夢でキスした先輩は、俺にだけ毒を吐く王子様。

***

教室の中は、昨日よりもさらにざわつきが増していた。

ひそひそと交わされる声。
時折、俺に向けられる冷めた視線。

気にしないなんて、強がりじゃない。
……どうでもいい。

中休み開始のチャイムが鳴って、教室のざわつきが一気に外へ流れていく。

俺もなんとなく席を立って、吸い寄せられるように窓の外を眺める。

「……あ」

グラウンドの中央付近で、ボールを追いかける人影。

汗で少し濡れた髪。
動くたびに揺れるシャツ。

目が、勝手に追ってしまう。

ーー先輩。

「……やっぱ、かっこいいわ」

昨日は一度も、姿すら見ることが出来なかった。たった一日で、あんなに気分が落ちてたのか俺。

”「……無理」”
最後に会った時のあの日の言葉は、確かに凹んだ。

でも。
完全に拒絶されるまでは、引かないって決めた。

「……行くか」

廊下を出てすぐの自販機、この前と同じスポーツドリンクを買ってグラウンドに走った。

女子達の笑い声と黄色い歓声にだんだんと近づいていく。

グラウンドに足を踏み出すと、明らかに空気が変わった。

「……え、桜木また来た」
「あいつでしょ?」
「やば……」

集まる視線と耳に入る声は全て無視して、その中央にいる背中に向かって歩いていく。

「せ、先輩!」

振り向いた先輩は、柔らかく笑っていた。

「これ……どうぞ」

スポーツドリンクを差し出した。

「うわ、まただよ」
「ガチのストーカーじゃん……」

そんな声なんて、もうどうでもよかった。

先輩は、笑顔のまま受け取って、そのまま一口飲んだ。

「せんきゅ」

それだけ言うと、そのまま俺の横を通り過ぎて行った。

ーーえ?

「……う、受け取って……くれた」

固まったまま、ざわつく空気を抜けて、教室へ戻る。

席に座っても、しばらく動けないまま固まっていると、ふいにポケットの中のスマホが震える。

スマホを開いて、表示された名前を見て、慌ててトークを開いた。

【先輩】
”お前はほんと、懲りねえな”

メッセージを見た途端、思わず口元が緩んだ。

「さっきの態度と、全然……違うじゃん」

先輩と俺は、終わってない。
それがわかっただけで、もう十分だ。

「……やっぱ、先輩、やばいわ」

ひそひそとした声。
隠す気もない視線が、容赦なく向けられる。

掲示板を開くと、案の定さらに荒れていた。
目に入ってくる言葉を、ひとつずつなぞっていく。

”また来たらしい”
”グラウンドまで追いかけてた”
”ストーカー確定”

さらに……

”てか先輩飲み物受け取ってたし”
”あれもどうなん?”
”調子乗らせるだけだろ”

ーーは?
……なんだよ、それ。

「春斗」

名前を呼ばれて顔を上げると、机を挟んで秋人が立っていた。

「いい加減にしろよ。お前、まじでやばいって」

いつもとまるで違う雰囲気で、はっきりとわかるくらいに、怒ってる。

でも、俺は……

「別に、何もしてない」

「は?してるだろ。グラウンドまで行って、あんな目立つことしてさ」

呆れたようにため息をついて、秋人は続けた。

「掲示板見てねえのかよ」

「見たけど、それが何だよ」

その言葉に、秋人の言葉はさらに強くなる。

「……なんでそこまで先輩にこだわるんだよ。お前、ほんと頭おかしいぞ」

強い言葉で言われても、不思議と刺さらなかった。

「……理由なんて、わからない 」

なんでこんなに気になって、
なんでこんなに先輩しか見えないのか、
全部、わからない。

でも。

「やめる理由も、ない」

俺の言葉に、秋人は再びため息をついた。

「お前はそれでいいかもしれねえけどさ、先輩はどうなんだよ」

ーーえ。

「お前があんなふうに近づいて、変な噂まで流されて」

「迷惑とか、考えたことあるのか?」

ーー先輩は、どう思ってるか。
ーー迷惑、かどうか。

そんなこと、考えたことなかった。

俺はずっと、
自分のことだけだった。

言葉が出なくて、目の前にいる秋人の顔も見れなかった。

スマホを握りしめて、先輩からメッセージを読み返す。

【お前ほんと、懲りねえな】

ーー先輩は、どうなんだろう?

【もうこういうこと、しない方がいいですか?】
【先輩に会いに行くの、迷惑ですか?】

気づけば、勢いのまま送信ボタンを押していた。

取り消したい衝動を抑えながら、画面を睨む。

すぐに既読になったけど、返事は来ない。

「……やっぱ、迷惑だったのか、な」

小さく呟いたと同時に、昼休みを告げるチャイムが鳴った。

外の空気でも吸おうと席を立った時、
ポケットの中のスマホが震えて、反射的に画面を開いた。

【購買パン 理科準備室】

ーーえ。
呼び出すってことは、迷惑じゃない?

どういうことだ。

自然と購買に走っていた。
いつもと同じパンを買って、理科準備室の扉の前で、一瞬立ち止まった。

また、噂が流れるかもしれない。

ふうっと大きく息を吐いて、ノックもせずに扉を押し開けた。

「おっそ」

いつもと何も変わらない先輩が退屈そうにスマホをいじっていた。

「あ、これ」

購買の袋を差し出すと、すぐに取り出してパンをかじる先輩をつい見てしまう。

ーーいつもと変わらない。
ってことは、噂のことも知らないとか?
いや、そんなはずない。

「で?なんだよ、さっきのメッセージは」

突然口を開いた先輩に、はっと我に返った。

「あ、いや……俺が、いつも付きまとうから迷惑かなって」

「は?」

眉をひそめながら俺を見る先輩。

「噂、知ってるでしょ、先輩も……掲示板の」

掲示板に書かれていた言葉を思い出して、自分で情けなくなる。

そんな俺を見て、先輩は吹き出して鼻で笑った。

「お前、ほんとにバカなんだな」

笑いながら、先輩は続けた。

「あの場面でキス迫ったら、噂になるくらい分かるだろ」

「あ……」

確かに、そうだ。
あの時は、そんなこと一切考えていなかった。情けなさが増して言葉が出なくなった。

「ほんとにバカかよ」

先輩は呆れたように、軽いため息を吐いた。

やっぱり……

「先輩も、俺のせいでーーんぐっ!?」

言いかけた時、口の中に何かが押し込まれた。

「早く食えよ」

ーーまた、メロンパン。

「噂とか、どうでもいい」

え?それって……

顔を上げると、先輩は何事もなかったようにパンをかじっている。

迷惑じゃないってこと?

先輩の言葉が、胸の奥に落ちてくる。

秋人の言葉も、掲示板の書き込みも。

ぐちゃぐちゃだったものが、嘘のように静かになっていく。

ーー同時に、自分でもよくわからない感情が湧き出てきた。
その感情を言葉に表すことはできないけど、なんか……俺、今。

「……キス、したいです」