中庭には、やわらかな春の光が落ちていた。
建国記念祭の日らしく、城の外からは遠くに人々のにぎわいが聞こえてくる。
楽器の音、笑い声、鐘の響き。
けれど、王城の奥にあるこの中庭だけは別の場所のように静かだった。
噴水の水音だけが、細く絶えず耳に届いている。
ルカはその水音を聞きながら、石造りの回廊の柱にもたれて立っていた。
やがて、重い足取りで勇者レオンが姿を見せる。
聖堂にいた時と同じく、その顔色は悪い。
目の下には濃い隈があり、立っているだけでもつらそうだった。
けれど、その疲れた様子以上に目立つのは、彼の手だった。
指先が、わずかに震えている。
ルカはそれを見逃さなかった。
「――座りますか?」
そう言って、庭の端にある石の長椅子を目で示す。
レオンは少しだけ驚いたような顔をしたが、無言でそこに腰を下ろした。
座る動き一つにも痛みをこらえるようなぎこちなさがある。
ルカも少し離れた場所に立ったまま、まっすぐに彼を見た。
「……レオン様は間違いなく疲れていますね」
その言い方には気づかう色がほとんどなかった。
事実をそのまま口にしただけの、平らな声だった。
レオンは苦く笑う。
「……聖女を守れなかったんだ。疲れていない方がおかしいだろ」
「え、そうでしょうか?」
ルカは首を少し傾けた。
「守れなかったことを悔やむのは自由です。でも、その感情で事実が変わるわけではありません」
ルカの言葉に対し、レオンの眉がぴくりと動く。
「お前は……本当に、そういう言い方しかできないんだな」
「感情は大事な時もあります。でも、今は邪魔です」
ルカはそう言い切った。
「自責も後悔も、今はただのノイズです。聞きたいのは、あなたの気持ちではありません。見た事と触れたことだけです」
春の風が、二人の間を静かに通り抜けた。
レオンは少しのあいだ黙っていたが、やがてゆっくりと息を吐いた。
「お前は……何を聞きたい」
「では簡単に申しますね。最後に、聖女アリアと肌が触れたのはいつですか」
あまりにもまっすぐな問いだった。
レオンは一瞬だけ目を見開く。
「肌が……?」
「ええ。服や手袋越しではなく、直接です」
ルカは表情を変えない。
「最後に彼女の手や肌に触れた時の事を、できるだけ正確に思い出してください」
レオンはすぐには答えなかった。
噴水の音だけが静かに続き――やがて、彼は視線を下げたまま、小さく口を開いた。
「……半年前だ」
「半年前」
「叙勲式の時だよ。魔物の大群を退けた後で、王の前で褒賞を受けた。その時、アリアが……聖女が、祝いの言葉をくれた」
レオンの声は、少しずつ遠い記憶をなぞるようにゆっくりになっていく。
「皆が見ている前で、彼女は俺の手を取った」
そこで言葉が切れた。
ルカは急かさず、ただ待つ。
レオンの震えていた指先が、さらに強くこわばった。
「冷たかった」
やがて、彼は低く言った。
「……驚くくらい、冷たかったんだ」
ルカの目がわずかに細くなる。
レオンはまだ自分の手を見ている。
まるで、その時の感触が今も残っているかのようだった。
「冬の朝の石みたいだった。いや、それよりもっと……人の手じゃないみたいに冷えてた」
「脈は?」
「感じなかった」
その答えは、ひどく小さかった。
「一瞬、変だと思った。だけど、周りには大勢人がいたし……あの時の俺は戦いの後で頭もぼんやりしていた。聖女なんだから、普通の人とは違うんだって自分でそう思い込んだ」
レオンはそこで苦く笑った。
「馬鹿だよな。おかしいと思ったのに、見ないフリをしたんだ」
ルカはその言葉に、優しくも厳しくもならなかった。
「見ないフリをした人は、あなただけではなさそうです」
その淡々とした返しに、レオンは少しだけ顔を上げる。
ルカはなおも静かな目で彼を見ていた。
「では次です。聖女の【奇跡】について聞かせてください」
ルカの言葉を聞いて、レオンの表情が固くなる。
「……奇跡?」
「あなたは聖女の加護を受けて戦っていた。そうですね?」
「ああ、そうだ」
「どんな風に?」
それを聞いて、レオンはしばらく黙り込んだ。
言いたくないのだと、ルカにはわかった。
そこには痛みだけでなく、情けなさもあるのだろう。
けれど、ルカは待つだけだった。
慰めもしなければ、言葉を選んでやることもしない。
結局、折れたのはレオンの方だった。
「……最初は、傷が塞がるんだと思っていた」
彼はぽつりぽつりと話し始める。
「戦場で体中が痛んでも、アリアが祈ると少し楽になった。剣を握れないくらい腕がしびれても、立てないほど腹を裂かれても、彼女の前に行けばまた動けるようになった」
ルカは何も言わない。
レオンは自分の腕を押さえるようにしながら続けた。
「でも、治ってなんかいなかったんだ」
その声には、ようやく自分で気づいた人間の重さがあった。
「戦いが終わって、夜になると全部戻ってきた。痛みも、熱も、しびれも、傷の奥に残った嫌な感じも……全部」
「つまり、消えていたのは傷ではなく、痛みだけですか?」
「……そうだ」
レオンはうつむく。
「次の戦いが来るたび、また聖女の祈りを受けた。そうしないと立てなかったからだ。体はどんどん悪くなっていったのに、戦っている間だけは平気なふりができた」
風が吹き、木々の葉がかすかに揺れた。
中庭の明るさとは反対に、話の中身はどんどん重くなっていく。
ルカはようやく、ゆっくりと口を開いた。
「……なるほど、そうですか」
「これで、何がわかったか?」
「簡単に言いますと、聖女はあなたを治していたわけではありませんよ」
その言葉に、レオンの顔が強張る。
「では何だと」
「痛みを消していただけです」
「それは今、俺も言っただろう」
「いいえ。もっと正確に言うなら」
ルカはまっすぐにレオンを見た。
「――あなたの痛みを一時的にわからなくして、壊れかけた体を無理やり動かしていたんですよ」
真っ直ぐな瞳でそのように告げるルカの姿に、レオンの喉が微かに鳴る。
「それって……」
「死霊術に近いものです」
ルカの声はどこまでも静かだった。
「死体を動かす術を人間に使えば、似たことはできます。肉体そのものを良くするのではなく、反応を鈍らせる。痛みを感じる部分を眠らせる。そうすれば、壊れていても動ける」
レオンは言葉を失っていた。
ルカは続ける。
「あなたは加護を受けていたのではありません。戦えるように見せかけられていただけです」
「……そんな」
「薬で熱を下げても病気そのものが消えないのと同じです。いえ、それより悪いかもしれません。苦しさが見えなくなる分、壊れていることに気づけない」
レオンは長椅子の上でじっと動かなかった。
やがて、その手が膝の上で強く握られる。
「じゃあ俺は……」
その声は震えていた。
「――俺は、もうとっくに限界だったのに……気づかず戦っていたのか」
「……気づいていたはずですよ、レオン様」
ルカはあっさり言った。
「――ただ、見ないようにしただけです」
その一言は、慰めよりもずっと鋭くレオンに刺さったようだった。
彼は何かを言い返そうとして、できずに黙り込む。
しばらくして、顔を覆うように片手を上げた。
「……アリアは、知っていたのか」
その問いは、ルカに向けられたというより、自分自身に落としたもののように聞こえた。
「俺の体がもう駄目になってるって」
「おそらくは、ですけど……少なくとも、普通の治し方ではないと知っていたはずです」
レオンの肩が、わずかに震えた。
怒りなのか、悲しみなのか、後悔なのか、それは本人にもわからないだろう。
いくつもの気持ちが重なりすぎて、もう形になっていないのかもしれない。
ルカはその様子を見ながら、心の中で静かに考える。
やはりそうだ――聖女は救いではなかったんだ。
見た目だけ整った、壊れた仕組みだった。
人々は奇跡と呼び、勇者は支えと信じ、王国は希望の象徴として祭り上げた。
けれど、その中身はひどく冷たく、無理やりで、長く続ければ続けるほど人を壊すものだった。
それでも運用は続いた。
誰かが止めるまで。
誰かが壊すまで。
ルカは中庭に差し込む光の中で、ひとり静かに目を伏せた。
聖女アリアがいつ死んだのか?
誰に死なされたのか?
それも大事だ。
けれど今は、それ以上に見えてきたことがある。
死んだ後も聖女を動かし続けた者たちは、ただ秘密を隠したかったわけではない。
彼女という偶像を使い続けることで、いろいろなものを支えていたのだ。
勇者の戦いも、民の信仰も、そして王国の安定も。
だからこそ、この事件はただの死体の話では終わらない。
もっと大きな歪みが、この国にはある。
「うん、今日はこれで十分です」
ルカがそう言うと、レオンは顔を上げた。疲れ切った目をしていた。
「……十分?」
「ええ。あなたから聞きたい事は聞けましたから」
ルカは少しだけ間を置いてから言った。
「半年前には、もう聖女の体は冷たかった。脈もなかった。奇跡は治癒ではなく、痛みを消していただけだった」
その一つひとつを、確かめるように言葉にする。
「これで十分、次へ進めます」
レオンは長椅子に座ったまま、苦しそうに息を吐いた。
「お前は本当に……容赦がないな」
「必要がありませんから」
フフっと笑いながら、ルカはそう返す。
「優しい言葉は、真実を少し遅くするだけです」
それを聞いたレオンは、怒るでもなく、ただ力なく笑った。
「そうか……」
その笑いは乾いていて、少しだけ寂しかった。
そのままルカは背を向け、中庭の出口へ歩き出す。
春の光は明るいのに、その先に待つものは少しも明るくない。
それでも彼の足取りに迷いはなかった。
勇者は、もう聖女の奇跡なしでは戦えないところまで追い込まれていた。
ならば、その仕組みを作り、続けさせた者がいる。
そこに利益を見ていた者がいる。
ルカの頭の中では、すでに次の問いが形を取り始めていた。
――誰が死体を聖女にしたのか?
――誰がその嘘を守ったのか?
――そして誰が、その壊れた仕組みを最も必要としていたのか?
少年は中庭を抜けながら、小さく目を細めた。
ようやく、この王国の腐った部分が見え始めてきた気がした。
建国記念祭の日らしく、城の外からは遠くに人々のにぎわいが聞こえてくる。
楽器の音、笑い声、鐘の響き。
けれど、王城の奥にあるこの中庭だけは別の場所のように静かだった。
噴水の水音だけが、細く絶えず耳に届いている。
ルカはその水音を聞きながら、石造りの回廊の柱にもたれて立っていた。
やがて、重い足取りで勇者レオンが姿を見せる。
聖堂にいた時と同じく、その顔色は悪い。
目の下には濃い隈があり、立っているだけでもつらそうだった。
けれど、その疲れた様子以上に目立つのは、彼の手だった。
指先が、わずかに震えている。
ルカはそれを見逃さなかった。
「――座りますか?」
そう言って、庭の端にある石の長椅子を目で示す。
レオンは少しだけ驚いたような顔をしたが、無言でそこに腰を下ろした。
座る動き一つにも痛みをこらえるようなぎこちなさがある。
ルカも少し離れた場所に立ったまま、まっすぐに彼を見た。
「……レオン様は間違いなく疲れていますね」
その言い方には気づかう色がほとんどなかった。
事実をそのまま口にしただけの、平らな声だった。
レオンは苦く笑う。
「……聖女を守れなかったんだ。疲れていない方がおかしいだろ」
「え、そうでしょうか?」
ルカは首を少し傾けた。
「守れなかったことを悔やむのは自由です。でも、その感情で事実が変わるわけではありません」
ルカの言葉に対し、レオンの眉がぴくりと動く。
「お前は……本当に、そういう言い方しかできないんだな」
「感情は大事な時もあります。でも、今は邪魔です」
ルカはそう言い切った。
「自責も後悔も、今はただのノイズです。聞きたいのは、あなたの気持ちではありません。見た事と触れたことだけです」
春の風が、二人の間を静かに通り抜けた。
レオンは少しのあいだ黙っていたが、やがてゆっくりと息を吐いた。
「お前は……何を聞きたい」
「では簡単に申しますね。最後に、聖女アリアと肌が触れたのはいつですか」
あまりにもまっすぐな問いだった。
レオンは一瞬だけ目を見開く。
「肌が……?」
「ええ。服や手袋越しではなく、直接です」
ルカは表情を変えない。
「最後に彼女の手や肌に触れた時の事を、できるだけ正確に思い出してください」
レオンはすぐには答えなかった。
噴水の音だけが静かに続き――やがて、彼は視線を下げたまま、小さく口を開いた。
「……半年前だ」
「半年前」
「叙勲式の時だよ。魔物の大群を退けた後で、王の前で褒賞を受けた。その時、アリアが……聖女が、祝いの言葉をくれた」
レオンの声は、少しずつ遠い記憶をなぞるようにゆっくりになっていく。
「皆が見ている前で、彼女は俺の手を取った」
そこで言葉が切れた。
ルカは急かさず、ただ待つ。
レオンの震えていた指先が、さらに強くこわばった。
「冷たかった」
やがて、彼は低く言った。
「……驚くくらい、冷たかったんだ」
ルカの目がわずかに細くなる。
レオンはまだ自分の手を見ている。
まるで、その時の感触が今も残っているかのようだった。
「冬の朝の石みたいだった。いや、それよりもっと……人の手じゃないみたいに冷えてた」
「脈は?」
「感じなかった」
その答えは、ひどく小さかった。
「一瞬、変だと思った。だけど、周りには大勢人がいたし……あの時の俺は戦いの後で頭もぼんやりしていた。聖女なんだから、普通の人とは違うんだって自分でそう思い込んだ」
レオンはそこで苦く笑った。
「馬鹿だよな。おかしいと思ったのに、見ないフリをしたんだ」
ルカはその言葉に、優しくも厳しくもならなかった。
「見ないフリをした人は、あなただけではなさそうです」
その淡々とした返しに、レオンは少しだけ顔を上げる。
ルカはなおも静かな目で彼を見ていた。
「では次です。聖女の【奇跡】について聞かせてください」
ルカの言葉を聞いて、レオンの表情が固くなる。
「……奇跡?」
「あなたは聖女の加護を受けて戦っていた。そうですね?」
「ああ、そうだ」
「どんな風に?」
それを聞いて、レオンはしばらく黙り込んだ。
言いたくないのだと、ルカにはわかった。
そこには痛みだけでなく、情けなさもあるのだろう。
けれど、ルカは待つだけだった。
慰めもしなければ、言葉を選んでやることもしない。
結局、折れたのはレオンの方だった。
「……最初は、傷が塞がるんだと思っていた」
彼はぽつりぽつりと話し始める。
「戦場で体中が痛んでも、アリアが祈ると少し楽になった。剣を握れないくらい腕がしびれても、立てないほど腹を裂かれても、彼女の前に行けばまた動けるようになった」
ルカは何も言わない。
レオンは自分の腕を押さえるようにしながら続けた。
「でも、治ってなんかいなかったんだ」
その声には、ようやく自分で気づいた人間の重さがあった。
「戦いが終わって、夜になると全部戻ってきた。痛みも、熱も、しびれも、傷の奥に残った嫌な感じも……全部」
「つまり、消えていたのは傷ではなく、痛みだけですか?」
「……そうだ」
レオンはうつむく。
「次の戦いが来るたび、また聖女の祈りを受けた。そうしないと立てなかったからだ。体はどんどん悪くなっていったのに、戦っている間だけは平気なふりができた」
風が吹き、木々の葉がかすかに揺れた。
中庭の明るさとは反対に、話の中身はどんどん重くなっていく。
ルカはようやく、ゆっくりと口を開いた。
「……なるほど、そうですか」
「これで、何がわかったか?」
「簡単に言いますと、聖女はあなたを治していたわけではありませんよ」
その言葉に、レオンの顔が強張る。
「では何だと」
「痛みを消していただけです」
「それは今、俺も言っただろう」
「いいえ。もっと正確に言うなら」
ルカはまっすぐにレオンを見た。
「――あなたの痛みを一時的にわからなくして、壊れかけた体を無理やり動かしていたんですよ」
真っ直ぐな瞳でそのように告げるルカの姿に、レオンの喉が微かに鳴る。
「それって……」
「死霊術に近いものです」
ルカの声はどこまでも静かだった。
「死体を動かす術を人間に使えば、似たことはできます。肉体そのものを良くするのではなく、反応を鈍らせる。痛みを感じる部分を眠らせる。そうすれば、壊れていても動ける」
レオンは言葉を失っていた。
ルカは続ける。
「あなたは加護を受けていたのではありません。戦えるように見せかけられていただけです」
「……そんな」
「薬で熱を下げても病気そのものが消えないのと同じです。いえ、それより悪いかもしれません。苦しさが見えなくなる分、壊れていることに気づけない」
レオンは長椅子の上でじっと動かなかった。
やがて、その手が膝の上で強く握られる。
「じゃあ俺は……」
その声は震えていた。
「――俺は、もうとっくに限界だったのに……気づかず戦っていたのか」
「……気づいていたはずですよ、レオン様」
ルカはあっさり言った。
「――ただ、見ないようにしただけです」
その一言は、慰めよりもずっと鋭くレオンに刺さったようだった。
彼は何かを言い返そうとして、できずに黙り込む。
しばらくして、顔を覆うように片手を上げた。
「……アリアは、知っていたのか」
その問いは、ルカに向けられたというより、自分自身に落としたもののように聞こえた。
「俺の体がもう駄目になってるって」
「おそらくは、ですけど……少なくとも、普通の治し方ではないと知っていたはずです」
レオンの肩が、わずかに震えた。
怒りなのか、悲しみなのか、後悔なのか、それは本人にもわからないだろう。
いくつもの気持ちが重なりすぎて、もう形になっていないのかもしれない。
ルカはその様子を見ながら、心の中で静かに考える。
やはりそうだ――聖女は救いではなかったんだ。
見た目だけ整った、壊れた仕組みだった。
人々は奇跡と呼び、勇者は支えと信じ、王国は希望の象徴として祭り上げた。
けれど、その中身はひどく冷たく、無理やりで、長く続ければ続けるほど人を壊すものだった。
それでも運用は続いた。
誰かが止めるまで。
誰かが壊すまで。
ルカは中庭に差し込む光の中で、ひとり静かに目を伏せた。
聖女アリアがいつ死んだのか?
誰に死なされたのか?
それも大事だ。
けれど今は、それ以上に見えてきたことがある。
死んだ後も聖女を動かし続けた者たちは、ただ秘密を隠したかったわけではない。
彼女という偶像を使い続けることで、いろいろなものを支えていたのだ。
勇者の戦いも、民の信仰も、そして王国の安定も。
だからこそ、この事件はただの死体の話では終わらない。
もっと大きな歪みが、この国にはある。
「うん、今日はこれで十分です」
ルカがそう言うと、レオンは顔を上げた。疲れ切った目をしていた。
「……十分?」
「ええ。あなたから聞きたい事は聞けましたから」
ルカは少しだけ間を置いてから言った。
「半年前には、もう聖女の体は冷たかった。脈もなかった。奇跡は治癒ではなく、痛みを消していただけだった」
その一つひとつを、確かめるように言葉にする。
「これで十分、次へ進めます」
レオンは長椅子に座ったまま、苦しそうに息を吐いた。
「お前は本当に……容赦がないな」
「必要がありませんから」
フフっと笑いながら、ルカはそう返す。
「優しい言葉は、真実を少し遅くするだけです」
それを聞いたレオンは、怒るでもなく、ただ力なく笑った。
「そうか……」
その笑いは乾いていて、少しだけ寂しかった。
そのままルカは背を向け、中庭の出口へ歩き出す。
春の光は明るいのに、その先に待つものは少しも明るくない。
それでも彼の足取りに迷いはなかった。
勇者は、もう聖女の奇跡なしでは戦えないところまで追い込まれていた。
ならば、その仕組みを作り、続けさせた者がいる。
そこに利益を見ていた者がいる。
ルカの頭の中では、すでに次の問いが形を取り始めていた。
――誰が死体を聖女にしたのか?
――誰がその嘘を守ったのか?
――そして誰が、その壊れた仕組みを最も必要としていたのか?
少年は中庭を抜けながら、小さく目を細めた。
ようやく、この王国の腐った部分が見え始めてきた気がした。



