鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~

確かに面影はある。
けれど、実の息子をこれほどの形相で睨むなんて。
昨日までの私なら、きっと何も言えずに俯いていただけだ。
けれど今は、朔夜の頬に残った痛々しい赤みと、お母様を交互に見つめる。

「このっ……!いよいよもって、本物の化け物に成り果てるとは!!」

化け物……。
自分の息子に向かって、なんて酷いことを。
胸の奥で、何かが小さく弾けた。

「待ってください、朔夜は化け物なんかじゃ……」

堪り兼ねて言いかけた私に、キッと鋭い眼差しが向けられた。
それだけで、胸の奥を刃で撫でられたように息が詰まる。

「あなたのせいですわ!!この子が、救いようのない化け物になったのは!!!」
「私の、せい……?」
「そうですわ!番さえいなければ、まだ人の血を知らずにいられたのに……!人の尊厳を保ったまま、死なせてあげられたのに!!!」

何を言っているのか、理解が追いつかない。
朔夜はどう見ても人間だ。
冷たい言葉はあっても、その手には確かな熱があった。
乱暴で、不器用で、けれど私を庇って血を流した人。
少なくとも、私にはただ一人の人間にしか見えない。

「人の生き血を啜って命を繋ぐ、生き汚い化け物に成り下がって!どれほどわたくしを不幸にしたら気が済むの!!」
「落ち着いてください、母上。もう、その辺りで」

一歩、朔夜が前に進み出ると、彼の母は怯えたように一歩後ずさった。
その反応に、胸がひやりと冷える。
実の母でさえ、この人を恐れているのだろうか。

「くっ……!」
「母上。勘違いしてはいけません。彼女は——ただの、被害者だ」

その声は、どこまでも静かで。
そして、触れれば壊れてしまいそうなほど、悲しい色を帯びていた。

被害者?
……私は被害者だなんて、微塵も思っていないのに。

ただ、絶望の淵から救い上げられ、命を助けてもらっただけ。
それなのに、初対面の人が勝手に加害者と被害者の枠に当てはめ、断罪しようとする。
その身勝手な決めつけに、私はただ戸惑うしかない。

「……私も彼女も、昨晩戻ったばかりです。母上、お引き取りを」

なおも罵声を浴びせようとするお母様を、朔夜は冷徹なまでの静けさで制し、部屋から連れ出していく。
私はその光景を、ただ呆然と立ち尽くして見つめることしかできなかった。
座ることも忘れ、石のように固まっていた私のもとへ、やがて朔夜が戻ってくる。

「……不快な思いをさせたな」

なんと声をかければよいのか。
聞きたいことは山ほどある。
けれど、今彼に贈るべき言葉は、安っぽい慰めなどではない気がした。
鉄の仮面のように無表情を貫く彼の瞳の奥に、私は確かに、深い泥濘のような哀しみを見たから。

「吸ってください!いくらでも、私の血を……!」

衝動のまま、朔夜の首元に腕を回すと、強引に自分の首筋へと引き寄せる。
彼の肩が、ほんのわずかに強張るけど、それでも離さなかった。

私は被害者ではない。
そして、この人も加害者などではない。
誰に脅迫されたわけでもない。懇願されてもいない。
私自身の意志で、この人に命の一部を分かち合うと決めたのだから。

「私が、絶対に貴方を鬼になどさせません!貴方は、私と共に、一人の人間として生きるんです……!」

抱きしめたその身体は、戦う男そのもの。
想像していたよりもずっと大きく、熱く、力強い。
なのに、どこか痛々しい。

抱きしめているはずなのに、いつの間にか私の方が、彼の大きな存在感に抱きしめられているような——そんな、不思議な包容感に包まれていた。

「……阿呆(あほ)。俺が誰だと思っている。鬼狩りの一番隊隊長だぞ」
「むっ。それが何だというんですか。隊長であっても、人間でしょう?」
「そうだな。まずは、鬼狩りと番の関係について、一から学んでもらう必要がありそうだな」

不意に彼の手が私の腕に添えられ、身体をそっと離した。
離れた途端、首筋に残る熱が、やけにはっきりと意識してしまう。

「あ、あのっ!私の家族がどうなったのか知りたいんです。知る方法はありますか?」
「お前、独りじゃなかったのか?」
「……その、家族は、先に逃げてもらっていて……」
「俺は、今夜から任務で数日間、皇都を離れる」
「え!?……私は、どうすれば?」
鬼省庁(きしょうちょう)の庁舎へ話を通してある。明朝、向かうといい。家族のことも聞けるはずだ」
「あの、それもですけど、先ほど、鬼狩りの場にも連れて行くって……!」
「ああ。だが、今回は番を必要とするほどの鬼ではない。番は、留守番だ」

留守番。
その言葉に、どこかで安堵している自分に気づく。

いけない。
たった今、鬼にさせないと言い切ったばかりなのに。
こんな逃げ腰では、鬼と戦う彼の番など到底務まらない。

「でも、本当に大丈夫ですか?その、怪我とか……」
「舐めるなよ。俺は、強い」

そう言って、彼は子どもをあやすように、私のおでこを指先でぴん、と弾いた。

「っ!痛っ……!」

軽い痛みなのに、妙に胸まで響く。

強い。
確かに、この人は強いのだろう。
あの日、月光の下で迷いなく鬼を斬り伏せたあの光景は、今も私の網膜に鮮烈に焼き付いている。
目で追うこともできないほどの速さのまま、一瞬で鬼を斬り伏せていた。

それでも——あの日、私を庇って深手を負ったのも、また事実なのだ。

これから先。
戦地へと向かうこの人の背中を、私は幾度、こうして見送ることになるのだろう。

「そろそろ、向かう」
「あ、私もお見送りに……」
「わざわざ不要だと言っただろう」
「でも。『行ってらっしゃい』くらい、言わせてください」
「……そうか」

玄関まで、彼の後を追う。
部屋の設えから察してはいたが、ここは想像を絶する広壮な屋敷だった。
長い廊下の先にはまた別の廊下が続き、磨き込まれた床に行灯の明かりが淡く揺れている。
どれほど多くの部屋を通り過ぎただろう。
玄関の壮大さと、そこに居並ぶ使用人たちの多さに、私は圧倒されるばかり。

不要だと言いつつ、玄関には多くの人が集まっていた。
きっと彼らも、言葉には出さずとも朔夜の身を案じているに違いない。
誰も大きな声は出さない。

無骨な軍靴を履く朔夜の後ろを、私は草履を履いて慌てて追いかけた。

番になった影響なのだろうか。
まだ出会って間もないというのに、この人と離れることに、胸が締め付けられるような不安を覚える。
こんな落ち着かない心地になるくらいなら、いっそどこへでも連れて行ってほしい。
そんな甘えが、ふと胸をかすめる。

けれど、私を守ると言ったこの人は、きっと本当に必要な時以外、私を危険な場へは立たせないのだろう。

「行ってらっしゃい。気を付けてください」
「……」
「……?どうかしましたか?」
「……見送りは不要だと言ったが」

漆黒の外套が、風に揺れる。
朔夜は制帽を深く被り直し、こちらを振り返ることなく、独り言のように言葉を紡いだ。

「——悪くない、気がした」
「……なら、『お帰りなさい』も言わせてくださいね」
「ああ」

短い返事だったけれど、その一音だけで、胸の奥に灯がともる。
私が帰りを待つことを、この人は拒まなかった。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
少しだけ、息がしやすくなる。

短く一言だけ答えて、彼は門の外へと足を踏み出した。
門の向こうには、同じ深紅と黒の制服を纏った隊士たちが、整然と隊長を待ち構えていた。
おそらく、彼が率いる一番隊の人たちなのだろう。

朔夜が先頭に立つと、空気が変わった。
先ほどまで私の額を弾いていた人と、同じ人とは思えない。
誰もがその背に従い、闇の中へ進んでいく。

そのまま、朔夜は一度も後ろを振り返ることなく闇へと消え、バタン、と重厚な音を立てて門が閉ざされた。

「ただ待つだけというのは、想像以上に……辛いかも」

誰に聞かせるでもなく。
ぽつりと零した独白は、冷たい風と共に月夜の静寂へと紛れ、消えていった。