どうせ届かないのに、それでも好きになった——宮廷武官と薬師の恋

「さすがに、この辺はすごい人ですね」

「まぁ、休日だしな」

越の傍をなんとか歩きながらも、人混みに何度か流されそうになる。

そのたびに、越が少し足を止めて待ってくれた。

このままだと、いつかはぐれそう。

少し迷った末、私は思い切って口を開く。

「あの、だめならいいんですけど……流されないように、少し袖を掴んでも、その……」

そこまで言って、子供じゃないんだからと、自分で言ったことに一気に恥ずかしくなる。

すると越さんは、「確かにな」と短く呟いた。

次の瞬間、越さんが私の右手を取る。

そのまま何事もなかったみたいに歩き出した。

「あ、あの、越さん」

私は手を握られたまま、真っ赤になって越さんを見上げる。

「なんだ」

「いえ、だから、その……手が」

握られた手へ視線を落とすと、越さんは少しだけ不思議そうな顔をした。

「嫌なのか? 袖を掴むより確実だと思うが」

あまりにも当然みたいに言われて、私は慌てて首を振る。

「嫌なんて……その、このままで良ければ」

そんな私の反応に、越さんは少しだけ笑った。

「あぁ」

それだけ言って、また歩き出す。

「玉蘭衣舗って、もうそろそろですか?」

「あぁ。あと少し歩いたところだ」

それからしばらくして、立派な佇まいの店が目の前に現れた。

―――――――――――――――――

「私の世界では、結婚式の衣装って白がほとんどで。こっちの衣装って、赤なんですね」

店の外に飾られている婚礼衣装を見ながら、私はそう呟いた。

刺繍の入った鮮やかな赤い衣装は、日本で見ていたウェディングドレスとは全然違う。

それに、衣装の形も当然だけど中華風だ。

これはこれで、可愛いかも。

そんなことを思いながら、少しだけ感慨深い気持ちになる。

――まさか、私が結婚式の衣装を着る側に立てるなんて、考えたこともなかった。

この世界に転移したことも含めて、本当に人生何があるか分からない。

……ああ、でも。

家族には見せたかったな。

私は死んだことになっているのか、それとも行方不明扱いなんだろうか。

「姫香?」

心配そうな声に、ハッとする。

「あ、その……色々、考えちゃって。元の世界と違うので」

苦笑いを浮かべながらそう答える。

「いや、そうだな。家族のことも……あるのだろう」

ドキッとした。

どうしてこの人は、こういうことばかり見抜くんだろう。

でも、それがすごく嬉しい。

「家族は、喜んでくれただろうなって思って――」

少しだけ言葉を止める。

「でも、私にはお師匠様がいてくれますし」

そこまで言ってから、少しだけ勇気を出す。

「……その、越さんもいるから」

言った瞬間、結局また顔が熱くなった。

「そうか」

短い返事と一緒に、ぽん、と頭を軽く撫でられる。

「……っ」

不意打ちみたいなその仕草に、ドキッとする。

私は照れ隠しみたいに小さく笑った。

「えっと、入りましょうか」

「ああ」

そう言いながら、越が店の扉を開けてくれる。

中へ入ると、店員がすぐにこちらへ歩み寄ってきた。

「いらっしゃいませ」

柔らかな笑みを浮かべた女性店員が、私たちを見て目を細める。

「ご結婚予定ですか?」

「あぁ。衣装選びをお願いしたい」

「おめでとうございます」

「ありがとうございます」

なんだか、恥ずかしいかも。

私とは対照的に、彼は「あぁ」と平然としている。

本当に、越さんはこういう時も全然変わらない。

……いや、私が照れすぎなのは自覚あるけど。

「そうですね。どういった雰囲気のものがお好みですか?」

そう尋ねられて、私は困ったように凌越を見る。

「えっと……見てからでもいいですか? なんか、たくさんあってよく分からなくて」

「えぇ、もちろんです。ゆっくりご覧ください」

店内には色々な婚礼衣装が並んでいた。

赤を基調にしたものが多いけど、刺繍の色や形、小物の雰囲気も全部違う。

綺麗だな、とは思う。

でも――。

どれも、私にはちょっと大きそう。

こっちの女性の平均身長より、私はかなり低いし。

「あの、越さん」

隣で黙って、選ぶ様子を見ていた越へ声をかける。

「貸衣装って、私くらいの身長のものってあるんですか?」

「貸衣装?」

越が少しだけ首を傾げた。

「あれ、変なこと言いました?」

「これは、婚礼衣装の見本だ」

「見本?」

私はもう一度、目の前の衣装を見る。

「あ、色々大きさがあるってこと?」

「いや。これを元に婚礼衣装を作る」

「……作る?」

思わず聞き返してしまった。

「えっと、私用に?」

「あぁ。普通、そういうものだろう」

さらっと言われて、私は完全に固まる。

「私の世界では、借りるのが普通だったので……」

「そうなのか」

作るの?

たった1回着るために?

思わず、もう一度衣装へ視線を向ける。

そこで何気なく値札を見て、私は軽く引いた。

……高い。

いやいや、これはない。

しかも、越さんに払ってもらうのに、この値段はちょっと――。

というか、最初からそんな気がしていたけど、絶対にここ、高級店だ。

私はそっと凌越の袖を引いた。

「あの、もっと安いお店とか……」

「?」

「高すぎませんか。なんか、私にはもったいないというか……」

私の言葉を聞いて、越は小さくため息をついた。

「ここで選んでほしいと思ったから連れてきた。値段は気にせず、選んでいい」

「でも……」

「お金のことは心配しなくていい。無理はしていない」

それでも、やっぱり気後れしてしまう。

「その、気持ちはすごく嬉しいですけど……1回しか着ないのに、なんていうか……」

「姫香」

名前を呼ばれて、顔を上げる。

越は少しだけ真剣な顔をしていた。

「できる限りのことをしたいと思っていた」

その低い声が、まっすぐ胸に落ちてくる。

「だから、素直に気に入るものを着てもらえないか」

やっぱり、越さんにはかなわないと思った。

私は小さく息を吐いてから、ゆっくり頷く。

「あの……ありがとうございます」

そう言うと、越は口元を緩めた。

―――――――――――――――――

「ただいま、戻りました」

私が越と一緒に衣装選びから戻ると、店番をしていたお師匠様が顔を上げた。

「おかえり。ちょうど良かった、お茶にしようと思っていたところだ。越も寄っていくだろう」

「えぇ、お邪魔する予定でした」

「茶菓子も買ってきたんです。私、用意しますね」

居間へと上がると、私は包みを卓へ置いてから、茶器を準備する。

お湯を注ぐ音と、甘い香りが広がっていく。

しばらくして、3人で卓を囲む。

「それで、衣装は決まったのかい」

お師匠様に聞かれて、私はぱっと表情を明るくした。

「はい。すごく気に入ったのがあって」

思い出すだけで、少し胸が弾む。

赤を基調にした衣装で、刺繍もすごく綺麗だった。

形も可愛くて、私にもちゃんと似合いそうで――出来上がるのが楽しみ。

……ただ。

「あの、やっぱり少しは私も払った方が――」

そこまで言ったところで、隣から小さくため息が聞こえた。

「何度も言っているが、こちらで払う」

越がきっぱりと言い切る。

「でも、婚礼衣装って女性側が払うのが一般的なんですよね。だから、少しだけでも、自分で払えたらなって……」

あれ、本当に高かったんだよね。

少しでも安いものにしようとしたのに、「これが一番似合う」と越さんは絶対に譲ることはなくて。

……私の給料なら、何か月分なんだろう。

そんなことを考えていると、越が何か言おうと口を開きかけた。

――その前に。

「ちょっと、待っとくれ」

お師匠様が口を挟んだ。

「姫香の衣装は、私が払うよ」

「え」

「いや」

私と越の声が重なる。

お師匠様はそんな私たちを見て、呆れたように笑った。

「当たり前だろ。女性側が払うんだから、私が払うのが筋ってもんだ」

「で、でも――」

「姫香は私の家族みたいなもんだ。こういう時くらい、やらせておくれ」

そう言って、お師匠様は優しく目を細めた。

胸の奥が、じんわり熱くなる。

越さんも。

お師匠様も。

どうして、この人たちはこんなに優しいんだろう。

思わず、少しだけ視界が滲みそうになって、私は慌てて笑った。

「……ありがとうございます」

小さく頭を下げると、お師匠様は「そんな顔するんじゃないよ」と照れたように笑う。

その隣で、越もわずかに息を吐き、「わかりました。よろしくお願いします」と軽く頭を下げる。

それ以上何も言わなかったのは、お師匠様の気持ちを分かっているからだ。

なんだか、その気持ちが嬉しくて、私はそっと口元を緩めた。