死せる聖女の二度目の沈黙 ―13歳の鑑定士と腐敗なき密室―

 本棚の奥に隠されていた通路は、思っていたよりも長かった。
 幅は大人一人がようやく通れるほどしかなく、石造りの壁はひどく冷たい。
 灯りはなく、レオンが手にした小さな魔道灯だけがぼんやりと前を照らしていた。
 足元には長く人の出入りがなかったような埃が積もっている。
 だがその上には、ところどころ新しい靴跡も残っていた。
 ルカは黙って歩きながら、その跡を目で追った。

「……教会の中に、こんな場所があったなんてな」
「多分、隠していたからでしょう?知られて困るものほど、建物の奥に押し込められるものだと思います」
「嫌な言い方だな」
「実際、嫌なものじゃないですか?」

 フフっと静かに笑った後、ルカは足を止めることなく言う。

「隠し部屋なんて、だいたいろくなものを隠していません」
「……お前、そういうところだけ妙に慣れてるな」
「観察しているだけです……慣れたくて慣れたわけじゃありませんから」

 そのように言いながら、ルカは歩き続ける。
 レオンはそんなルカの姿を、ただ見つめる事しか出来ない。
 通路は途中でゆるく下へ折れ、やがて小さな祈祷室のような空間へ出た。
 壁には色あせた聖印が刻まれ、朽ちかけた長椅子が二脚隅に寄せられている。
 表向きは使われなくなった部屋に見えるが、そこにも違和感があった。
 空気が冷えすぎている。
 しかも、ただ寒いのではない。
 石の床の下からじわじわと染み出してくるような、保存庫めいた冷たさだった。
 ルカは室内を見回し、すぐに奥の壁へ視線を止めた。
 そこだけ石の色がわずかに違う。
 祈祷文を刻んだ装飾板がはめ込まれているが、周囲の漆喰に新しい補修の跡があった。

「……あれか」

 レオンが呟く。
 ルカは頷き、壁の前まで歩み寄る。
 指先で石の継ぎ目をなぞると、微かな痺れが返ってきた。

「うん……簡易封印ですね」
「破れるのか?」
「仕組みは単純です。侵入者を拒むというより、中を見られないよう時間を稼ぐためのものみたいですね」

 ルカは目を細め、装飾板に刻まれた文様を読み取っていく。

「右上と左下に術の結び目があります。そこを無理やり壊せば開く。ただし、反動で魔力が弾けるかもしれません」
「なら、俺がやる」
「ええ、お願いします。こういう時のための勇者でしょう?」
「そういう言い方しかできないのか、お前は」
「え!?褒めているつもりですが……」
「……全然そうは聞こえない」

 呆れたように言いながらも、レオンは片手を壁に当てる。
 傷んだ体にはまだ無理があるはずなのに、こういう場面では迷わない。
 ルカは一歩下がり、静かに告げた。

「三つ数えたら、右上から。力で押し切ってください」
「わかった」
「一、二、三っ!」

 次の瞬間、鈍い音がした。
 レオンの腕に力がこもり、封印の線が一瞬だけ青白く浮かび上がる。
 そして、細いひびのような光が走り、ぱき、と乾いた音を立てて術式が割れた。
 続けて左下も崩れる。冷気が奥から一気に噴き出し、二人の髪と服を揺らした。
 石板がゆっくりと奥へずれ、暗い入口が口を開ける。

「……冷たいな」
「ええ」

 レオンの眉を動かしつつ、ルカはその奥を見つめたまま言った。

「嫌な冷たさです。生きた場所の冷え方じゃない、ですね……」

 開けた瞬間、中はひどく寒かった。
 普通の地下室ではない。
 死を閉じ込めておくためだけに作られたような空気だった。部屋の床一面には淡い青の魔法陣が重なり合い、円と文字が幾重にも描かれている。壁際の棚には大小さまざまな薬瓶が並び、白い札が貼られた箱や、封をされた金属筒が積み上げられていた。甘い香りで薬臭さを誤魔化した防腐液の匂いが、冷気の中に薄く混じっている。
 さらに奥には、数え切れないほどの魔石が置かれていた。
 そこには透明なもの、青いもの、赤黒いもの――どれも使用済みらしく、内側の光が弱々しい。
 術の燃えかすのように見えた。
 そして、壁に打ちつけられた板の上には、古い術式メモが何枚も留められていた。

 ――人体構造の図。
 ――魔力の流れを示す線。
 ――命令語の並び。

 それらは神聖な祈りの記録などではない。
 まるで実験したようなメモ。
 どうすれば壊れたものを動かし続けられるか、その試行錯誤の跡だ。
 レオンが息を呑む音がした。

「……なんだ、これは」
「工房ですね……【奇跡】を作るための場所じゃない。壊れたものを、壊れたまま使い続けるための場所です」
「っ……」

 レオンは顔をしかめた。
 あまりにも予想外の光景に、レオンは喉の奥からうまく言葉が出なかった。

「っ……そ、んな言い方……」
「他に言いようがありませんよ」

 ルカの声は静かだったが、目は鋭かった。
 それから二人の視線は、もう部屋の中央へ引き寄せられていたからだ。
 そこには、低い台座が置かれていた――台座の上には、透明な魔力容器。
 水晶に似た厚い壁に閉じ込められた青白い液体が、かすかに揺れている。
 その中心で、赤黒いものが静かに浮かんでいた。

 心臓だった。
 人間の心臓。

 けれど、ただの臓器ではない。
 黒い糸のような術式が表面を這い、ところどころに小さな魔石の欠片が縫い込まれている。
 鼓動はなく、そして生きてはいない。
 なのに、それは妙な存在感を持って、部屋の真ん中でじっとこちらを見返しているようだった。
 レオンが一歩、後ずさる。

「……アリア……」

 その名は、ほとんど吐息だった。
 ルカは容器の前まで近づく。
 ガラス越しに見えるそれは、祭壇に倒れていた聖女の姿よりもずっとむき出しで、ずっと冒涜的だった。
 これが【核】だとすぐに理解出来た。
 死体を動かし続けるための中心。
 聖女アリアを聖女のまま立たせ、笑わせ、祈らせるために、誰かが彼女から切り離し、それでも手放さなかったもの。
 部屋は静まり返っているのに、ここだけがまだ術の余熱を持っているように見える。
 ルカは低く呟いた。

「……見つけましたね」

 レオンは答えない。
 青ざめた顔で、ただその心臓を見つめている。
 怒りなのか、悲しみなのか、それとも恐怖なのか、自分でも整理できない顔だった。

「こんなものを……こんなものを、ずっと……」

 言葉は最後まで続かなかった。
 ルカは容器から目を離さずに返す。

「ええ。ずっとです」
「アリアを、こんな風に使っていたのか」

 その声には、怒りと嫌悪がにじんでいた。

「……そうでしょうね。だからこそ、ここまで隠したんですよ」

 ルカの言葉を聞いたレオンは容器の前に立ったまま拳を握る。

「俺たちは、何を見てたんだ……」
「見せたいものだけを見せられていたんですよ、きっと」

 ルカはフフっと笑みを見せながら、それをレオンむけていった。

「――あなたも、王女も、民も。全員が」

 ルカの笑いを見て、レオンはしばらく黙っていた。
 そして、小さく息を吐く。

「……最悪だな」
「ええ、そうでしょうね。僕もちょっと気持ち悪くて何も言えませんよ」

 ルカがそのように言った後、しばらく、二人ともそれ以上は何も言わなかった。
 そして、二人は初めて、同じ異常を真正面から見ていた。

 ――これが真実なのか?

 ルカはそのように感じながらも、静かに臓器に目を向けていたのだった。