カウンターに近づくにつれて、女子達の黄色いざわつきが耳に入る。
その中心にいるのは先輩でーー
カウンターに続く扉の前まで来て、我に返る。
接客中の先輩に、今ここで飛び込んだら、またあの時みたいに冷たく突き放されるかもしれない。
ーーいや、きっと返事すらしてもらえない。
声をかけることは出来なくても……
そう思って、扉にそっと手をかけた。
扉の隙間から見える先輩は、笑顔で接客をしている。初めて見た日と同じ、王子様みたいな笑顔。
俺には向けられないその横顔を見ているだけで、胸の奥が何かに掴まれているみたいに締め付けられる。
本当はーー今すぐ話したい。
そう思った時、ふっと先輩の顔がこちらを向いた。
でも、重なった視線は、一瞬で逸らされる。
「……あ」
もう完全に嫌われたかもしれない。
視界にすら、入れてもらえないかもしれない。
でも、もう一度ちゃんと話そう。
そう決めて、そっと扉を閉めた。
***
「あ……すみません……俺」
キッチンに戻ると、本間さんが割れた皿を片付けていた。
「仕事中に、急に出て行っちゃダメでしょ!……なんてね」
顔を上げて、本間さんはいつも通りの柔らかい笑顔でくすっと笑った。
「本当、すみません。ありがとうございます」
「慎也のとこ、行ったんでしょ?」
「あ、はい……でも、接客中で……」
言葉に詰まる俺を見て、本間さんは再び笑い出した。
「そっか。それで帰ってきたんだ」
そう言って、集めた皿の破片を、ちりとりでまとめながら続けた。
「さっきの春斗くんさ、周り、全然見えてなかったよ」
ーー確かに、見えていなかった。
夢で見たあの日から。
いつだって先輩の事しか。
「……そういうのって、"好き"ってやつじゃない?」
「……え」
ーー好き。
その一言が、頭の中でゆっくり広がっていく。
言葉が出なくて固まっている俺に、本間さんは穏やかな口調のまま続ける。
「ちょっとさ、考えてみて」
「慎也がいない日常って、想像できる?」
先輩が、いない日常。
ここに来てもいない先輩。
ドーナツを作っていない先輩。
俺の存在を知らない先輩。
先輩の存在を知らない……俺。
「……無理です。考えたくない」
本間さんは、納得したように小さく頷いて、いたずらっぽく笑った。
「じゃあさ、もしも俺が、慎也と付き合ってるって言ったら?」
ーーそんなの。
「……いやです。絶対に、いやだ」
「そっか」
そう言って俺の反応を楽しんでるみたいにくすっと笑った。
「じゃあ、もう答え出てるね」
何も返せないまま立ち尽くす俺の肩をぽん、と叩いて、本間さんは作業に戻った。
最初からずっと俺は。
ーー先輩だけを、見ていた。
「……好きだ……」
"好き"の一言が胸の中にすとんと落ちた瞬間。
さっきまでまとわりついていた疑問が、ほどけるみたいに消えていく。
「……よし」
生地を丸める手は、さっきよりずっと軽くて、自然とやる気が湧いてくる。
そんな俺の様子を見て、少し離れたところで作業している本間さんが、くすっと笑った。
「なんだかいきなり張り切っちゃって。ほんと、わかりやすいね、春斗くん」
「……え」
「さっきまでと、全然違う顔してる」
そうかもしれない。
だって、俺ーー
「先輩に、伝えようって決めました」
本間さんは、一瞬驚いたような目をした後、いつものように優しく笑って頷いた。
全部、本間さんのおかげだった。
「ありがとうございます」
「お礼言われるようなこと、なんにもしてないよ。春斗くんが、自分で気づいただけ」
そう言いながらも、その表情は少し嬉しそうに見えた。
「……あの、本間さん」
「ん?」
「先輩の誕生日って、知ってたりしますか?……あと、家族構成も……」
先輩の事を知りたくて書いた、スマホのメモ欄。
あの時は、ただ近づきたい一心だった。
"一個なら答えてやる"
あの日の先輩の言葉を思い出して、思わずふっと笑いがこぼれた。
二つだけなら、本間さんに教えてもらってもいい、よね?
「ほんと、行動早いね」
そう言って、くすっと笑ったあと、本間さんは、少し考えるような表情をして口を開いた。
「えっとね……慎也は一人っ子だよ」
「誕生日は、4月20日」
ーー4月。
先輩、春生まれだったんだ。
「ありがとうございます!」
早速スマホのメモ欄に打ち込んだ。
***
「俺、もう少し残って作業するから、春斗くん、もう上がって大丈夫だよ」
本間さんの言葉に、はっとして時計を確認すると、あっという間に退勤時刻になっていた。
「ありがとうございます。お疲れ様です」
「うん、お疲れ様。慎也と、うまくいくといいね」
そう言って笑顔で手を振る本間さんに、小さく頷いて、キッチンを出た。
着替えてを済ませてカウンターの方へ向かうと、レジの近くに立っていた富永さんと目が合った。
「あら、春斗くんお疲れ様」
「あ、お疲れ様です……あの、先輩、どこにいるか知ってますか?」
「慎也くん?さっき帰ったわよ」
「……え」
「あら、ついさっきだけど、会わなかった?」
「……はい、ありがとうございました」
軽く頭を下げて、店を出た。
外の空気は、思っていたよりも冷たい。辺りを見渡して先輩を探したけど、姿は見えなかった。
やっぱり俺、避けられてる。
……それでも。
その中心にいるのは先輩でーー
カウンターに続く扉の前まで来て、我に返る。
接客中の先輩に、今ここで飛び込んだら、またあの時みたいに冷たく突き放されるかもしれない。
ーーいや、きっと返事すらしてもらえない。
声をかけることは出来なくても……
そう思って、扉にそっと手をかけた。
扉の隙間から見える先輩は、笑顔で接客をしている。初めて見た日と同じ、王子様みたいな笑顔。
俺には向けられないその横顔を見ているだけで、胸の奥が何かに掴まれているみたいに締め付けられる。
本当はーー今すぐ話したい。
そう思った時、ふっと先輩の顔がこちらを向いた。
でも、重なった視線は、一瞬で逸らされる。
「……あ」
もう完全に嫌われたかもしれない。
視界にすら、入れてもらえないかもしれない。
でも、もう一度ちゃんと話そう。
そう決めて、そっと扉を閉めた。
***
「あ……すみません……俺」
キッチンに戻ると、本間さんが割れた皿を片付けていた。
「仕事中に、急に出て行っちゃダメでしょ!……なんてね」
顔を上げて、本間さんはいつも通りの柔らかい笑顔でくすっと笑った。
「本当、すみません。ありがとうございます」
「慎也のとこ、行ったんでしょ?」
「あ、はい……でも、接客中で……」
言葉に詰まる俺を見て、本間さんは再び笑い出した。
「そっか。それで帰ってきたんだ」
そう言って、集めた皿の破片を、ちりとりでまとめながら続けた。
「さっきの春斗くんさ、周り、全然見えてなかったよ」
ーー確かに、見えていなかった。
夢で見たあの日から。
いつだって先輩の事しか。
「……そういうのって、"好き"ってやつじゃない?」
「……え」
ーー好き。
その一言が、頭の中でゆっくり広がっていく。
言葉が出なくて固まっている俺に、本間さんは穏やかな口調のまま続ける。
「ちょっとさ、考えてみて」
「慎也がいない日常って、想像できる?」
先輩が、いない日常。
ここに来てもいない先輩。
ドーナツを作っていない先輩。
俺の存在を知らない先輩。
先輩の存在を知らない……俺。
「……無理です。考えたくない」
本間さんは、納得したように小さく頷いて、いたずらっぽく笑った。
「じゃあさ、もしも俺が、慎也と付き合ってるって言ったら?」
ーーそんなの。
「……いやです。絶対に、いやだ」
「そっか」
そう言って俺の反応を楽しんでるみたいにくすっと笑った。
「じゃあ、もう答え出てるね」
何も返せないまま立ち尽くす俺の肩をぽん、と叩いて、本間さんは作業に戻った。
最初からずっと俺は。
ーー先輩だけを、見ていた。
「……好きだ……」
"好き"の一言が胸の中にすとんと落ちた瞬間。
さっきまでまとわりついていた疑問が、ほどけるみたいに消えていく。
「……よし」
生地を丸める手は、さっきよりずっと軽くて、自然とやる気が湧いてくる。
そんな俺の様子を見て、少し離れたところで作業している本間さんが、くすっと笑った。
「なんだかいきなり張り切っちゃって。ほんと、わかりやすいね、春斗くん」
「……え」
「さっきまでと、全然違う顔してる」
そうかもしれない。
だって、俺ーー
「先輩に、伝えようって決めました」
本間さんは、一瞬驚いたような目をした後、いつものように優しく笑って頷いた。
全部、本間さんのおかげだった。
「ありがとうございます」
「お礼言われるようなこと、なんにもしてないよ。春斗くんが、自分で気づいただけ」
そう言いながらも、その表情は少し嬉しそうに見えた。
「……あの、本間さん」
「ん?」
「先輩の誕生日って、知ってたりしますか?……あと、家族構成も……」
先輩の事を知りたくて書いた、スマホのメモ欄。
あの時は、ただ近づきたい一心だった。
"一個なら答えてやる"
あの日の先輩の言葉を思い出して、思わずふっと笑いがこぼれた。
二つだけなら、本間さんに教えてもらってもいい、よね?
「ほんと、行動早いね」
そう言って、くすっと笑ったあと、本間さんは、少し考えるような表情をして口を開いた。
「えっとね……慎也は一人っ子だよ」
「誕生日は、4月20日」
ーー4月。
先輩、春生まれだったんだ。
「ありがとうございます!」
早速スマホのメモ欄に打ち込んだ。
***
「俺、もう少し残って作業するから、春斗くん、もう上がって大丈夫だよ」
本間さんの言葉に、はっとして時計を確認すると、あっという間に退勤時刻になっていた。
「ありがとうございます。お疲れ様です」
「うん、お疲れ様。慎也と、うまくいくといいね」
そう言って笑顔で手を振る本間さんに、小さく頷いて、キッチンを出た。
着替えてを済ませてカウンターの方へ向かうと、レジの近くに立っていた富永さんと目が合った。
「あら、春斗くんお疲れ様」
「あ、お疲れ様です……あの、先輩、どこにいるか知ってますか?」
「慎也くん?さっき帰ったわよ」
「……え」
「あら、ついさっきだけど、会わなかった?」
「……はい、ありがとうございました」
軽く頭を下げて、店を出た。
外の空気は、思っていたよりも冷たい。辺りを見渡して先輩を探したけど、姿は見えなかった。
やっぱり俺、避けられてる。
……それでも。


