史人さん、俺達って本当に”友達”ですか?

「実弥には、文句あるなら史人に直接言えって俺から連絡しとくよ」
と、兄ちゃんは言ってくれたけど、俺はそれを丁重に断った。
 確かに史人さんと実弥さんの問題なんだけど、事の発端に俺がいた可能性がある以上、兄ちゃんに甘えるのはやっぱりだめだって思う。
 とはいえ、こんなこと勝手にやったら絶対に史人さんに怒られる。嫌われちゃうかもしれない。
 そう思いながらも俺は指を動かす。開いたのは、DM画面。
 ――史人はゲイやめたの。だからもう近づかないで。
 送られてきたメッセージの後に、俺は言葉を投げ落とす。
 ――ごめんなさい。無理です。
 ほどなくして返信があった。
 ――はあ? 史人は私と付き合ってんだけど。なのに、ふたりで出かけたりしてるよね。そういうのやめてって言ってんの。
 ああ、そうだ。そうなんだ。そう思っていたから俺だってブレーキを踏まなきゃって思っていた。
 けど、全部知っちゃった今は踏めない。踏みたくない。
 ――彼女のふりだって聞きました。もしそうなら実弥さんがこんなふうに俺にDM送ってくるのはやりすぎだって思います。近づいてほしくないかどうかは史人さんに直接訊いてみたいって思うので。すみません。
 それを送ったところで、返信は途絶えた。
 言いすぎてしまったろうか。でもやっぱりもう、黙ってなんていられない。ただ……とぐるぐるしていた数日後の放課後だった。
「芹那~、なんかお前呼んできてくれって、他校の女子に頼まれたんだけど」
 月曜日の今日はバイトだ。でも掃除当番とかぶってしまって俺はちょっと慌てていた。教室の後ろへと固めていた机達を元の場所に忙しく戻しながら、声をかけてきたクラスメイト、田中を見る。
「なに? 他校の女子?」
「そー。あれ榊学園の制服じゃないかなあ。めっちゃ胸でっかい美人! どういう関係? もしかして彼女?」
 容姿を聞いたとたんに顔から血の気が引いた。机にかけていた手にきゅっと力を込める。
 なんで俺がこの学校だってわかったんだろう……と疑問が浮かんだけど、考えてみれば、俺のアカウントさえあっさり探り当てるような人だ。兄ちゃんも彼女と顔見知りみたいだったし、俺が通っている学校がどこかを見つけ出すことはそれほど難しくもなかっただろう。
 だから問題は、なんで、じゃなくて、どうするか、だ。
「悪い。俺、行かなきゃ。田中、今度当番代わるからあと頼める?」
「お、おう、いいよ~」
「ありがと」
 俺の険しい表情に事態の深刻さを読み取ったのだろうか。たじろぎながら田中が頷く。短く礼を言って、俺は通学バッグを引っ掴み、教室を出た。
 途中、ハピロンに電話して、遅刻すると伝える。校門の前に走っていくと、予想通り、あの人がいた。校門脇の門柱にもたれ、下校中の生徒達を鋭い目で眺めている。この間ファミレスに来たときは、砂糖菓子みたいな笑顔を浮かべていたのに、今日の彼女にはそんな空気は一切ない。びっしりと目を覆う睫毛の奥の目は尖っていて、視線だけで刺されそうだ。
 ちょっと、怯んだ。でも、逃げるわけにはいかない。
 ここで引いたら、なんにも変わらない。
 俺が近づくと彼女はすぐに気が付いた。門柱から背中を離し、大股で近づいてくる。チーターが獲物を見つけたみたいな俊敏さだった。
「見つけた。芹那千冬」
「……お待たせしました」
 バイトで培ったスキルを総動員して頭を下げる。その俺の腕を彼女はむんずと掴んだ。
「じゃあ、行こっか」
「え」
 会ったらいきなり怒鳴りつけられるくらいは覚悟していたから、押し殺した声でそう言われて面食らった。けど、次いで襲ってきたのは、一体どこへ連れていかれるんだ、というひやりとした恐怖だった。
 知り合いに依頼して、生意気な後輩をよってたかってリンチさせる、なんてシーンを映画で観たことがある。それ系のことが起こるかもしれない。
 だとしたらここで話をつけたほうが……。
 そうも思ったけど、俺はそうしなかった。理由はふたつ。
 びびったなんて思われたくない、というのがひとつ。もうひとつは……どんな状況に陥ろうとちゃんと向き合わなきゃと思ったから。
「はい」
 こくん、と頷くと、実弥さんは驚いた顔をしたが、それ以上言わずに俺の腕を引っ張って校門を出た。
「乗って」
 ……けど、まさか、黒塗りの、堅気じゃない人が乗っていそうなこんな高級車に案内されるとは思わなかった。
 学校から目と鼻の先に駐車された車の傍らには、瞳が見えないほど濃いサングラスをかけ、黒スーツを纏った男がいて、恭しく後部座席を開けて待っている。
 集団リンチよりヤバいことになるんじゃ。さすがにひやっとした俺の内心に気付いたのか、先に車に乗り込んでいた実弥さんが短く舌打ちした。
「うち行くだけ。あんたみたいな庶民と違って、うちも史人の家も背負ってるものがあんの。無駄に人目につくと史人が迷惑する。わかったらさっさと乗って。面倒臭い」
「は、い」
 史人さんに対するのとはずいぶん態度が違う。居丈高で可愛さなんて全然感じない。
 ただ……彼女のこの一言でわかった気がする。
 この人、本気で史人さんが好きなんだ。
 それに気付いたら、躊躇は消えた。
「ありがとうございます」
 俺のためにドアを開けてくれているサングラスの男性に声をかけて乗り込むと、実弥さんが軽く目を見張った。が、すぐに目が逸らされる。
「生意気」
 忌々し気に吐き捨てただけで、実弥さんはそれっきり口を噤んでしまった。
 そのまま黒服の男性の運転する高級車に揺られること、数分。到着したのは、家というには巨大すぎる、それこそ文化財みたいな巨大な日本家屋だった。こんな状況で訪れたんじゃないなら、中庭をぐるっと囲むようにして作られた縁側を端から端まで歩きたかったし、イグサの香りが満ちた部屋をひとつずつ見学させてもらいたいくらいだ。
「……実弥さんのお宅ってやっぱり、その筋のおうちなんですか」
 居間なのだろうか。畳敷きの部屋にペルシャ絨毯を敷き、重厚な黒皮のソファーセットを置いた部屋に通されたところで訊いてみる。床の間に飾られている刀は本物だろうか、レプリカだろうか、とびびりつつ。
「その筋だったらどうする? 大人しく引いてくれる?」
 もし本当にその筋だったらめちゃくちゃ怖い。父さんにも母さんにも迷惑をかけちゃうかもしれない。だからここで引き下がったほうがいいのはわかっている。でも、やっぱり嫌なんだ。
 思い出したのは、史人さんが時々見せる寂しそうな顔。
 普段はあんなに馬鹿話ばっかりするくせに、時々思い出したみたいにどこか遠くを見つめる目。あの顔を見ると……俺は苦しくなるんだ。
 そばに行きたくて、たまらなく、なるんだ。
「……脅しに屈するのは嫌です」
 震えそうになりながらそう声を発する俺を、実弥さんは無言で睨んでいたが、やがてはっと息を吐いた。
「可愛い顔してるくせに、めちゃくちゃ強情」
 くそ、また可愛い言われた。なんでどいつもこいつも可愛いって言ってくるんだ。
 俺は自分が可愛いなんて絶対思えない。思われたくもないし、言われたくもない。
 言われていいのはやっぱりあの人だけで。だから。
「俺、可愛くないです」
 きっぱりと言うと、実弥さんが苛立ちを顔にはっきりと刻んだ。
「本気で可愛いって思ってるわけないでしょ。言っとくけど、私の方が一億倍可愛いから」
「そうだと思います」
 素直に頷いてやる。実弥さんは一瞬ぽかんとしてから、つん、と顔を背ける。しばらくつやつやした唇をきゅっと歯で噛みしめていたが、やがてその唇から低い声が漏れてきた。
「あんたさ、史人のとこのお父さんと会ったことある?」
「ない、ですけど」
 兄ちゃんは何度も史人さんの家に行っているけど、俺は一度もない。誘われたこともない。
 答えを聞いた実弥さんが大きく溜め息をつく。
「それならわかんないでしょ。史人がどれだけ苦しい思いしてるか。あたしは知ってるの。子どものころから家ぐるみで付き合いがあるから。あんた、兼人さんのことだって知らないんでしょ」
「史人さんのお兄さんの話ですよね。知ってます」
「啓介くんに聞いたからでしょ? そんなの知ってるうちに入んないよ。あのね、兼人さんが家に出ていったとき、兼人さんの恋人って人が挨拶に来てたの。その恋人に史人のお父さんが言った言葉、教えてあげようか」
 実弥さんの目がすうっとこちらを見る。背もたれに預けていた体を起こし、くっとこちらに向かって身が乗り出された。
「消えろ、ゴミムシが」
 耳にしたと同時に胃がきゅっとなるのを感じた。
 言われたのは俺じゃない。でも……汚水を頭から浴びせられたような、そんな気がした。
「親族間の話だからね、うちの家にも兼人さんの話はすぐに伝わってきた。聞いて史人のとこ飛んでったよ。だって、史人もゲイだもん。目の前でそんなの見せられて普通でいられるわけないって思ったから」
 胸がざわざわする。それを押さえるように俺は必死に自分の制服の胸の辺りを掴む。実弥さんはそんな俺をちらっと流し見てから続けた。
「思った通り、史人、憔悴してた。だから提案したの。お父さんに史人がゲイだってばれないように、あたしが彼女のふりしてあげるって」
 ――好きなやつのこと父親に知られたら、そいつが兼人さんの恋人と同じ目に遭わされるかもしれない。だから……カモフラージュで実弥に彼女のふり頼んだんだって。
 実弥さんの言葉に、昨日兄ちゃんから聞いた話が重なる。
 なんなんだ。本当に。それ、なんなんだ。何時代だ、この野郎。
「ね。わかるでしょ。あんたが出てくると、史人が兼人さんみたいに傷つけられちゃう。あたしならちゃんと守れる。だから」
「ゲイ、やめたってのは?」
 低く問うと、実弥さんの綺麗に整えられた眉がぴくっと震えた。
「史人さんがそう言ったんですか?」
「……そうだよ。史人がやめたって言った」
 挑むような目がこちらを見据える。真剣で強い、目。その目に俺は怯んだ。
 俺がたじろいだのがわかったかのように、実弥さんはさらに声を重ねてくる。
「だからあたしが教えてあげてる。女の子と付き合うってどういうことかって。だってそのほうが絶対楽に生きられるもん。ってかさ、あんた、史人とキス、したことある?」
 いきなりの台詞に俺は固まる。その俺をぱっちりとした実弥さんの目が覗き込んできた。
「あたしはあるよ。練習させてあげた。ちゃんと女の子好きになれるように。ね、史人、ゲイはもうやめたの。それ……」
「ごめん、なさい」
 ぽろっと口をついて謝罪が出る。実弥さんが大きな目をゆっくりと瞬いた。
 息が苦しい。なんだか頭まで痛い。ぐるぐるする。けど。
「そういうの、聞きたく、ないです」
 俺がそう言い切ったとたん、テーブル越し、手が伸びた。ぐいっと胸倉を掴まれる。女子とは思えない力に俺は戦く。
「あんたさあ、好きな人の幸せってやつ、願えないの? それってほんとに好き?」
 好きな人の幸せ。
 俺には、よくわからない。経験もないし、史人さんがしんどいときに俺はそばにいてあげられたわけでもない。
 その意味で俺はこの人より……あの人を幸せにはしてあげられないかもしれない。
 そもそも幸せってなにか、俺にはわからない。
 ただ、ただ、思うんだ。
「わかんない。でも……それじゃ、史人さんは笑えないって、思う。俺はそれは、嫌なんだ」
 こちらを睨んでいた実弥さんの目が揺れる。その彼女の手をそうっと俺は解く。そうして頭を下げた。
 震える足を動かし、なんとか部屋を出る。襖を閉めて歩き出す。けど少し歩いただけでその場にへたり込みそうになった。
 思った以上に緊張していたみたいだ。ヤバい、足がうまく動かねえ、と慌てていると、いきなり声をかけられた。
「出口はここの廊下、まっすぐ行って右だよ」
 低めの女の人の声だ。慌てて壁に手を突いて体を支える。その俺の顔がひょい、と覗き込まれた。高い位置で結んだ髪が、ゆらっと揺れた。
「わかんないでしょ。ここ、ほぼダンジョンだもんね」
 この人、確か、実弥さんと一緒にファミレスに来た人だ。
「啓介の弟くんだよね」
「え、あ、はい」
 またもこっちのことが知られている。目を白黒している俺に、彼女はおっとりと笑った。
「ああ、私、啓介とは小学校、中学校同じクラスだったんだ。まさかの九年間。すごくない?」
「はあ」
 一度もクラスが別にならないなんて確かに珍しい。しかしそんな兄ちゃんの元同級生がなんでこんなとこに、というのが顔に出ていたのか、彼女は俺が出てきた部屋の襖をついと指差した。
「ここ、私の家でもあるから。私、実弥の双子の姉なの。二卵性だから似てないと思うけど」
「え!」
 じゃあ、この人も史人さんの事情を全部知っているってことだろうか。まじまじと見つめる俺を面白そうに眺めてから、彼女は小声で言った。
「なんかさ、実弥が暴走してごめん。あいつ、無駄に調査能力高いから……。DMまで送ったって聞いて、さすがに注意したんだけど。まさか拉致までするとは。ごめんね。ちゃんと家まで送るから、警察は勘弁してやって」
「い、いや、そんな! 通報なんてしないし、帰れるんで!」
 またあの黒塗りの車に押し込められるのは嫌だ。慌てて手をひらひらさせると、そう? と小首を傾げてから、彼女はスマホを引っ張り出した。
「んじゃ、啓介に連絡しとく。場所、わかんないでしょ。迎えに来てもらおう」
「いやいや! 兄ちゃんに迷惑かけるの嫌なんで、連絡しないでください! 俺、ひとりで大丈夫なので!」
「迷惑かけるの嫌、か。なんか君はあれだね、啓介より史人に似てるね」
 拒否すると、彼女は大きな目をゆっくりと瞬いた。その仕草は確かに実弥さんに似ていた。
「史人もそんな感じだもん。助けてって全然言えなくてあっぷあっぷしてる。そういうの見ちゃうと手差し出したくなるんだよね。特に実弥みたいにずうっと史人追っかけてた子は。その意味で罪作りだよ。史人は」
 低い声に俺はぴくりとする。先ほどまであった笑顔が、すうっと彼女の顔から消えた。
「好きな子いるのに、他の人間の気持ち乱すなんて最低でしょ。ってかさ、親がなに? 関係ない。兼人さんみたいに好きにすればいいんだよ。馬鹿馬鹿しい」
 吐き捨てる彼女を俺は呆然と見つめる。その俺を彼女はきっと鋭い目で見た。
「君もさ、実弥に詰め寄ってる暇あったら、史人にがつんと言いなよ。ああいうやつははっきり言ってやんないとだめなの。見てらんないよ。史人、君のこと大好きなのに」
「……だっ……いや、なんで、そんな……」
「ファミレス」
 さらっと言って彼女はふるっと長い髪を揺らす。
「実弥と行ったとき、私、史人観察してたの。そしたら、仕事しながらちらちら君見てんだもん。途中で君がレジにいたイケメンくんとどっか行っちゃったときも、気が気じゃないって顔してた」
 あのとき、この人に全部見られていたのか。返す言葉を持たない俺を彼女は冷淡な目で見据える。
「実弥にはこれ以上、変なことしないように私が注意する。でも、君もさ、史人のこともうちょっと見てやって。実弥にあんなこと言うんだから、責任取って笑わせてみせなさいよ」
 厳しい声音だった。呆然とする俺の前で彼女は腕を上げ、廊下を指さす。行け、ということらしい。
 その後、どうやって実弥さんの家を出たのか、正直、あんまりよく覚えていない。
 黒服の人に見送られながら玄関を出て、闇雲に足を動かしていて、見覚えのあるコンビニが見えてきたところで体から力が抜けた。
「はあああ……」
 深い息が漏れてしまう。足元もなんだか覚束ない。でもバイトに行かなきゃならない。遅刻すると伝えただけだし。
 ただ、正直、今日は行きたくなかった。
 だってあそこには、史人さんがいる。
 実弥さんとあんな話をした後に、史人さんの顔を普通の顔でなんて、見られない。
 さぼってしまいたいが、今までずる休みなんてしたことがない。それに史人さんと接客コンテストの練習もしないといけない。あと一週間しかないし、引き受けちゃった以上適当にはできないし。
 ああ、もう、俺、詰んでる。