でも、最近は誘われることも減ったな。
さきほど作ったクッキーを、自分が食べる用の失敗したものと、友達にプレゼントしようと包んだクッキーの二つに分けて梱包した。
「はやく、食べたいな」
本当ならいつものように味見していたが、今回は味見をせずに作ってしまって、今はどんな味なのかがすごく頭から離れない。
この前も味見をしたのはいいが、本来は甘いはずなのにしょっぱかった。
「……あの時は塩とこしょう、間違えちゃったんだよな」
窓から微かにオレンジ色が差し込み、夜を暗示する光が僕の身体に当たって、縁を赤く染める。
「もう一日も終わるのか……」
日の終わりの余韻に浸りながらも、気づけば行きつけにしている空き教室の前まで来ていた。
扉に手を伸ばした瞬間、一つの影が空き教室の扉窓から覗き込む僕の目に入る。
「……あぁ、寝てるのかな。反対側で食べるか」
微かな音を立てながら扉を開け閉めしても、彼は起きることはなかった。横目で見た彼の近くには、大胆に開かれたノートらしきものがあり、文字が連なっている。
うっすらと見えた一文には、「孤独しか知らない俺を、認めてくれるだろうか」と書かれているのが見て取れた。
僕の好奇心と興味は、そのノートに集中していた。
気が付けば、僕の手はノートを一枚一枚捲っていた。
──このままでは、俺の心はどうにかなりそうだ。夢をいつか抱いても、前を向けないかもしれない。君は俺を受け入れてくれ……。
「おい、お前……」
夢中になっていた視線は、その一言を機に、横にいた長身のイケメンへと向いてしまった。
彼は続けて────。
「そのノート……俺のだから返せ」
「え、あ、ごめんなさい! つい気になってしまって……。でもこの言葉、気持ちがすごくこもってて、僕は好きだな」
本音の隠れた文字の数々には、思いがたくさん詰まっていて、それが音に合わせて空中を飛び交う。
僕にはそんな気がした。
「あ、あぁ。ありがとう……。じゃなくて返して」
謝って返すなり、乱暴ではないが、すぐさまノートを回収して、頬を赤くしてそっぽを向いている。
「……もしかして朝霧くん?」
「そうだけど、君は?」
「ぼ、僕は小日向、小日向柊だよ」
「俺とお前、どっかで会ったことあったっけ」
朝霧くん、警戒心強いな。そりゃあそうだよね。
僕が朝霧くんを知ったのは、去年、一年生の頃の学園祭で、朝霧くんが軽音部のボーカルとして舞台に出て歌っていたからだ。
その時の声、表情、ファンサ、全てに虜になっていった。
そこからはちょくちょく、軽音部の楽屋から少量流れる練習の音を聞いて、彼の声で満たしていた。
完全にストーカーみたいだと友達に言われたが、僕はそれでもその声に救われて、学校が楽しいと感じ始めたところなんだ。
だから、ほぼ推しのように朝霧くんを見てる。
「去年の学園祭で歌を聞いて、好きになりました!」
「……あぁ、そうか。ありがとう」
僕の勢いに負けたのか、背もたれについている朝霧くんは、さきほどより少し壁に触れる背の面積が増えたように思えてしまった。
「てか、朝霧くん! 前々から思ってたけど、ちゃんと食べてる? 見かけるたびに心配になる!」
「うるさい……。別に心配されなくてもいい」
「ダメだよ! あ、これ食べて!」
咄嗟に差し出したのは、明日友達にプレゼントしようとしていたクッキー入りの袋だった。
「いらないよ。俺、甘いの苦手だし」
「大丈夫! 今回のは甘さ控えめだから! でも、もし無理だと思ったら僕に返していいから」
そう話していると、放課後に一回だけ鳴る夕方を示すチャイムが、空き教室にも廊下にも、学校全体にこだましていく。
「……やべ、もう電車に間に合わなくなる。じゃあ僕はもう帰るから! 朝霧くんも気を付けて帰るんだよ! 遅く帰ったら変な人に捕まっちゃうかもだから、気を付けてね! じゃあね!」
「お前は俺のオカンか!」
そんなツッコミが、扉を閉める音と一緒に耳に飛び込んできて、内心すごく微笑ましく思えた。しかも、無意識に口角が上がっていたみたいで、顔に意識を向けた時に気が付いた。
「でも嬉しいな……。推しの朝霧くんと話せて幸せ!」
支度をする手は動きながらも、口も思考もそれ以上に動き回っている。
これからはないであろう幸せを、今だけ噛みしめる。



