死せる聖女の二度目の沈黙 ―13歳の鑑定士と腐敗なき密室―


 事件が終わってから、数日が経った。

 王城の空気はようやく落ち着きを取り戻しつつあったが、完全に元通りというわけではなかった。
 聖女の死、教会の処理、騎士団長バルガスの拘束、大神官サリエルの裁定、そして民衆へどこまで事実を伏せ、どこからを公表するのか――表向き静かに見えてもその裏ではまだ多くのものが軋んでいる。
 レオンもまた、その軋みの一部に巻き込まれていた。
 勇者として呼ばれ、説明を求められ、時に黙って立っているだけでいいからと場に引っ張り出される。
 前なら当たり前にこなしていたはずの役目も、今は身体にひどく堪えた。
 だからこそその日の午後、ルカから届いた短い手紙を見た時、レオンは少しだけ眉をひそめた。

 ――来てください。
 ――用があります。
 ――フォール家まで。

 相変わらず簡潔すぎる文面だった。
 礼儀があるのかないのかわからないところまで、実にルカらしい。
 指定された屋敷は、王都の貴族街の端にあった。
 伯爵家の屋敷としては派手すぎず、しかし質素すぎもしない。
 整えられた前庭と、白い石壁、落ち着いた意匠の窓枠。
 どこか実務的で、見栄より整頓を優先した家に見える。
 その印象はあの少年に少し似ているな、とレオンは思った。
 案内された応接間の前で扉が開いた時、最初に現れたのはルカではなかった。

「――あら?」

 柔らかな声がした。
 そこに立っていたのは、蜂蜜色の髪を肩口で結んだ若い女性だった。
 年の頃は二十代前半ほどだろうか。
 整った顔立ちに、よく笑いそうな口元。
 けれど目元には気の強そうな光もある。

「勇者様、本当に来てくださったのね。よかったわ、うちのルカったら説明が足りないでしょう?」
「……あなたは?」
「姉です」

 にっこりと、彼女は笑った。

「フィオナ・フォール。ルカの姉をやっています」

 そのすぐ後ろから、もう一人、よく似た顔立ちの青年が姿を見せた。
 こちらも同じく蜂蜜色の髪。
 女性より少し落ち着いた雰囲気で、眼鏡をかけている。

「兄のエリオットです。ようこそ勇者殿」

 双子だ、とレオンはすぐにわかった。
 顔立ちも、目元の形もよく似ている。
 性格は少し違いそうだが、それでも並ぶと一目で同じ家の人間だとわかる。
 レオンが軽く会釈すると、フィオナがくすりと笑う。

「そんなに固くならなくて大丈夫よ。今日は事件の話……でもあるけど半分はお礼みたいなものだから」
「お礼?」
「ルカ、最近ちょっとだけ人間らしくなったのよ」

 あまりに唐突な言い方に、レオンは思わず黙った。
 その反応がおかしかったのか、フィオナは肩を揺らして笑う。

「何その顔。わかるでしょう?あの子、大人っぽくて可愛らしくないのよ」
「……姉さん」

 部屋の奥から、すっと冷えた声が割り込んだ。
 見ると、窓辺の椅子にルカが座っていた。
 いつもの黒い服ではなく、家の中らしい落ち着いた濃紺の服装だ。
 けれど背筋の伸び方も、ものを見る目の冷たさも、やはりいつものままだった。

「可愛らしさを求めないでくださいね」
「ほら、そういうところよ」
「別に問題ないでしょう?」

 ルカは紅茶のカップを持ち上げながら、平然と答えた。
 フィオナは呆れたように息をつく。

「問題あるわよ。もう少し年相応に拗ねたり甘えたりしてもいいのに」
「必要がありません」
「もうっ!」

 そのやり取りを見て、レオンはしばらく言葉を失っていた。
 王城や聖堂で見るルカは、いつだって誰より冷静で、誰より遠慮がなく、刃物のような言葉を平然と投げる少年だった。
 だが今、家族の前にいる彼は、冷たいのは同じでもどこか扱われ方が違う。

 ルカが、【弟】として扱われている。

 それが妙に不思議だった。
 エリオットが苦笑しながら、レオンへ席を勧めた。

「驚かれましたか」
「……少しな」
「ですよね。外ではあんなですが、家では一応、弟なんです」
「一応は余計です、兄さん」
「その言い方がすでに弟っぽくないんだよ、ルカ」

 さらりと返され、ルカは眉を寄せる。
 その顔がほんの少しだけ不服そうに見えて、レオンは内心で驚いた。
 こんな表情もするのか、と。
 席につくと、フィオナが自ら紅茶を注いでくれた。
 香りの良い茶葉――応接間はあたたかく、窓から差し込む午後の光もやわらかい。
 王城の石造りの冷えた空気とは違う、ちゃんと人の住む家の匂いがした。

「でもね」

 カップを置きながら、フィオナが言った。

「可愛らしくないのは本当だけど、まあ、私からしたらかわいいのよ」
「やめてください」
「嫌よっ!」
「話が進まないので」
「いいじゃない。勇者様もたぶん聞きたいでしょう?」
「いや……まあ……少しは」

 そう言うと、フィオナは満足そうに笑った。
 ルカは露骨に嫌そうな顔をしたが、席を立つ気はないらしい。

「この子ね、小さい頃から妙に落ち着いてたの。泣き方まで遠慮がちだし、玩具を渡しても壊しもしなければはしゃぎもしないし」
「聞かなくていいですよ、レオン様」
「でも少し面白いな」
「ちょ、裏切りましたね」

 ルカがじと、とレオンを見る。
 その視線に、レオンは思わず口元を緩めた。

(まぁ……死んだのは四十歳のおじさんだったので、そりゃそうだろう)

 もちろん、そんな本当の理由は誰も知らない。
 この家の誰も、目の前の少年の中に前世の記憶があり、しかも心のどこかで犯罪卿モリアーティに憧れているなど想像すらしないだろう。
 だが、そう思うと妙に可笑しかった。
 この落ち着きすぎた態度も、妙に達観した視線も、家族から見れば【可愛げがない弟】でしかないのだ。

「両親が亡くなった後、この子はずっと私たちと一緒だったから」

 今度はエリオットが静かに言った。
 声は穏やかだったが、その中には長い時間の重みがある。

「育てる、なんて大げさなものじゃないけどね。ただ、気づいたら一緒にいて、気づいたらあの性格になっていた」
「まるで僕が自然発生したみたいな言い方ですね」
「似たようなものだろう?」
「ひどい家族です……」

 そう言いながらも、ルカは本気で怒ってはいなかった。
 レオンにはそれがわかった。
 この家には、この家だけの距離感がある。
 外から見れば棘のある応酬でも、ここではちゃんと通じる言葉なのだろう。
 フィオナがふと、レオンを見た。

「でも、ありがとうね」
「……何がだ?」
「ルカと一緒にいてくれて」

 その言葉はあまりにも自然で、レオンは少しだけ面食らった。
 ルカが露骨に顔をしかめる。

「別に世話をされた記憶はありませんが……」
「はいはい。そういうことにしておきましょうね」
「――姉さん」
「でも本当に、少しだけ変わったのよ。外の人の話をするようになったし」

 フィオナのその言葉に、ルカはついに言葉に詰まった。
 ほんの一瞬だったが、返す言葉が見つからなかったらしい。
 それを見て、レオンはとうとう笑ってしまった。
 王城で、聖堂で、どれだけ冷たく切り込んでも揺らがなかったルカが、家族の前ではこうして言葉に詰まる。その事実が何だか妙におかしかったのだ。

「……何ですか、その笑いは」
「いや。お前にも勝てない相手がいるんだなと思って」
「非常に不本意です」
「でしょうねえ」

 フィオナが嬉しそうに頷く。
 エリオットも肩をすくめて笑っていた。

 応接間には、しばらく穏やかな空気が流れた。
 事件の話も、聖女のことも、王国の嘘も、まだ完全に終わったわけではない。
 レオンの身体も、ルカのこれからも簡単に片づく問題ではない。
 それでも、こうして人の家のあたたかい部屋で他愛のないやり取りをしていると、世界はまだ少しだけ続いていくのだとわかる。
 ルカは紅茶を一口飲み、それから小さく息を吐いた。

「……姉さん」
「何?」
「もう少し静かにしてください。恥ずかしいので」
「あら」

 フィオナはぱちぱちと瞬きをしたあと、ふっと笑った。

「今の、ちょっとかわいかったわよ」
「……気のせいです」
「そういうところがね」
「もう……」

 その呟きに、今度はレオンだけでなくエリオットまで笑ったのだった。