どうせ届かないのに、それでも好きになった——宮廷武官と薬師の恋

執務机の上に、魏指揮官が封筒を2枚、雑に放り出した。

「これは」

越が視線を落としたまま問いかけると、魏は面倒そうに肩を竦める。

「お前への縁談だ」

その瞬間、越は隠そうともせず眉を寄せた。

「以前も言いましたが、私は来年結婚予定です。縁談を持ち込まれても困ります」

「俺に言われても知らん」

魏は即座に言い返す。

「お前、身内がもういないしな。だから全部こちら経由になるんだ。さすがに何件も続いて迷惑だ」

淡々とした正論だった。

越は一瞬だけ言葉を失い、そのまま黙り込む。

魏はそんな部下を見ながら、深いため息をついた。

「確か、診療所に手伝いに来ている薬師だったな。異世界出身の」

「はい」

越は短く頷く。

「いずれ、2人でご自宅に挨拶に伺うつもりです」

「そうか。なら早めにしろ」

魏は椅子へ深く背を預けながら続けた。

「武官は、上司への挨拶が済めば世間的には認められる。少しは違うだろう」

越はわずかに視線を伏せる。

「……助かります」

その返事に、魏は一瞬だけ呆れたような顔をした。

「お前が素直だと気持ち悪いな」

「……」

越は無言のまま眉を寄せる。

魏は小さく吹き出してから、手を振った。

「まぁいい。妻には話を通しておく。会いたがってはいたしな」

「はい。奥様にもよろしくお伝えください」

「礼はいい。もう行け」

魏は机の上の封筒をひらひらと振った。

「これはこっちで断っておく」

越は軽く一礼すると、そのまま執務室を後にした。

扉が閉まったあと、魏は改めて封筒へ視線を落とし、大きく息を吐く。

「……まぁ、あいつは無茶するからな。これで少し落ち着くか」

そう呟きながら、少し安堵したように目を細めた。

――――――――――――

診療所からの帰り道。

いつものように越に馬へ乗せてもらい、他愛ない会話を交わしながら夜道を進む。

しばらくして会話が途切れた頃、不意に越さんがぽつりと言った。

「今度、指揮官の家へ結婚の挨拶に行くことになった」

「……えっ?」

思わず振り返りそうになって、慌てて踏みとどまる。

「越さんの上司への挨拶ですか?」

「あぁ」

越さんは短く答えた。

「もう少し先でもと思っていたが……大丈夫そうか」

少しだけ気遣うような声音だった。

私は、小さく頷く。

「大丈夫です」

挨拶は何かしら必要なのかもと思っていたので、驚きはなかった。

でも、越さんの上司って、たしか結構偉い人だったよね。

少し、緊張しそう。

そんなことを考えていると、さらに声が続いた。

「いつになるかは、あちらの予定次第だが」

そこで、ふと気づく。

……家って言ってなかったっけ?

私は慌てて聞き返した。

「家ってことは、ご自宅に行くの?」

「あぁ」

さらっと返されて、余計に緊張してきた。

「挨拶の時って、服は正式なものとかあるんですか?」

「いや、特にはないと思うが」

少し間を置いてから、越さんが続ける。

「以前、店に来ていた青い服で問題ない」

「あ、あれ」

小綺麗できちんとした服を思い出す。

「あれなら大丈夫かな……」

小さく呟くと、越さんが低く「問題ない」と返した。

その言い方が妙に断言めいていて、少しだけ肩の力が抜ける。

「あの、何か持って行った方がいいですよね?」

「それは大丈夫だ。指揮官は酒が好きだから、適当に買っていく」

そこだけ妙に雑な言い方で、思わず少し笑ってしまう。

「それなら、私、奥様にお菓子とか買って行こうかな」

そう言うと、越さんは小さく頷いた。

「そうだな。じゃあ、頼む」

「はい」

あと半年かぁ。

思ったより、あっという間だった気がする。

……それとも、少しはこの距離にも慣れたんだろうか。

最近は馬に乗っている時も、すっかり越さんの胸元へ背中を預けてしまっている。

なんだか安心するというか――。

そこまで考えて、また気恥ずかしくなる。

そんなことを考えているうちに、お師匠様の家へ辿り着いた。

いつものように越さんの肩へ手を添えると、軽々と抱き下ろされる。

その動作にも、だいぶ慣れてきたと思う。

「じゃあ」

「また週末に」

そう言って見上げた瞬間、不意に頬へ手が触れた。

え――。

驚いて反応する間もなく、柔らかな感触が唇へ落ちる。

「……っ」

完全に固まった私を見て、越さんは少しだけ楽しそうに目を細めた。

それから真っ赤になっている私の頭をぽんと軽く叩くと、そのまま軽々と馬へ乗る。

「おやすみ」

低い声だけ残して、馬が夜道を駆けていく。

私はしばらく呆然としたまま、その後ろ姿を見送った。

……これは、全然慣れないかも。

最初にされた時なんて、しばらく動けなかった。

最近、越さんは時々こういうことをしてくる。

嬉しい。

嬉しいんだけど――心臓がもたない。

遠ざかっていく背中を見つめながら、私はそっと息を吐いた。