史人さん、俺達って本当に”友達”ですか?

「四宮くーん、チャンバーからイチゴ取ってきて~」
「了解です~。ドリンクバー、オレンジジュース切れてたっぽいので、そっち補充してからでいいですか」
「わ! 助かる! そしたらそっち優先で。ありがと!」
 バイトリーダーの西田さんの声が弾んでいる。仕事に厳しい西田さんが、あんなにデレデレすることなんてまずない。それってやっぱりあの人がイケメンだからだろうか。いや……西田さんは劇団員をやりながらバイトをしている人だけど、バイトだからといって仕事をおろそかにするやつを見ると怒り狂うような仕事の鬼だ。その人がイケメンだからという理由で特定の誰かをちやほやはしないだろう。
 つまりそれくらい、あの人は仕事ができるってことなのだと思う。
 俺はお客様用のシルバーをカウンター上の引き出しに仕舞いながら、横目で“あの人”を眺める。
 あの人……史人さんを。
 ――俺もあれ、応募しようと思ってたから。
 あんなのただの冗談かと思っていたのに、数日後、史人さんは本当に店にやってきた。たまたまシフトに入っていた俺は、いきなり現れた史人さんにまたも仰天したのだが、その俺に彼は軽く手を振ってみせてから、店長に連れられて事務所へと消えていき……数分後にはあっさりと面接に合格してバイト仲間になってしまった。
 あれから二週間、史人さんは一日おきくらいにシフトに入っている。俺も同じくらいの日数入っているから、必然的に仕事を教えることが増えた。しかも。
「芹那先輩、カスター補充したいんですけど、爪楊枝って予備どこですか?」
「なんかハンディ入れ方わかんないとこあるんで、教えてくれません? 芹那先輩」
「あ! 芹那先輩! 二番テーブル、俺が片付けますんで。気にしないで」
 親鳥にくっついて歩くひよこか、と思うくらい、史人さんは仕事に、というか俺に忠実で、俺のことも「千冬」とは呼ばず、折り目正しく「芹那先輩」と呼んだ。
 バイトとはいえ、仕事をしている現場では、年齢よりも経験の差が重視される。だから史人さんが俺を「先輩」と呼ぶのはなんら不自然なことでもないし、むしろ正しいことなんだけど、史人さんに「芹那先輩」と呼ばれると、ものすごくこそばゆい。
 なんだろう、相手がこの人だからだろうか。
 好きで、大嫌いだった人だからだろうか。
「芹那せんぱーい」
 ・・・いや、馬鹿にされているような気がして、単純にむかつくからかもしれない。
 大体、この人は俺よりも断然要領がいい。まだ入って二週間のくせに、チャンバーがなにかもわかっちゃうし、ドリンクバーの補充の仕方も淀みなくすいすいこなせちゃうのだ。ちなみにチャンバーというのは冷蔵庫のことだけど、俺は最初チャンバーがなにかわかんなくて、「チャンバラ? ですか?」と訊いてしまい、「うちはそういうコンセプトカフェじゃない」と社員の岩本さんに苦笑いされた経験がある。
 それくらい仕事ができる人なのだ。だから今更俺にくっついてくる必要なんてないのに。
「芹那先輩ってば~」
「ええい! 他にも訊ける人いるだろ! 俺も忙しいんだから、俺ばっかりに訊かないでください!」
 ここ数日ずっとついてくる声に苛立ちながら俺は、ソフトクリームマシーンのレバーをぐいと引く。パフェの成形もホールの仕事だ。ちなみに俺はこれが苦手だ。だから別に意地悪で史人さんに仕事を教えないわけじゃない。集中したいから言っただけ。他意なんて断じてない。うん、多分。
「あ、ちょい待って。先輩」
 ぐるぐるしながらソフトクリームと格闘していた俺の手に、いきなり手が重なる。
「入れすぎかも」
 俺の手の上からぐいっとレバーが戻され、俺は仰天する。サンデーはグラスに対し、先が三センチ出るまで。それがマニュアルに書かれている分量だというのに、手元のグラスの中でクリームは優に五センチに達しようとしていた。
「わ……」
 やっちまったああ、と焦る俺の横で、だーいじょーぶ、と声がする。と同時に俺の手に重なっていた手がするっと解けた。
「これ、成形しちゃえばごまかせるレベル。ちょい貸して」
「は?! だめだめ! そんなの」
「いやいや、失敗したらロスなんでしょ? それは地球に優しくない」
 言いながら史人さんがティースプーンでちょいちょいとソフトクリームの形を整える。次いで慣れた手つきでイチゴ、キウイ、パイナップル、ナッツ、ビスケットなどもろもろをトッピングしていく。
 出来上がったそれは、俺が普段、デコレートするより断然うまそうなフォルムに仕上がっていた。
「十二番テーブルさんのだよね。俺が出しとく。先輩はお会計お願いします。俺、レジまだ苦手なんで」
 ぱちん、と片目を瞑り、彼はグラスをトレンチに乗せて颯爽とカウンターを出ていく。
 そのやたらまっすぐに伸びた背中を俺は呆然と見送る。
 白のカッターシャツに黒のベスト。同色のスラックスにサロンエプロン。
 ファミレス、ハッピーロンド、通称ハピロンにおける男性用の制服。クラシカルすぎる印象もあるけど、まあまあお客様受けもいいこの制服が、俺は結構好きだ。
 小柄な俺が着てもなんとなく背が高く見えるし、年齢より断然大人っぽくなって、働いてるな~ってやる気にも繋がるから。
 けど、史人さんと並ぶと、俺のは「大人に見える」止まりであって、史人さんとは違うと思い知らされる。それくらい、史人さんはこの制服が似合うし、見える、じゃなくて大人だ。
 高身長で、背中も広い。姿勢だっていいから、襟足から首のラインがすごく綺麗だ。バイトに入るようになってからも史人さんの髪は金茶のままだけど、モノトーンの制服に髪色がめちゃくちゃ映えて、異国の執事みたいに見える。そう思っているのは俺だけじゃないらしく、皿を乗せたトレンチを片手にフロアを歩く史人さんを見て、頬を染めているお客様が何人もいる。
 なんだか、面白くない。
 入って二週間のくせになんでもすんなりこなして。西田さんからの覚えもよくて。めちゃくちゃお客様からも注目されて。勝てるところが一個もなくて。
 しかも。
「会計、やってくれてありがと、先輩」
 呼び方こそ「先輩」だけど、昔とまったく同じ距離で近づいてくる感じがすごく……困る。
 だって、俺は忘れていない。いや……再会したとき、すぐに史人さんだってわかんなかったくらいだから、俺ももう引きずっているとかそういうことではないけど、それでもあのときの感情はまだ記憶の中にへばりついている。
 夏前の風にさらっと揺れた史人さんの髪。その髪に触れ、熱くなった指先と、痛いくらい胸を叩いた心臓の音。
 あれはやっぱり初恋だったんだろうなと思う。
 とはいえ、別に今もまだ好きとか、付き合いたいとか、顔を見るだけでどきどきしちゃうとかそういう感じはない。
 当たり前じゃないか。あの人はあんなこと言ったんだから。
 ――本気にすんなよ、ガキ。
「むかつく」
 初恋は実らないなんて言うけど、あんなことを平気で吐き捨てるようなやつと付き合うことにならなくて、本当によかったと思う。よかったとは思うけど、そんな昔好きで今も大嫌いなやつとおんなじバイト先って、気まずいしまあまあ地獄じゃないか?
「せんぱーい、お、もう着替え終わってる。ちょっと待って。一緒に帰ろ」
 しかもあっちは、こっちがこんなにもやもやしているってのを全然わかってない顔で近づいてくる。
 冗談じゃない。
「一緒に帰る理由がないので」
「帰る方向同じなんだからよくない? 一緒でも」
「一緒に帰っても話すことないので」
 言い捨てて俺は更衣室を走り出た。先輩って~、と明るい声がまだ背中から聞こえた気がしたけど、無視して進む。通用口を開けると、外はもうすっかり暗くなっていた。
 国道沿いに立つこの店は、駅から少し離れた場所にあることもあって、夜八時を過ぎると人通りがぱったり途絶える。ただ、無音かというとそんなことはなくて、車道を結構なスピードで車が飛ばしていくので、エンジン音で、会話していても全然声なんて聞こえない。
 そんな状態で一緒に帰ったって意味ないだろうに。あの人は一体なにを考えているんだか。
「意味わかんね……」
 まあ、あの人のことなんてどうでもいい。宿題も出てるし、さっさと帰らないと。
 通学バッグをよいさ、と肩に負い、歩き出す。スマホを取り出して、さらっと確認する。
 母さんから通知が一件。
 ――今日、夕飯、カレーなんだけど、福神漬け、コンビニで売ってるかな。あんた、ほしいんなら買ってきて。
「いらねーよ」
 バイト終わりでぐったりなのに福神漬けをコンビニでって……と肩を落とし、スマホをポケットに戻す。その俺の背後から自転車の走行音が聞こえてきた。国道だからか、歩道も広めに作ってあって、自転車が走行しているのも珍しくはない。だから対して気にもせずに脇に寄ったが、次の瞬間、いきなり視界が揺れた。
 もぎ取られるように肩から抜け落ちたのは俺が背負っていた通学バッグ。
「痛っ……」
 路上に引き倒され、めっちゃ左腕が痛い。でも転がってばっかりはいられない。道路に手を突いて起き上がり、走り去る自転車に手を伸ばす。
 これ、ひったくり……?!
「待っ……っ」
「待てや! こら!」
 必死に出そうとした声に荒々しい声がかぶさったのはそのときだった。え、と声の主を確かめるより先に、金色の風がざっと俺の脇を通り過ぎた。遠ざかっていくのは、ライトグレーのブレザーを着た背中。
 相手は自転車だというのに、ものすごい勢いで追いかけていくその後ろ姿を、俺は呆然と見送ることしかできない。
 とはいっても相手は自転車だし、追いつくわけない……と思っている間に、通りの先にある横断歩道で信号が赤になった。急ブレーキをかけた自転車に史人さんが迫る。遠く、史人さんとフードを着た自転車の男がもみ合っているのが見え、俺は慌てて立ち上がった。
「史人さん!」
 大声で名前を呼びながら走るが、まだ遠い。行き過ぎる車のヘッドライトに照らされたふたりが俺の鞄を取り合っている。自分の足の遅さにいらいらしたとき、史人さんの手が俺の鞄を奪い返すのが見えた。と同時に、ぱっと信号が青に変わる。
「おいこら! 待て!」
 史人さんが叫ぶが、男は振り返らない。あっという間に走り去り、追跡を阻むように再び信号が変わり、洪水みたく車が流れ出す。
「くっそ、逃がした」
 忌々しげに舌打ちしながら、自転車男の姿を横断歩道の向こうに探す史人さんの腕を、俺は思わず掴む。すっと視線がこちらに向けられる。激闘の後だからなのか鋭い光が宿る目を見て、どくっと胸が鳴った気がした。
 ……なんだ、今の……。
 意味がわからなくてどぎまぎする。ああっと……、と言葉を探している俺の前で、ふっと史人さんの目が解けた。
「ごめん、逃げられちゃった。けど、鞄はほら」
 笑顔と共に鞄が差し出される。おずおずと手を伸ばし、受け取ろうとする。が、その手がいきなりぐいと掴まれた。
「え、あの、なに……」
「怪我、してんじゃん。これ、さっき転ばされたときの?」
 声のトーンがぐっと下がる。いつものあっけらかんとした声音では全然なくて、俺はまたもおたおたしながら、右の掌に視線を落とす。さっき地面に手を突いたときにすりむいたようだ。けど、それほど血も出ていない。ちょっと赤くなっているくらい。
「あー、うん。それっぽい。でも、全然、大丈夫……」
「大丈夫じゃねえだろって。痛くない?」
 大きな両手が俺の肩手を包み込む。じわっと体温が手に沁みてくるのを感じ、俺は慌てて手を引っ込めようとする。が、史人さんは放してくれなかった。
「あのちょっと……」
 言いかけて、そこで気付いた。
「史人さんこそ怪我してんじゃん!」
 俺の手を包む彼の右手の親指のつけねから血が滲んでいる。こすれたみたいなひっかき傷だ。指摘されて気付いたのか、史人さんの手がするっと俺の手から外れた。どうでもいいものを見るみたいな目でまじまじと傷口を眺め、へらっと笑う。
「あー、ほんとだ」
「ほんとだ、じゃなくて! 血出てんじゃん!」
「痛くないって。それより、千冬のほうが痛そうだし」
「痛くない!」
 言いざま、俺は史人さんの腕に引っ掛かったままだった自分のバッグをひったくった。
「店、戻ろ。救急箱あるし。それ、手当しなきゃ」
「大げさ。俺のはいいって。千冬のを……」
「うっさい! 四の五の言わず来いってば!」
 大声を出すと、ふっと史人さんが口を噤む。そうされて俺も頭が冷えた。
 考えてみれば、ひったくりに遭った俺のためにこの人は全力で犯人を追いかけて鞄を取り返してくれたのだ。なのに俺ときたら、怒鳴ってばっかりでまだお礼のひとつも言えていない。謝っても、いない。
「あの……」
「ごめん」
 ……え?
 出鼻をくじかれてへにゃっと表情が崩れそうになる。ってか、この人はなんで謝っているんだろう。
「俺、後先考えず飛び出しすぎちゃったみたいで。却って心配かけたよね」
「それは……」
 確かにそれはそうだ。まさかあんなに血相変えて犯人を追いかけると思ってなかったし。刃物とか武器を相手が持っていなかったからよかったけど、一歩間違えたら大変なことになっていたと思う。
「史人さんっていつもああなの?」
「ああ、とは?」
「血の気多いってか、躊躇なく走ってったじゃん。ああいうの、すぐするの?」
「あー、どうだろ。普段はあんま、しないかな。俺ね、千冬が思うよりずっと冷たい人間なんで、知らない人だったら放置しちゃってたかも。ただ」
 後ろ頭に手を触れながら史人さんが気だるげに続けた言葉に、俺は立ち尽くす。
「やられたのが千冬だったから、なんかこう、かーっとなって」
 千冬だったから。
 この人はどういう意味でこれを言うのだろう。この人の中で俺はやっぱり弟ってことなんだろうか。多分、そうなんだろうな。
 そう思ったらなんだかもやついた。ここのところの俺はやっぱり少しおかしい。けど、とにもかくにもこの人の怪我をなんとかしないと。
「あの……相手が誰だろうとこういうのはもうやめて。危ないし。ってか、怪我! なんとかしないと! ほら、行こ!」
「はい、先輩」
 いきなり先輩呼びをされた。びっくりして足を止め、振り返る。目が合ったのに、史人さんはなぜか俺から気まずそうに視線を逸らした。
「いや、さっき、どさくさに紛れて名前呼んじゃったから。嫌だよな、俺に呼ばれるの。ごめんね、先輩」
「え……えと」
 俺は嫌だったのだろうか。というかなんでこの人はそう思ったんだろう。中学時代、この人に千冬千冬呼ばれたのは確かにウザいと思ったりもしたけど、今もそうかと言われると、微妙だ。そもそもどっちかっていうと……。
「ぶっちゃけ、先輩って呼ばれるほうがいらっとくる」
「え、なんで? 先輩じゃん」
「そうなんだけど! 史人さんに呼ばれるとなんか腹立つの!」
「えー……」
 史人さんが眉を下げる。なんて顔するんだ、この人。くすっと笑うと、その声に反応して史人さんの顔にも笑みが浮かんだ。
「そしたらさ」
 史人さんが口を動かす。国道を通り過ぎていく、車のエンジン音とエンジン音の間に埋もれてしまって、よく聞こえない。耳を片手で覆い、俺が頭を寄せると、史人さんも腰を折って俺の耳に唇を寄せてきた。
「呼んでいい? バイトじゃないときは千冬って。俺、呼びたいんだよね、また。いい、かな」
 ……心臓がずくりと疼いたのは、言われた言葉になのか、それともちょっとだけ甘く聞こえるこの人特有の掠れた声音になのか、それとも耳を掠めた吐息になのか。
 わからない。でも今更だめっていうのもおかしくないか……? だって俺が先輩って呼ばれるのは嫌って言ったわけで……ってか俺はなにを言い訳しているんだろう。
「まあ、いい、よ」
「ありがと」
 耳元でさらっと礼を言われて、またくすぐったくなる。慌てて俺は史人さんから一歩退く。
「と、とにかく! 店行こ! 絆創膏とか、もらって」
「ん」
 こくん、と史人さんが頷く。十月の少し冷えた風が史人さんの髪をそよがせる。陽光みたいな色のそれが眩しくて目を逸らしたとき、千冬、と名前を呼ばれた。
「怪我、させちゃってごめん。俺がもうちょっと早く着替えて出てきてたらよかったな」
「……謝りすぎだよ」
 一緒に帰らないって突っぱねたのは俺なのに。ああもう。なんなんだろう、この人。
 でも……礼ぐらいは言わなきゃ。
「史人さん、あの、ありがと」
 声が届かなかったのか、え? とはてな顔をされる。もう一度言おうかと思ったけど、やめた。
「は、はやく行こ!」
 素直になれないこの辺り、俺は全然、変わっていないのかもしれない。