夢でキスした先輩は、俺にだけ毒を吐く王子様。

一瞬の沈黙の後、本間さんは吹き出した。

「あはは、なにそれ。心配させてたんだね、ごめんごめん」

肩を揺らして笑いながら、続けた。

「慎也と俺?普通に昔からの仲だよ」

「昔、から……?」

「うん。俺も慎也もスイーツ作るのが好きでね、料理教室も一緒に通ってて」

ーーもしかして、二人で帰ってたあの日も……料理教室?
そう考えると、一気に辻褄が合う。

「で、その先生が今のオーナー。店出すって時に声かけてもらって、そのままここで働いてるってだけ」

「……そう、なんですか」

俺の……勘違いだったってこと?

「うん。だからさ、春斗くんが思ってるような関係ではないと思うよ」

そう言ってにやっと笑って、わかりやすく肩をすくめる本間さん。

胸の奥に溜まっていた何かがふっと軽くなった気がして、小さく息を吐いた。

「……なに、安心した?」

「い、いや、違います」

反射的に否定した俺を、本間さんはくすくす笑ったまま見ていた。

「ねぇ、前から思ってたんだけどさ」

「え?」

「春斗くんって、慎也のこと好きなんだ?」

ーーえ?……好き?
俺が、先輩を?
今まで、考えたこともなかった。

「……は?」

思わず間抜けな声が漏れた。
理解しようしても、思考が追いつかない。

「いや、だってさ」

俺の心中をよそに、楽しそうに笑いながら本間さんは続ける。

「あからさまに意識してるし、なにより……わかりやすいじゃん。春斗くん」

「ち、違います」

どう言えばいいのか、自分でもわからないのに、口が動いて言葉が止まらない。

「先輩を好きとか、そういうのじゃないです」

ーーそんなの、考える必要ない。
だって、俺はただ……

「かっこいいし、すごい人だし……」
「触れたいし……」
「キス、したいって思ってるだけで」

胸の奥にある確信を、気づいた時にはそのまま言葉にしていた。嘘は、ついてない。
でも、これが今の俺の本音、なのか?

少しの沈黙の後、本間さんは再び吹き出した。

「ははっ……なにそれ。めちゃくちゃじゃん」

肩を震わせて、お腹を抱えて笑っている。

これ以上言葉が出てこなくて、首を傾げることしか出来ない。
本間さんは、そんな俺を見て、涙を拭いながら息を整えた。

「ま、いっか。とりあえずさ、変な心配しなくていいから」

そう言って俺の肩をぽん、と軽く叩いて、歩き出しながら続ける。

「少なくとも、俺はなーんもないし……まあ、そのへんは本人に聞きなよ」

ひらひらと手を振って、そのまま帰って行った。

「……はい」

小さく返事をしながら、本間さんの背中を見送った。

"春斗くんって、慎也のこと好きなんだ?"
ーーどういうこと?

「……キス、したいのは本当だし」

ぽつりと呟いた時、店の扉が開く音がした。
はっとして顔を上げると、先輩が歩いて来るのが見えて、駆け寄る。

「……っ、先輩、お疲れ様です」

姿が見えた瞬間、ただ目の前にいる先輩だけに意識が向いて、他のことが全部消えた。

なのに……先輩からの返信は、ない。
一瞬だけ合った視線も、すぐに逸らされてしまう。

ーーあれ。
なんか、違う?

「先輩……?」

呼びかけても立ち止まることはなく、そのまま歩き出す。慌ててその背中を追った。

「あの!……一緒に、帰りませんか?」

「……無理」

ぽつりと呟いた先輩の声は、いつも以上に低くて冷たくて、思わず足を止めた。

「え……」

ーーなんで。
聞き間違いじゃない、よな。
先輩は振り返らずに歩き続ける。
そんな先輩を再び慌てて追いかける。

「俺と帰るの、嫌ですか?」

引き止めたくて必死だった。
少しだけ距離を詰めてみる。
さっきみたいに、手を伸ばしたら何か変わる気がして、触れようとした時。
先輩の体が、わずかに引いた。

ーー避け、られた。
思考は追いつかないままもう一度、踏み込もうとした時。

「触んな」

……え。
今まで聞いた事のない、低くて、鋭い声。明らかな拒絶だった。
びくっと肩が揺れて、同時に伸ばしかけた手を止めた。状況を理解するのに、時間がかかった。

「……なんで」

小さくこぼれた声は、情けないくらいに弱くて、今にも消えそうだった。

先輩は振り返らないまま、足を止めて呟いた。

「俺は、好きでもねえやつと、キスしたりしねえ」

ーーえ。
その一言で、本間さんとのやり取りが鮮明に蘇ってきた。
もしかして、さっきの、聞かれてた?

「え……?いや……その」

言葉がうまく出てこない。
でも、このまま黙ってしまえば先輩は行ってしまう気がする。

「だって、先輩が……」

「は?」

「キス、したくさせろって……言ったから……」

自分でも何が言いたいのか、何を言ってるのか、わからない。
ただ、先輩を引き止めたくて必死だった。

「ちゃんと、やろうと思って、俺……」

「……は」

俺の言葉を遮るように、先輩から小さく乾いた笑いがこぼれた。

「俺のせいかよ」

やっと振り返った先輩の目は、笑っていなかった。

「……そういうことか」

ぽつりと落とされた言葉は、あまりに冷たい声で、思わず息を飲んだ。

「俺は、お前とキスすることは一生ねえって、今日はっきりわかったわ」

淡々とした先輩の言葉。
それが、余計に突き刺さる。

思考が全然追いついていない。
でも、一つだけわかる。
このままだと、きっと先輩は離れていく。
そんなの、絶対にいやだ。

「……っ、先輩」

呼び止めたくて必死で絞り出した言葉の途中で、歩き出す先輩。

一度も振り返らないまま、足音は遠くなっていく。

「……なんで」

ぽつりとこぼれた言葉は、誰にも届かない。
その場に残されたまま、動けない。
足が動かなくて、追いかけることもできなかった。