バイト終わりの集団帰宅はここのところずっと気まずい。
史人さんとはぎくしゃくしたままだし、今日は東とももめてしまった。
東の昼間のあれの意味はよくわからないが、多分、俺を心配したがためなんだろう。なんでもストレートに言うやつだから、裏なんてないんだって思う。
一方の史人さんが俺に対して態度を硬化させたのは、俺の失言のせいだってわかっている。だから謝ったら許してもらえるかもしれない。でも俺は謝りたいかどうかもよくわかっていない。
――実弥。お前なあ。
実弥って呼び捨てだった。彼女だから当たり前だろうけど、史人さんが女子のことを名前で呼んでいるのを俺は見たことがない。バイト先でもみんな苗字プラスさんで呼んでたし。
彼女を呼ぶときの声は俺の名前を呼ぶときとどう違うのか、ついつい比較しようとする自分が本気で、嫌だ。
「四宮さん」
不意に硬い声が響き、俺の思考を破る。声の主を確かめると、東が立ち止まっていた。数歩先を歩いていた俺と史人さんも立ち止まる。
「なに? 東くん」
史人さんがスマホ片手に振り返る。最近の史人さんは会話せず、スマホを眺めていることが増えた。それもまた俺の心を軋ませる原因だった。
「四宮さんって千冬のこと、どう思ってますか」
「……な……?」
頓狂な声を上げた俺の横ですうっと史人さんが視線をスマホから上げるのがわかった。ぱたん、とスマホカバーが閉じられる。
「どうって?」
国道を抜け、市街地に入った場所だったから車の通りはほぼない。等間隔に灯された街灯と、近くに建つマンションのエントランスの灯に照らされ、史人さんの金茶の髪が月光みたいな色で煌めいているのを、俺は呆然と見つめる。
「今日、ファミレス来たの彼女さんですよね。でも四宮さんって千冬と距離、めちゃくちゃ近いですよね。それってどういうつもりでそうしてるんですか」
「……ごめん。意味わかんないんだけど。なんで尋問されてんの、俺」
史人さんの唇の端がつっと持ち上がる。
「ってかさっきからなに? 彼女が来たから? それがどうかしたの」
お前に関係ない。そう言わんばかりの言葉にずくっと心臓が身をよじる。とっさに胸を押さえる俺をちらっと東が見た気がした。慌てて目を逸らす。けど。
「二股、かけてますよね」
通用口で言われたのと同じ単語にかっと頭の中が煮えた。地面から振り切るみたいに足を進め、俺は東の胸倉を掴む。でかいこいつからしたら痛くも痒くもなかったろうけど、とにかく黙らせたい一心だった。
「お前さあ! ゲスいこと言うなって言っただろ! 大体、俺達そういうんじゃねえし! あるわけねえし! ただの兄ちゃんの友達だっての!」
言い放ったところで息が苦しくなった。
そうだ。ただの兄ちゃんの友達。兄ちゃんがもしもいなかったら、話をすることすらなかった人。だけど。
ああ、どうしてこんなに口の中が苦いんだろう。
「ほら、千冬はそう言ってるよ。この空気、どうすんの、東くん」
東の胸倉を掴んでいた俺の手が背後からの声に震える。そろそろと振り向くと、史人さんは気だるげに首を傾げ、こちらを見ていた。
ただ、その視線は東に当てられていた。東だけに。
「いつも真面目で熱血で。俺、そういうの嫌いじゃないけど、さすがにいろいろ踏み込みすぎでしょうが」
「踏み込みすぎじゃないです」
きっぱりと言う。長身ふたりが睨み合う間で俺は東の胸倉を掴んだまま困惑する。
その俺をすうっと東が見た。
「俺、千冬のこと、好きみたいなので」
言葉は史人さんに向けられていた。でも視線はこちらに落とされていて、俺は思わず飛びすさる。
だって今、こいつ……。
「千冬」
けど、それ以上に俺を凍らせたのは史人さんの声だった。
「好きみたい、だって。どうする?」
「どうって、いや、俺」
「千冬もこいつ好き?」
「え! いや、あの」
「あんたさあ! なんでそう千冬の気持ち乱すようなこと言うんだよ!」
いきなり東が吠えて肩が揺れてしまった。あ、というように東がこちらを見る。顔が真っ赤だ。その様子を見てわかってしまった。
こいつ……本気で俺のこと。
「あ、の……俺」
「ってか、ずっとむかついてたんだけど」
俺がなにかを言う前に俺の肩に手が乗る。いきなりの感触にびくっとした俺の気持ちを置いてきぼりに、肩がくいっと掴まれて後ろへと押しやられた。目の前にあるのはライトグレーのブレザーを着た史人さんの背中だった。
「千冬とか……なれなれしく名前で呼んでんじゃねえよ。くそが」
吐き捨てるような声によって完全に空気が凍った。東も石化している。その極域さながらの空気の中、史人さんがくるっとこちらを見た。
史人さんは無表情だった。ただ、無でありながらもぴりついた空気が表情から滲み出していた。
いつもと全然違う史人さんの顔にたじろぐ。が、俺が驚いたのはその表情のせいばかりじゃなかった。
史人さんの手によって腕が引っ掴まれていたことに、俺は仰天していた。
「え、ちょ、あの」
声を漏らす俺を無視し、史人さんは歩き出す。背が高くて足も長い史人さんが本気の速足になると、ほぼ競歩だ。しかも俺の腕を掴む史人さんの手は大きくて、力も強い。わたわたしている間にその場から遠ざけられる。
「まだ話終わってないです!」
背中で東が怒鳴る。それに対し、史人さんの答えは冷淡だった。
「知るか。お前なんかとこれ以上話させてたまるか」
「はあ?! あんた、よくそんなこと言えるな! あんたみたいな不誠実なやつ、千冬に全然合わない!」
「……んなの、俺が一番わかってんだよ」
その一言はひどく力ない声で、東には届いていなかったと思う。その史人さんの声に俺はたまらなくなった。引きずられながら振り返り、叫ぶ。
「東、ごめん。俺、史人さんと行くな」
ふっと東の目が見開かれる。街灯の下、少し厚めの下唇を歪めたのが確かに見えたけど、東はこくん、と確かに頷いた。
「わかっ、た」
あいつは本気で好きと言ってくれたんだと思う。でも東は自分よりも人のことを考えちゃうやつで。そんなやつだから、史人さんにはわかってもらえない俺の気持ちも、はっきり見えちゃっていたんだろう。
だから、追いかけてこなかったんだと思う。
やっぱりあいつ、すごくいいやつなんだ。
だけど……東がいくら好きって言ってくれたとしても、俺が見てるのは違う人だ。どうしようもないくらい、そうなんだ。
「史人さん」
史人さんは振り返らない。とっくに東の姿は見えなくなっている。それでもずんずんと大股で進んでいく史人さんを止めようと、掴まれたままの手を揺さぶるけど、まったく効果がない。
「史人さんってば」
「……」
「ねえって」
「……」
「いい加減にしろっての! うちこっちじゃねえし!」
大声とともに腕を振り払う。そこでようやく手が離れた。なのに、史人さんは頑固で、こちらを向いてくれない。
俺の家から少し離れた、小学校の前だった。俺の母校でもある学校だ。でももう八時を過ぎているから、胸の高さくらいある白ペンキで塗られた門はしっかり閉ざされていて、校庭にも校舎にも人の気配はない。
「史人さん。こっち、向いて」
誰にも声を聞かれない状況なのに、俺はそろそろと声を発する。なんだか、声を出したら全部壊れちゃいそうなそんな不安を感じてしまったために。
それは史人さんも同じなんだろうか。やっぱり背中は向けられたままで反応がない。
「なんで、あんなこと言うの?」
すぐそばにある校門と同じくらい、硬く閉ざされて見える背中に向け、俺は声を投げる。
「東、悪くないのに。あんな言い方したらよくない」
「……なんで最初に出てくんのがあいつの話?」
全然開かなかった門が開くみたいに史人さんが声を発した。首を捻じ曲げ、こちらを見返る。
「千冬、あいつのこと、好き?」
なんだよ、その質問。
意味がわからない。でも……この人がどんな思いで訊いてきているのだとしても、変な誤解はされたくない。
「東はバイト仲間。友達風味の。見てればわかるじゃん。そんなの」
「わかんないよ。俺は千冬のこと、なんにもわかんない。だって俺は友達ですら、ない」
疲れたみたいな声で言う史人さんの顔には苦笑が浮かんでいる。でもそんな顔をされたって俺のほうが困る。
この人がなに考えてるんだか、俺のほうこそ全然わからないんだから。
「史人さんは、どうしたいの」
「どうって?」
「だから……俺と」
出そうになる言葉を俺はくっと呑み込む。だめだ。そんなことあるわけないのに、変なことを言ってしまいそうになる。
「えと、その、友達に、なりたい、とか」
史人さんの目がすうっと見張られる。そのままこちらを凝視してくる。あまりに強い視線で、顔に穴が空いちゃいそうだ。それでもどうにか耐えて見返す俺の前で、ゆっくりと史人さんが瞬きをした。
「友達……だったら、俺にも笑ってくれる?」
「は……」
虚を突かれた俺から史人さんは目を逸らす。さらっと前髪が落ちて目元が隠れる。その前髪の向こうから声がした。
「俺と仲良くするの、嫌なのわかったから……距離置こうと思ったけど、千冬の笑った顔、やっぱそばで見たくて。友達だったら東くんにするみたいに、また笑ってもらえるのかなって」
この人は……一体なんなんだろう。
彼女だっていて。周りからも一目置かれていて。熱い視線だって浴びていて。
にもかかわらずこんなに不安そうな顔をする。拗ねた犬みたいにそっぽを向く。
本当にわけがわからない。けど、もっとわけがわからないのは俺の気持ちだ。
こんな意味不明な人と関わったって自分がしんどいだけなのに、俺はこの人が俺に執着することにどこかでほっとしちゃってる。
「別に、嫌じゃないよ。この間のあれは……ちょっとなんか照れ臭かっただけっていうか」
「そう、なの?」
「うん。だってさ」
東に嫉妬するみたいな、あんな態度を見せてくれたことで、俺はこの人の中に必要な存在だって言われたみたいな気さえしちゃってる。
「友達、じゃん、俺達。でしょ」
ああ、だめだ。こんな言い方。絶対、だめだ。
「……うん」
でも、伏し目がちにそっと、でもすごくほっとしたみたいな顔で笑う史人さんの様子を見たら、全部を明るみに出して並べ立てたいなんて思えなくなってしまった。
俺も史人さんの笑った顔がやっぱり、見たいから。
「ええと、じゃあ、帰ろ。お腹、空いたし」
「もう少し一緒に歩きたい」
そそくさと歩き出そうとする。その俺のブレザーの袖口に、くいっと指が絡んだ。見下ろすと、恥じらうように史人さんがまた顔を背けた。
「唐揚げ、買ってあげるから。もう少し、いい?」
「……まあ、いいよ」
もう。なんだって言うんだろう。
でもうれしそうにしてくれる。だから、いい。
頷いた俺の前でなで肩がほっとしたように緩む。
その肩のライン、やっぱりいいな。
「行こっか」
歩き出した史人さんの手は俺の袖口を引いたままだったけど、俺は振り解かなかった。掴まれたままに史人さんの肩を見つめていた。
そうしながら、この角度からこの人のなで肩を、実弥ってあの人も見ることがあるのかな、なんて……思ってしまってもいた。
史人さんとはぎくしゃくしたままだし、今日は東とももめてしまった。
東の昼間のあれの意味はよくわからないが、多分、俺を心配したがためなんだろう。なんでもストレートに言うやつだから、裏なんてないんだって思う。
一方の史人さんが俺に対して態度を硬化させたのは、俺の失言のせいだってわかっている。だから謝ったら許してもらえるかもしれない。でも俺は謝りたいかどうかもよくわかっていない。
――実弥。お前なあ。
実弥って呼び捨てだった。彼女だから当たり前だろうけど、史人さんが女子のことを名前で呼んでいるのを俺は見たことがない。バイト先でもみんな苗字プラスさんで呼んでたし。
彼女を呼ぶときの声は俺の名前を呼ぶときとどう違うのか、ついつい比較しようとする自分が本気で、嫌だ。
「四宮さん」
不意に硬い声が響き、俺の思考を破る。声の主を確かめると、東が立ち止まっていた。数歩先を歩いていた俺と史人さんも立ち止まる。
「なに? 東くん」
史人さんがスマホ片手に振り返る。最近の史人さんは会話せず、スマホを眺めていることが増えた。それもまた俺の心を軋ませる原因だった。
「四宮さんって千冬のこと、どう思ってますか」
「……な……?」
頓狂な声を上げた俺の横ですうっと史人さんが視線をスマホから上げるのがわかった。ぱたん、とスマホカバーが閉じられる。
「どうって?」
国道を抜け、市街地に入った場所だったから車の通りはほぼない。等間隔に灯された街灯と、近くに建つマンションのエントランスの灯に照らされ、史人さんの金茶の髪が月光みたいな色で煌めいているのを、俺は呆然と見つめる。
「今日、ファミレス来たの彼女さんですよね。でも四宮さんって千冬と距離、めちゃくちゃ近いですよね。それってどういうつもりでそうしてるんですか」
「……ごめん。意味わかんないんだけど。なんで尋問されてんの、俺」
史人さんの唇の端がつっと持ち上がる。
「ってかさっきからなに? 彼女が来たから? それがどうかしたの」
お前に関係ない。そう言わんばかりの言葉にずくっと心臓が身をよじる。とっさに胸を押さえる俺をちらっと東が見た気がした。慌てて目を逸らす。けど。
「二股、かけてますよね」
通用口で言われたのと同じ単語にかっと頭の中が煮えた。地面から振り切るみたいに足を進め、俺は東の胸倉を掴む。でかいこいつからしたら痛くも痒くもなかったろうけど、とにかく黙らせたい一心だった。
「お前さあ! ゲスいこと言うなって言っただろ! 大体、俺達そういうんじゃねえし! あるわけねえし! ただの兄ちゃんの友達だっての!」
言い放ったところで息が苦しくなった。
そうだ。ただの兄ちゃんの友達。兄ちゃんがもしもいなかったら、話をすることすらなかった人。だけど。
ああ、どうしてこんなに口の中が苦いんだろう。
「ほら、千冬はそう言ってるよ。この空気、どうすんの、東くん」
東の胸倉を掴んでいた俺の手が背後からの声に震える。そろそろと振り向くと、史人さんは気だるげに首を傾げ、こちらを見ていた。
ただ、その視線は東に当てられていた。東だけに。
「いつも真面目で熱血で。俺、そういうの嫌いじゃないけど、さすがにいろいろ踏み込みすぎでしょうが」
「踏み込みすぎじゃないです」
きっぱりと言う。長身ふたりが睨み合う間で俺は東の胸倉を掴んだまま困惑する。
その俺をすうっと東が見た。
「俺、千冬のこと、好きみたいなので」
言葉は史人さんに向けられていた。でも視線はこちらに落とされていて、俺は思わず飛びすさる。
だって今、こいつ……。
「千冬」
けど、それ以上に俺を凍らせたのは史人さんの声だった。
「好きみたい、だって。どうする?」
「どうって、いや、俺」
「千冬もこいつ好き?」
「え! いや、あの」
「あんたさあ! なんでそう千冬の気持ち乱すようなこと言うんだよ!」
いきなり東が吠えて肩が揺れてしまった。あ、というように東がこちらを見る。顔が真っ赤だ。その様子を見てわかってしまった。
こいつ……本気で俺のこと。
「あ、の……俺」
「ってか、ずっとむかついてたんだけど」
俺がなにかを言う前に俺の肩に手が乗る。いきなりの感触にびくっとした俺の気持ちを置いてきぼりに、肩がくいっと掴まれて後ろへと押しやられた。目の前にあるのはライトグレーのブレザーを着た史人さんの背中だった。
「千冬とか……なれなれしく名前で呼んでんじゃねえよ。くそが」
吐き捨てるような声によって完全に空気が凍った。東も石化している。その極域さながらの空気の中、史人さんがくるっとこちらを見た。
史人さんは無表情だった。ただ、無でありながらもぴりついた空気が表情から滲み出していた。
いつもと全然違う史人さんの顔にたじろぐ。が、俺が驚いたのはその表情のせいばかりじゃなかった。
史人さんの手によって腕が引っ掴まれていたことに、俺は仰天していた。
「え、ちょ、あの」
声を漏らす俺を無視し、史人さんは歩き出す。背が高くて足も長い史人さんが本気の速足になると、ほぼ競歩だ。しかも俺の腕を掴む史人さんの手は大きくて、力も強い。わたわたしている間にその場から遠ざけられる。
「まだ話終わってないです!」
背中で東が怒鳴る。それに対し、史人さんの答えは冷淡だった。
「知るか。お前なんかとこれ以上話させてたまるか」
「はあ?! あんた、よくそんなこと言えるな! あんたみたいな不誠実なやつ、千冬に全然合わない!」
「……んなの、俺が一番わかってんだよ」
その一言はひどく力ない声で、東には届いていなかったと思う。その史人さんの声に俺はたまらなくなった。引きずられながら振り返り、叫ぶ。
「東、ごめん。俺、史人さんと行くな」
ふっと東の目が見開かれる。街灯の下、少し厚めの下唇を歪めたのが確かに見えたけど、東はこくん、と確かに頷いた。
「わかっ、た」
あいつは本気で好きと言ってくれたんだと思う。でも東は自分よりも人のことを考えちゃうやつで。そんなやつだから、史人さんにはわかってもらえない俺の気持ちも、はっきり見えちゃっていたんだろう。
だから、追いかけてこなかったんだと思う。
やっぱりあいつ、すごくいいやつなんだ。
だけど……東がいくら好きって言ってくれたとしても、俺が見てるのは違う人だ。どうしようもないくらい、そうなんだ。
「史人さん」
史人さんは振り返らない。とっくに東の姿は見えなくなっている。それでもずんずんと大股で進んでいく史人さんを止めようと、掴まれたままの手を揺さぶるけど、まったく効果がない。
「史人さんってば」
「……」
「ねえって」
「……」
「いい加減にしろっての! うちこっちじゃねえし!」
大声とともに腕を振り払う。そこでようやく手が離れた。なのに、史人さんは頑固で、こちらを向いてくれない。
俺の家から少し離れた、小学校の前だった。俺の母校でもある学校だ。でももう八時を過ぎているから、胸の高さくらいある白ペンキで塗られた門はしっかり閉ざされていて、校庭にも校舎にも人の気配はない。
「史人さん。こっち、向いて」
誰にも声を聞かれない状況なのに、俺はそろそろと声を発する。なんだか、声を出したら全部壊れちゃいそうなそんな不安を感じてしまったために。
それは史人さんも同じなんだろうか。やっぱり背中は向けられたままで反応がない。
「なんで、あんなこと言うの?」
すぐそばにある校門と同じくらい、硬く閉ざされて見える背中に向け、俺は声を投げる。
「東、悪くないのに。あんな言い方したらよくない」
「……なんで最初に出てくんのがあいつの話?」
全然開かなかった門が開くみたいに史人さんが声を発した。首を捻じ曲げ、こちらを見返る。
「千冬、あいつのこと、好き?」
なんだよ、その質問。
意味がわからない。でも……この人がどんな思いで訊いてきているのだとしても、変な誤解はされたくない。
「東はバイト仲間。友達風味の。見てればわかるじゃん。そんなの」
「わかんないよ。俺は千冬のこと、なんにもわかんない。だって俺は友達ですら、ない」
疲れたみたいな声で言う史人さんの顔には苦笑が浮かんでいる。でもそんな顔をされたって俺のほうが困る。
この人がなに考えてるんだか、俺のほうこそ全然わからないんだから。
「史人さんは、どうしたいの」
「どうって?」
「だから……俺と」
出そうになる言葉を俺はくっと呑み込む。だめだ。そんなことあるわけないのに、変なことを言ってしまいそうになる。
「えと、その、友達に、なりたい、とか」
史人さんの目がすうっと見張られる。そのままこちらを凝視してくる。あまりに強い視線で、顔に穴が空いちゃいそうだ。それでもどうにか耐えて見返す俺の前で、ゆっくりと史人さんが瞬きをした。
「友達……だったら、俺にも笑ってくれる?」
「は……」
虚を突かれた俺から史人さんは目を逸らす。さらっと前髪が落ちて目元が隠れる。その前髪の向こうから声がした。
「俺と仲良くするの、嫌なのわかったから……距離置こうと思ったけど、千冬の笑った顔、やっぱそばで見たくて。友達だったら東くんにするみたいに、また笑ってもらえるのかなって」
この人は……一体なんなんだろう。
彼女だっていて。周りからも一目置かれていて。熱い視線だって浴びていて。
にもかかわらずこんなに不安そうな顔をする。拗ねた犬みたいにそっぽを向く。
本当にわけがわからない。けど、もっとわけがわからないのは俺の気持ちだ。
こんな意味不明な人と関わったって自分がしんどいだけなのに、俺はこの人が俺に執着することにどこかでほっとしちゃってる。
「別に、嫌じゃないよ。この間のあれは……ちょっとなんか照れ臭かっただけっていうか」
「そう、なの?」
「うん。だってさ」
東に嫉妬するみたいな、あんな態度を見せてくれたことで、俺はこの人の中に必要な存在だって言われたみたいな気さえしちゃってる。
「友達、じゃん、俺達。でしょ」
ああ、だめだ。こんな言い方。絶対、だめだ。
「……うん」
でも、伏し目がちにそっと、でもすごくほっとしたみたいな顔で笑う史人さんの様子を見たら、全部を明るみに出して並べ立てたいなんて思えなくなってしまった。
俺も史人さんの笑った顔がやっぱり、見たいから。
「ええと、じゃあ、帰ろ。お腹、空いたし」
「もう少し一緒に歩きたい」
そそくさと歩き出そうとする。その俺のブレザーの袖口に、くいっと指が絡んだ。見下ろすと、恥じらうように史人さんがまた顔を背けた。
「唐揚げ、買ってあげるから。もう少し、いい?」
「……まあ、いいよ」
もう。なんだって言うんだろう。
でもうれしそうにしてくれる。だから、いい。
頷いた俺の前でなで肩がほっとしたように緩む。
その肩のライン、やっぱりいいな。
「行こっか」
歩き出した史人さんの手は俺の袖口を引いたままだったけど、俺は振り解かなかった。掴まれたままに史人さんの肩を見つめていた。
そうしながら、この角度からこの人のなで肩を、実弥ってあの人も見ることがあるのかな、なんて……思ってしまってもいた。



