トンネルの入口は、思っていたほど大きくはなかった。
大型トラックは通れないだろう。
いかにも、昔の通路といった造りだ。
「お、やっぱりいるねぇ」
恵吾が今の光景が当然かのように、周囲を見回しながら言う。
心霊スポットとして知られるこの場所には、そういった類の配信者や、いたずら半分で訪れた人間がちらほらと集まっていた。
数日前にフェンスが解放された、という情報をどこかで聞きつけたのだろう。
本来なら人の気配などほとんどない場所のはずだ。
それなのに今日は、人の出入りのせいで、足元の草花が踏み荒らされている。
まるで、か細い悲鳴を上げているかのようだった。
――ここに来るべきじゃなかった。
ふと、そんな感覚が胸の奥に引っかかる。
理由はわからない。ただ、落ち着かない。
「ここは危険ですので、近づかないでくださーい」
作業員か、あるいは役場の職員だろうか。
ヘルメットを被った男が、関係者以外の立ち入りを制止しているのが目に入った。
だが、その声もどこか上滑りしていて、場のざわめきに溶けていく。
誰も、本気で従う気がないように見えた。
行ってみた者たちの話では、奥はただの山林だったらしい。
家屋はなく、基礎だけが、かつてそこに何かがあった証のように冷たく残っている――それだけだと。
ちょうどそのとき、関係者に連れられて奥から出てきた若者たちが、口々に同じことを言っていた。
「ほら、やっぱり。ただ危ないからダメだって言われてるだけじゃないか」
僕はそう言って、帰ろうと恵吾に提案する。
少しでも早く、この場から離れたいと思ったからだ。
きっと人混みがあるからだろう。そう思うしか、この焦る気持ちに理由が付けられない。
「ここって、もうフェンス張るんですか?」
だが恵吾は僕の言葉を聞いていないのか、近くにいた作業着の男に声をかけた。
「ああ。明日にはできる予定だよ。こうして迷惑な連中が集まるせいで、なかなか作業が進まなくてな。ったく、どこからこの情報を聞きつけたんだか」
男は苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てるように言った。
「お前らも帰れよ。あっちの奥は何もない。ただの森だ」
早く埋めてしまえばいいのに、と不満げに呟きながら、男はその場を離れていく。
使われず、閉鎖されているというだけで好奇心を向けられるのだから、確かに埋めてしまった方がいいのかもしれない。
とはいえ、埋めるにはそれなりの予算がかかるのだろう。だからこそ、フェンスで対処しているに違いなかった。
そのうち地震か何かで勝手に崩れてくれたらそれでいいという安易な思考が取れて見える。
そこに人が埋まらなければ、自然に任せたほうがコストがかからなくて良いのだ。
元役場職員をしていた僕の祖父から聞かされていたこのトンネルの事情。残念ながら、恐怖や魅力を感じることはなかった。
「ほら、帰るよ」
そう言って恵吾の腕を引っ張る。
「倉守くんもごめんね、付き合わせちゃって」
終止何も発言をしなかった倉守。両腕には見知らぬ女子が倉守の腕に自分の腕を絡めている。
女子たちの、怖いからという名目の倉守への下心があるのが透けて見える。
怖いならついてこないこなければいいのに。という僕の心を読み取ったのか、倉守は肩を軽く動かしてやれやれという表情を見せた。
――その時だった。
ザザザザッ。
砂嵐のような雑な音が、耳の奥を震わせた。
「……?」
一瞬のことだが、耳の奥に残る違和感に眉を寄せた。
耳鳴りだろう。昨日は遅くまでスマホで漫画を読んでいたから、きっと疲れが出てきたのだ。
そう思った。
「りっちゃん!」
恵吾の声が微かに聞こえた。
「オ・ィデ……ヤオ、イ・デイド……ノナ・カカミ、ゴモリカミ――」
それは、歌のような――何か。
僕はその場に崩れ落ちた。
突然、頭の中に流れ込んでくる旋律。
同時に、見覚えのない場所の光景が、セピア色で断片的に浮かび上がる。
動悸と吐き気が一気に押し寄せ、そのあとの記憶は、途切れた。
***
「りっちゃん、大丈夫?」
電話越しに聞こえる恵吾の声は、ひどく心配している様子だった。
「大丈夫だって。明日は学校行けるから。じゃあ、また明日な」
心配しすぎな恵吾との通話を切ると、僕は小さくため息をついた。
あの後、僕はひどい眩暈に襲われ、倉守に背負われて帰宅したらしい。
恵吾ではなく倉守だったというのが、少し意外だった。
帰宅後、心配した親にすぐ病院へ連れて行かれ、診断は心因性のめまいとされた。
一応、メニエール病の疑いもあるということで、今日は学校を休み、詳しい検査を受けてきた帰りだった。
「あれ? 倉守くん」
病院の出入口の前。
まだ授業の時間帯のはずなのに、制服ではない倉守が、まるで僕を待っていたかのように立っていた。
「あら、昨日の!」
会計を済ませた母親が、倉守の姿を見るなり明るい声を上げる。
そうか――昨日は倉守が家まで来たんだったな。
ぼんやりと、曖昧な記憶をたどる。
「あのときはありがとうね。帷はぐったりしていたから、私も慌ててしまって……ちゃんとお礼も言えなくて。この子、具合が悪すぎて覚えていないみたいだけど、親子ともども感謝しているの」
勝手に話を続ける母親に対して、倉守は相槌を打つでもなく、ただ穏やかな表情で耳を傾けていた。
「心配してくれたの? まだ学校でしょ?」
「あ……俺も、今日通院で。……それで、偶然」
問われ、ようやく口を開いた倉守は、必要最低限だけ答える。ふんわりとした笑顔は絶やさずに。
その様子に、どこか作られたような違和感を覚えた。
偶然なんてあるのだろうか。とはいえ、ここは総合病院だ。
事件で負った怪我の通院だとすれば、この偶然も不自然ではないのかもしれない。
それでも、どうしても引っかかる。
恵吾の疑い深い考え方が、いつの間にか僕にも染みついてしまったのだろうか。
いや、違う。
たぶん、この笑顔のせいだ。
どこか噛み合わないような、妙な空気。
無意識に、一歩引いてしまう。
いつも騒がしいくらい明るい恵吾と一緒にいるせいか、この落ち着き払った男に、どうしても違和感を覚えてしまうのだ。
「今、帰るところ? だったら一緒にお昼でも――」
その言葉を遮るように、母親の携帯がタイミングよく鳴り出した。
今流行りの男性アイドルグループの新曲だ。
年甲斐もなく、息子と同年代の男たちに夢中になっている母親の趣味が露呈して、思わず顔が熱くなる。
「帷! ごめん。仕事で、どうしても母さんじゃないとダメだってお客さんが急に来たらしくて。体調は大丈夫そう?」
職場からの呼び出しの電話だと、すぐにわかった。
今は眩暈もなく歩けるし、体調に違和感があったらすぐに連絡すると母親に告げる。
「そう、なら母さんちょっと顔出してくるから」
それはそれで、助かった。と、僕は内心ほっとする。
このまま三人でランチ、なんてことになったら、どう振る舞えばいいのか分からなかったからだ。
「だから、これ渡しとくから、二人で行ってきて」
そう言って、母親は財布から一万円札を取り出し、半ば強引に僕の手に握らせた。
「ごめんなさいね、誘っておいて。私、一緒にいられなくなっちゃったの。これで好きなもの食べてね」
倉守にもそう声をかけると、母親はすぐに携帯へ意識を戻した。
「はい、はい」と相槌を打ちながら、足早に――まるで風のように、その場を去っていく。
「お母さん、アイドル好きなんだ」
取り残された僕に、倉守が軽く茶化すように声をかけてきた。
倉守の顔立ちは整っている。それは本人もわかっている様子だった。
そして、母親の携帯に貼られたやたらと綺麗な顔の、若い男のステッカー。それが、どこか倉守に似ていた。
母親が応援しているアイドルだ。
倉守は、僕の母親の好みに当てはまるタイプだろう。
きっとあの、隠しきれていない派手な携帯を目にして気づいたに違いない。
自分はその「好み」に入っているのではないか、と。
そんなことを言い出しそうな、意味ありげな笑みを、倉守から向けられる。
僕は羞恥心が襲い掛かり、返す言葉を失った。
そして今から二人で行ってこいと半ば強制のこれからの予定に、ただ困り果てるしかなかった。
大型トラックは通れないだろう。
いかにも、昔の通路といった造りだ。
「お、やっぱりいるねぇ」
恵吾が今の光景が当然かのように、周囲を見回しながら言う。
心霊スポットとして知られるこの場所には、そういった類の配信者や、いたずら半分で訪れた人間がちらほらと集まっていた。
数日前にフェンスが解放された、という情報をどこかで聞きつけたのだろう。
本来なら人の気配などほとんどない場所のはずだ。
それなのに今日は、人の出入りのせいで、足元の草花が踏み荒らされている。
まるで、か細い悲鳴を上げているかのようだった。
――ここに来るべきじゃなかった。
ふと、そんな感覚が胸の奥に引っかかる。
理由はわからない。ただ、落ち着かない。
「ここは危険ですので、近づかないでくださーい」
作業員か、あるいは役場の職員だろうか。
ヘルメットを被った男が、関係者以外の立ち入りを制止しているのが目に入った。
だが、その声もどこか上滑りしていて、場のざわめきに溶けていく。
誰も、本気で従う気がないように見えた。
行ってみた者たちの話では、奥はただの山林だったらしい。
家屋はなく、基礎だけが、かつてそこに何かがあった証のように冷たく残っている――それだけだと。
ちょうどそのとき、関係者に連れられて奥から出てきた若者たちが、口々に同じことを言っていた。
「ほら、やっぱり。ただ危ないからダメだって言われてるだけじゃないか」
僕はそう言って、帰ろうと恵吾に提案する。
少しでも早く、この場から離れたいと思ったからだ。
きっと人混みがあるからだろう。そう思うしか、この焦る気持ちに理由が付けられない。
「ここって、もうフェンス張るんですか?」
だが恵吾は僕の言葉を聞いていないのか、近くにいた作業着の男に声をかけた。
「ああ。明日にはできる予定だよ。こうして迷惑な連中が集まるせいで、なかなか作業が進まなくてな。ったく、どこからこの情報を聞きつけたんだか」
男は苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てるように言った。
「お前らも帰れよ。あっちの奥は何もない。ただの森だ」
早く埋めてしまえばいいのに、と不満げに呟きながら、男はその場を離れていく。
使われず、閉鎖されているというだけで好奇心を向けられるのだから、確かに埋めてしまった方がいいのかもしれない。
とはいえ、埋めるにはそれなりの予算がかかるのだろう。だからこそ、フェンスで対処しているに違いなかった。
そのうち地震か何かで勝手に崩れてくれたらそれでいいという安易な思考が取れて見える。
そこに人が埋まらなければ、自然に任せたほうがコストがかからなくて良いのだ。
元役場職員をしていた僕の祖父から聞かされていたこのトンネルの事情。残念ながら、恐怖や魅力を感じることはなかった。
「ほら、帰るよ」
そう言って恵吾の腕を引っ張る。
「倉守くんもごめんね、付き合わせちゃって」
終止何も発言をしなかった倉守。両腕には見知らぬ女子が倉守の腕に自分の腕を絡めている。
女子たちの、怖いからという名目の倉守への下心があるのが透けて見える。
怖いならついてこないこなければいいのに。という僕の心を読み取ったのか、倉守は肩を軽く動かしてやれやれという表情を見せた。
――その時だった。
ザザザザッ。
砂嵐のような雑な音が、耳の奥を震わせた。
「……?」
一瞬のことだが、耳の奥に残る違和感に眉を寄せた。
耳鳴りだろう。昨日は遅くまでスマホで漫画を読んでいたから、きっと疲れが出てきたのだ。
そう思った。
「りっちゃん!」
恵吾の声が微かに聞こえた。
「オ・ィデ……ヤオ、イ・デイド……ノナ・カカミ、ゴモリカミ――」
それは、歌のような――何か。
僕はその場に崩れ落ちた。
突然、頭の中に流れ込んでくる旋律。
同時に、見覚えのない場所の光景が、セピア色で断片的に浮かび上がる。
動悸と吐き気が一気に押し寄せ、そのあとの記憶は、途切れた。
***
「りっちゃん、大丈夫?」
電話越しに聞こえる恵吾の声は、ひどく心配している様子だった。
「大丈夫だって。明日は学校行けるから。じゃあ、また明日な」
心配しすぎな恵吾との通話を切ると、僕は小さくため息をついた。
あの後、僕はひどい眩暈に襲われ、倉守に背負われて帰宅したらしい。
恵吾ではなく倉守だったというのが、少し意外だった。
帰宅後、心配した親にすぐ病院へ連れて行かれ、診断は心因性のめまいとされた。
一応、メニエール病の疑いもあるということで、今日は学校を休み、詳しい検査を受けてきた帰りだった。
「あれ? 倉守くん」
病院の出入口の前。
まだ授業の時間帯のはずなのに、制服ではない倉守が、まるで僕を待っていたかのように立っていた。
「あら、昨日の!」
会計を済ませた母親が、倉守の姿を見るなり明るい声を上げる。
そうか――昨日は倉守が家まで来たんだったな。
ぼんやりと、曖昧な記憶をたどる。
「あのときはありがとうね。帷はぐったりしていたから、私も慌ててしまって……ちゃんとお礼も言えなくて。この子、具合が悪すぎて覚えていないみたいだけど、親子ともども感謝しているの」
勝手に話を続ける母親に対して、倉守は相槌を打つでもなく、ただ穏やかな表情で耳を傾けていた。
「心配してくれたの? まだ学校でしょ?」
「あ……俺も、今日通院で。……それで、偶然」
問われ、ようやく口を開いた倉守は、必要最低限だけ答える。ふんわりとした笑顔は絶やさずに。
その様子に、どこか作られたような違和感を覚えた。
偶然なんてあるのだろうか。とはいえ、ここは総合病院だ。
事件で負った怪我の通院だとすれば、この偶然も不自然ではないのかもしれない。
それでも、どうしても引っかかる。
恵吾の疑い深い考え方が、いつの間にか僕にも染みついてしまったのだろうか。
いや、違う。
たぶん、この笑顔のせいだ。
どこか噛み合わないような、妙な空気。
無意識に、一歩引いてしまう。
いつも騒がしいくらい明るい恵吾と一緒にいるせいか、この落ち着き払った男に、どうしても違和感を覚えてしまうのだ。
「今、帰るところ? だったら一緒にお昼でも――」
その言葉を遮るように、母親の携帯がタイミングよく鳴り出した。
今流行りの男性アイドルグループの新曲だ。
年甲斐もなく、息子と同年代の男たちに夢中になっている母親の趣味が露呈して、思わず顔が熱くなる。
「帷! ごめん。仕事で、どうしても母さんじゃないとダメだってお客さんが急に来たらしくて。体調は大丈夫そう?」
職場からの呼び出しの電話だと、すぐにわかった。
今は眩暈もなく歩けるし、体調に違和感があったらすぐに連絡すると母親に告げる。
「そう、なら母さんちょっと顔出してくるから」
それはそれで、助かった。と、僕は内心ほっとする。
このまま三人でランチ、なんてことになったら、どう振る舞えばいいのか分からなかったからだ。
「だから、これ渡しとくから、二人で行ってきて」
そう言って、母親は財布から一万円札を取り出し、半ば強引に僕の手に握らせた。
「ごめんなさいね、誘っておいて。私、一緒にいられなくなっちゃったの。これで好きなもの食べてね」
倉守にもそう声をかけると、母親はすぐに携帯へ意識を戻した。
「はい、はい」と相槌を打ちながら、足早に――まるで風のように、その場を去っていく。
「お母さん、アイドル好きなんだ」
取り残された僕に、倉守が軽く茶化すように声をかけてきた。
倉守の顔立ちは整っている。それは本人もわかっている様子だった。
そして、母親の携帯に貼られたやたらと綺麗な顔の、若い男のステッカー。それが、どこか倉守に似ていた。
母親が応援しているアイドルだ。
倉守は、僕の母親の好みに当てはまるタイプだろう。
きっとあの、隠しきれていない派手な携帯を目にして気づいたに違いない。
自分はその「好み」に入っているのではないか、と。
そんなことを言い出しそうな、意味ありげな笑みを、倉守から向けられる。
僕は羞恥心が襲い掛かり、返す言葉を失った。
そして今から二人で行ってこいと半ば強制のこれからの予定に、ただ困り果てるしかなかった。


