夢でキスした先輩は、俺にだけ毒を吐く王子様。

***

「春斗くん、おはよう」

「……おはようございます」

淡々と授業を終え、気づけばバイト先のキッチンにいる。

先輩に会いたい。
そればかりで、どうやってここまで来たのかすら思い出せない。

キッチンに立っていたのは、今日も本間さんだった。
先輩を探して、視線は無意識に奥の方に向いてしまう。

「ごめんね、慎也は明後日まで店頭なんだ」

ーーまだあれから、一度もちゃんと会えてないのに。

「今日はまた俺とだけど、よろしくね」

「……はい、よろしくお願いします」

作業はいつも通り、生地を丸めて形を整えて並べる。
手を動かしながら、今日のことを思い出す。

ーー俺、先輩とキス、したんだ。
あれは夢じゃない、よね。
まだ実感が湧かないでいた。

「で?慎也に伝えられた?気持ち」

本間さんの声に、はっとして顔を上げると、いつも通り穏やかな笑顔で俺を見ていた。

「……伝え、ました」

「うまくいった?……でしょ?」

これは、うまくいったと言えるのか。

「キスは、したんですけど」

そう言った瞬間、本間さんが吹き出した。

「……ぷっ、ははっ……それ、俺に言っちゃっていいの?慎也怒るよ」

お腹をおさえて笑いながら続ける。

「まあ、聞かなかったことにしてあげるけど……ってまだ何か考えてる顔してるね」

今まではただ、先輩とキスしたかった。
関われるだけで十分だと思ってた。
でも、先輩が好きだと気づいた今。

先輩のこと、もっと知りたい。
もっと、近づきたい。
そしてーー先輩の心まで、独占したい。
そんな気持ちが少しずつ大きくなっている。

「先輩に、好き……とは言われてません」

小さくため息を吐くと、本間さんはさらに笑った。

「ああ、そっか。今度はそれで不安になっちゃってるんだ」

「わ……笑わないでください」

「ごめんごめん、でもさ、春斗くん。キスしておいて、何も思ってないやつなんていないよ」

そう言って優しく微笑む本間さんの言葉が、ふわっと胸に入ってきた。

「……そう、ですよね」

「うん。だからさ、その不安は……俺じゃなくて、慎也にぶつけなよ」

ーー先輩に?
うまく言えるんだろうか。
でも、本間さんの言う通り、言わないとわからないままだ。

そう思った途端、今までの会話を思い出して、少しだけ気まずくなる。

「すみません、俺。本間さん、話しやすくて……つい」

「それは嬉しいな。次は慎也に話してみて。"好き"って言わせちゃえ」

先輩に、言われたい。
キスだけじゃなくて、先輩をもっと独占したい。

「が、がんばります」

「うん。春斗くんは、そうでなくちゃ、ね」

本間さんは微笑んで、また作業を始めた。
その横で、生地を手に取った。
ちゃんと聞こう。
そう決めて、手を動かした。

***

「俺、終わったから上がるわ。お疲れ」

ふいにキッチンの入口から聞こえた声に、動かしていた手を止める。

「……あ、先輩」

「慎也、お疲れ〜」

本間さんとほぼ同時に声を出すと、先輩は軽く手を上げて、そのまま背を向けて歩いていった。

ーーえ。
もう、帰っちゃう、の?

なにかを期待していたわけじゃない。
でも、心のどこかで少しだけ、一緒に帰れたりするかも、なんて思っていた。

先輩の背中が見えなくなるまで見送ったあと、小さく息を吐いて無理やり作業を続けた。

作業を終えて外に出ると、外の空気がいつも以上に静かに感じた。

先輩にメッセージを送ろうと思っても、なんて書いたらいいのかわからないまま、気づいたら家に着いていた。

制服のままベッドに倒れ込んで天井を見上げながらゆっくり目を閉じる。

「今日のキスも……夢だったりして」

小さく漏れた声に、ため息を吐いた時。

ポケットの中でスマホが震えた。

はっとして画面を見ると、表示されていた名前に、慌てて起き上がる。

「先輩!?……しかも、電話」

正座して深呼吸したあと、震える指で通話ボタンを押す。

「……はい」

「おせえ」

先輩の声が、耳元に直接落ちてくる。
電話を通しているせいか、いつもより少し低く感じた。

「すみません」

「……明日、昼。理科準備室、来い」

「え……あ、はい」

明日また会える。
それだけで、さっきまでの不安が少しづつ溶けていく。

「……じゃ、明日な」

「あ、あの!先輩」

要件だけ言って切ろうとするなんて、早すぎる。
だって、俺……

「もう少しだけ……先輩の声、聞いてたいです」

思わず言ってしまったけど、表情が見えない分、返事を待つ数秒が長く感じる。

「きも」

「すみません……」

小さく呟くと、また少し沈黙が流れる。

「……眠いなら、切るぞ」

「先輩に……会いたいです」

声は耳元で聞こえるのに、目の前にいないのがもどかしかった。

「……ばーか」
「また明日な。もう寝ろ」

「はい、おやすみなさい」

電話を切った時には、さっきまでの不安が、嘘みたいに消えていた。

明日も会える。
そう思いながら、穏やかな気持ちで眠りに落ちた。