どうせ届かないのに、それでも好きになった——宮廷武官と薬師の恋

診療所からの帰り道。

いつも通り私は越さんの前に座る形で馬に乗っていた。

夜の風が頬を撫でていく。

けれど今日は、小さくため息が漏れてしまった。

「忙しかったのか」

前から低い声が降ってくる。

「仕事はいつも通りです。ただ、その……色々聞かれて」

「色々?」

「……なんというか、結婚のことを」

言った瞬間、自分で少し恥ずかしくなる。

「おめでとう、とか。式はいつ、とか……恥ずかしいというか、なんというか……」

最後の方は自然と小さな声になってしまった。

「最初だけだ」

「ですね。越さんの方も、色々言われましたか?」

「まぁな」

返事と同時に、私より深いため息が聞こえてきた。

思わず少し笑ってしまう。

「越さんも、そういうの苦手そう」

「あぁ。放っておいてほしいくらいだ」

かなり本気で嫌そうな声だった。

「大体、他人の結婚の何がそんなに面白いのか理解できない」

憮然とした口調に、私は内心で苦笑する。

普通は、多少気になるものだと思うけど……でも、越さんらしいかも。

馬はゆっくりと街路を進んでいく。

夜の都は灯りがともり、行き交う人の姿も足早になっている。

「準備って、もう、少しずつ必要な感じですよね?」

「あぁ。式場は早めに決めておいた方がいいかもしれないな。何か希望はあるか」

「……出来るだけ、こじんまりした感じがいいなって」

「俺もその方が助かる」

即答だった。

私は少しだけ肩の力を抜く。

「それと、あの……私が準備するものとかってあるんですか? その、こっちの世界の習わしとか、全然分からなくて」

「心配しなくていい。別に合わせる必要はない」

越は迷いなく言い切った。

その声音はいつも通り落ち着いていたけれど、不安を打ち消すみたいな強さがあった。

だけど私は、それでも少し視線を揺らしてしまう。

「……でも、少しくらいは知っておきたいというか、その……なんていうか」

自分でも何を言いたいのか分からなくなって、最後の方はごにょごにょした声になる。

越はそんな私を笑うこともなく、小さく考えるように間を置いた。

「そうだな。正直、女性側の準備については詳しくない」

「気になるなら、段の奥さんにでも聞いてみるか?」

「静華さん……はい、出来れば」

私は、ホッとして言葉を返す。

「分かった。段に話をしておく」

そんな話をしているうちに、お師匠様の家へと到着した。

いつも通り、慣れた動きで、越が先に馬から下りる。

それから当たり前のようにこちらへ両手を伸ばしてくる。

……えっと、これは、どういうことだろう。

「あの、越さん。えっと……いつも通りで、大丈夫だから」

すると越はわずかに眉を寄せた。

「この方が早い。以前から、思っていたが、少し危なっかしい」

「う……」

そう言われると反論しづらい。

確かに、降りる時は支えがあるけど少し怖い。

「肩につかまれ。ちゃんと下ろす」

低い声でそう言われ、私はドキドキしながら越の肩へ手を置いた。

次の瞬間、越の腕が腰を支えるように回る。

軽く抱き留められるような形のまま、そのままゆっくり地面へ下ろされた。

……確かに早い。

早いけど、そういうことじゃなくて。

顔が熱くなり、心臓の音がさっきより跳ね上がった。

そんな私の様子に気づいたのか、越が小さく笑った。

「そのうち慣れる」

無理だから、一体どのへんに慣れたら……

「――早く、乗馬に慣れるように頑張ります」

慌ててそう返すと、

「別に、それは慣れなくてもいい」

越は少し口元を緩めて、ぽんと軽く頭を撫でた。

―――――――――――――――――

白雲が面白がって結婚話を広めたせいで、越の周囲は妙に騒がしくなっていた。

祝福や冷やかしに加えて、なぜか縁談まで持ち込まれ、正直うんざりしている。

休憩中、段が声をかけてきた。

「大丈夫かい」

「最悪だ」

ブスッとした返事に、段は思わず小さく笑う。

「まあ、大変そうだね。君は目立つから」

「別に、目立っているつもりはない」

相変わらず自分の容姿に無頓着な返しに、段は内心で苦笑した。

「結婚すると分かって、皆、祝福してるだけだよ。もちろん僕もね」

「分かっているが、得意じゃない」

憂鬱そうに、そう言った。

「まあ、そうだろうね。それに、何件も縁談が持ち込まれたんだろう?」

「意味が分からない」

越は小さく肩をすくめた。

(……まあ、状況は分かるけどね)

段は内心でそう思う。

姫香は容姿も地味で、身分もない。その上、異世界人だ。

それなら、自分にも可能性があると思う女性がいても不思議ではない。

だが、それを口にするつもりはなかった。

「それより、姫香は大丈夫なのかい?」

「ああ、それで相談したいと思っていた」

越は少しだけ表情を戻す。

「式までの流れは分かるが、女性側の準備までは詳しくない。お前の奥さんに相談できないかと、姫香と話していた」

その言葉に、段はわずかに目を細めた。

「分かった。妻に話しておくよ。姫香とも知り合いだからね。きっと喜んで相談に乗ると思う」

「助かる」

「とりあえず、一度、二人で家においでよ」

と、段はにこりと笑う。

「ああ」

越は、ようやく口元をわずかに緩めた。

―――――――――――――――――

店の扉が開いたときだった。

顔を上げると、見覚えのある女性がこちらへと歩いてくる。

「おめでとう。越さんと結婚するんでしょう?」

いきなりそう言われて、思わず言葉に詰まる。

「は、はい……あの」

どう切り出そうか迷っていると、

「主人から聞いているわ。何でも相談に乗るって」

静華はやわらかく微笑んだ。

「私、そういうおせっかい、大好きなのよ」

その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。

「あ、ありがとうございます。世界も違うから、準備とか全然わからなくて……その、結婚後の生活とかも、不安というか」

言いながら、自分の言葉に少しだけ顔が熱くなる。

静華は、そんな様子をそのまま受け止めるように頷いた。

「大丈夫よ。でもね、結婚後のことは越さんと二人で決めていけばいいの。夫婦になるんだもの」

やさしい声音だった。

「はい、それはもちろん。越さんもそう言ってくれていて……でも、なんていうか、少しでも知っておけば、ちょっと安心かなって思って」

「わかるわ。最初はみんな、そんな感じよね」

そう言って、静華は穏やかに笑う。

そのときだった。

「悪いね、静華。相談に乗ってもらって」

階段の上から、お師匠様が降りてくる。

「いえいえ、明蘭様」

静華は軽く頭を下げた。

「私も結婚の経験はないからね。大体の流れは分かるが、細かい準備までは相談に乗ってやれそうになくて」

「任せてください」

静華はそう言って、自分の胸に軽く手を当てた。

それから、少しだけ表情をやわらげる。

「それと、主人とも話したんだけど……今度、ぜひ二人でうちに来て」

「はい、あの……よろしくお願いします」

そう答えると、静華は満足そうに微笑んだ。

そして、薬を受け取ると、店を後にした。