SinJu―神と呪いと君と恋―

 九件目の事件が起きてから、まだ一週間ほどしか経っていない。
それなのに――被害者は何事もなかったかのように、教室に姿を現した。

「総司くん、大丈夫? 荷物持とうか?」

 元々整った顔立ちで女子の人気を集めていた倉守総司は、事件をきっかけにさらに注目を浴びていた。
心配しているように見せながら、どこか下心が透けて見えるのは気のせいじゃないだろう。

「ありがとう。でも、自分で持てるよ」

 ふんわりと柔らかな声と笑顔が、その場の空気を優しく撫でる。
白い鉄塔のようにすっと伸びた姿勢。
どこか近寄りがたい、謎めいた雰囲気。
それが余計に女子たちの心を掴んでいるようだった。

「やっぱり綺麗な人が狙われるのかな」
「総司くん、気をつけないと!また狙われるかも! 顔を見たんでしょ?」

 騒ぐ女子たちの横で、男子たちはさりげなく自分の顔を確認していた。
犯人は幼い顔立ちの若い男しか狙わない――そんな根拠のない噂に、いつの間にか「美形」という条件まで付け加えられていたからだ。
まるで、自分も対象になるかもしれないとでも思っているかのようだった。
自意識が高いことはいいことだ。
僕は嫌味たっぷりの気持ちをぶら下げて、教室の空気になっていた。

「うん。だから送迎つきだし、心配しないで」

 そういえば、朝は外国製の高級車で登校してきていたな。
そのことを思い出した誰かが小声で話すと、女子たちはさらに倉守との距離を詰めていく。
金持ちという肩書きまで加われば、人気が上がるのも当然なのかもしれない。
僕は、そんな様子をどこか他人事のように眺めていた。

――そのとき。
バチッと、目が合った。

意識して見ていたことが露骨にばれた気がして、いたたまれなくなる。
僕は慌てて視線を落とし、机の上のノートに意味もなく鉛筆を走らせた。

「リンちゃん。怪しいと思わないか?」

 隣の席から、恵吾が悩ましげな顔を向けてくる。
ひそひそと顔を近づけて話しかけられ、耳にかかる息がくすぐったかった。

「何が?」
「倉守だよ」

 何が怪しいのか分からず、僕は眉を寄せた。

「どこが?」
「だって、あいつだけ生きてるんだぞ?」
「……良かったじゃないか。ケガしたとはいえ、命が助かったんだから」

 何を馬鹿なことを言い出すんだ。
呆れながら、僕は視線をノートに戻した。
無意味に重ねられた鉛筆の線は、何を描こうとしたのかも分からないまま、ぐちゃぐちゃに絡み合っている。

「もしかしたら、自作自演なんじゃないかって、俺は思う」
「お前はミステリー漫画の読みすぎだ」

 いや、オカルトか?
僕は頭の中で、大親友の趣味を訂正した。
小学生からの付き合いだ。好みくらい、なんとなく分かっている。
とにかく恵吾は、事件について自分なりに推理するのが大好きだ。
ありもしない仮説を立てて、一人で盛り上がるのもいつものことだった。
だから普段なら適当に聞き流す。
けれど――今回は違う。
被害者を犯人扱いするなんて。
しかも、それが同級生だ。
さすがに言ってはいけない一線を越えているように思えた。
だから僕は、この話題にこれ以上触れるつもりはなかった。

 態度に出ていたのか、恵吾はそれ以上自分の憶測を語ろうとはしなかった。
けれど、まだ話し足りないのは見ていて分かる。言葉を飲み込んだ代わりに、別の話題を探しているようだった。

「そういえばさ、リンちゃん。学校の裏山の話なんだけど」

 今度は都市伝説を持ち出してきた。
学校の裏山には、昔の集落へ続くトンネルがあると言われている。
今はもう誰も住んでいない、廃村へ続く道だ。
大きな鳥居の奥に、古びたトンネルがぽつんと口を開けている。
そのせいで、いつの間にか心霊スポットとして有名になっていた。
 もっとも、そこは立ち入り禁止区域だ。
入口は格子で塞がれていて、中に入ることはできない。
元はといえば、ただの小さな集落だったらしい。
利便性を求めて若者が村を出ていき、残った住民も高齢化でいなくなった――それだけの話だ。
なのに、その古びた景色が勝手に尾ひれをつけられ、いつしか“心霊スポット”と呼ばれるようになっただけだった。

 なぜ閉鎖されたのか――その理由は、町の歴史にも記されていない。
だからこそ、あとからいくらでも噂が作られた。
たとえば、こんな話だ。

 一つ。
口減らしのために年寄り子供を捨て、見殺しにする場所だった。

 二つ。
民間旅客機が落ちた場所で、村は火の海となり、誰一人生き残れなかった。

 三つ。
疫病が流行り、病を持っているかもしれない者たちを、村ごと閉じ込めた。

 色々な仮説の後は必ず

「霊が恨みを抱き、今もトンネルの向こうで唸り続けている。だから、あの先には行ってはいけない」

 で、締めくくられている。

……どれも信憑性のない作り話だ。
もちろん、誰も本気では信じていない。
ただ古いだけのトンネルだ。
けれど――夜になると、あの格子の奥から何かが鳴いているのを聞いた、なんて話をする奴もいる。
空気の音だと、僕は思うのだけれど。

「そこ、今は行けるらしいんだ。格子を新しくするとかで、今は取っ払ってんだってさ」

 恵吾の声を聞いた瞬間、僕はこいつが本気で行くつもりだと悟った。
キラキラした目は、もう「一緒に行こう」と誘っているのと同じだった。

「馬鹿言うなよ……。老朽化して危ないからだって、役場がはっきり明言してたじゃないか」

 動画配信が流行っている今、こういう心霊スポットに入り込む人間が増えている。
そのせいで町も、わざわざ注意を出しているのだ。
危険だから近づくな。
そう言っているのに、危険という言葉の意味をすり替えて、こういう話題が好きな連中は相変わらず興味を失わない。
そして、その中に恵吾もいる。

「火のないところに煙は立たないんだよ。國井帷くん」

 またわざとらしくフルネームで呼ばれる。
からかっているのは明らかだった。

「僕はいかないよ」
「えー!?そこをなんとか!」

 何度も何度も頭を下げてくる。
ああ、これは折れるまで粘るやつだ――僕はすぐに悟った。

「やだってば……」
「リンちゃーん」

 何度目か分からないやり取りに、さすがに根負けしかける。
猫みたいに甘えられると、こちらの良心がぐらつくのだ。

「わかったよ。ただし、行くだけ。中には入らない」
「いやいや、中に行くっしょ普通」

 条件を出すと、恵吾は口を尖らせた。
そのときだった。

「あそこに行くのはダメだ」

 上から、声が降ってきた。
澄んだ、よく通る声。
教会の鐘みたいに、静かに響く声だった。

「え? 倉守、くん……?」

 同じクラスというだけで、特別仲がいいわけでもない倉守。
そんな彼から声をかけられるとは思っていなくて、僕は思わず名前を呼んだ。
驚いたのは恵吾も同じらしい。
息を呑んで固まっている。

「あそこは行ったら、ダメ」
「あ、うん……そうだね。危ないから、ね」

 じっと見つめられて、僕の声は少し震えた。

「そうそう。わかっているならいい」

 さっきまでの鋭い空気が嘘のように、倉守はやわらかな笑みを浮かべた。
三日月みたいに細く弧を描いたその笑顔は、慈愛に満ちている――はずなのに。

どこか嘘くさい。
どうも苦手だ。
僕を見る目が、時々ほんのわずかに冷たくなる気がする。

嫌われるようなことをした覚えはない。
けれど好かれる努力をしたこともない。
だから僕は、余計なことは言わないことにした。

 倉守が背中を向けたのを見計らって、恵吾が小さく耳打ちする。

「約束だからな」

 そんな小さな声を聞き取ったのか、倉守は足を止めて振り返った。

「でも、どうしても行きたいなら――」

 静かな声だった。

「俺も一緒に行くよ」

 さっきはお前がダメだって言っただろ。
僕は心の中で突っ込みながら、深いため息をついた。