鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~

彼は刀を深く地面に突き立て、全身の筋肉を強張らせながら、内側から食い破ろうとする何かに抗っているように見える。
歯を食いしばる音が、風の唸りの中でも聞こえた気がした。
動転して駆け寄ろうとした私の襟首を、別の隊士が掴み、強引に距離を取らされる。

「離れて!!近寄っちゃダメだ!!」
「隊長!!」
「早く!隊長が、呑まれる……っ!!」
「隊長……!これは、鬼の毒か……!」

駆け付けた数人の隊士たちが、次々に絶望に満ちた声を上げる。
先ほどまで鬼を斬り伏せていた人たちの顔から、血の気が引いていた。
それが、この異変の恐ろしさを何より物語っていた。

「隊長の(つがい)は!?」
「馬鹿を言え!隊長に番などいないだろう!!」
「しかし、このままでは隊長が……本物の鬼に、堕ちてしまう!!!」

鬼に……?
半人半鬼という噂は、本当だったのだ。
まさか、この人が人の心を失い、あの化け物になってしまうというの。
私を……名前すら知らない私を、庇って傷を負ったせいで……?

隊長と呼ばれたその人。
きっと、多くの命を背負い、この国を護るために無くてはならない人なのだろう。
隊士たちが縋るように彼を見つめる理由が、私にも少しだけ分かる。
そして何より——今、この窮地で彼がいなくなったら、どれほどの損失なのだろう。

「あの……その番とやらは、私でも務まりますか?」
「は……?いや、ですが……」
「私にできることなら、何でもします」

彼らの切羽詰まった口振りからすれば、番と呼ばれる存在がいれば、彼をあの状態から救い出せる。
ならば、助けてもらった私が、今ここでやらなければならないことは、一つしかない。

怖くないわけではない。
足は震えているし、胸の奥は今にも潰れそうだ。
できるなら、今すぐにでも逃げ出したい。
それでも、私を庇って血を流すこの人を、ただ見ていることはできなかった。

「教えてください!その、方法を……!」

叫ぶ私の声は、夜の静寂を切り裂いて響いた。
自分のものとは思えないほど、強く、まっすぐな声だった。

つい先刻までは、絶望の淵でこのまま命を落としても構わないとさえ思っていた。
けれど、私は今、こうして生かされている。
この人に、拾い上げられた。

ならば、今度は私が手を伸ばす番だ。

「……あなたの、一生を捧げる覚悟が要ります」
「一生……」
「それは、もはや人としての平穏を捨てるということにもなります」

その言葉の重みが、ずしりと胸に沈み込む。
ほんの数分前までは、ただの行きずりの者同士。
助けた者と、助けられた者。
それだけの関係でしかなかったはずなのに。

けれど、私の魂は、この時のために生かされたのだと。
根拠のない確信が、凍りついた心を動かす。
ここで背を向ければ、私はきっと、この先どれほど生き延びても、自分を許せない。

「構いません!私が、この方を助けます。どうか、助けさせてください!」
「……わかりました。これより先は、あなたの命を隊長に預けることになる」

隊士の沈痛な声から最小限の手引きを受け、私は必死に抗うその人へと、一歩を踏み出した。

あんなに恐ろしいと感じていた死の気配。
けれど、今私が感じているのは恐怖ではない。
私を襲った化け物への忌むべき感情と、目の前の彼を蝕む痛みへの、やり場のない憤りだった。

彼の本能に、すべてを委ねる。
後は、この身を捧げる覚悟を、魂に刻み込むだけ。

不思議なほど、迷いは無かった。
ただ、ただ。
私を救ってくれたこの人を、闇の底から引き戻したい。

近づくほどに猛る熱風が、肌を焼き焦がさんばかりに吹き荒れる。
乾いた風に目を射られ、視界は白く霞んでいく。
乱れた髪が激しく舞い上がり、頬を打つ。
それでも、足は止まらなかった。

彼が大地に深く突き立てた、抜き身の刃。
そのもとへと辿り着くと、荒れ狂っていた風がふっと和らいだ。
まるで、台風の目のように、一時だけ訪れる静けさのように。
私は、彼の目の前に静かに膝をついた。

「先ほどは、命を救っていただき……ありがとうございます」

紅く、燃えるように充血した瞳。
苦痛に歪むその貌へ、私は震える指先をそっと伸ばした。
熱い。肌に触れる寸前の空気まで、燃えているようだった。

「今度は、私の番です……。貴方の苦しみを、私にください」