SinJu―神と呪いと君と恋―

 この学校の生徒が殺人鬼に襲われた。
その噂が教室に広がったとき、ざわついていた空気が一瞬だけ止まった。
誰もが同じことを思ったからだ。

 ――九人目だ。

「今日も出たよ。ウォーキーの事件詳細」

 隣の席から、やけに弾んだ声が聞こえた。
振り向くと、スマホを掲げた男が画面を指で滑らせている。まるで面白い動画でも見つけたかのように、目がきらきらと輝いていた。

「まだ追ってんの?」

 僕は机に肘をついたまま、気のない声で返す。
本当は、その話題に触れたくなかった。
けれど、こいつ――僕の大親友・木戸恵吾(きどけいご)は、この連続殺人事件に妙な熱を上げている。ニュースが更新されるたびに、こうして僕に話しかけてくるのが最近の習慣になっていた。

國井帷(くにいとばり)くん。事件はロマンだ」

 わざとらしくフルネームで呼ばれて、僕は小さく眉をひそめる。
こいつが僕の名前をちゃんと呼ぶなんて珍しい。
普段は「リンちゃん」なんて、女の子みたいなあだ名で呼んでくるくせに。
幼少期のあだ名のとばりんのリンだけ残して呼ぶなんて、なかなかにセンスが悪いのではないだろうか。

 木戸恵吾は背が高く、制服の着こなしもどこか不良じみている。顔だけは無駄に整っているが、成績は壊滅的だ。
 そんなやつが、今はスマホを覗き込みながら楽しそうに笑っている。
事件の考察になると、こいつはやけに頭の回転が速い。

「ああそうですか。でもまあ、倉守(くらもり)が無事でよかったよ」

 半ばあきれながら、僕はその名前を口にした。
 倉守総司(そうじ)
今回の事件で襲われた被害者だ。うちの学校の生徒で、同級生でもある。
そのせいだろう。
教室はいつも以上に落ち着かなかった。
 小さな声で交わされる噂。
机に身を寄せ合ってスマホを覗き込む生徒たち。
誰もが同じ話題を口にしている。
けれど、不思議と大きな声は出ない。
まるで犯人が、この学校のどこかに潜んでいるかのように。

 犯人は、地元では「ウォーキー」と呼ばれていた。
今回で被害者は九人目。
倉守を除く八人は、すでにこの世にはいない。
 連続殺人事件として、ニュースでも何度も取り上げられてはいるが、国中を揺るがすほどではないらしい。政治の話題や都市部の大きな事件の影に隠れ、扱いは少しずつ小さくなっていた。
また事件が起きても、テレビでは「連続殺人事件は未解決のまま」と短く触れられるだけ。
この小さな町で起きている殺人など、国全体から見れば取るに足らない出来事なのだろう。
いや、それとも何か大きく報じてはいけないものがあるのかもしれない。
日本という国にとって、世界が目を向けてはいけない事情でもかるかのように、この事件は薄れやすかった。

 だが、この教室では違う。誰もがこの話題を口にする。
近くで起きている事件なのだ。関心を示さないほうがどうかしている。
しかも今回は、同級生が襲われたのだ。
普通なら女子が怖がりそうなものだが、実際に怯えているのは男子のほうだった。
理由は単純だ。

被害者は(・・・・)全員男(・・・)”だからだ。

 今年は桜の開花が遅く、四月の終わりになって、ようやく校庭の桜が満開になった。
その頃だった――最初の死体が見つかったのは。
それからというもの、事件は断続的に続いている。
 犯人が同一人物だと考えられている理由がある。
被害者は皆、性的に侵された痕跡と精液にまみれた状態で発見される。
青白くなった皮膚をさらした遺体は、死後の予想時間にしては、肉の痛みが進みすぎていたらしい。
そして必ず、指が一本切り落とされていた。まるで、戦利品のように。
それが、死んだ八人の共通点だ。
けれど、不可解な点が幾つもある事件でもあった。
精液を残すとなれば、跡を残しているようなもの。
犯人がそんなものを残していくなんて、とんだ変態だと僕は思う。
指だって一本一本、違う指だったそうだ。
もっとも奇妙なのは、町のカメラに映し出されていたのは、一人で狂って死んでいく姿だったと、警察を親に持つ生徒が自慢げに語っていた。
性的に犯されたのは死後だろう。なぜかカメラは全て一人で倒れた後の姿がエラーで記録に残っていないのだという。
不気味が重なる、不可解な事件。

 事件発生から九件目となった今回。
倉守は性的暴行を受けそうになったところで反撃し、なんとか逃げ延びたらしい。
だが背中を刃物で切りつけられ、重傷を負ったという。
そのニュースが流れたことで、いったん薄れていたメディアの関心は一気に戻った。
今回は被害者の証言があるからだ。

「今回の被害者の証言から――」

 誰かがスマホで動画を再生する。
教室のあちこちから、同じニュースの音声が漏れ聞こえてきた。

「地元では“ウォーキー”という名前で呼ばれている犯人ですが、特徴は――」

 画面の向こうで、アナウンサーが淡々と語る。
闇に包まれていた犯人像。
目に見えない深夜のカラスのような存在だったものが、服装や外見の情報とともに少しずつ形として報じられていく。

「なぜ“ウォーキー”と呼ばれているのか。それは一九八十年後半、アメリカウィスコンシン州のミルウォーキーで起きた性的少数者による連続殺人事件に由来していると見られ――」

 同性愛者による連続殺人。
メディアはそんな過去の事件を引き合いに出し、好き勝手な憶測を並べていた。

 ふと、僕は教室の後ろを見た。
そこには、ぽっかりと空いた席がある。
倉守総司の席だ。

 椅子は机の下にきちんと収まったままで、誰も座っていない。
それなのに、その場所だけが妙に目についた。
昨日まで普通にそこにいたはずの人間が、突然いなくなる。
ただそれだけのことなのに、胸の奥が落ち着かない。
そのときだった。

「なあ、リンちゃん」

 隣の席の大親友が、くすりと笑う。

「もしさ」

 恵吾は楽しそうに言った。

「犯人が、この学校にいたらどうする?」

 冗談めいた声だった。
なのに、なぜか僕は、すぐに笑い返すことができなかった。
背中に、ぞくりとした感覚が走ったからだ。
まるで、誰かに見られているみたいに。

 僕は思わず教室を見回した。
けれど、こちらを見ている者はいない。
ざわめきはさっきまでと変わらない。

 ただ一つだけ。
教室の後ろにある、あの空席だけが――なぜか、ずっと気になっていた。