どうせ届かないのに、それでも好きになった——宮廷武官と薬師の恋

「そんなに、緊張しなくても大丈夫だ」

訪問先へ向かう道すがら、越さんが、緊張で顔がこわばっている私を見て言った。

「でも、越さんの上司だし……。こっちの常識もあまり知らないので、失礼なことをしたらって」

自分でも分かるくらい、声が硬い。

今日は越さんの上司である魏指揮官の家へ、結婚の挨拶に行くことになっていた。

越さんはそんな私を見て、少し困ったように息をつく。

「そこまで心配しなくていい。あまりそういうことを気にされない方々だ」

「でも……」

不安はなかなか消えない。

そんな私を見下ろしてから、越さんは少し考えるように目を細めた。

そのまま、ふいに右手を握られる。

「あの、越さん?」

「確かに手が冷たいな」

言われて、自分でも苦笑いしてしまう。

「……ですよね」

緊張すると、いつもこうなる。でも、包み込まれた手は驚くほど温かくて。

じんわりと、緊張していた気持ちが和らいでいく。

少し迷ってから、思い切ってお願いする。

「……もう少しだけ、このままでも」

言った瞬間、顔が熱くなる。

けれど越さんは、柔らかな笑みを浮かべて、

「あぁ、別に、ずっとでも構わないが」

と、軽く指を絡めるように握り直してくれた。

少し恥ずかしいけど、それより安心感の方が勝ってしまう。

隣を歩く足取りまで、自然と落ち着いていく気がした。

――越さん、優しいから。

すっかり、頼りぐせがついちゃったな。

そんなことを考えているうちに、視界の先に大きな屋敷が見えてきた。

越の家より、一回りほど大きい。

落ち着いた造りだけど、門構えや庭の広さに、自然と身構えてしまう。

越は門の前で足を止め、「ここだ」と呼び鈴を鳴らした。

しばらくして扉が開く。

「来たか」

「あらまぁ、久しぶりね、越」

門を開けた魏指揮官と、その隣に立つ女性が交互に声をかける。

「お時間いただき、ありがとうございます」

越さんは軽く礼をした。

私も慌ててそれに倣って頭を下げる。

「堅苦しい挨拶はいい。とりあえず上がれ。姫香さんだったな、貴方も」

「は、はい。お邪魔します」

「ふふ、貴方が姫香さんね。会えて嬉しいわ」

奥様が、にっこりと笑った。

柔らかな雰囲気に、その瞬間、私の心配が取り越し苦労だったと分かる。

居間へ通されると、すでにお茶とお菓子が用意されていた。

席へ着く前に、越さんが改めて姿勢を正す。

「本日は、結婚のご報告に伺いました」

そう言って、私の方へ軽く視線を向ける。

「こちらが姫香です。半年後に式を挙げる予定でいます」

急に話を振られて、背筋が伸びた。

「あ、島崎姫香です。よろしくお願いします」

慌てて頭を下げると、

「あぁ、私が魏景堯だ」

「芳玲(ホウレイ)よ。よろしくね」

柔らかな空気に少しホッとした瞬間、

「1年ぶりかしら。貴方ってば、全然顔を見せに来ないから」

芳玲さんが、しょうがないわねという感じで越さんを見る。

「……すみません、芳玲おばさん」

その言葉に、私は思わず越さんを見る。

……おばさん?

その反応に気づいたのか、魏さんが小さく笑った。

「あぁ、私達は越が生まれた頃から知ってるんだ。部下ではあるが、これの父親と友人でね」

そう言って、呆れたように越さんを見る。

「お前、言ってなかったのか」

すると越さんは、

「……そういえば」

と、今思い出したみたいな顔をした。

――あぁ、越さんらしい。

だから、“そんなに心配しなくていい”だったのか。

ようやく意味が分かって、少し肩の力が抜けた。

「越のお母様が早くに亡くなられたから、小さい頃はよく、うちに来ていたのよ」

芳玲さんが懐かしそうに話す。

「本当に、すっかり立派になって」

そして、どこか感慨深そうに目を細めた。

「それにね、小さい頃は、ものすごく可愛かったのよ」

「……芳玲おばさん」

珍しく、越さんが少し嫌そうな顔をする。

しかも、ほんのり耳まで赤い。

なんだか新鮮で、思わず見つめてしまった。

「小さい頃の越さんって、どんな感じだったんですか?」

気になって尋ねると、越さんはさらに眉を寄せる。

でも、話を止めたりはしなかった。

芳玲さんは魏さんと顔を見合わせ、

「そうねぇ……」

と考えるように首を傾げた。

すると今度は、魏さんが口を開く。

「とにかく、融通が利かなかったな」

「そう、そう」

芳玲さんが相槌を打ちつつ、思い出したかのようにくすっと笑う。

「一度こうと決めたら絶対に曲げん。子供なのに妙なところで頑固だった」

「……それは、今とあまり変わらないんですね」

思わずそう返すと、魏さんが吹き出した。

「違いない」

隣では、越さんが諦めたように小さく息をついていた。

そんなやり取りをしながら、芳玲さんがふと私へ視線を向ける。

「貴方に会えるの、本当に楽しみにしていたのよ。越が選んだ女性がどんな人かしらって」

その言葉に、胸の奥がざわつく。

「その……なんというか、すみません」

気づけば、そんな言葉が口から出ていた。

だって、地味で、家柄があるわけでもない。あげくに異世界人だし。

そんな私が、越さんと結婚するなんて。

――きっと、がっかりされてると思うから。

「姫香」

隣から越さんの少し諫めるような声がした。

でも、その前に、

「あら?」

芳玲さんが不思議そうに目を丸くする。

「謝ることなんて、あったかしら」

やわらかな声だった。

「私、貴方のこと、とても気に入ったわ」

そう言って、ふわりと笑う。

「ねぇ、貴方」

芳玲さんに視線を向けられて、魏さんも頷いた。

「あぁ。これのことを、これからは頼む」

チラッと越さんを見てから、続ける。

「無茶をしたら、ちゃんと怒ってくれ」

「はい。その……頑張ります」

「頑張らなくても、もう怒られている気はするが……」

越さんが小さく肩をすくめる。

「それは、いつも越さんが自分の体を大切にしないから」

少しだけ睨むように言う。

「あらまぁ、もう心配ないわね」

「そのようだな」

芳玲さんが楽しそうに笑い、魏さんも納得したように、小さく息を漏らした。

――――――――――――

越と姫香が帰ったあと。

閉じた扉を見送りながら、魏が小さく息を吐く。

「随分、気に入ったようだな」

その言葉に、芳玲はふふっと笑った。

「えぇ。越には、ああいう女性が似合うわ」

「家を任せられる、しっかりした貴族の女性が合うかと思っていたがな」

魏がそう言うと、芳玲は小さく頷く。

「私もそう思っていたわ。でも、そこじゃなかったのね」

どこか安堵したように目を細める。

「あぁ。越も随分、大切にしているようだった」

魏は小さく息を吐いた。

「あいつが、あそこまでになるとは、予想外だった」

「本当ね」

芳玲はくすりと笑う。

「少し前まで、まさか結婚するなんて思ってもなかったわ」

それから、どこか穏やかな表情で続けた。

「でも、ちゃんと2人とも幸せそうで安心したわ」

「そうだな」

二人の空気を思い出し、小さく息を吐く。

「あれなら、大丈夫だろう」

ぽつりと零れた言葉に、芳玲はやわらかく笑った。