「……っ」
目が覚めた瞬間ーー
唇にあの感覚がよみがえって、
思わず顔を覆う。
ーーキスしてください、なんて。
俺はなんであんなことを言ってしまったんだ。
冷静になって考えると、頭おかしいだろ普通に。
「…でも」
先輩を目の前にすると、冷静でなんていられないらしい。
あの瞳も、あの唇も。
忘れられるわけがない。
ーー先輩。
もう後戻りなんて出来ない。
諦めるつもりも、ない。
そんな事を頭の中で何度も繰り返していた。
***
「お前さ、さっきからずっと上の空だけど大丈夫か?」
昼休み、机に突っ伏していた俺に呆れた声が落ちてきた。
顔を上げると、クラスで一番仲の良い友達、秋人。
「いや、別に」
適当に返す俺に、秋人はため息をついた。
「"別に"じゃねえだろ。お前噂になってるぞ」
「…え?」
「お前が慎也先輩にキス迫ったってさ」
その言葉で、昨日の光景が一気に蘇る。
女子に囲まれて笑う先輩。
手首を掴まれて連れて行かれた廊下。
そして、——あの瞳。
「そうだ。慎也先輩だ」
「は?」
「……名前」
「いや、そこ!?」
秋人は頭を抱えている。
「てか、噂マジなのかよ」
「マジじゃ悪いの?」
「悪いに決まってんだろ!お前大丈夫か!?」
俺はきっと本気で心配されている。
ーーでも、
そんなことより。
「先輩のこと、知ってるの?」
秋人は呆れたように肩をすくめて口を開いた。
「知らないやついないだろ。あの柊木慎也だぞ?」
ーー柊木慎也
初めて知った先輩のフルネーム。
それだけで心臓が変な動きをした。
そんなに有名な人だったのか。
「先輩がバイトしてる店のSNS、フォロワーやばいし、スカウトもしょっちゅうって話よ」
「先輩のバイト先!?SNS!?」
秋人の言葉に、俺は体を乗り出して食いつく。
「そうそう。ほら」
差し出されたスマホに映っていたのは、人気ドーナツ店のアカウント。
沢山のカラフルなドーナツの写真と、ーー笑顔で接客をしている先輩が投稿されていた。
昨日と同じ笑顔で、微笑んでいる。
「この店、どこ!?」
「めっちゃ人気のドーナツ屋。で、ここの看板店員が慎也先輩」
「か…看板」
「出勤のたびに行列らしい。…てかお前、ほんとやめとけ?噂もう広まってるからな」
そう言って秋人は、ため息を吐きながら自分の席に戻って行った。
「……噂なんて」
ーーそんなのどうでもよかった。
俺はすぐに自分のスマホを取りだして、
さっきのドーナツ屋のアカウントを検索して、フォローする。
スクロールしていくと、カラフルなドーナツと接客中の先輩の写真が並んでいる。
〚今月の出勤予定〛と書かれたページで指を止めた。
ーー明日。
「行くしかないだろ」
決してドーナツが嫌いなわけじゃない。
むしろ大好きだ。
でも、今回はドーナツを食べたくて行くわけじゃない。先輩に会うために行く。迷いなんて、ない。
しばらく写真を見ていると、ふと目に入った関連アカウント。
さっきのカラフルなドーナツや、風景、流行りのスニーカーやアクセサリー、シンプルな投稿ばかりのアカウントだった。
ーーもしかして、
「……これって」
先輩の個人アカウント!?
アカウント名"sweet-cafe"、顔が映ってる写真はないものの、根拠のない自信があった。
フォローしたい。
でも…。
フォローボタンに指をのせかけた所で手が止まる。
俺のアカウントは…。
アカウント名"kuro-shiro"
投稿しているのは、編んだマフラーや小物。
モノトーンをイメージしているから静かな写真ばかりではあるが、編み物好きの人から割と人気があり、フォロワーもそこそこいる。
クラスの奴らはもちろん、おばあちゃん以外は誰も知らない俺の趣味。バレる訳にはいかない。
既に何千ものフォロワーがいるドーナツ屋ならまだしも、先輩は二百人弱。
ーーどう考えてもバレるだろ。
「……いや」
まさか気づくはずない。
あの先輩が、わざわざ一人ひとりのアカウントなんてチェックしないだろ。
何より、先輩の事をもっと知りたいという一心だった。
ふうっと小さく息を吐いて、震える指でフォローボタンを押した。
「……よし」
たったそれだけなのに。
どうしようもなく、嬉しかった。


