史人さん、俺達って本当に”友達”ですか?

 フロアは通常の店舗みたいな喧噪に満ちていた。審査のためとはいえ、この再現度はすごい。業界の中でもハピロンの業績は好調と店長から聞いていたけど、接客コンテストにこれだけ力を入れているのだ。その本気度からすればハピロンが人気店なのも不思議じゃないかも。
 特別なことをする必要はない。いつも通りの接客を、そう説明を受け、俺達はフロアに出る。耳にはスタッフ同士で連絡を取れるようにインカムを装着。オーダー用のハンディも当然普段使っているものと同じタイプ。
 大丈夫、ここはいつもの店。バイト先のハピロン菊塚店。
 念じながら動いたおかげか、今のところ失敗はしてない。
「いらっしゃいませ。何名さまですか?」
「三人です」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
「えー、窓際がいーい。窓際じゃなきゃやだ~」
 ……とはいえ、多分、子ども役ってことなんだろうけど、大人が駄々こねる演技はさすがにやりすぎだと思う。
『先輩、三番卓、バッシング終わってる。お通しして大丈夫だよ』
 ただ、不自然さに戦きながらも、俺が冷静に対応できているのは、インカム越しに聞こえてくるこの声のおかげかもしれない。
「了解。助かった」
 お客様を先導して歩きながら小声で答える。無線の向こうでひっそりと史人さんが微笑んだ気がした。
『七番卓、ハピロンステーキあがったよ』
 キッチンから連絡が入る。すぐさま取って返し、ナイフとフォークといったシルバーと合わせてじゅうじゅう鳴く鉄板をお客様の元へと運ぶ。
「お熱くなっておりますので気を付けてお召し上がりください」
 説明して鉄板をお出しして次へ。けど、開始から五分が経過したころだった。
「あっつ!!!」
 突然悲鳴が聞こえてきて俺は仰天する。見ると、先程俺がハピロンステーキを出した席の男性が、ぎょろ目でこちらを睨んでいた。
「おい! 鉄板熱すぎるんだけど! 責任者出せこのやろー!」
 ……え。
 ちょっと待て。こんなクレーム対応まで審査されるのか?
「申し訳ありません! お怪我はありませんでしたか!」
「ありませんでしたか、じゃねえよ! 口、火傷したんだけど! 負傷させられたんだから、ここの支払いはなしでいいよな? な? ぼくちゃん、いいよな?」
 なるほど、他のチームがどんな様子か事前に見られないようにしたのは、こうしたトラブルを意図的に起こすつもりだったからか、とようやく合点がいった。それにしても。
 ってか、ぼくちゃんってなんだ!
 この人、ノリノリじゃん。
「そもそもこんなあっついのもはや凶器だから! 可哀想な俺の唇! こんなんじゃ明日のデート、キスもできないだろうが!」
 すごい、ディテールがしっかりしている、と驚嘆してから俺は我に返る。感心してる場合じゃなかった。こんなときは……ええと、どうするんだっけ?
 混乱している間にも男性はヒートアップしていく。そうされて、余計に真っ白になった。申し訳ありません、となんとか言ったとき、俺の傍らで空気が動いた。
「お客様、こちらを」
 すっと男の前に氷がふんだんに入れられた水のグラスが差し出された。
「とにかく冷やされたほうがよろしいかと」
「お、おう」
 あまりにするっと出されたので怒鳴るタイミングを失ったらしい。思わずというように男はグラスの水を口に運ぶ。しかしまだ終わっていなかった。
「こんな水くらいでごまかされないからな! 火傷させられてんだし、慰謝料もらってもいいくらいだけど、そこを支払いチャラにするだけで許してやるって言ってんだ。当然、ここは……」
「申し訳ありません。お客様」
 史人さんが俺の横で床に膝を突く。その状態で男を見上げる。沈痛な表情を作って。
「それはいたしかねます」
「はあ?! お前じゃ話にならねえ! 店長を……」
「お怒りはごもっともです。けど、ここでお客様のおっしゃる通りにしてしまったら、お客様とは違い、よからぬ思いで無銭飲食しようとする方たちの要望をすべて叶えることになってしまいます。そうなりますと、ハッピーロンドの業績は悪化し、お客様へこれまで通りのサービスが提供できなくなってしまいます」
 ……史人さん、すげえ。
 さらさらっと言葉が紡がれる。あまりにも滑らかに、しかも真に迫った言葉に気圧されたのか、怒鳴っていた男性もぽかんと口を開く。
「もちろん、お客様はそのような思いで今、私共にお言葉をくださっているのではないと承知しております。純粋にお食事を楽しんでいただいていたのだと理解しております。しかしどうか、ここはお怒りを収めていただけませんでしょうか」
 ちらっと史人さんが俺を流し見る。慌てて俺も史人さんの隣に膝を突く。
「どうかお願いいたします」
「お願いいたします」
「……もう、いいわ」
 俺達の頭の上でぼそりと男性が言う。あっち行け、というように手を振られ、ほっとする。なんとか乗り切れた。そろっと立ち上がり、一礼する。それぞれ業務に戻りながら、史人さんの顔を見ると、史人さんもこちらを見ていた。
 その史人さんの片目が軽く、瞑られた。よくバイト中にもする仕草だ。それを見たら、笑みが零れてしまった。
 考えてみれば、今の、再会したときとまったく同じシチュエーションじゃなかったろうか。
 あのときも、鉄板で火傷したって騒いでいる人がいて、まだバイトでもなかったのに、史人さんが割って入ってきて、鮮やかに助けてくれた。
 しかも……助けられた側が必要以上に気を遣わせないでいいように笑ってくれたりもした。今みたいに。
 ああもう。ほんと。
 ……なんであんたそう、かっこいいんだ。
「はい、そこまで~。おつかれさまでした。着替えて控室でお待ちくださいね」
 アラームの音が鳴り響く。審査終了が告げられ、肩から力が抜ける。やっと解放されてくたくたになりながら、フロアを出たところで、ぽん、と肩が叩かれた。
「おつかれ。先輩」
「あ、いや、俺より史人さんのほうだろ。さっきのすごかった。あの鉄板の」
「え? いやいや。マナーブックとか読んでああいうときの対処方法、知ってただけ。そんな大したことじゃ」
 はにかむように史人さんが目を伏せる。その顔を見ていたら、どうしても言いたくなった。
「大したことじゃなくない。そばにいてくれて……ありがと。すごく心強かっ、た」
 ふっと史人さんが目を開ける。が、合いそうになったタイミングでふいっと目が逸らされた。
「ごめん、俺、ちょっとトイレ」
「……は?」
「いや、実はめちゃくちゃ我慢してて。漏れそう。先、着替え行ってて」
「あー、うん……」
 逃げるように背中を向けられ、忘れていた胸の痛みが再び存在を主張してくる。
 やっぱりもう……前みたいに笑ってはくれないのかもしれない。
 ――あとで時間、くれる?
「話って、なんだろ……」
 今朝の史人さんの声を思い出し、憂鬱になる。溜め息をついたところで思い出した。インカム、着けっぱなしだった。
 これも外しておかなきゃ、と耳からイヤホンタイプのそれを外そうと手をかける。その俺の手を止めたのは、声だった。
『千冬』
 声はまだ耳に着けたままのインカムから聞こえていた。
「え、びっくりした。史人さん?」
『そう』
「なにしてんの? え? なんかあった? トイレで具合悪くなったとか」
 あたふたと歩き出した俺を、史人さんが軽やかな声で、大丈夫、と止める。
『トイレってのは嘘。少し話したかったから』
「話って……待って。これ、審査してるとこに聞こえちゃわない?」
『あー、どうだろ。多分大丈夫じゃない? キッチンとは別チャンネルだし。ここ、フロアも違うし。ってか、聞こえてもいいかなって思って』
 そんな軽いノリでいいんだろうか。給料、減らされちゃわないか?
「個人的雑談はインカムでしちゃだめって店長言ってたよ」
『雑談じゃない。告白』
 すとん、と落ちてきた言葉に、俺の足が、止まる。
 かすかなノイズの向こうで、俺ね、と囁く史人さんの声が聞こえた。
『千冬のことが好き。すごく、すごく。俺も、ぎゅっとしたい。千冬のこと』
 柔らかい声に打たれたように俺は息を呑む。
『いろんなこと、怖かった。俺のせいで千冬が傷つけられたら、とか。俺自身がこのままの俺で生きていっていいのか、とか。でも、思っちゃった。千冬と離れたくない、ぎゅってしたいって。誰になに言われても……絶対』
 ああ、どうしよう。声が出ない。その俺の耳元で、ふふ、と小さく史人さんが笑った。
『顔見て言おうと思ったんだけど、なんかハズくて。なんだろうね、俺としたことが』
 だめだ。頭が全然働かない。どきどきして、立っていられない。ふらつきながら近くの壁によりかかる。
「時間ちょうだいって、この、話?」
『うん。ちゃんとカフェとか? そういうとこで改まって言おうと思ってたんだけど、千冬にあんなこと言われたらなんかもう、我慢できなくなっちゃって』
「あんなこと?」
 俺、なんか特別なこと言ったっけ、と悩む俺の耳に落ちたのは、はにかんだような掠れ声だった。
『そばにいてくれてありがと、って。そんなの、こっちの台詞だって思っちゃった、から』
 ああ、ああ、もう。
 俺は壁に背中を預けたまま片手で顔を覆う。
「戻ってきてよ、史人さん」
『え、あ、うん。でもその、ハズい、んですけど』
「ハズくてもいいから戻ってきて! ってか助けて!」
『助ける?』
「腰、抜けちゃって動けないんだってば! うれしくて! だから!」
 怒鳴ると、史人さんが絶句した。ややあってぷつっと通信が途切れる音が響く。ずるずると俺は壁に背中を預けて蹲る。
 俺ってば顔が真っ赤だ。けど幸いにも廊下に人の姿はない。そのことにほっとしながら三角座りをして膝に顔を埋めていると、走ってくる足音が聞こえてきた。
「千冬?」
 声とともに俺の傍らにふわっと迫ったのは、なにかの花みたいな史人さんの香りだった。
 そこでふっと思い出す。この人が以前着ていたTシャツに描かれていた、青白い花のシルエットを。
 秘めた愛、という花言葉を持つあの花。あの花からはもしかしたら、史人さんが今、身に纏っているのと同じ、清しい香りがするのかもしれない。
「ちょ、ガチで腰抜けてんの? 立てる?」
「立てない」
「マジか……。ええと、じゃ、じゃあ、ちょっと」
 言いながら史人さんがそうっと俺の脇の間に腕を通す。くいっと体が史人さんのほうに寄せられてどきっとしたものの、膝裏にも腕が通され、地面から体が浮き上がる段になって仰天した。
 こ、こ、これ、姫だっこされてないか?!
「わ! わ! わ!」
「こら、暴れないで」
 史人さんが、よいしょ、と俺を抱え直して言う。そうされて俺はますます身をよじった。
「おろ、下ろして!」
「だって、歩けないんだよね?」
「歩ける! 今なら競歩の大会にも出れる! だから!」
「競歩って」
 くっくっと笑いながら史人さんは廊下を進む。角を曲がったところに更衣室がある。あそこには他の参加者もいるかも、こんなとこ見られて大丈夫か? とじたばたする俺の心が見えたみたいに、いいよ、と史人さんが言った。
「俺は見られたっていい。もうなんにも怖くない。千冬がそばにいてくれるなら。なんにも」
 ……そんなこと言われたら、下ろしてって言えないじゃん。
 ぷうっと頬を膨らませる俺を史人さんがちらっと流し見る。背筋がぞくっとするくらい、色っぽい目で見られて、ますます顔が赤くなった俺を、史人さんはしばらく見つめてから、ゆっくりと俺の体を床に下ろしてくれた。
「はしゃぎすぎちゃった……ごめんね」
 なんでそんな寂しそうな顔で笑うんだか。この人ってば。
「はしゃいでいい! 俺もはしゃいでるから! お揃い!」
 感情のままに手を伸ばし、史人さんの手を掴む。そのまま、その手を引っ張って、更衣室へと向かう。
「き、着替えて、なんか食べに行こ!」
「その前に結果発表あると思うよ」
 史人さんの声が滲んでいる。俺の手を握る手にもきゅうっと力が籠る。
「もはやどうでもいい!」
 史人さんからの声と手の力に目を潤ませつつ、店長に聞かれたら怒られそうなことを言って、俺は更衣室のドアを開けた。